十九ノ巻『羅刹ノ命』
~前回までのあらすじ~
仮面のシノビ、雲豹の牙丸は故郷を焼き滅ぼした仇敵、鬼神斎の本拠地の麓に到着した。決着を付けんと斬り込む牙丸であったが、その眼前に現れたのは執事にして仙鬼である革張裏と、羅刹のお妖であった。姉の非道に怒り、ついに斬ると宣言した牙丸。引き裂かれた姉弟の絆はもう二度と戻らぬのか。
両の手に構えた刃は、殺気と共に鋭い輝きを放っていた。その持ち主は牙丸、そして刀を抜いた相手は羅刹のお妖……鬼神斎の娘であり、牙丸の姉でもあるとされる人物である。
「お妖様ッ! お下がり下さい、ここは私がッ!!」
二人の間に入り込んだのは革張裏、鬼神斎配下の仙鬼にして執事でもある男である。
「革張裏、下がりなさい。面白いこと言うわね牙丸、しかしその覚悟は本気なのかしら?」
「黙れ外道! 住んでたマンションを突き止められたあの時に、貴様が姉ちゃんだと知る前にッ! 追いかけてでも斬り捨てるべきだったッ!!」
「そう……じゃあ相手してあげる」
お妖は懐から手鏡を取り出した。暗鬼を呼び出す時に使用するモノである。その鏡面に印を結んだ指をそっとあてると、たちまち光が溢れ出し一つの刃を作り出した。鏡が、光る両刃剣に化けたのだ。
「お妖様が剣を抜いた……」
革張裏が驚愕の声を上げる。
「おいそこの蝙蝠」
「牙丸様、私とて革張裏という名がありましてね」
「群影共を下げろ、そして鬼神斎に伝えてこい。娘と息子が斬り合いを始めた、この戦いに手出しは無用ってな!」
「そのような御命令は聞きかねます」
「革張裏、牙丸の言う通りにしなさい」
「ぐっ……承知いたしました。お妖様、どうか御無事で!」
翼を広げ、革張裏が飛び去った。同時に群影達も散り散りになっていく。
「来なさい」
光る剣を構えるお妖に対し、間合いを詰める牙丸の足は慎重だった。お妖と直接相まみえるのは初めてだからだ。相手の構える刃、その一撃がいかなる威力かも今は未知数である。しかしそんな牙丸を見つめるお妖の口元が、ほんのわずかに上がった瞬間だった。
「フッ!」
掛け声と共に放たれた一撃。辺りの木や地面を抉り、落ち葉を舞い上がらせ、お妖の持つ光の刃は牙丸を襲った。実に数メートルはあろうかという長さ、蛇のようなうねり、それでいてなお鋭い切れ味。何ということだろうか、牙丸は既に射程圏内にいたのである。すぐに身をかがめた牙丸の背中をまず一撃、横に向かって転がるも今度は左脚に更に一撃、木に向かって三角跳びでかわそうにもなんと先回りした刃が左肩をかすった。
「うがァッ!?」
慎重さが却って仇と化した。かわし切れなかった牙丸の体には既に三つもの刀傷が付いている。しかも斬った側から焼き付けられ、煙が上がっていた。お妖の刃は高熱をも発していたのだ。幸いにも全て急所を外しているが、いつまでも持つワケではない。
「どうしたの? 私を斬るんじゃなくって?」
お妖の口調には余裕がある。かつてここまでのケガを牙丸に負わせた存在がいただろうか。一方の牙丸は、木の陰に身を隠したまま、焼け付く痛みに耐えていた。
(あの剣は伸びる、しかも自在に軌道を曲げられる。その上斬られれば切り口からこんがりだ。どうすれば良い?)
