六ノ巻 『涅虎ノ岳』
~前回までのあらすじ~
雲豹の牙丸の故郷である獣賀の里は、裏刃衆過激派の首領である鬼神斎によって焼き滅ぼされ、牙丸を除き全て死に絶えたと思われていた。だがそんな彼の元にもう一人の生き残りが現れる。その名は角丸、牙丸と共に育った男であった。再会の喜びに浸りつつも、顔が割れた以上は旅立たねばならぬ牙丸。しかしその出発の日、角丸は裏刃衆の刺客、『夜叉の角丸』として牙丸の前に立ちはだかったのであった……。
角丸。かつて獣賀の里で育ったこの男は今、夜叉の角丸と名乗り牙丸の敵として立ち塞がっていた。今、両者の首には縄と鎖がそれぞれ巻き付いている。牙丸の体に鎖が、角丸の頭に縄がそれぞれ、グイと締め付けられている。
「……ッぐっはァ!!」
音を上げた。片方の男が崩れ落ちる。膝をつき、地に伏したのは、
「牙丸ゥゥ! かァァァくゥごォォォーーーッ!!」
頭に巻き付けられた放電絹を振り払い、その手に持った鎖鎌、蔓緑斬を思い切り振り上げる角丸。だが牙丸の目に映ったのは、持ち主の手を離れて地に落ちる鎌の刃であった。
「うがァッ!?」
「角丸!? どうしたで御座るか!?」
牙丸は咄嗟に手を伸ばした。だが角丸は蔓緑斬を大鎌に戻し、素早くその場の地面を柄で突くと土煙の中に消えていった。
「何故で御座る……何故……」
牙丸は自らの装甲を次々に引き剥がし、地面に叩き付けた。
「何でだよ角丸ゥゥーーッ!!」
仮面を外した牙丸の顔は涙と鼻水で溢れていた。彼にはもう、同郷の味方はいないのだ。昨晩の寂しさなど生ぬるい、孤独を越えた孤立が牙丸を待っていたのである。地面に拳を何度も叩き付け、彼の慟哭はただただ絶望を歌うばかりであった。
「……前を、向かないとな……」
牙丸は装甲を巻物に封じた後、一つの合口を取り出した。獣賀の里が燃えた夜、彼は自分の小太刀と姉の持つ合口を咄嗟に持ち出していた。小太刀はその後散々使ったために最早使い物にはならない。一方で合口は、姉の片身としてとってあったのだ。
「旅立つ前に山籠りするよ……姉ちゃん、見ていてくれ」
合口を見つめながら牙丸は呟いた。そして懐にしまうと立ち上がり、一歩ずつその足を進めるのである。悲しくも力強く、寂しくも雄々しく。
「見事な戦いっぷりであったな」
蝋燭に照らされる暗い部屋の中、鬼神斎が口を開く。その顔の半分を覆う仮面に埋め込まれた白い顔の瞳が、不気味に光っていた。
「申し訳ありませぬ……!」
その目の先には角丸がひざまづく。百鬼装甲は外していた。
「獣の血を九割解放してやっと互角に戦えるか、しかし時間に限りがあったとはな」
「四分しか持たぬとは……加勢すべきであったでしょうか」
「いや良い。こちらも把握すべきであったからの。ところで角丸よ……」
鬼神斎は九蔵に書くモノを渡しながら、角丸に尋ねた。
「牙丸の装甲に時間制限がないのは何故だ?」
「ヤツの装甲は本来、獣の因子を五割のみ引き出すモノ。それ以上出すとなると長くは活動出来ないのです」
「あの強さで、五割しか出しておらんというのか!」
角丸の言うことを書き取りつつ、九蔵は驚愕する。たった五割の力で、自分の暗鬼達はことごとくやられてしまったのだ。
「あの因子を全て引き出すには装甲を纏った上でもう一段階踏まねばなりません……即ち、獣変化の術」
「自らを獣に変える術……」
