十八ノ巻『姉弟ノ刀』
~前回までのあらすじ~
仮面のシノビ、雲豹の牙丸は故郷を焼き滅ぼした仇敵、鬼神斎の本拠地の麓に到着。群影の面を拾った親子を仙鬼・呀喇荼の魔の手から守り抜くことに成功するも、家族として共に生きた群影は散っていった。そしてその一家に見送られ、ついに牙城に乗り込む時が訪れる!
闇の広がる空間の中、一人の男が蝋燭を見つめている。『呀喇荼』と書かれたその蝋燭には、闇の中にうっすらと赤く灯る漆黒の炎が煌々と燃えていた。だがその炎は急激に小さくなると、蝋燭そのものにもヒビが入った。こうしてひとりでに砕けた蝋燭は、その蝋までもがドロドロに溶けていく。同時刻、蝋燭にその名の書かれていた仙鬼、呀喇荼は牙丸によって討たれたのだった。
「ふん、使えぬヤツめ」
溶けた蝋燭に向かって男は一言吐き捨てた。
「鬼神斎様、お食事の用意が出来上がりました」
「今行く、待っておれ」
暗がりから明るい部屋に姿を現す鬼神斎。その途端に仮面と装甲が黒い炎と化し、消え去った。さっきとは打って変わって洋風の装いの部屋にはテーブルが置かれおり、すでに一人が席についている。
「お妖様がお待ちです」
テーブルの傍に立つ、スーツ姿の若者風の男が口を開いた。
「革張裏よ、御苦労であった。食事の後にまた用がある、例の部屋にて待て」
「承知致しました」
革張裏の姿が消える。
「お父様、牙丸はどうするのです?」
食事が始まった。盛られた飯を、漬物と共に頬張りながら、親子が会話する。
「ここの入り口を嗅ぎ付けられた。対策を練り直すこととする。丁度そこに、お誂え向きの尖兵がいるしな」
「また使うのですか、そやつを」
鬼神斎が箸で指した方向にいたモノ、それは血だらけになって柱に括りつけられた男であった。破れたシノビ衣装がその痛みを物語る。その胸には、鬼の顔を模した懐中時計が下がっている。
「嗚呼、そのためにとっておいたのだ。気分はどうだ? 角丸よ」
数十分後、再び装甲と仮面を身に着けた鬼神斎が、あの暗い部屋に姿を現した。
「待たせたな、革張裏よ」
鬼神斎が声をかけると、暗闇から浮かび上がるようにして先程のスーツの男が現れた。
「ついて来るが良い」
暗い部屋の奥に開かれた扉をくぐり、鬼神斎が入っていく。その後を歩く革張裏の目に飛び込んだ風景。炎の灯っていない蝋燭がズラリと並び、複数の棺の中には包帯で巻かれた人体と思しき何かが浮かび、所々に血が滴っている。その血を見た革張裏は思わず駆け寄ると、素早く顔を近づけその舌を伸ばす。
「待て、まだ早い」
鬼神斎が止めると、革張裏が振り返る。その目は血で染め上げたかのような暗い赤と化していた。
「お前には……この体がふさわしかろう」
「いただけるのですか!?」
「そうだ。まるごとお前にやる」
「まるごと!?」
棺ににじり寄り、舌なめずりをしながら革張裏が言う。
「そうだ」
その言葉の直後、革張裏の胸を鬼神斎の持つ武器が貫いた。
「き、鬼神斎、様ッ……!?」
武器を持った手を捻る鬼神斎、すると革張裏の体が黒い炎に変わり、武器にある錫杖に似たリング状の部位の中心に集まっていく。
「さぁ、思う存分味わうが良い」
鬼神斎はその武器を構えると、真っすぐに棺の中身を突いた。その先端は、中にある包帯の巻かれたそれを正確に刺しており、更に蝋燭の先端を掠めて炎まで灯している。包帯の巻かれた体に黒い炎は入り込み、鬼神斎が武器を引き抜くと同時に蝋燭には『革張裏』の文字が浮かび上がった。びくっ、びくっと包帯の巻かれた体が跳ねると、その包帯を破りほどき先程の男が顔を出す。
「気分がどうだ?」
「はい、実に満たされた気分で御座います」
