i bet on future?
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それは耳鳴りではなかった。僕の頭のなかで鳴っていたと思われていた音にスーパーの前で溜まっていた大学生のような男たちが反応していた。
おい、弾き語りじゃないか?久しぶりに見たよ、俺。でも駄目だな、マイクなんか使っちゃってるよ。彼らは思い思いに遠目で弾き語りを眺めて、感想を言い合っている。
僕は彼らのなかの一人の肌がカミソリ負けしていて、無理に引っ掻いて裂いたような痕があるのを見て、少し口角を上げて、彼らに向かってなあ、この辺じゃ弾き語りってあんまりないのか?と聞いた。
彼らはめんどくさそうに、知るかよ、馴れ馴れしく話しかけるなと噛んでいたガムを吐き捨てた、吐き捨てたところに警備員が歩いてきて、ちょうどその現場を見たために、こら、と声をあげる、彼らは走って駅とは反対側の方向へ走っていく。
ガムは噛まれて歯の跡で固まったまま、地面に転がっていて、警備員がそれを踏みつける。ああ、くそ、と言って、靴底を電柱に擦り付ける。
すっかり伸ばされたガムはさっきまで人の口に入っていたようには見えない薄汚れたピンクの布切れのようになっていた。
待ち合わせに少し遅れると連絡があり、僕は退屈しのぎに駅の階段を降りたすぐにあるタクシー乗り場の前で弾き語りをする青年の歌を聴こうと思った。
背中に付いていたスーパーの窓ガラスに反動を付けて、僕は歩き出す。太陽がぐんぐんと輝き、生ぬるい風が吹いている。僕のTシャツはすっかり汗で濡れていて、一歩踏み込むたびに夏風に揺られる木々がざわめくようだ。
鮮やかな緑にはふさわしくない喧騒ばかりだと思う。熱帯魚のヒラみたいなものを目蓋にくっつけて男の腕を取る女、走っては転ぶ小さい男の子の名前を叫ぶ老婆、ヒップホップを爆音で流す趣味の悪い車、ヒップホップを流す車を見て、馬鹿じゃないのと呟き、参考書を片手に歩く制服を着た女の子。
それらがすべて混じりあって、一つの駅前を作り出している。重苦しい沈黙に変わるまえに誰かが言葉を交わし、顔ぶれを変え、記憶に残らぬような、一つの駅前。
僕はタクシー乗り場の前に近づく毎に、駅前の喧騒と弾き語りの青年の歌と、気だるい午後が混じりあうのを感じていた。
やさしい歌を聴かせてほしいな。
僕は青年の置いているギターケースのなかに五百円を入れて、声をかける。
青年は落ち窪んだ目蓋に笑い皺を浮かべ、マイクの前でアコースティックギターを肩にかけ直す。慣れた手付きでカッティングを挟みながらEのコードを押さえながら僕になにか言っていたが、うまく聞き取れずにいた。
そうして青年は鼻唄混じりでチューニングを始め、歌い始める。
あ、GReeeeN歌ってるよと女子高生が二人、青年の弾き語りを聴いて、目の前で聴いていると、それまで興味の無さそうだったサラリーマン風の男やホームレスも集まってきた。
じゃかじゃん、ギターを青年は弾き終える。
なんだよおいお兄ちゃんうまいなあ、いつもやってるんですか?これで冷たいのでも飲んでよ、彼らは青年を言葉攻めにしていて、青年はとにかく、感謝の言葉を述べている。
彼らの髪は風になびいていたし、女子高生のスカートは揺れている、そのスカートの下から覗く膕、ホームレスの風に乗った体臭、僕はサラリーマン風の男の首筋を見る。
小さな水滴が付いたように汗をかいている、その水滴の一つ一つが僕を睨むようにして光を反射している。
僕は自分だけの息遣いが聞こえていて、喧騒が僕を置き去りにしていくのを感じる。
太陽が真上にあって、僕はジャケットを脱いで、駅のなかのコンビニに入る。冷房が効いているはずの店内にいても、僕の焦燥は収まってくれなかったが、有線放送ではコンビニ店員のリクエストを流している、とだけ言うのを聞いて、少しだけ喧騒が戻ってきた。
僕はアイスを買おうとコンビニ内を物色して、気に入ったアイスを手にとり、レジに並ぶ、アイスを差し出し、会計を済まそうと財布を漁ると、袋を取り出す音が聞こえる。
袋はいいよ、このままでいい。
店員は軽く舌打ちをした、それから口角を無理に上げて、店舗シールを張り、改めて代金を要求した。
僕は店員を見ながら、千円札を出す。この時、店員は舌打ちをせず、会計を済ませた。
僕が弾き語りの青年に礼を言おうと、タクシー乗り場の前に向かったが、そこにはいつもの喧騒しかなかった。
青年の姿はなく、女子高生も、ホームレスも、サラリーマン風の男も、生ぬるい風がすべてを拐っていったかのようだった。
僕は舌の底から唾液が溢れてくるのがわかった。
このままでは生ぬるい風が毛穴から臓器を鷲掴みにして、冷やすのではないかと思い、体の内側が、皮膚がむずむずしてくるのかわかった。
衝動的に青年の歌っていた場所に、僕はアイスを投げていた、棒状のバニラアイスが飛び散り、アスファルトの上や、植えられた木々の根本に付着した。
脈がはやく動いている。一瞬、視界が乱視になり、リリィの姿が見えたが、眉間に力を居れ、正常な視界に戻す。
その一瞬の乱視、磨り硝子のなかで僕は、ひときわ輝く破片のようなものを見つけて、僕はそれをアイスの溶け出しているアスファルトから拾い上げる。
ピックだった。飛び散ったアイスが軽く付着したピックを僕は捨てることが出来なかった。
何してるの?ねえ、汚いから捨てなよ。
僕の腕を掴んで、待ち合わせにやってきたダイアナがべたべたしているピックを見て、ねえ待ち合わせ、スーパーの前じゃなかったの?なんか投げてる仕草して目立ってたからさあ、すぐわかったんだから。
僕はダイアナの顔を見て、ああ、ちょっとやさしい歌を、と言いかけてから、やめた。
え?歌がどうしたのよ。
なんでもないよ、さあ、ダイアナに思いを寄せた男が待ってる、行こうか。
僕はピックをポケットに忍ばせる。
そして僕たちはシャワーの飛沫のような埃を撒き散らす掃除婦の横を通り抜けて、電車に乗るための階段を上がり始めた。