十五ノ巻『玄青ノ王』
~前回までのあらすじ~
仮面のシノビ、雲豹の牙丸は故郷を焼き滅ぼした仇敵、鬼神斎が実の父親かもしれないということに動揺する。真実を求める彼の行く手に、鬼神斎が配下、仙鬼の藻頭流が立ち塞がる。その分身に支配されてるとも知らず、上手いこと誘導されたとも知らず、一夜の宿を得た牙丸の運命やいかに。
もし、旅先で初めて泊まったホテルにて、呼んだ覚えのないルームサービスがいきなり来たのなら。そこで文章を読んでいる諸君はいかがなさるだろうか。現に今、この物語の主役たる牙丸は、その状況に置かれている。
「あのォ、お部屋間違えちゃあいませんかい……?」
ドアチェーンをわざとかけ、牙丸は少しだけドアを開いた。その獣を思わせる目は今、警戒心に染まっている。
「いえ、このお部屋で間違い御座いません、高砂様」
店員の声が返ってくる。女性のようだ。
「頼んだ覚えがねぇんだけど……」
ドアの向こうにいた店員は、案の定女性であった。いかにもキレ者でありそうな眼鏡をかけている。その胸は中々に豊満で、スーツ姿がぴっちりと決まっている。キュッとくびれた腰のその下には、タイトスカートに包まれた尻が実に官能的なラインを描いていた。
「今回は特別で御座います。高砂様は一度お断りしてしまい、その後こちらのお部屋が空くまで泊まる所がなかったのでいらっしゃいましょう?」
「いや、まぁ、そうだけどさァ」
「これはいわゆる、“お通し”だと思って下されば……さ、早くチェーンをお外し下さいませ。お待ちしております」
頭を深々と下げる女性、その胸が御辞儀によって強調される。一旦ドアを閉めた牙丸は、その中でポリポリと頭を掻いていた。しかしすぐに何か思い浮かぶと、
「えーとすみませェん、すぐにちゃんとしたの着ますんでェ、ちょっと待ってて下さいますかァ?」
しばらくして、牙丸はチェーンを外しながら言うのであった。
「お待たせ致しましたァ、開けますぜェ」
カチャリ、と静かに開いたドア。女性店員が入ってくる。
「高砂様、今回は当ホテルにお越しいただき……?」
その部屋に、その高砂様の姿はなかった。そして彼女の背後で、バタンという音が響く。すぐに振り向いた店員の視線の先に、ドアの前に立つ牙丸はいた。
「悪ィ、ちょっと警戒心が強くてね。さて、ルームサービスって、何だい?」
牙丸は、その身に鎖帷子とシノビ装束を、台詞通りちゃんと着込んでいた。
「コスプレイヤーなんだよこれでも。着替えてる真っ最中でさァ」
「そういうことでしたか」
驚いていた女性の顔が笑顔に戻る。牙丸も、顔の傷跡をポリポリと掻きながら笑顔を返した。その背後では、カーテンが風に揺れている。
「ではこちらへ」
女性は部屋の奥に入っていく。見たところ、何か持ってきたワケではないらしい。不審に思う牙丸であったが、女性がこちらを向く頃には彼も笑顔に戻っていた。
「ルームサービスって具体的に何をなさるんです?」
「当ホテルのルームサービスは……」
女性はその場でスーツを脱ぎ始めた。そしてブラウスのボタンを一つ、また一つ外していく。
「え、ルームサービスって、え?」
驚く牙丸に対し、女性は色っぽい笑みだけを返した。ブラウスを脱ぎ去り下着姿になると、それまで布に覆われていた豊満かつ美しい胸が目の前で弾む。
「ふふふ……」
ブラジャーの留め具に手をかけると、女性は背中を向けた。ごくり、と牙丸は思わず唾を呑む。だがブラを外した次の瞬間、女性の髪から、前面から、次々にあのクモヒトデが飛びかかって来たのであった!
