一ノ巻 『獣賀ノ里』
仮面のシノビ、雲豹の牙丸。その物語の始まりは、ある夜にまで遡る……。
草木も眠る丑三つ時。都会の喧騒からわずかに離れた現代の秘境、獣賀の里もまた例外ではなかった。四六時中文明の光が放たれる街と異なり、満点の星が里の空を彩り輝いている。冬特有の乾いた空気の中、フクロウの鳴き声だけが響いていた。……否、声の主はフクロウだけとは限らないのである。
「ホー、ホー」
「グルスク、ホッホッ」
「ホー、グルスク、ホー」
野呂助奉公、ボロ着て奉公とも聞きなされるこの声が交わされたと思われたその直後、里を取り囲むように明々と炎が灯り始めた。物語冒頭の静寂を破る灼熱の嚆矢は、かくして放たれたのだ。
「牙丸! 牙丸!!」
若い娘の声が響いた。真っ赤に染まった里の中を、ひたすらに死が駆け抜けていく。炙り出される住人を、黒装束の刃がまるで稲でも収穫するかのように刈り取るその中を、女性はある存在を探してさまよっていた。その背後の物陰から、刃を生やした人影が迫る。
「牙丸ゥ! ……あぁっ!?」
娘の肩に、不意に手が伸びた。強引に地面に転がされ、飛びかかり、今にもその喉を掻き斬ろうとしたその時である。
「待て。その娘は殺してはならぬ」
低く冷たい男の声がその動きを止めた。男性の方を向いたその顔は、黒い仮面から二つの目が赤く光っている。しかし左目はともかく、右目はヒトでいう額の位置にあり、右目のあるべき場所には一本の角が生えていた。
「群影の制御も楽ではないな。まぁ良い……」
後ろで結ばれた髪を掴み、男は娘の顔を覗き込む。この男性もまた仮面を被っていた。顔の半分を覆う鬼の意匠には角が生えており、左目のあるべき箇所にまた鬼と思しき白塗りの顔が埋め込まれるようにして覗いている。
「巻物は何処にある? いや、"獣ノ巻"と言った方が良いか」
「し、知らない……」
「よく聞こえぬぞ」
「じゃあハッキリ言ってやる、里の火を消してさっさといなくなって!」
「見上げた口の固さよ。ではその体に直接聞くとしようか……」
男の手が女性の着ているモノを掴み上げる。恐怖にひきつるその顔に舌を這わせると、その跡に黒い文字が浮かび上がる。
「ほう、う・し・ろ……? そっちの後ろじゃないな、私の背後のことかァ……!?」
背後を振り返ったその時、彼の連れていた群影の一体がバッタリと倒れこんだ。その顔は仮面ごとザックリと斬られており、やがてその体は闇に溶けるかのように消滅した。
「ボタン姉ちゃん!」
「牙丸、逃げて!」
牙丸、と呼ばれた少年。その手に握られている牙をあしらった巻物を見た男の目が一層輝いた。
「小僧、巻物をよこせ」
言い終わるが早いか、男は多数の群影を牙丸に差し向けた。そしてボタンと呼ばれた娘の腹に掌打を加えて気絶させると、その肩に担ぎ上げる。
「姉ちゃんを放せ!」
「獣ノ巻と引き換えだ」
「巻物を使えるのは俺だけだッ! 諦めろよおっさん!!」
「おっさんではない。私の名は鬼神斎、いずれこの世を制する者……」
鬼神斎と名乗ると、男は懐から群影の被っているモノと同じ仮面を取り出した。そして炎により出来た物陰に投げ打つと、その仮面を被った群影がその身を起こす。
「牙丸とか言ったな小僧、私をおっさん呼はわりしたことを今のうちに悔やむと良い。群影よ、巻物を奪え、殺しても構わぬ」
赤く目の灯った群影が襲いかかる。姉を助けようとも、今の牙丸にはその力まではない。多勢に無勢か、彼が小太刀で防戦一方のその傍らで、また見知った顔が切り刻まれていく。
「……姉ちゃんの言う通りに、ここから逃げなきゃ駄目なのかよ!! 角丸……そうだ角丸がいれば!」
「甘い。子供が二人に増えたところで何になる。それに……この里には最早、小僧とこの娘しか生きておらぬぞ?」
「な……そ、そんなことが……くっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
