十六ノ巻『群影ノ家』
~前回までのあらすじ~
仮面のシノビ、雲豹の牙丸は故郷を焼き滅ぼした仇敵、鬼神斎が実の父親かもしれないということに動揺しつつも、その本拠地たる場所に着実に近付いていく。道中で放たれた鬼神斎からの使者、仙鬼・藻頭流による襲撃を迎え討ち、今まさに朝を迎えようとしていた……。
藻頭流が討たれた同時刻のことである。ある暗い部屋の中、藻頭流の名の記された蝋燭に灯った暗い炎が、煙を残して消えた。
「藻頭流……死んだか」
直後、その蝋燭はヒビが入り真っ二つに裂け、溶けていった。その様子を見送ったのは、顔の半分を仮面で覆った男であった。その仮面には白い顔がはめ込まれている。
「現れよ、呀喇荼」
男は新たに手にした蝋燭を仮面に付いた白い顔の前にかざすと、あの暗い炎が灯される。わずかに赤く光る黒い炎、それが仙鬼の目を覚ますのであった。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィィーーッ!!」
棺桶が開く。カン高く不気味な声が響き渡る。蝋燭の火の向こう、鋭い目が光っている。
「呀喇荼よ、牙丸の行き先を探るのだ」
「お任せ下され、鬼神斎様ァ!」
藻頭流による騒動の翌朝。ホテルは何事もなかったかのように人が行き来するのみであった。朝食をとるために席を探しながら、牙丸はテレビを見つめている。
『希少動物の保護活動の実績で知られる研究所属動物園にて、ウンピョウの繁殖に成功しました』
『獣賀の里の跡地にて発見された貴重なシノビ刀が昨日、二百二十二万円にて落札されました』
『かつて激戦が繰り広げられた咲ケ原にて発見された巨大な爪に含まれるDNAから、ヒトに酷似したパターンが発見されました』
「あくび出そうになるくらい、平和なニュースばっかりだな。ホントにこういうのばっかりなら良いんだけどさ……」
昨日のシノビ同士による戦闘はニュースになっていないようだ。牙丸は手に取った茶碗に飯を多めに盛ると納豆と漬物とネギを乗せ、卵を片手で割り入れると今度は醤油を回しかけ、席に戻るや否や素早くかき込んだ。途中で味噌汁や焼き魚等を挟みながらこの丼ぶり飯を五回ほど繰り返すと、湯呑に冷たい緑茶を汲み入れ一気に飲み干しそのまま部屋へと戻り、荷物だけ抱えると早々にチェックアウトしてホテルを後にした。
「今日はどこまで行くんだ、牙丸」
玄青王に組み込まれた、アオが話しかける。
「今日で一気に地図に示された地点の手前まで進む。あらかじめホテルの予約を何泊分かは入れておいた、さっきのとこのパソコンを借りてな」
「そんな便利な方法があったなら何でやらなかったんだよ……」
「俺はあーいう情報機器の扱いが得意じゃねぇんだ、第一パソコンなんて初めて触ったよ。ともかく、今回予約したホテルを拠点にして辺りを調べることにする。鬼神斎のことだ、どんな罠を仕掛けてくるか分かったモンじゃねぇ」
「なるほど」
目的地としたホテルには、その日の昼過ぎに到着した。山を背中にそびえ立つ、まるで要塞のような建物である。
「なぁ牙丸、こんなホテルじゃ相当な金がかかるんじゃ……」
「ツーリング割引と予約割引の両方を利かせて調べてやった、その結果ここが一番安くなるんだぜ。今のホテルじゃ飛び込みだと大損するみてぇだな、まぁパソコン教えてくれたあのホテルのオッチャンには感謝しねぇとな。それに……」
牙丸はそっと、懐に手を入れつつ口を開いた。
「木を隠すなら森ン中だ。いるのは分かってんだよ!」
突如飛び出す紫電爪。すると紫電爪は空中で真っ二つとなって地に落ちた。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィィィーーーーーッ! よく分かったな牙丸ゥ!!」
カン高い声が響く。しかし姿が見えない。先程の紫電爪の様子から、相手はかなり俊敏な動きを得意とするらしい。
「ヒヒヒヒヒヒッ、オイラは鬼神斎様に仕える仙鬼、呀喇荼!」
「姿を見せろ呀喇荼!」
「良いとも。だがオイラの姿、果たして見えるかな?」
「何ィ?」
ひたすらに、あのカン高い笑い声が響き渡る。相手の姿を捉えんと、牙丸は辺りを警戒した。だがその時、アオが叫んだ。
「真上だ牙丸!!」
「遅いッ!!」
呀喇荼の言う通りだった。まんまと奇襲に成功すると、上を向いた牙丸のアゴを掴んで地面に引き倒し、そのまま引きずり走り始める。その掴む手を振りほどこうと牙丸はもがいた、しかしその指に緩む気配がない。
「無駄だ牙丸ゥ、オイラの握力は二百キロはあるのだァ!!」
二百キロの握力が、じわじわと牙丸のアゴから首にかけてを締め付ける。グイっと反らされた牙丸に、呀喇荼の姿は見えていない。相手の姿を見られぬまま、物凄い速さで地面に引きずられていく!