「何ィ!?」
すぐさま天井に飛び付くと、懐に忍ばせていた霹靂珠をバラ撒く牙丸。クモヒトデ達を散らせると、先程の女性が倒れている。御丁寧にも、先程外したブラが大事なとこだけ隠していた。
「何だよ、あの大きさ、ニセモノだったのか。とはいえ放ってはおけねェな」
備え付けの浴衣を取り出して女性に着せると、牙丸は部屋の外に連れ出した。
『流石だな、雲豹の牙丸よ』
不気味な低い声が廊下に響く。
「出てこいッ! 藻頭流!!」
『ズルルルル……そう慌てずとも良い。当ホテルのサービス、心行くまで堪能したまえ。最も、チェックアウトは出来ぬがな!』
台詞の直後、壁から、天井から、次々に群影が這い出して来る。素手のまま、牙丸は構えた。
『おもてなししろ』
無言のまま、群影達が斬りかかる。両手の手甲に仕込まれた刃を展開し、物陰から物陰へ飛び移るその動きはまさに群れを成す影であった。
「タァーッ!」
牙丸は、早速飛び込んで来た一体の懐に一撃を入れると、落ちた相手の仮面につかさず連打を加える。群影は仮面を使って呼び出される暗鬼であるため、その仮面こそが本体である。その本体が砕けると、捕まった群影の体はたちまち溶けるようにして崩壊した。
「来い!!」
文字通り一体を叩き潰した直後に、今度は二体が挟み撃ちにせんと襲いかかる。刃がそれぞれ牙丸に刺し込まれた、と思われたその時。二体の群影の刃は、それぞれの左胸を突いていた。次の瞬間、二体の後頭部を強烈な蹴りが襲い、互いの仮面を打ち合わせるようにして砕かれたのであった。
「そこかッ!」
足元を突いた牙丸。そこには、物陰から腕を伸ばす群影の姿があった。首元を掴んで引きずり出すと、顔面を床に付けたまま一撃を食らわせる。折れた角が飛ぶと同時に、消え去った群影のいた後には真っ二つに割れた仮面があった。
『流石だな牙丸よ。だがおかしいとは思わぬか?』
「何がだ!」
『それだけ騒いでおいて何故、誰もそこに現れぬ?』
「んな!? まさか……」
『教えてやる。意識の深層に眠る我が人形達よ。目を覚ませ、外に出よ』
ガチャリ、という音があちらこちらから響く。現れたのは宿泊客達だ、だが歩き方も目付きも何かがおかしい。
「ア、ア、ア、ア、ア、ア」
そして皆一様に、唸るような声しか上げていない。牙丸は気付いた。このホテルが今、どういう状況に置かれているのか。
『そこにいる、人の形をした獣を捕まえ、我が元に連れてくるのだ』
「ア、ア、アァァァ!!」
「まずい!!」
一斉に駆け出す客達。中には従業員まで混ざっている。相手が一人だけなら、先程の女性のように対処も出来るだろう。だが今は、この階層にいる自分以外は全て敵に回った。それだけではない。階段からも次々に新手が現れている。到着したエレベーターからまで、雪崩のように人が押し寄せた。
「逃げるしかねぇかッ!!」
相手は一般人、無闇に傷付けるワケにはいかない。しかしいくらシノビとはいえ多勢に無勢、今はとにかく逃げなければならない。一閃の術や霹靂珠という手もあるが、無駄に体力を消耗するワケにもいかず使うチャンスは限られる。今このホテルにある安全地帯はただ一つ、自分のいた部屋のみである。
「アアァァーッ!」
掴みかかる手、手、手。老若男女も問わず、手という手が牙丸に伸びる。その所々に、あのクモヒトデが這っていた。そして牙丸の足首を掴んだ子供の手が、とうとうその体を転ばせた。首を、頭を、次々に手という手が覆い尽くす。
「やむを得ん、一閃の術!」
十分に引き付けてから放ったためか、一閃の術は手加減したにも関わらず取り囲む全ての人で絨毯を作り上げた。ポロポロとあのクモヒトデがこぼれ落ち、朽ち果てる。覆い被さった人を背筋力一つで押し上げると、牙丸は大急ぎで自分の部屋へと飛び付いた。ドアチェーンを素早くかけてその上で押さえ付ける。しかしそれでも執拗に、ガン、ガンとドアを叩く音が響く。
「くそッ!」
獣ノ巻を手に取り、中から雷鳴牙を二つとも取り出すと、一つを背中に付けてもう一つをドアに引っ掛けた。しかしあくまでその場しのぎのつっかえ棒、長くは持たないことを牙丸は知っている。あの分身クモヒトデはあらゆるモノを溶解する能力を持っているということを、コンビニでの戦闘にて既に目撃していたためだ。
