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歩調の速い先輩を小走りで追いかけながら帰路を歩く。少し追いついてはまた離れて。追いついては、離れて。いつもは1人だったり、友達と歩くこの道程。その前方に先輩がいるっていう事実が、私に妙な高揚感を与えている。
ただ追いかけているだけでも、目の前に対象がいるのだから今までと全然違う。それだけでテンションは上がって、どこまでも頑張れそうだけど……実際の私は、その繰り返しに息が切れ始めていた。
「トロくさ」
「と、とろくさ!?」
息を乱して立ち止まる私の前まで数歩戻ってきた先輩が、私を見下ろして言う。
「もうちょっとまともに歩けよ」
「いや、先輩が早すぎなんですよ!」
「俺は悪くない」
「はいぃ?」
私の妄想が美化しすぎてたんだろうか? 優しいと思い込んでいたはずの先輩は、どうにもこうにも厳しい。けど――
「ちょっとだけ、あわせてやるから。ふらふらせずに普通に歩けよ」
やっぱり、優しい気もする。でも、なんで一緒に帰ってくれてるんだろう……?
ふと今さらな疑問に気が付いた。
無言で歩く時間が過ぎて駅が見え始めたころ、その疑問に通じるようなことをようやく先輩が口を開いた。
「お前に、言いたいことがある」
「……はい」
「誤解だ」
「は?」
「そのために、一緒に帰ってやる」
??
はてなが頭を駆け巡りながら先輩を見るも、先輩の目は正面しか向いていない。言われてることは意味不明で、それなのに先輩はその続きをなかなか言わない。
何なの一体? と思いながら、辿りついた改札を潜って電車に乗り込むと、先輩は私を席へ座らせて私の正面に立った。なんか、この距離ってドキドキする。
ドキドキし過ぎて顔があげられなくて、膝上に乗せた手をグーパーしながら見つめた。なんだか指先がピリピリしてくる感じ。独特の緊張感で身体が固くなる。
そんな状況で一駅過ぎたころ、ようやく先輩がはぁ……と息を吐いて、沈黙を破った。
「俺さ、パイン飴別に好きじゃないから」
「へ?」
「ついでに言うと、コロッケパン派」
「はいっ!?」
いきなり切り出された話に目が点になりながら顔を上げると、先輩は気まずそうに窓の外を見ている。
「お前が何をどう解釈して俺の好みがそれと思ったかしらねーけど。違うから」
「嘘……」
「嘘つく意味、ないだろ」
「確かに」
1年以上、先輩がそれが好きだと信じ続けてきて、それらに縋ってきた私。それなのに、それらを全否定されてしまえば、目も当てられない。
衝撃の事実に、私の心は崩れそうになる。ユラユラ揺れる体に沿うように、心もぐらぐら揺れる。
どうしていいのか分からなくて戸惑う私をよそに「降りるぞ」と駅の到着のアナウンスに合わせて、先輩が声を掛けてくれた。
「どっち方面?」
改札を出ると、先ほどの真実を打ち明けてくれた時と何ら変わりない様子で尋ねられた。でも私は動揺が収まらなくて、無言で指で示した。
「良かった、通り道だ」
何が良かった、なのか。私は全然良くない、と思ったけれど、先輩は幾分か和らいだ表情を見せて、ふっと息を抜いて少し笑ってくれたような気がした。
「送ってく」
「……え?」
「行くぞ」
先輩はまたも私を置いてけぼりにして歩きはじめた。すぐに信号で立ち止まると、先輩はまた息を吐く。
もう、どうしていいか分かんなくて私の頭はぐちゃぐちゃで。そもそも憧れ過ぎた先輩と並んで立っているこの状況だけで、パニック寸前だった。
だって思い出したからさっき。電車で見上げて、先輩が外を見るその瞳が――あの頃と同じだって。
見た目が少し変わったけど、先輩は変わってない。それが、嬉しくてやっぱり好きだって思っちゃったから。
隣に立って、すごく意識した。だけど、ドキドキと高鳴る心臓を無視して先輩は話しかけてくる。
「お前さ、どうしたいの?」
「え?」
「俺は……どうしていいか、困ってる」
先輩のストレートな言葉に、ズキリと痛みを感じて顔を上げると信号が青になった。
――困ってる。
その言葉が痛い。私の気持ちが迷惑だって、そういうことだって思うから。やっぱり勢いで意味分かんないままに言うもんじゃないなって、ずきりと胸が痛む。
ギュッと手に力を入れて鞄を握りしめながら、先輩の2歩後ろついて歩いた。
何も言葉にできず、ただ黙って。それに先輩も……それから何も言わなくなって、私たちはまた黙って歩いた。これじゃあ、一緒に帰ってるとは言い難いくらいに。
もうすぐ家の近くだなってところで、先輩が立ち止まって振り返った。
近づいた私をじっと見下ろして、また息を吐く。
――私、そんなに困らせてるの?
だったら、それは辛いな……って思った。先輩は態度が変わらないって思っていたけれど、違う。何度も息を吐いて気持ちを落ち着けようとするような、そんなそぶりを見せている。きっと私のせいで、無駄な気遣いをする羽目になって困らせているんだ。
そう感じてしまえば、余計に自分のしたことを反省してしまう。だって自分に置き換えて考えてみたら、私だって困るからだ。知らない後輩に、好きだったとか言われて。おまけに自分の好物でもないモノを好きだと思い込んで、食べてたなんて言われたって。どうしてあげることも出来ないし、場合によっては怖いって思ってしまうレベルだ。
私って迷惑かけてた上に、気持ち悪い奴なんじゃないの? なんてことまでグルグル思い始めたころ、私の想像とは裏腹に、先輩はふっと力を抜いて笑った。
そしてまた私の頭に少しだけ力を込めて手を乗せ、私の視線を無理矢理下げさせた。
「ちょ、せんぱっ」
「俺、嬉しかった」
「え?」
「花も、……今日の、ことも」
「え、っと……」
――嬉しかった? 気持ち悪いの間違いでなくて?
予期しなかった感想が告げられて、私はまたオロオロする。先輩の顔を少しでも見たいのに、ぐっと頭を押さえられていて、先輩の靴先を見るくらいしか出来ない。
妙に浮かれてしまうような、落ち着かない高揚感に包まれて、私はそわそわしてしまう。けれどそこへまた、バッサリと続きの言葉を落とされた。
「けど、だからってそれ以上の答えがない」
「……」
「意味、分かるか?」
分かるような分かんないようなその言葉に、何と言っていいか分かんなくてじっと靴先をを見つめると、先輩の手が離れた。自由になった頭をそっと上げていくと、私の瞼の裏に残る――先輩の困ったような笑い顔が見えた。
「嫌いじゃない、葛西のこと。それしか言えない」
先輩はそれしか言えないって言うけれど、私はその言葉に涙が出た。