牙丸は獣ノ巻をグッと握り締めると、お妖の方を見た。単純なリーチではこちらが不利だ。しかも霹靂珠や紫電爪の直線的な動きでは対抗出来るとも考えにくい。間合いを詰めるしかない、しかしその前にどうやってあの刃をやり過ごすか。
「そこにいるのね。炙り出してあげる」
お妖は光る刃を地面に刺し込むと、牙丸の隠れる木に向かって光が走る。焦げた落ち葉が示すその軌跡が、牙丸の周りをも囲って煙を上げた。
「さぁ、早く出てこないと炭になるわよ」
煙が消える。そこにあった木は生えながらにして黒き木炭と化していた。しかしそこに、あるべきモノがない。
「死体が、ない!?」
駆け寄るお妖。彼女の想定ならそこに、炭と化した牙丸の死体があるはずだった。それが影も形もないのである。
「おのれ、何処に逃げた!!」
お妖は光る剣であちこちを探し始めた。やがて鏡から光の刃を解除すると懐にしまい込むと、その鏡面を覗き込む。
「この鏡からは逃げられないわ、何処に隠れようともね!!」
黒くなった木に背中を向け、鏡に映し出す。丹念にその鏡像を探るお妖、しかし彼女はある失念をしていた。姿を消した相手に対し、うかつに武装を解除すればどうなることか。
お妖が鏡に木の根元を映した、次の瞬間である。急に盛り上がる地面。落ち葉が舞い散り、一つの影がお妖の真ん前を跳んだ。驚いたお妖の手から持っていたモノが飛ぶ。咄嗟に伸ばしたお妖の手のその前で、鏡が砕け散った。砕いた手刀を引くその姿、それはまさに
「雲豹の牙丸、見参……!!」
「おのれ、装甲をまといおったか!!」
牙丸はあの時、地面の下に逃れていた。それだけではなく、巻変化の術による結界を利用したのだ。そして土頓の術と木頓の術を駆使してお妖の様子を探り、鏡から光の刃を解除する時を待っていたのである。
「羅刹のお妖! 最早あの刃は使えぬぞ、覚悟致せ!!」
「覚悟? 何を言ってるのかしら。墓穴を掘ったのはそちらの方よ」
「何?」
お妖が印を結ぶと、先程砕いた鏡が彼女の周りに浮かび上がる。地球に対する月のように、鏡の破片達が周りを囲むように飛び回る。まだ、奥の手があったのだ。
「妖術、蛇鏡変幻刃!」
鏡の破片達が光をまとう。その姿はまさに先程の光の刃だった。しかしその根本をお妖が握っているのではない。浮遊している。水を得た魚の如く、自由自在に飛び回っているのだ。
「ハッ!!」
お妖の指が牙丸に向く。光の刃が牙丸目掛け、螺旋を描き襲い掛かる。鏡を割り、術を封じたつもりが却って敵に塩を送ることとなってしまったのだった。
「紫電霹靂斬!」
霹靂珠と、二枚の紫電爪を駆使した一撃を放つ牙丸。抜群の切断力を誇るこの術であれば対抗出来るか。打ち出された二重の刃に対し、光の刃は蛇を思わせる動きで巻き付いた。
「甘いわね。破片を斬ってどうするつもり?」
ズタズタにされた手裏剣と癇癪珠が光の刃からこぼれて落ちた。それだけでなく、光の斬撃は牙丸の持つ雷鳴牙をもすり抜け、顔面目掛けて飛び、
「ぐぅあッ!?」
牙丸は顔を押さえてのけ反った。装甲の一部が剥がれ落ちる。仮面だ。仮面の一部を斬ってしまったのだ。牙丸の片目が割れ目から覗く。幸いにも目そのものは無事なようだが、光の刃はひるんだ隙を突いて首に巻き付いた。今まさに、喉笛と頸動脈に刃が、当てられている! 後はもう引き斬るだけ……!!