「待ちやがれェェ!!」
玄青王が自ら追いかけてくる。一人でにウィリーを決め、呀喇荼目がけて飛び掛かった。
「グア!!」
玄青王の一撃で、牙丸から呀喇荼が引きはがされる。何とか玄青王に掴まり立ち上がった牙丸は、ここでやっと呀喇荼の姿を見た。その姿はヒトの背丈ほどある巨大な狒々であり、シノビ装束を下半身にのみまとっている。長いタテガミを振り乱し、巨大な牙をひんむいてこちらをギラギラとにらみつけている。
「なるほど、ゲラダヒヒか。まんまだな」
アゴを手でさすりながら、牙丸は言い放った。
「ヒヒヒヒヒッ、まだそんな余裕があるのか、やれィ群影!」
仮面を取り出した呀喇荼は、自らの影を利用して下忍である群影を召喚した。飛び掛かってくる雑兵を、牙丸は素手でさばく。だがその最中、呀喇荼は姿を消していた。
「勝負は預けるぞ牙丸ゥ! せいぜい今夜は震えて眠るが良い、ヒィィーーッヒッヒッヒィィィーーー!!」
「逃げ足も速いと来たか、奇襲専門だなヤツは」
「しかし牙丸、油断は出来ないぜ。どうする今夜はここをキャンセルするか?」
翌朝。平然とバイクで走り回る牙丸の姿がそこにあった。出てきたホテルは、昨日呀喇荼と戦った場所とは別の建物である。
「まさか、敵をまくためにそうしてたなんてな」
「あんな大事な情報、ペラペラ喋んねぇよ」
牙丸はあの時、わざと情報を流した。だが偽の情報であったのだ。そしてわざと違うホテルに玄青王を停め、おびき出した上で撃退する手はずだったのだ。最も、相手はすぐに退散したのだが。そして本来予約したホテルには、その後時間をずらして到着したのである。もちろん、入り口を悟られぬよう、オトリのホテルと本来泊まるホテルの宿泊室の両方に獣道の術を施しておいた。
「さて、情報集めだ」
バイクを引きながら、牙丸は町中に繰り出した。山の周りというだけあり、あちこちに清水が流れる風流な景色が広がっている。ふと目をやれば、町の側溝にも拘わらずアユが泳いでおり、観光地としては申し分ないだろう。しかし牙丸は今観光客ではない。それどころか刺客に警戒せねばならないのだ。
「さて、裏刃の手がかりはいずこやら」
歩いたところで簡単に見つかるモノではない。そう考えていた。まさか、あっさりと裏刃の者を見つけるとは誰が予想したであろうか。
「うわぁ!? おい離せ、離せよバケモン!!」
「……聞こえたぞ、バケモンだとォ?」
声の聞こえた方向に牙丸は駆け付ける。場所は近くにある公園であった。子供達が何人かざわついている。バイクを近くの駐輪場に押し込み、その場に飛び込んだ牙丸が見たモノ、それは。
「何だアレは、群影か!?」
子供の影から上半身を乗り出し、別の子供の足をガッチリと掴んでいる。その姿は牙丸もよく知っているアイツであった。黒い仮面、額と右側にある赤い目、左目のあるべき場所から生えた一本角。後ずさる子供の足に掴まったまま、ズルズルと群影が姿を現す。何故こんなとこに、何故一体だけで、何故子供を。疑問は尽きないが今の牙丸に出来ることは一つ、目の前の敵を子供から引き離すのみ!