その言葉を聞いた鬼神斎の口元がにんまりと上がる。
「お前に与えたその肉体は複数の死体からその優れた部位を繋ぎ合わせ、秘薬に漬け込み活性化させたモノ。お前達暗鬼にはこの上ない美味であると同時に、鬼として最高の器となる」
「はい、さっきまでと比べても力がみなぎっております」
「これこそが、かつてこの国を荒らした人食い鬼、仙鬼の体を再現したモノ。そしてお前達が本来あるべき在り方なのだ」
湖に浮かぶ浮草の塊が、流れもないのにゆっくりと山へと近付いてゆく。その岸には仮面を着けた黒装束の者達、即ち鬼神斎の配下である群影達が目を光らせる。静かに、ひたすらに静かに。この浮草は群影達から遠く、なおかつ山に近い箇所を目指していた。岸が近くなったその時、この不自然な浮草に群影の一体が気付いた。
仮面の奥に光る赤い目を凝らし、手甲から出た刃を使って浮草を引っかける。葉をかき分けるとそこに、なんと獣ノ巻が隠されていた。驚き、慌てて周りを見る群影であったが、その足元に伸びる手には気付かない。あっという間に水中に引きずり込まれる群影、その後に残ったのは割られた仮面のみ。そして水中から飛び出した影は巻物を拾い、近くの茂みに身を隠す。
薄く日に焼けた傷だらけの体、その胸には刺青のような紋様。ふんどしとサラシだけを巻いた体に鎖帷子をまとい、シノビ装束が包み込む。長い髪を後ろでまとめ、刀、手甲、脚絆、あらゆる武装を身に着け、更に草を潰した汁でフェイスペイントまで施す。この男、牙丸にとってこの山は敵陣である。この山の何処かに、鬼神斎が待ち受けているのだ。
(待っていろ鬼神斎……!!)
木から木へ、影が跳ぶ。奥に進むに従い、山の所々を群影が歩き回っている。この群影達、以前に牙丸が呀喇荼の後を付けた時にはほとんどいなかった。鬼神斎も牙丸が来た事に気が付いたらしい。先程の茂みに仕掛けてあった獣道の術も、解かれてしまっていた。地道に潜入し直すしかない。ガサッ、とした音に一部の群影が反応する。それに気が付いた牙丸は動きを止めると口元に手をあてると、
「フィー、ヒョロロロロロロ……」
トビに似た声を出しつつ、相手の様子を見る。警戒していた群影達だったが、トビの鳴きマネを聞いているうちに少しずつ元の位置に戻っていく。こちらに目を向ける群影がいなくなったのを確認した後、牙丸は跳んだ。更なる奥へ。鬼の牙城へ。
木の少ない、開けた位置に降りた牙丸。この近くに沢があり、飲み水の確保が出来る。懐から竹筒を取り出し、水を汲み上げようとして、動きが止まる。
「……いるのは分かっている。出てこいッ!」
「これはこれは、流石は鬼神斎様の御子息で御座いますな」
牙丸の振り向いた方向に、浮かび上がるようにして人影が浮かぶ。山の中には似つかわしくないスーツ姿で深々と頭を下げるその男は、どう見てもタダ者ではなかった。
「何者だ」
「私の名は革張裏、鬼神斎様とお妖様に仕える執事で御座います」
「随分と洒落たマネをするんだな鬼神斎は。して、その執事が俺に何の用だ」
「執事の務めとして、この山での狼藉を事前に防ぎに参りまして御座います」
革張裏が構えた。武器の類は持っておらず、その手には白い手袋。牙丸もまた構えをとる。この雰囲気、今まで討ち取った相手とはまるで違うモノであった。山の中に緊張感が走る。互いに掌を相手に向け、間合いをとったじりじりと足だけが動いている。構える手を少しずつずらし、牙丸はその場で急に横に転がった。すると革張裏の手が素早く動き、指にはそれまでなかった手裏剣を掴んでいる。牙丸の紫電爪による不意打ちを防いだのだ。
「これが紫電爪ですか」