「くそッ、やんぬるか……!?」
その時だった。光の刃から光が、見る見るうちにしぼんでいく。それだけではない。さっきまで一本の刃だったそれが、ただの破片と化して辺り一面に散らばった。術が急に解かれたのだ。何があったのか。
「お妖! 牙丸に、手を出さないで……!!」
「その声は……!!」
牙丸が声の主を見た。そこにいたのは、印を結んだ手をもう一つの手で抑え込み、その場でうずくまるお妖の姿だった。
「何が起きてるで御座るか……!?」
「牙丸ッ!! お妖の本体はこの仮面よッ!!」
「何ッ!?」
お妖の口が確かにそう叫んだ。本体は仮面。羅刹のお妖の本体は、その顔のほとんどを覆いつくす仮面だと、そう言ったのだ。
「ウウウァァアアアアアア!! 黙れ、たかが器の分際でェ!! クソッ、術に意識を向けすぎたかッ!!」
声がお妖のモノに戻る。しかしそれまで見られたような余裕のある感じではない。
「姉上のことを今何と言った。器だと?」
「そうだッ!! この女は、貴様の姉は私の活動するための器に過ぎぬ!!」
「ならばお主は拙者の姉では御座らんのだな!?」
「そうだッ!! 鬼神斎の子は、このお妖ただ一人!! この女を器にしたのも、鬼神斎が父だと言ったのも! 全ては貴様を誘い出すための罠だったのだァ!!」
「お妖様!! 今の話は本当ですか!!」
そこに、群影達を率いた革張裏が駆け込んで来た。
「革張裏、お主知らんかったのか、お妖の秘密を」
「鬼神斎様が私を騙すなどにわかに信じられませぬ……。ましてやお妖様は幼少期から世話をしておりました。重い病にかかった時も、私はつきっきりで面倒を……」
「しかし今のを見ただろう! 執事すら長年騙して利用する男に、忠誠を誓う値打ちなんかあるか!?」
言葉が詰まる革張裏。そこに、お妖がよろよろと近付く。
「革張裏……助けて……」
「お妖様!?」
「革張裏ぃ……お願い……」
牙丸の眼前で、お妖は何と自らが裏切りを宣言してしまった革張裏に助けを求め始めた。それも、先程とは打って変わって弱々しい声で。
「お妖様。私はもう何も信じとうありません。よって、貴女達に忠誠など誓えませぬ」
目を合わさぬまま、革張裏は言い放った。ところがお妖の口元がニヤリと上がっている。
「……言ったな革張裏。自分が使役されている鬼であることを忘れたか」
「お妖様?」
「私の目で見るモノは皆、お父さんに筒抜けなの。この意味が分かってまして?」
「お妖様ッ!? はうッ!?」
胸を押さえて苦しみだす革張裏。そして辺りにあの声が響いたのだった。
『革張裏よ。裏切り者に残された道は、死あるのみ!』
「その声は鬼神斎!!」
革張裏の名が書かれた蝋燭。そこに深々と手甲に付いた爪が突き刺さる。鬼神斎の率いる仙鬼は、その名の記された蝋燭に傷を付けることで苦痛を与え、場合によっては生殺与奪の権限をも行使出来るのだ。
『牙丸よ!! 最早生かしてはおけぬ。お妖、革張裏の体を使うが良い』
「はい、お父様」
お妖が返事をするや否や、仮面の額の部分に付いた白い顔の口が開いた。するとそこから黒い紐状の物体が次々に飛び出し、革張裏の体を突き刺してゆく。
「あぁッ!! お妖様ァ……!!」
苦痛にのけ反る革張裏の顔に、更に物体が突き刺さる。目に、耳に、鼻に。そしてお妖の仮面にあった白い顔が浮かぶと、素早く革張裏の額に取りつき、あの仮面を形成する。同時に、元々使っていた体からは仮面そのモノが消え去っていた。
「姉ちゃん!!」
思わず素の口調で駆け寄り、牙丸は姉の体を抱き起こした。
「牙丸……」
それだけ言い残し、姉は事切れる。
「ごめんよ……もう少しで、ぶった斬る所だった……」
そう呟きながら、牙丸は獣ノ巻を広げ、姉の体をその中に封印した。一方で、お妖に取りつかれた革張裏は顔を押さえ、のたうち回っている。
「んんんああああああああああああああああッ!! あッ、ああああああ、あああああああッ!!」
言葉にもならぬ絶叫と共に、その体が人間態から仙鬼としての姿に変わる。しかしお妖の面はそれだけにとどまらない。革張裏の翼が、一気に巨大化する。更に耳までもが膨れ上がった。顔を押さえる手は骨が浮き出して硬質化し、徐々に人型の体系を捨てていく。変化が収まりそこにいたのは、お妖の仮面の取りついた巨大な蝙蝠の姿であった。
『雲豹の牙丸!! ここで息の根を止めてやる!!』
お妖の声で革張裏は、いや一体化した巨大蝙蝠は叫んだ。
「……拙者の姉上に対しても、あのような仕打ちをしたので御座るな。そちらこそ生きて帰れると思うたか!!」
『だァまァれェェェェェ!!』
「姉ちゃん、巻の中から、見ていてくれ……」
牙丸の口元を覆う面頬が、光を放ち変形する。その口に獣ノ巻をくわえ込み、印を結び、そして叫んだ!