「何か、何か手はねぇのか!?」
「オイ、オこまりノ、ヨウダナ」
「アオ!?」
ここに来て急にアオが喋り出した。しかしカタコトである。
「けはいデ、さっシガつク。いイカ、そうこう、つケロ! まどカラ、だっしゅつ、ばいくヘ、いそゲ!」
ドアは既に、ボロボロとなっていた。部屋に入られるのは時間の問題である。
「そうするしか、ねェか!」
獣ノ巻をくわえ、雷鳴牙を回収すると、牙丸は窓に向かって駆け出した。その背後ではとうとう破られたドアを踏み倒し、操られた人々がなだれ込んでくる。いざとなったらそもそも窓から出る、女性を部屋に入れる前に待たせた理由は、窓を開けに行ったためだった。
「ダァァァーーーッ!!」
窓から駆け出し空中に身を躍らせる牙丸。その様子を、クモヒトデを介して知ったフロントマンこと、藻頭流は驚いた。
「アイツめ、何を考えている!?」
藻頭流は急いで表に出た。だが八階に集中させた傀儡達はすぐに降りることが出来ない。その一方でターゲットたる牙丸は、空中で体を捻りながら九字を切るような動きを見せていた。
「忍法、巻変化ッ!!」
開いた巻物、その紙が彼をぐるりと取り囲むと、中に書かれた文字が一斉に光っては飛び出し包み込む。眩い光が全身を覆ったと思いきやその直後、稲妻と共に地面に降り立つ姿があった。表に出てきたフロントマンが見たモノ、それは土煙の中からその姿を現す仮面のシノビであった。
「おのれ牙丸ゥ……!」
「雲豹の牙丸、見参! その様子を見る限り、手引きしていたのはお主で御座るな!?」
「こうなれば行くぞ、化身ッ!」
フロントマンはそのスーツをバリッと破いて脱ぎ捨てた。その体には大量のクモヒトデが這っており、更に黒い炎と共に顔や手までも変わっていく。
「ズルルルルルゥゥーーッ!」
「姿を表したな、藻頭流!!」
「鬼神斎様の息子だとて容赦はせぬ、行くぞ!!」
藻頭流の声の直後、ホテルの窓という窓から大量のクモヒトデが這い出て来た。しかも恐るべきスピードで主たる藻頭流に集って形作る。するとなんということだろう、藻頭流の下半身はバイクのような形と変わっていた。前輪二つに後輪一つ、ホイールそのものにもクモヒトデが蠢く禍々しい車輪がこちらを捉えている。
「アオッ!」
牙丸は自前のバイクにアオそのものを投げる。するとアオから出た蔓状の物体が次々にバイクに取り付き、玄青王としての姿へと変わるのであった。
「行くぞォォーーッ!!」
前輪を高々と上げ、藻頭流が叫ぶ。一方で牙丸もアクセルを鳴らし、目の前の敵へと突っ込んだ。
「行けィ、我が分身共よ!」
藻頭流の前輪から分身クモヒトデが放たれる。まるで手裏剣のように回転し、タイヤの左右から同時に二つが撃ち出される。
「紫電爪!」
グリップから片手を離し、二つ同時に紫電爪を打つ牙丸。分身クモヒトデは空中で打ち落とされ真っ二つとなっていた。
「出でよ、群影車輪部隊!」
群影達があちこちの影からヌルリと現れる。だがその姿はこれまでとはまるで違ったモノであった。後ろ足はくっついて車輪が付いており、胸からも車輪が二つ飛び出ている。腕には相変わらず刃が生えており、走りながらでも斬りかかれるようだ。
「こりゃまた大層なヤツが出てきたぜ!」
飛び掛かる群影。その速さは今までとは比べ物にならない。
「グリップを握っている分、こちらが不利か!」
「その心配はねぇぜ!」
アオが息巻いた。
「良いか牙丸、オレは自分の意思でもこの機体を動かせる、安心して刀を抜け!」
「承知! その体じゃ初めての、大暴れと参ろうぞ!」
「よし来たァ!」
牙丸は雷鳴牙を二振り、両手それぞれで引き抜くと、玄青王に乗ったまま構えた。現実のバイクではまず出来ない芸当である。全面から早速二体、車輪の群影が突っ込んで来る。
「ハイヤァーッ!!」
馬に乗る時の掛け声と同じく、牙丸が叫ぶ。呼応するかのように玄青王のアクセルがかかり、駆け出した。すれ違い様にまず右の群影をなぎ倒し、後輪を使って弾き飛ばす。飛んだ先にてもう一体の群影を巻き込み、崩れ去る。続いて左から来ていた群影の、両手に生えた刃が牙丸を襲う。ぶつかり合う刃と刃、しかし牙丸は雷鳴牙の柄同士を合わせて双雲雷鳴牙に変形させると、素早く回転させて相手の腕ごと吹き飛ばし、間髪を入れず刃が群影の本体たる仮面を貫いた。
