i bet on future?3
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やさしい人。
僕はやさしい人のことを考えている。隣に座るダイアナは電車に乗り込んだ後しばらく僕の腕を小突いたり、話しかけたりしてきていたが、僕が反応しないのがつまらないのだろう、携帯を弄り始めた。おそらくは、これから会いに行く山崎という僕の後輩に、待ち合わせ場所に向かっている主旨の連絡だろう。
やさしい人。
僕とダイアナの乗っている平日の午後の電車、こんな静けさがやさしい人は好きだと言っていた。乗客のまばらで、誰もが揺れる電車に文句を言わない、時おり本を読む音が聞こえたりする。みんながみんな、他人の、電車のなか。
僕はやさしい人に夕焼けのことを話したことがある。
家々や、通りを行く人々、ざわめく植物、繰り返されるエンジン音の響くなか、それらすべてを染める、やさしい夕焼けのことが好きだと、陽が暮れて、鳥の行き交う真っ赤な空の下で、駐車場を歩きながら話したことがある。
話を終えた後、やさしい人は困ったようにはにかみながら、あまり遠くへ行かないでくださいね、と言っていた。
ねえ、着いたよ、ぼーっとしてないでさあ、さっさと降りてよ、ダイアナに肩を揺すられ、目的地に着いていることを知らせるアナウンスが耳に入ってくる。
うんざりするような匂いが電車の入り口からなだれ込んでくる、僕は何人かの乗客がああ、くそ暑いなあと汗と文句を撒き散らしながら入ってくるのを見て、ダイアナの手を引いき、僕とダイアナが立ち上がる。この手は誰のだろう、僕は目の奥がうずうずしてきていて、だんだんと乱視になりつつある。乱視と正常な視界のなか、時おりリリィが現れては、テレビのチャンネルを変えるようにして、ぷっつりと姿を消す。
僕はやさしい人がはにかみながら言った遠くのことを考えている。
「ねえ、電車降りたんだからさあ、離してよ、これから会う人に誤解されたらどうするのよ」
電車を降りても、僕の手はダイアナの手を掴んでいたようで、ダイアナは勢いよく振りほどく。
ねえ、暑くない?それにさあ、ここ臭いよ。
ダイアナが地上へと続く階段を指差し、走り出した。電車を降りて、すぐのところには薄汚れて、よく臭うぼろ切れのようなものを着ている男が壁に寄りかかっていた。目を凝らすと男の頭には蝿のような小さな虫が旋回を繰り返していた。
はやくしてよ、待ち合わせに遅れたらどうするの。
ダイアナが階段を昇りきって、僕を促している。僕はポケットに入っているhopeを男に投げる。男は何かぶつぶつ呟く。ライターを投げてやる。男は何かぶつぶつ呟く。よく聞くと、希望…希望…と呟いている。
そう、希望だよ。
僕の言葉を聞いて、男は覗き込むようにして、顔を上げる。男の瞳はきれいに僕を映している。それを見て僕は、水溜まりみたいだな、と思った。
男は顔色が変わっていき、反対側の通路に走っていった。何故だろう、リリィを見たのかもしれない。
僕も階段を昇ろうとして、足元に何か落ちているのに気付いた。思わず声を出して僕は笑っている、どうしたのよ、汚いのと話してさあ、とダイアナは階段を昇りきって地上に出た僕に話しかける。
希望がさ、落ちていたんだよ。
ダイアナは意味わかんない、とブラックデビルをくわえて、降り注ぐ太陽の眩しさのためか、手を目の前に翳した。
僕はまだ笑っていた。