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知らないうちに眠ってしまっていたらしい。
バスはガタゴトと少しだけ揺れながら雪道を走っている。
隣の席を見てみると、頬杖をついたウグイスの向こう、曇った窓の外を流れる景色は眠る前に見たものとほとんど変わっていなかった。
ただ、ずっと降っていた雪はいつの間にか止んだようだった。雪原が広がっているのが見える。遠く並ぶ山は灰色の山杉と雪の二色に塗り分けられていた。
あの山のどこかに、ウグイスの思い出の桜があるのだろうか。
そんな事を考えた。
ウグイスは反対側の座席の窓際で、黙って風景を眺めている。
バスに乗っているのはボクとウグイスだけだ。
いつの間にか運転手までいなくなっていた。ハンドルがバランスを取るように一人でにゆらゆらと揺れている。角度的に見ることは出来ないが、きっとアクセルとブレーキのペダルも勝手に動いているのだろう。
「ねえ、ウグイス。運転手さんがいなくなっちゃった」
ウグイスはボクの方に顔を向けた。
「あなたが眠っている間に、二つ前のバス停で降りてしまったわ」
「まだボクたちが乗っていたのに?」
「このバスが向かっている場所は、私たちの行きたい場所であって、運転手の行きたい場所ではないからじゃないかしら」
乗客しかいなくなってしまったバスでも問題なく走行しているようなので、これはこれで良いのだろう。
長く旅をしていれば、たまにこういった出来事に出くわす。
話が終わるとウグイスは気だるげに窓の外へと視線をやった。
差し込む弱い日差しを受けた横顔が白く輝いて見えた。
彼女の目が細くしなる。
微笑んでいるのだ。
その笑みに、ボクは不思議な安堵感を覚えた。
「春雪。次で降りましょう」
ボクたちの終着も近い。
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いつからか母は床に臥せる事が多くなっていた。
母が嫌な咳をするたび、元々生気に乏しかった母から命が奪われていく気がした。
何度も医者に行く事を勧めたが、一度も医者に行こうとはしなかった。母は「薬を飲んで横になっていればその内に治るから」と言って枕もとの薬を指差した。
ボクは知っていた。
その薬では母はもう治らない事を。
学校から帰ったボクを迎える母の表情。
布団から上体を起こし、無理をして笑っている。彫の薄い面に刻まれた皺は笑い皺だけではない。
灯りもつけず、斜陽が濁ったガラスを通して小さな部屋に差し込んでいる。
弱い陰影の中で見る母の笑顔。
母の言葉に混じる笛の吹くような雑音は肺や気管支を蝕まれている証だったのだろう。
夜半に異音で目を覚ませば、隣の布団で母が肩で息をしながら、苦しそうに胸を押さえていたのを覚えている。
指先だけではなく、全身を枯れ木のようにやせ細った母の姿。
ただ、日に日に弱っていく母の隣にいるだけの毎日だった。
こんな時、誰かがボクたちの傍にいてくれたのならば――。
それがたとえ顔も知らぬ父だったとしても。
ずっとそんな事を考えていた。
そうすれば――何かを考えていれば助けが来ると、浅はかだけど信じていた気がする。
ある日、ともすれば折れてしまいそうなほど痩せた母の手を握った。
温もりはもう感じなかった。