牙丸はかつて自分の住んでいた家の、燃え盛る木材の欠片をつかんで投げ付けた。彼の手は焼けていたが、最早痛みすら感じていない。一瞬だけひるんだ群影達に対し、牙丸はその巻物から、どう隠していたのか多量の珠を取り出し手に乗せた。ビー玉ほどの大きさのそれを地面にバラ撒くと、迫っていた群影の足に衝撃が走る。珠から強力な電撃が次々に放たれたのだ。
「小賢しい、電気を放つ癇癪珠か。裏刃にはないモノをやはり残しておったか」
電撃により仮面の割れた群影達の姿が消えると、牙丸の姿もまたそこにはなかった。しかし姿の見えぬ相手に対しても、鬼神斎は追いかけるかのように声を上げる。
「ふふふ……故郷を捨てて何処へ行く? 術を知らぬ愚か者どもに紛れたところで無駄なこと、この鬼神斎からは逃れられぬ……ふはははははは!!」
焼け落ちる里の中、ただただ鬼神斎の狂ったような笑い声が響いていた。こうして、獣賀の里は一晩のうちにこの世から消滅したのである。
この事件は翌日のニュースにて、謎の山火事として大きく報道された。新聞の一面を焼け野原が飾り、人の住んでいた跡からワイドショーでのコメンテーターによる考察や憶測が飛び交い、中にはそこがかつて歴史の闇に消えた幻のシノビ集団にしてその地名の元となった獣賀衆の隠れ里ではと推測する者もいた。しかし答えも見つからぬ謎にいつまでも人は食い付かず、やがて年月と共に忘れ去られていくのである。ごく一部の例外を残して。
「そういえば、今日であの変な山火事から五年が経つんですね」
獣賀の地より少し離れた手助の町にある工場にて、そんな会話は繰り広げられていた。
「あの頃だと、リョウは確か13歳だったっけ?」
リョウと呼ばれた18歳の少年。名前を錦田亮という。
「ショウさんの生まれって確か、獣賀の隣の縄張でしたよね」
「そうそうそう、だから怖かったのよあのニュース」
ショウこと、高砂丞はそう語った。かつて山火事のあった箇所はショウの出身地であるという縄張市と獣賀市の市境であり、人の寄り付かないうっそうとした山で知られていた。
「あの時俺は16歳か……早いな、時が経つのって」
二人が話している所にまた新たな顔が訪れる。隣のロッカーを開けながら、彼も会話に参加する。
「おはようございますゥ~、お二人さァん」
「ユーさん、また眠そうな顔ですね……」
「夕べは呑み過ぎですかい?」
「いンや、ゲームのやり過ぎだよへへへ」
ユーさんこと南雲佑はゲームが好きで、よくこの二人を上がり込ませては一緒にゲームに興じるという楽しみがあった。なおこの三人は三年前の同じ日に工場に入った同期仲間である。
「五年前の山火事ねェ、犠牲者がいるにはいたらしいけど身元が分からなかったそうだなァ、確か」
「ユーさんはあの時いくつでした?」
「18だ、高校受験終わって、ここぞとばかりにゲームばっかやってたよ」
「そんなこと言って、実際は試験期間中もやってたんでしょう?」
「あッたり前ェよォ、このオレがゲームしない日なんて停電した時と熱でフラフラした時くらいさ。……そーいやあの時、アホみたいにシノビが題材のゲームが流行ったなァ」
シノビ。現代を生きる彼らにとって、シノビとは歴史のロマンにして憧れのヒーローである。超人的な身体能力、脅威的な術を次々に披露して歴史の影を駆け抜けそして散っていった、神秘の存在なのだ。
「あー、『獣賀忍法帖』とか! 持ってましたよそれ、中学生の間でも流行ってたなァ」
「おー、リョウちゃん良い趣味してるねェ! ショウちゃんも今夜どうだい、明日は土曜日で休みだぜィ」
特に獣賀市を中心に活躍したとされる獣賀衆のシノビはあらゆるシノビの流派の中でも最強と称される。文献によれば『特異な装束に身を包み、自らを獣に変えた』とされ、ゲームや小説の題材としても多く用いられてきた。
「良いんですか!? じゃあ今日の仕事終わったらユーさんの家に集合で、良いですかね」