「その手をどけろッ!」
飛び込むとほぼ同時に牙丸はセリフを吐いていた。驚いた群影が子供から手を離し、子供の影に潜って逃げ込もうとする。そこをつかさず牙丸は群影の手を掴み、そのまま体を捻ってズルリと引きずり出すと同時に巴投げを決める。何とか子供から距離を開けることが出来た。この群影、よく見ると手甲から刃を出していない。
「様子が変だが、良い手掛かりだ。とっ捕まえてやる」
牙丸はまず、群影の腹部に一撃を加える。怯む群影のシノビ装束を掴み、今度は腰を使って払い投げる。ひっくり返った群影をそのまま、牙丸は取り押さえた。と、すると子供の声が響く。
「し……しきにッ! 乱暴するなッ!!」
「え、しき?」
牙丸はキョトンとした。ふと群影の様子を見てみるとひどく震えている。仮面の奥の赤い目が、何処か揺れているようにも見えた。まるでこの様子、怯えているようにも見える。更に仮面には、『しき』と書かれていたのである。
「どういうこと、なんだ?」
十数分後。牙丸は子供の家にいた。
「この度は何用で御座いますでしょうか。何やら息子のセイゴと、その、しきが世話になったようで……」
「単刀直入にお聞きしたい。貴方と息子さんが『しき』と呼んでいるコイツが何か、知っているのですかい?」
子供は父親と二人暮らしであった。
「しきは、拾った仮面から出てきたんだ!」
「ええ、息子が昨日この仮面を拾ってきましてですね。ゲームや本によく出てくる群影の仮面に似てるもんだから、モノは試しと息子がやってみたそうなのです」
「群影と分かって、呼び出したのですか」
牙丸は、セイゴの背後に隠れた群影、この家ではしきと呼ばれるそれに目を向けた。まだこちらを警戒しているらしい。
「まぁ見れば分かりますがね、そいつは紛れもないホンモノですよ。それに呼び出したとすれば、そのしきはセイゴ君の言うことなら大抵は聞くようになりますがね。最も、どうやら妙な目的に使ったようにも見えましたが……」
ギロリ、と牙丸の鋭い目が子供に向いた。ビクッと跳ね上がる子供の背筋。
「あ、アイツは、普段から乱暴なヤツだったんだ! 今日もおれの自転車を取ろうとして……」
「理由はどうであれ、だ。群影ってのは知らないヤツからすれば手も足も出せないモンなんですよ。ましてや子供ではどうにもならん、そもそも本気を出した群影ってのはですね」
牙丸は一瞬にしてしきの背後をとると、その右手を掴んでセイゴとその父親の前に引っ張り出そうとした。
「しきに乱暴するなって言っただろ!?」
「じゃあ君が命じなさい、『右の刃を出してみろ』とな」
「え、右の、刃……? しき、何かよく分からないけど出してみてよ」
牙丸はしきを離す。しきは牙丸から距離をとると、その右手の手甲に仕込まれた刃を出した。それを見た父子が驚き目を丸くする。
「この刃は左手にもくっついている。いざとなりゃこの二つを使って、目の前の相手を一瞬で五つ裂きに出来ます。あの時、俺はあっさりしきを抑え込めました、しかし普通ならあんなことすればすぐに斬りかかってきます。そしてそんな存在をアンタ達は家で飼っている、自覚はありますか?」
しきを含めた三人を牙丸はギリリと睨んでいる。
「あの、貴方は、どうしてそこまでもこの『群影』を、憎んでいるのですか?」
「……五年前のニュースですがね、謎の山火事を覚えてますか。山ン中に集落があったってヤツです。獣賀衆の隠れ里かもしれないって大騒ぎされた、あのニュースです」
「覚えてるよ、おれあの時五歳だったけど……」
「あの集落は俺の故郷でした」
「貴方のッ!?」
少しのためらいの後、牙丸は話すことにした。
「嗚呼、刃はもうしまって良いです。……あの山火事はこの群影を操る、裏刃衆によるモノでした。俺はあの時里を焼き、両親を殺し、姉をさらったコイツらの頭領に復讐すると決めたのです。それにヤツを放っておけば、俺と同じ目に合う人間が増えることとなる……」
「何から何まで信じられません、信じられませんが、貴方様が裏刃衆を強くお恨みになるのは分かりました。しかし、しきはッ! 私達にとって大切な家族なのです!」
「そうだ! しきは家族だ!!」
「家族、ですか」
牙丸にもためらいがあった。家族を奪われる悲しさは彼にもよく分かっているためである。
「分かりました、今回は手を引くことと致しましょう」
「ホントですか!?」
「群影の本体はその仮面だ、そこを割られると体は消滅する、もし扱うならそこだけ気を付けてください。そしてもし、今度その群影が何かやらかしたのなら。今度は押さえつけることもなくその仮面を真っ二つにします、良いですね?」
「わ、分かったよ……」
「それともう一つ、もしその群影に何かあったなら、この番号に連絡して下さい」
牙丸は紙を渡した。『高砂丞』という戸籍上の名前と、電話番号の書かれた小さな紙を。