「はい。あの言葉は、学者や道楽者の唱える説のような比喩などでは決して御座いません。そのままの意味なので御座います」
「なんと……」
鬼神斎と九蔵が目を合わす。
「しかし獣変化は長く持っても五分が限界、それ以上はシノビ自身の命にも関わります。しかし鬼神斎様」
「どうした」
角丸は一瞬だけためらった。しかし何かを振り払うように首を振った後に鬼神斎の方に向く。
「ヤツは、牙丸は術を完成させておりません」
「何だと!?」
驚きの声を上げたのは九蔵だった。
「出鱈目を言うな角丸、我々はまだ貴様を信用したワケではないのだぞ、あまりに信じられぬわ!」
「事実を言ったまでだ。信じられぬなら確かめると良い。工場の連中に聞けば、ヤツは仕事が休みになると決まって釣りに出ていたそうだが違う。山に入っていたのさ、獣変化の術の修行のために!」
力強く、角丸は言い切った。
「涅虎岳で御座います。あの山には未だに、獣賀によってかけられた結界が張られております」
涅虎岳とは手助市にある山である。かつてより魔の山とされ、ヒトならざる者の巣窟であると恐れられると同時に獣賀衆第二の拠点であるとも伝えられていた。
「恐らく、ヤツは旅立つ前に涅虎岳へ向かうでしょう。あの術は修行を始めてから習得するまでに最低でも五年はかかります、ヤツがあの術を学びだしたのは十五の時、早めに潰す必要があるかと!」
「ふむ……涅虎岳か、九蔵よ」
「ハッ!」
「気になるのであれば確かめて来るが良い」
「ありがとうございます! では早速……」
「待て。角丸よ、そなたも向かえ。一応は獣賀者であろう? 案内が必要だ」
「……承知!」
二人が去った後、鬼神斎は部屋の奥に戻っていった。畳部屋に入ると、そこには布団の中に眠る姿。
「お妖よ。体はまだ痛むか?」
低く冷たいシノビの頭領としての声ではなく、何処か暖かい父親としての声を鬼神斎はかけた。
「お父……様……」
「鏡の修復は終わった。あとはお前の体が癒えるのみ。ゆっくり休め、食べ物を作るからそこで待っておるのだ」
鬼神斎が去ると、お妖の仮面の下から覗く口がかすかに、声を出していた。まるで、父親の目を盗むかのような頃合いで。
「きば……ま……る……逃げ……て……牙丸……あぁっ……」
工場に向かう牙丸。フラフラになりつつも、彼はなんとか辿り着いた。
「ショウ!」
「高砂さんッ!!」
仕事仲間達に支えられる牙丸、いやここではショウと呼ぶべきか。
「そんな体で旅に出るのは無茶だ!」
「安心して、旅立ちは延期だよ」
「それはともかく、矢車さんは!?」
「ケンゴは……」
ショウはためらった。
「ケンゴは……ケンゴは……」
「もう良い、これ以上は言うまい。実はな……」
マサルはもう一つの退職届を出した。そこには、矢車鎌悟としっかり書かれていたのだ。
「覚悟、していたんだろうね」
「……ですね」
今のショウには、自分を裏切り裏刃に付いた、などとはとても言えなかった。
「退職金だ。是非とも旅に活かして欲しい。……幸運を祈る、もし目的を果たしたその時は……」
「分かってますよ」
ショウはバイクにまたがった。曇り空の下、白い機体が徐々に小さくなってゆく。
「ショーウ! 元気でなァ!!」
その姿に、ユウとリョウはいつまでも手を振っていた。別れを惜しむ声を背中で聞きながら、ショウは徐々に獣賀衆の牙丸へと戻っていく。
(獣変化を完成させけなければ……いつまでも未熟でいるワケにはいかない……!!)