「次は誰が来るで御座るか!?」
前方から、三つの群影が列を為して向かってくる。それを確認した牙丸は、双雲雷鳴牙を片手で持つとグリップを握り、相手に向けてアクセルを鳴らした。
「アオ、一番前のを頼むで御座る」
「任せとけ!」
速度をグンと上げ、牙丸は三つの群影目掛けて玄青王を走らせた。まず玄青王の持つ牙のような先端が先頭の群影を刺す、するとつかさず牙丸がその場から大きく跳躍し、双雲雷鳴牙を二振りの雷鳴牙に戻すと二番目の群影に着地するや否や
「慟哭絶叫剣!」
交差させた刃を素早くすり合わせ、衝撃波を放つと同時に足を付けていた群影を蹴り、自ら放った技の反動をも利用して玄青王に跳び戻った。
「やるな牙丸。だがお前の運命の輪もここで止まるのだ!」
ついに藻頭流が突っ込んで来た。前輪を持ち上げ、禍々しい姿が宙に飛び、自らの分身クモヒトデをバラ撒いてきた。刃で弾く牙丸だったが、このクモヒトデは玄青王のボディに付けば腐蝕させかねない。
「ヤツの車輪は分身のクモヒトデを固めたモノ、ならば!」
牙丸は霹靂珠を三つ取り出すと宙に飛ばし、更に六つの紫電爪によって霹靂珠を挟み込むと、合わせた両手の中に納めた。その合掌を解くと、両の掌の中で稲妻が走り、その間に三つの鋭い影が回転した。
「紫電霹靂斬、三段打ち!」
打ち出した攻撃。二重の刃が強烈な電撃をまとい飛んでいく。一発目が藻頭流の右の車輪を打ち抜いた。バランスを失った藻頭流が横転する。二発目は左の車輪を、三発目は奥の車輪をそれぞれ切り裂いた。バラバラに散っていく分身達。
「おォォのれェェーーッ!!」
何とか立ち上がる藻頭流であったが、そこに牙丸は自らのスカーフ、放電絹を外して投げ付ける。すると放電絹は縄に変わると、たちまち藻頭流の体をがんじがらめに縛り上げた。それだけでなく、縄から放たれる電撃が藻頭流に追い打ちをかける。
「忍法、自在縛り! どうだ、これでもう、分裂して逃げることは出来んぞ!」
「くっ、くそォッ……!!」
縄の絡まったまま立ち上がる藻頭流の目に映ったモノ、それは玄青王のスピードを上げて突っ込む牙丸の姿であった。
「必殺!」
掛け声と共にバイクから躍り出る牙丸の体。無人となった玄青王をかわした藻頭流、しかし牙丸は藻頭流の頭上を悠々と越えると、何とホテルの壁にその足を着けた。反動を使い、彼の体は再び宙を舞う。今度は何と、無人のはずの玄青王がその跳び行く先に現れ、上体を持ち上げ牙丸の足場を与えた。途端に、牙丸の足に鋭い光が走り、藻頭流の後頭部を強烈な跳び蹴りが襲う!
「反動稲妻蹴り!」
背後を取られた藻頭流は、その奇襲をも兼ねた一撃によりその頭部をはね飛ばされた。残された体はその場で倒れ込む。反動稲妻蹴り、それは壁等を蹴って勢いを付け、相手の死角を取りつつその足に電気エネルギーを灯し、稲妻型の軌跡を描きながら放つ必殺の跳び蹴りである。
「ズルルルルルゥゥーーッ!? 鬼神斎様ァァーーッ!!」
飛ばされた頭部は、空中にて蹴られた断面から光る亀裂が走り、断末魔を残して爆発四散した。残された体もまた、ドロドロと崩れ去り消滅していく。牙丸が勝利を納めたのだった。
「仙鬼……鬼神斎は一体何を考えているんだ?」
牙丸は装甲を取ると玄青王を元のバイクに戻し、何食わぬ顔をしながら。ホテルへと戻った。自分の部屋のある階層に素早く戻ってみる。
「あれ、何で俺はここに……?」
「あいたたた……」
「どういうこと、私部屋で寝てたはずなのに!?」
どうやら、皆クモヒトデが外れたらしい。牙丸は確信した、藻頭流の死によって分身は全て滅んだのであると。
「さて、晩飯を買いに行くか」
新たなる驚異『仙鬼』。鬼神斎によって率いられるこの異形のシノビ達が、牙丸の行く手を阻む。鬼神斎は本当に父親なのか、それでいて何故牙丸の行方を阻むのか。全ては裏刃の里に答えがある。
~次回予告~
ある日取り押さえた群影。だがその個体はひどく怯え、そして子供がそれを庇う。群影とある家族の奇妙な友情と日常、しかしその安寧は長くは続かなかった……。
次回『群影ノ家』 お楽しみに