「では、俺はこれで」
バイクにまたがり、去っていく牙丸。
「良いのか、牙丸。しきを放っておくのかよ」
「まさか。アイツは良いエサだよ」
彼はすでに決めていた。この群影は良い手掛かりである。何故ならこのように流出した群影を、鬼神斎が放っておくはずがないと考えたからだ。今シノビの技術が流出して一番困るのは鬼神斎、なればこそ何処かからこのはぐれ群影を追って現れると考えたのである。
「今しばらく泳がせておく。手がかりを探るならあの親子の周辺に絞り込もう、楽が出来るぜ」
「一般人を利用するとは中々狡猾になったな、牙丸」
「何を言っている。無理やり家族を引き裂くよりはまだ良いだろう。何よりあの親子にキズを付けるつもりなんかねぇぞ」
「しきは覚えるの早いなー、洗濯モノならもう任せても良いかもしれないね!」
「そうだね、今度字でも覚えさせてみてはどうだい」
「え、字!?」
「覚えるには教えるのが一番さ、最も漢字を覚えさせる前にまずはかな文字からか」
一つ屋根の下、二人のヒトと一体の群影。牙丸から見ても誰から見ても異様なこの光景。しかし家族の絆は確かにそこにあった。
「これが『あ』、これが『い』……」
しきに鉛筆を持たせ、セイゴは一つずつ書かせていた。
「『う』……あ、折れちゃった……」
力が少々強いためか、しきの手の中で鉛筆は二つに折れていた。言葉こそ発さなかったが、困惑している様子だけは伝わってくる。
「大丈夫、大丈夫! まだあるから!」
「セイゴ、そろそろ風呂にするぞ」
この日の夜が過ぎていこうとしている。牙丸もまた、獣道の術を使いホテルの部屋へと戻ろうとした、その時であった。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィィーーッ!!」
あの不気味な笑い声が響く!
「!? 何処だ、呀喇荼!!」
「まぁそう身構えるな牙丸、オイラは戦いに来たワケじゃないぜ」
「何ィ?」
牙丸の前にすんなりと姿を現す呀喇荼。戦う意思がないのは事実のようだ。
「オイラは、鬼神斎様の息子であるアンタに協力してもらいたくなったのさ」
「一体全体どういう風の吹き回しだ!?」
牙丸は構えを解いていない。
「単刀直入に言おうか。オイラは群影の面を一つなくしてね」
「群影の面だと!?」
呀喇荼の目的は明確だった。しきである。しきの行方を追って現れたのである。
「壊された面なら良いんだよ、しかし生きた面をなくせば大変なことになるのは牙丸にだって分かるよね?」
「技術の流出か?」
「それはこちらの都合さ、アンタにもメリットのある話だぜ」
「こちらにだと?」
牙丸は構えを敢えて解いた。襲い掛かってくる気配はない。敵意がないのは本当らしい。
「そうだよ、もしそのはぐれ群影が、何らかの偶然で実体化して、そして誰かを襲ってバラバラにでもしたら。アンタはそれを放っておけるかい?」
「放ってはおかねぇが、群影ってそこまで出来るのか?」
「そりゃ今まで何体も群影をバラしてきた牙丸には分からん話だろうさ、しかしね。その辺を普通にうろついている一般人に、果たして群影の対処が出来るかな?」
「ずいぶんと群影を過大評価しているな?」
「しかしお互い守りたいモノはあるだろう? どうだ牙丸。一時期で良い、オイラと手を組もうぜ!」
握手を求める呀喇荼。その手を見ながら牙丸は考え、そして言った。
「断る。こちらはこちらで探すこととする。あいにく俺には探し物が多くてな」
「そうか」
呀喇荼は手を引っ込め、背中を向ける。
「ならばこちらで勝手に探すことにするぜ。じゃあな」
次の瞬間、呀喇荼の姿は消えた。思った通りだ、と牙丸はほくそ笑む。しかも相手はしきの行方を探せていないらしい。
「呀喇荼の来た方向は……山の方か。しかし町中をうろうろされては面倒だな」
牙丸は駆け出した。その途中で手甲を着け、面頬を着け、装甲全てを着け終わると一気に加速する。屋根に飛び乗り、首に巻いたスカーフである放電絹に意識を集中させる。このスカーフは牙丸自身から放たれる余剰な電気を空気中に逃がすだけでなく、逃がした電気をデンキウナギのようにレーダーとして使用することも出来る。五感とは独立した第六感として、電気による感覚は脳に伝わるのだ。
「呀喇荼は向こうだな?」
一定の距離を取ったまま、牙丸は追う。その足はほとんど屋根にすら付いておらず、その速度を物語る。もししきのいる家に気付けば、あの親子は命がないだろう。流出を防ぐという名目で間違いなく消されてしまう。牙丸は急ぐ、果たして間に合うのか!?
~次回予告~
新たな仙鬼、呀喇荼は紛失した群影を追う。鬼神斎への手がかりのため、家族の命と絆を守るため牙丸は呀喇荼を追う。果たして、しきと名付けられた群影の運命や如何に。
次回『群影ノ絆』 お楽しみに