獣変化、それは獣賀忍法の極意である。自らを巨大な獣に変えることで強大な力を得る術であるが、その習得は難しく、更に術者の体力を大幅に削ってしまう諸刃の剣でもあるのだ。
「確か、この辺りだったはず……」
バイクを降り、獣道の扉を探す牙丸。茂みを使って装甲を着込み、印を結ぶ。だがその直後である。
「そこッ!」
突如閃く紫電爪。打ち込まれた木に、群影の姿が浮かび上がる。牙丸は精神を鋭く研ぎ澄ませた。そうすることで首に巻く放電絹から逃がす電気を使い、辺りの様子を探ることが可能になる。デンキウナギの電場に近いモノと考えれば分かりやすいであろう。
「そこもだなッ!」
紫電爪を真上の木に投げ上げる牙丸。ガサァッという音と共に、割れた群影の仮面が落ちてきた。集中力を絞り込むことで、彼の余剰な電気エネルギーは前後左右上下全てカバーする究極の眼と化すのだ。
「ここにもかッ!!」
雷鳴牙を閃かせ、足元を刺す。地面から群影の手が飛び出した。刀をグイッと捻り引き抜くと、思った通り群影の仮面が引っ掛かっている。
(やむを得ん、裏口を使おう)
牙丸は装甲を外してバイクに跨がるとその場を後にした。山道を降り、麓にある神社の鳥居をくぐる。石の狐が見つめる先を確認し、牙丸は奥にバイクを引いた。
「えーと、確かここで合ってるよな、涅虎稲荷は……」
小銭を取り出し、賽銭箱に放り込む。鈴を鳴らし、二回手を叩き、印を結ぶ。すると、社の奥が光り牙丸を包み込んだ。
「……よし、辿り着いた」
牙丸はバイクと共に、深く生い茂る森の中にいた。小さな庵が目の前にあり、周りには清水が流れる小さな川が流れている。生えている木々には巨大な猫に爪で抉られたような跡があり、所々にツタが元結を切られた髪のように垂れ下がる。この場所こそが牙丸が通っていた、涅虎岳の奥である。最も、釣りに出ていたというのもまんざら間違いではなく、
「ひとまず、今日は腹ごしらえからだ」
牙丸は淵を探すと釣竿を取り出し鈴を付け、針に適当なミミズを引っ掛けて投げ入れると竿を固定した。その間に、小屋に干してある投網を取り出すと川を下り、広がった箇所に出る。
「腹が減ってはなんとやら、だね」
投網を握り、上半身をグッと捻って構える。投網を投げる際には腕力だけに頼ってはならない。全身の筋肉を使うことで丸くキレイに網が広がるのである。そうこうしていると竿に付けた鈴が鳴る。飛び付き、引き上げると大きなナマズが掛かっている。本来コイを狙う仕掛けであったが、これなら上出来である。
「よし、これで晩飯が出来る」
帰りに野草を摘みつつ牙丸は呟いた。張られた結界のお陰か、開発の行き届いていないこの森はそれだけでヒトが暮らせるほどに自然が豊かである。それこそ、下手に畑を耕さない方が食べ物にありつけるほどに。
「そろそろ食い頃か」
囲炉裏の火を起こし、串に刺した魚を立てて炙る。焼けた皮から脂が滴り落ち、ジュウッと音を立てると旨そうな匂いが辺りに立ち込める。持ち込んだ米を竹筒でふかし、目の前の鍋には山菜が煮えている。そこまでする頃には既に日が暮れていた。
「さて……始めるか」
夜。ウンピョウの頭を模した燭台を灯りとし、牙丸は一つずつ装甲を身に纏う。普段は背中に装着する獣ノ巻をウンピョウの口に固定すると結界が張られる。この結界は、巻変化とは異なり時間の流れに干渉することはない。
座布団を折り、腰を掛けると足を畳んで座禅を組み、印を結ぶ。しばらくすると、牙丸の脳内に声が響き始める。
『来たか。分かっておるな? 獣だ……獣だ、お前は今から獣となるのだ……』
意識を集中させる牙丸。やがて彼の手甲から、脚絆から、次々に毛が生え始めた。口を覆っていたはずの面頬からも牙が生え、蝋燭の炎に照らされギラギラと野性を示している。そして座禅を組んでいたはずがいつの間にか四脚になっている。周りの風景も庵の中ではなく、密林のようだ。
(上手くいったかな? とりあえず準備は出来たぞ)
一頭のウンピョウとなった牙丸。木の枝に飛び移る姿もしなやかに、雲模様の毛を確かめている。