投げ返す革張裏、しかしその紫電爪の手を向け、素早く横に刀印を結んだ指を薙ぐ。すると再び紫電爪が、革張裏目掛けて戻り飛ぶ。するとターゲットはその場から飛び上がり、手裏剣は背後にあった木に突き刺さった。宙に上がった革張裏はそのまま木の枝に脚をかけ、ぶら下がる。
「今度はこちらの番です」
上体をグイっと上げて座り直し、枝を蹴って牙丸の背後をとる革張裏。飛んできた掌打を、背を向けたままの牙丸の手が受け止める。そのまま腕を払い、正面を向き直した牙丸は手刀による反撃を試みるも、相手の貫手が相殺する。空いた片手で腹部への攻撃を放つも、今度は足が受け止める。接近戦においては相手もかなりのモノらしい。それもシノビ衣装ではなく、スーツ姿のままである。
「流石、やりますね」
「だったら道開けろよ、水も汲ませろ」
「喉が渇いてらっしゃるのですか、私もそうなのですよ」
「飲んでから再開するという選択肢はねぇのか?」
「私が飲みたいのは水ではありません」
防いでいた牙丸の手を掴み、グイッと引き寄せながら革張裏は言った。
「私が飲みたいのは血です。若いシノビに流れる、ワインよりも赤く女体よりも熱い、濃厚な血です」
「とんでもねぇ!!」
素早く腰をかがめ、革張裏を投げる牙丸。すると投げた相手の背中から、スーツを突き破り巨大な翼が生えてきた。
「私の本当の姿をお見せしましょう」
革張裏がその身を屈めると見る見るうちに顔中に赤い血管状の模様が浮かび上がり、その口からは牙が伸び、スーツを破り捨てる。その姿は、ヒトと蝙蝠を足したような異形の姿であった。
「蝙蝠男……」
刀を抜き、その刃先を向ける。対する革張裏はその手を口の前で交差させると、その口の周りに青い揺らぎが漂い始めた。
(何をする気だ……?)
牙丸が様子を見ていたその瞬間、交差した手を素早く払うと、なんとその青い揺らぎは三日月状となって牙丸目掛けて無数に飛び込んできた。驚いた牙丸はすぐに、先程手裏剣の刺さった木の陰に回り込む。だがその木の幹に次々と楕円状かつ鋭い穴が開き、メリメリと音を立てて倒れてしまった。
「なんという切れ味……」
「私の超音波手裏剣の威力はいかがでしょうか。最も、貴方の慟哭絶叫剣を元にしたモノですがね」
「今のが手裏剣だァ? しかもパクりだとォォオ!?」
「後発の方が優れている、ということを示して見せましょう」
再び手を口の前で交差させる革張裏を牙丸は見た。この超音波手裏剣は、音に乗せて破壊エネルギーを放つという点において慟哭絶叫剣と似ているもののその性能は真逆であった。前者は広範囲に拡散するのに対し、超音波の持つ性質を活かして前方に複数の揺らぎの刃を放ってズタズタに切り裂く、まさに切れ味の良い手裏剣であったのだ。その鋭利な揺らぎの刃が再び、牙丸を襲う。
(慟哭絶叫剣と同じ性質なら、刃で受けても共鳴して砕け散る! どうすれば良い!?)
地を転がり攻撃をかわす牙丸を超音波の刃が追いかける。地面に当たっては抉り、木に当たってはやはり抉り、岩に当たればたちまち砕き、その度に落ち葉を生葉を巻き上がらせる革張裏の猛追は止まることがない。
(一か八かだ。音には音だ!)
牙丸は背中から二つの刃を抜いた。素早く交差させ、革張裏の前に出る。陽の赤と陰の青、左右二つのエネルギーを帯びて輝く刃を擦り合わせ、叫んだ。
「慟哭絶叫剣ッ!」
「やはりそれで来ましたか」
牙丸の放った衝撃波が、辺りの木の皮を次々に飛ばしながら相手の超音波手裏剣を打ち砕く。読みは合っていた、だが攻撃そのものは革張裏まで届かない。拡散する一撃は一点を狙う一撃に敵わぬのか。否、牙丸は第二弾を用意していた。刀を地面に刺し、その手の指の又にはバチバチと輝く珠が用意されている!