「獣賀忍法、極意! 大ッ! 雲ッ! 豹ッ!!」
たちまち上がる黒雲。迸る稲妻。滾る咆哮。全てを振り払い、獣となった牙丸は真っすぐに革張裏に取りついたお妖へと飛び掛かる。相手の口が開き、かつて革張裏が放った青い揺らぎが牙丸を襲う。しかし前足の力強い一撃が、これを振り払った。そして山吹色に輝く眼を敵に向け、許すまじお妖と目で叫ぶ。
背をかがめた牙丸の、背中から生える雲模様の布状の物体が伸びる。急降下で巨大蝙蝠が避ける。低空飛行で突っ込む巨大蝙蝠、その頭上に牙丸の巨体が跳ぶ。U字型を描き巨大蝙蝠が牙丸に向かう。牙丸の背中から伸びた布型が近くの木に絡み、空中での動きを可能とする。木をミシリと言わせ、牙を光らせ巨大蝙蝠目掛けて巨体が跳ぶ。牙が刺さった。そのまま首を下に向け、地面目掛けてその身もろとも地面に投げ落とす。ウンピョウの持つ長い牙が飛ぶ鳥を落とすかのように、牙丸の一撃が巨大蝙蝠を引きずり落としたのだ!
『やってくれおったな牙丸!! ……な、何ッ!?_』
地面に這う形となってもなお、お妖は巨大蝙蝠を操り襲い掛かろうとする。だが因果応報か、這い寄ろうとするごとに、蝙蝠の体が崩れ始めた。無理矢理の憑依が、強引な戦闘が革張裏の体に限界をもたらしたのだ。それだけではない。
「牙丸様……私がお妖様を食い止めます……!!」
『おのれ使えぬ仙鬼めぇぇ!!』
何と、革張裏が意識を取り戻し、お妖に対抗していたのだ!!
「私の体も……限界が来ようとしております……その前に、早く……!!」
牙丸は少しだけ首を縦に振ると、口の中でバチバチと火花が弾け光が溢れた。二本の牙の間で爆発するエネルギー、 咆哮と共に放たれた必殺の一撃。真・雷鳴咆哮破!!
『お父様ああああああああああああああああああああああ!!』
断末魔を残し、お妖の面は革張裏ごとこの世から消滅した。
「姉ちゃん……やったよ……」
術を解き、装甲も外した牙丸は一言だけ呟くと、その場から駆け出した。向かうは鬼神斎の待つ裏刃の隠れ屋敷。決着の時は近くなることを、牙丸は噛み締めていた。
~次回予告~
鬼神斎は父ではない! そう確信した牙丸は本格的に屋敷へと潜入する。いかなる罠が待ち受けるか、そして彼を待ち受ける刺客とは。
次回『裏刃ノ城』 お楽しみ