『用意は出来た、戦うのだ……』
ふと目の前を見ると、トラがいる。牙を剥き出し、うなり声を上げ、こちらを威嚇する。体格ならばあちらが上だ。ウンピョウの体長はチーターの約半分ほどしかないとされている。
「ウガァーッ! グルルルル……」
咆哮が牙丸を威圧する。まるで親猫と仔猫の体格差。相手はネコ科最大種。一方でウンピョウは大型ネコ科動物では最小種、15~20kgの体格はヤマネコを多少膨らませた程度でしかない。野生で遭遇することは即ち死を意味する、そんな相手に今は打ち勝たねばならないのだ。
「ハァァァーーーッ……」
牙丸もまた威嚇を返す。その膨らんだマズルの下から、長い牙がニュッと突き出ている。ウンピョウの牙は体長と比較した長さにおいてはネコ科最大とされているのだ。この一撃は飛ぶ鳥を仕留めるだけでなく、一噛みでオランウータンを死に至らせる程の威力を持つ。今の体格で目の前の猛虎に挑むなら、現在最大の武器と言えるこの牙を使うのはほぼ必須であろう。
両者が睨み合う。直後、トラの前足が先に畳み掛けた。このフックをまともに受けたなら、ヒトですら命の危機に陥ることとなる。牙丸が跳躍する。トラの爪をかわし、更にその頭部を踏み台にウンピョウの体が木の枝へと舞い上がる。前足を絡め、後足をかけ、トラの様子を見る牙丸。トラは地面の匂いを嗅ぎつつ、その耳が前後左右へ標的を探している。
(まずは目だ……この樹上から如何に仕掛けるべきか……)
本来の野生動物であれば、目の前から突如消えた相手を無理に探しだして仕留めることはない。他の獲物を探す方が賢いやり方である。だが今対峙しているトラは普通のトラではない。そもそもはこちらが仕留めなければならない標的なのだ。幸いにもこのウンピョウには牙丸の知能が備わっている。しかしトラもトラで、こちらの気配を執念深く探っている。
そっと、牙丸は歩みを進めた。トラの死角を突く必要があるためだ。その体長と同程度はある尻尾でバランスをとりつつ、ウンピョウの姿が樹の上を行く。イヌ科は嗅覚に優れるのに対し、ネコ科は聴覚に優れた動物が多い。ウンピョウはそれに加え視力にも優れている。アドバンテージを取るなら、まず狙うべきは目と耳である。トラが牙丸の気配を探し、牙丸のいる木の回りを嗅ぎ回る。この木だと確証し、その爪を食い込ませる。体の重いトラは木登りには然程向いていない、それこそが牙丸の狙いであった。
「……グル!?」
頭を下にし、牙丸の扮するウンピョウがトラの側を落下する。その勢いに任せ、爪と牙を目に引っ掛け引きずり落とす。すぐさま振り落とすトラであったが、その目は使いモノにはならない。更に振り落とされる寸前に、牙丸の爪がついでとばかりに耳を持っていった。本来樹上で暮らすウンピョウの体に、自分の土俵に相手を引っ張り込むというヒトの知能が加わった奇跡の一撃であった。
「グァァーッ! グァァァーッ!!」
両目から血を流し敵を探すトラ。痛々しい片耳が、敵を探して回っている。何処だ、俺にこんな一撃を浴びせた馬鹿は何処にいると言わんばかりに。感覚は封じた、だが手負いの猛獣程恐ろしい存在はそうそうない。牙丸はより一層慎重に、身を起こして次の攻撃の機会を狙う。ウンピョウの体格でトラを倒すには、喉元に自慢の牙を深々と刺す以外に方法はない。近くの幹に爪をかけ、トラよりも軽々と登る牙丸。枝に後足を引っ掛けてサルのようにぶら下がり、トラの様子を伺っている。このアクロバティックな姿勢は、ネコ科動物の中ではウンピョウならではの特技である。
(仕掛けるチャンスは一回だけ、そこに賭けるしかない!)
執拗に匂いを辿り、トラが牙丸のいる木を探り出す。だが容易には登らない。枝の下へと移動する。風に乗る匂いのみが今のトラには頼りなのだ。しかし、枝の下を通る獲物こそがウンピョウの真価を発揮する相手なのである。牙丸は真下に来たトラ目掛け、その後足を外し飛び掛かる。うなじに飛び付き体の下に回り、喉を刺す。これで相手を討てる、そう確信した瞬間だった。トラは真上を向いたのである。
(何ィ!?)