「霹靂珠!!」
打ち込まれる珠。その向かう先は敵が今まさに超音波を放とうとしている、口であった。その意図に気付いた革張裏は翼を広げると、自らを包むようにして攻撃を防ぐ。だがこの霹靂珠の爆音が響いたためか、群影達が次々に押し寄せてきてしまった。
「丁度良いとこに来てくれましたね、やってしまいなさい!」
「くそッ!!」
体力を温存したい牙丸にとって最悪の展開である。だがこれだけでは留まらなかった。
「お待ちなさい、革張裏」
聞き覚えのある女性の声が響き、次々に膝を着く裏刃のシノビ達。牙丸の前に、翼もないのにフワリと浮遊しつつ、女のシノビが現れる。口元以外を隠す仮面、レオタード状のシノビ衣装とその上から包む不気味な装甲。牙丸にとって、忘れてはならぬ相手である。
「羅刹のお妖! ……いや、姉ちゃん、なんだよな」
「姉上の御前です、口を慎みなさい!」
「革張裏、ムキになるでない」
「ハッ!!」
お妖の一声で革張裏は再び頭を深々と下げる。
「牙丸、どれだけ逆らったとしても私の可愛い弟……会いたかったわ……」
「本当に、本当に姉ちゃんなのか?」
「ええ、そうよ。私は貴方の姉……さ、刀を収めて、怖い顔しないで。家族で一緒に、テーブルを囲みましょう……」
地面に刺さった刀、雷鳴牙を鞘に納めつつ、牙丸はお妖から目を離さない。そして懐に手を入れながら、口を開いた。
「姉ちゃん」
「なぁに?」
「あの時さ、里を焼かれた時にさ……こいつを覚えてるかい?」
牙丸は合口を取り出してお妖に見せた。
「立派な合口ね。あの頃と比べても色褪せない程……」
「……それは、鬼神斎によって里から連れだれたあの時からかい?」
「ええ、私はずっと待っていたのよ、あの時を……」
「育ての親が、あの時までの父さんと母さんが、目の前で里ごと焼かれてもそうだったのか?」
牙丸が詰め寄る。その様子を、立膝をしつつもワナワナと震えて革張裏は見ていた。
「姉ちゃんッ!! 俺はな!! 仮に鬼神斎が実の父さんだとしても! こいつにヤツの血を吸わせてやりてぇくらいに恨んでんだッ!! 目の前で故郷を、知ってる人間を、十六までとはいえ実の子同然に育ててくれた二人を、紙クズみてぇに切り刻んで灰にしやがったアイツをッ!! 何で姉ちゃんはそんなに平然と、ヤツの元にいられグゥッ!?」
腹部を抑えてうずくまる牙丸。いつの間にか人間形態に戻った革張裏が、拳を入れたのだ。
「申し訳御座いませぬ牙丸様、そしてお妖様。あまりに口が過ぎましたモノで」
いつの間にか、素早く膝を付きつつ元の位置に戻っている。
「結構。よく止めてくれました」
がっくりとうずくまる牙丸。握った合口を懐に入れると、よろよろとしながら立ち上がる。
「分かったよ姉ちゃん……」
次の瞬間、牙丸は二つの雷鳴牙を抜き、叫んだ。
「俺はもう、アンタを姉ちゃんとは思わねェ!!」
身構える革張裏、そして群影達。
「ふぅん……じゃあ何だと言うのかしら?」
「アンタはもう、シノビどころか鬼も同然だッ!! 目ェ覚ますなら今のうちだぜ、さもなくば叩ッ斬ってやるァッ!!」
~次回予告~
牙丸はついにお妖に対して刀を抜いた。遂に始まる姉弟の宿命の対決。鬼神斎によって引き裂かれた絆はもう二度と戻らぬのか。
次回『羅刹ノ命』 お楽しみ