獣賀衆の名前は、獣賀市の地名の由来であり、そして観光資源でもあった。何せその手のマニアに言わせれば国産ファンタジーのメッカとも言える場所であり、国内外から多くの観光客が押し寄せて来るのだ。
あの日里を焼き尽くした炎は、直接関係ない者には所詮テレビの中の出来事である。里を焼かれた痛みも、当事者やその関係者でなければ実感が沸くことはない。この事件が社会にもたらしたのは、子供やその心を忘れぬ大人達による刹那的なシノビブームだけであった。そして工場の仕事を終えた後に三人が享受することになるテレビゲームもまた、その炎が人気に火を点けたとも言える記憶の遺産である。しかし彼らはまだ知らない。自分達が、その飛び火に、まさか近いうちに出くわすことになろうとは……。
「おつかれさまでしたッ!」
この日の仕事も終わった夕方5時。夕焼け空にカラスもまた仲間達とねぐらに帰ろうと声を掛け合うそんな寒空の下を、工場帰りの人影がバラバラと散ってゆく。ある者はスーパーへ晩のおかずを買いに、またある者はコンビニへ酒と肴を求めて、そしてあの三人はというと。
「おっしゃ! いけ! 押せ!」
「まだまだァ! よし! いける!」
工場近くのマンションの一室。『南雲』と書かれたユウの部屋に三人は集まり、白熱の中にいた。三人の見つめる画面には二人のシノビがにらみ合い、手裏剣を飛ばし刀で切り結ぶ。
「っしゃあ今だァ!」
いち早くコマンドを入力したのはリョウ。シノビは巻物を取り出すと口にくわえ、リョウの押すボタンに合わせ印を結び始めた。するとシノビは煙に包まれ、巨大な虎に似た姿を変えたのである。これが彼らのやるゲーム、『獣賀忍法帖』の売りである『獣変化システム』である。ゲーム中にある条件を満たすことで特殊なコマンドが入力可能となり、成功すればシノビが伝承の通りに巨大な獣に変身して短時間の間パワーアップを遂げるのだ
「あァァ~~!! やられた……」
そのパワーに押され、ユウの操作するシノビが地に伏した。リョウの勝ちである。
「久々にやったけど腕は落ちてないなァ~!」
「昔取ったなんとやら、か。そういや次はショウだったね」
ショウはコントローラーを受け取るとキャラクターを選び始める。彼が得意とするのは地面に関わる術を使い、鎖鎌を武器とし、巨大な狛犬を思わせる姿に変身する。
ショウとリョウが火花を散らす一方で、ユウは酒と肴を取りに冷蔵庫に向かった。だが次の瞬間声が上がる。
「ないッ! しまった、今日買っておかなきゃいけねェんだった!!」
かけてあるコートをかっさらい羽織ると、リビングで熱戦を繰り広げる二人に対しこう言った。
「悪ィ、ちょっとそこのコンビニで酒とツマミ買ってくるァ、何か欲しいのある?」
「コーラと晩メシ!」
「ビールと……あ、フライドチキンお願い」
「あいよ、アイル・ビー・バァック!」
マフラーの巻き方もそこそこに、ユウは月の照らす中を走って行った。コンビニは片道3分程の距離にある。二人の対戦が終わる頃には帰ることが出来るであろう。
「よっしゃまた勝てた~!」
「むぅ~ん、やっぱ強いなリョウは……そういやユーさんまだだね」
「迷ってるんじゃないですかね、あの人凝り性なとこあるし。もう一戦いっときましょ、もう一戦」
「だね、それが良いそれが良い」
しかし予想に反して、更に2戦してもユウはまだ帰って来なかった。
「よっしゃ、初めて勝てた~! うん、大分感覚が戻って来たぜ」
「ショウさん何気に鎖鎌の引っかけ方がえぐいですよね~」
「そのえぐいのが売りだろこの子はさァ! ところでユーさん遅すぎない?」
「そういやそうですよね、電話かけてみます」
リョウはコントローラーを置くとカバンを開け、携帯電話を探し始めた。
「ユーさんに何かなければ良いんだけど……」