まるで座頭市か。牙丸の牙よりも先にトラの犬歯が、捉えたのである、ウンピョウの胸を。地面に叩き付けられ、頭を前足で押さえられ、トドメの一撃が牙丸を襲うのであった。
気が付いた時には、牙丸はヒトの体に戻っていた。座禅を組んだ状態のまま、ただただ震えている。目の前の蝋燭は、その灯火を消していた。
『また挑戦するが良い、若きシノビよ』
彼がこの台詞を聞いたのは、一度や二度ではなかった。この燭台に獣ノ巻をセットして蝋燭に火を点けると結界が張られるが、この結界には外敵から修業者を守りつつ特定の幻を見せる効果がある。蝋が持つのは五分程度。それまでに、燭台の見せる幻の獣にイメージファイトにて打ち勝つことがこの修業の内容である。それも、自分が変化することとなる獣の、本来の姿で。ただし修行者の状態によって炎は揺らぎ、敗れれば炎は消え結界も解かれてしまう。更にこの術は修行者自信の脳や神経系に負担をかける。そのため一日に一回しか行うことが出来ない。
「やむを得ん、また明日だ」
装甲を外し、薪を集めると牙丸は風呂を炊きに向かった。その頃、涅虎稲荷では。
「ここが涅虎稲荷か」
「恐らくこちらを使ったモノかと」
角丸に案内されて、九蔵が訪れていた。鳥居をくぐる角丸の後を九蔵が続こうとした時、バチィッという音と共にその体が弾かれた。
「この鳥居、獣の因子を持った者でなければくぐれぬというワケか」
「これは結界だな……んん?」
角丸が鳥居に貼られた紙に気付く。どうやら結界を張る媒体として札を使っているらしい。
「剥がせば済むことだろう」
「剥がせると思っているのか?」
豪語した九蔵に角丸が尋ねる。
「見るが良い」
九蔵は、背中にある最も大きな剣を外し、その鞘を抜き払った。非常に重い剣にも関わらず、片手で軽々と持っている。
「こうすれば良いのだ」
近くにある古井戸に近付く九蔵。高々と剣を振り上げると、重量級の一撃をおもむろに叩き付けた。古井戸は斜めに、ズルズルと落ちていく。
「……なるほど」
「この手に限る。持てるか?」
「いや、ある」
角丸は百鬼装甲を纏った。蔓緑斬を持つと、札の近くに刃を当てる。
「フンッ!!」
両手に力を込めて振り下ろすと、札の貼られた周りを実にキレイに切り取るのだった。結界の弱まった所をつかさず、九蔵が件の剣で札の貼られた上と下を素早く二回斬り付け、鞘に戻す。鳥居が崩れ、結界が消えた。
「儚いなァ。修羅刃の前では如何なるモノもこうなるのみ、実に儚い」
「修業の森はこの奥だ。行くぞ」
風呂から上がり、ふんどしを洗う牙丸。明日は朝から薪集めである。術を完成させるまで、彼はこの涅虎岳でのサバイバル生活を送るのだ。工場勤めの時と違い、休みの日だけ訪れる、なんて面倒臭い手間を省くことも出来る。
「姉ちゃん、俺はやってみせるよ」
姉の持っていた合口に、牙丸は話し掛けていた。
「いつかもしまた会うことが出来たなら、俺の獣としての姿、大雲豹を見せようと思うんだ。だからそれまでなんとか生きてて欲しい。そして俺も、獣変化の術が完成するまでは山を降りないと決めたんだ」
合口を抜き、右目の上に刃を当てる。目を閉じ、そっと刃を滑らせると眉毛が、パラパラと落ちていった。片眉となった牙丸。
「この眉毛が再び生え揃うその日までに、術を完成してみせる」
~次回予告~
仮面のシノビ、雲豹の牙丸が挑む獣賀の試練。獣変化を完成させようと励む牙丸を追い、裏刃衆過激派の修羅の九蔵、そして夜叉の角丸の追手が迫り来る。
次回『修羅ノ道』 お楽しみに