リョウの心配は、残念ながら見事に当たってしまっていた。コンビニで買い物を終えたユウ。しかし彼は思いもかけぬモノを目撃してしまっていたのである。
「た、助けてくれ……」
ユウがコンビニから帰ろうとしたその時、呻くような声がコンビニの裏から聞こえて来たのである。
「……何だァ?」
声の聞こえる方へ向かうと、そこにはボロボロの服を着た男が一人、ガタガタと震えながら這っていた。よく見ればなんと片足がない。
「どうしたッ!? 一体、何があったんだィ!?」
「ば……化け物が……現場から出てきて……」
「化け物ォ!? 現場ってあそこか!?」
ユウの見た方向には確かに、道路工事の現場がある。しかしよく見るとパワーショベルが倒れ、煙まで上がっていた。
「早く逃げろ……でないと食われアァ!?」
台詞を言い終わらぬうちに彼の足下のアスファルトがメリメリとひび割れ、盛り上がる。
「な、ななな何だアレは……?」
ユウもまたすくみ上がる。そうこうするうちに盛り上がった地面から手が伸びた。その指先の一つ一つと掌には目が付いている。次の瞬間、その異形の手は男の片足を掴んだ。途端に彼の掴まれた箇所から煙と炎が上がる。二人の悲鳴が、町の夜空に響き渡った。
「何だ今の悲鳴は!?」
リョウとショウがその声を聞いたのは、電話をかけようとするまさにその時であった。ユウの声だ、そう確信したショウはリョウに向かい、
「今すぐ様子を見てくる。ここで待っていてくれ」
「いや僕も行く!」
「ダメだ、鍵もかけずに留守には出来ん、行ってくる!!」
そう言い残すと、上着も着ないまま外に駆け出して行った。
「あわわわわわ……」
ユウは怯えていた。何とか体に力を入れて手の怪物から男を引っ張り出したものの、相手はまだこちらを捉えている。後ずさりしながらもコートを脱ぎ、男の足に点いた火を消そうとするユウ。しかし手が震えてコートは地面に落ちた。そこに地面から伸びた手が触れると、たちまち炎が上がる。地面から伸びる手は常に高熱を発しているのだ。
「あ……あああ……」
ユウはフラフラになりながらも男の手を引っ張り上げて無理矢理肩に担ぎ何とか走ろうとする。だがしかし二人の行く手を更なる影が阻むのであった。物影から人型のシルエットが這い出て現れたのだ。
「な、ナンナンダアンタタチハ……?」
喋り方すら変になったユウに迫る脅威。相手は黒ずくめの格好、仮面を着けた顔、その右目のあるべき位置には角が生え、両腕に備え付けられた刀のような刃を二人に向ける。
「もう、ダメなのか……? た、た、たたたた、たす、け……助け……タスケテクレ……」
声が上手く出ない、言葉になってくれない、対処出来ない、対処のし方も分からない、助けられない、助かるとも思えない、絶望しかない、哀れ彼らに朝は来ない、と思われたその時である。二人を取り囲んでいた異形の人影が次々に倒れ込んだ。見れば仮面の真ん中に、なんと手裏剣が刺さっている。仮面の割れたそれらは溶けるように消え去った。
「なん、なんだよォ……?」
理解を越えた展開の前に腰を抜かす、ユウともう一人。一方で異形の手も何かに気が付いたのか、二人とは違う方を向く。その先には街灯に照らされた、驚くべき者が立っていた。稲妻模様の入った装束、その下と腕を覆う鎖片平、肩や胴を守る装甲、黒い雲のような斑点の染め抜かれたスカーフ、そして……顔を覆う装備の額に大型ネコ科動物の顔に似たレリーフをあしらったその姿、まさに
「仮面の……シノビ!?」
すると人型達は一斉にその仮面のシノビの方に向かって刃を構えた。それに対し、シノビは静かにその手で印を結ぶとその仮面の奥に鮮やかな山吹色の目が光り、エコーのかかった独特な声を響かせるのであった。
「雲豹の牙丸、見参!」
久しぶりに投稿致しました、DIVER_RYUです。今回はRmakeにてゲーム化する予定だったモノを投稿致します。ただ今回はその大元に、大分色々付け足した感じで御座います。では、牙丸の活躍をお楽しみに!