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教室に戻って、担任とのあれこれのセレモニーが終わった後、写メ大会が始まった。
自分からは積極的に声はかけないけれど、あちこちから声を掛けられて、コレでもかと言うくらいに写真を撮られた。撮ったらすぐに、クラスのラインにアップされて、教室のあちこちから同じ着信音がピコピコなって煩いと思ってしまう。
そんなことにちょっとばかり憂鬱さを感じつつ、迫ってきた卒業感から逃げるように廊下に目を向けた。
そう言えば――あいつを始めて見つけたのは、廊下から自分の席を見た時だったな、と懐かしいことを思いだす。本当に嫌になるくらい、自然に友香のことをあれこれ思い出してしまう。
そんな自分に無意識に苦笑していたら、肩に腕をかけて引き寄せられた。こんなことをやってくるのは、間違いなく……進藤だ。
「なぁんだよ西村! 卒業なんて興味ねぇとか言ってたくせに、しんみり顔じゃね?」
「んなことねぇよ」
素っ気なく答えると、今度はむぎゅっと頬を抓られる。
それに鬱陶しい気持ちを隠しもせずに顔に表わすと、にやにやしながら耳元でこそりと囁かれた。
「友香ちゃん、そろそろやっちゃった?」
―――!!! こんの、クソボケが!!!!
「するか、ばぁあああっか!!」
ごすっと音が鳴るほどに、全力で腹にパンチを入れると、進藤がワザとらしくぐぇっと言いながらよろけた。いきなりの暴言と暴力に、騒ぎ立っていたクラスがシンと鎮まる。
それに慌てて、わざとらしい咳払いをすると「ごめん、何でもない」と言い置いて、慌てて教室を出た。
一応、解散と言うことになっているわけだし、もう帰宅しても良い段階にはなっている。
何となく教室には戻りにくいし、進藤のアホと会話もしたくない。
大体アイツは分かってない。俺と友香は付き合ってもないし、何でもない。ただの先輩と後輩なわけだ。
それもとびっきり仲良しでも何でもなく、メールしたり、たまに会ったり、たまに話したりする、そんだけの関係なんだ。
そんな言い訳を心中でしながら、ふと立ち止まった。
――それは普通、なのか?
胸の中で、ふと問いかける。果たして、今俺が羅列したのは、普通なのだろうか?
普通だと言うやつもいるだろう。でも俺は? それは、俺にとって……それは普通なのだろうか?
そんな疑問に取りつかれて、廊下で呆然と立ち尽くす。いや、こんなやりとりはもう、脳内で何十回とやってきた。それこそ友香に出会ってから、ずっと何度も、会うたびに。馬鹿みたいに自分に問いかけてきた。
そしてその度に俺の回答は出ないまま、忙しいから又にしよう。今答えを出さなくてもいいだろう。
そうやってずるずる答えから逃げてきた。でも今日は――今日を逃したら。
卒業の今日を逃したら、俺はいつ考えるんだろうか……
そんなジレンマに囚われだした瞬間、まるで俺を救い出すように「尚人先輩?」と呼びかける声が、顎の下あたりから聞こえてきた。見下ろすとそこには、もうすっかり見慣れてしまった友香の顔があった。
さっきとは違って、どこか気の抜ける、ぽわんとした笑顔が浮かんでいる。
そう、これが友香。俺の知る友香。
そう思って、強張っていた表情が溶けてついこちらも緩んだ顔をしてしまった。
「先輩。いいことありました?」
「いや、別に」
「そう? あ、やだ、何言ってんだ私。ありましたね、いいことっ! 卒業、おめでとうございます!!」
「あ……あぁ。……ありがと」
ありがとう。そう言いつつも、また靄がかかった。いいことなのか、卒業は。
お前、さっきまで泣いてなかったっけ? 俺がいなくなるから寂しいって、あれ、泣いてたよな?
「お前、いいのかよ」
「え?」
「卒業、やだって」
「えと、それは、その……」
「嘘だったのか?」
言いながら、自分が気持ち悪かった。俺は何を言わせたいんだろう。友香が嘘なんて吐くはずがない。
俺の卒業が悲しくて、もう何度も学校で先輩を見る確率が0%なんて、寂しすぎると言われてきた。
そしてその度に俺は言ったんだ。
――元々、0パーぐらい学校では会ってないから、一緒だろうって。
でもそれは、本当に一緒か? 俺だって、友香を見かけるだろうか、すれ違うだろうか、と学校で思ったことはないのか?
「嘘じゃ、ないもん」
「もんってお前。小学生かよ」
「だって、だってぇぇ……そんなこと言われたら、泣いちゃいそ、だからっ」
いっぱいいっぱい、涙耐えてますって声音で答えながら、スンと鼻を啜られて、堪らなくまずい気持ちになった。どうしていいのか分からない。答えも何も出ていない。
それなのに、心臓が冷えていくような、指先が凍っていくような、どこか緊張したような気持ちになって、表情が固まる。
けれど、そんな俺には気づかず俯いてしまった友香は、指先を下まぶたにぎゅうぎゅう押さえながら、震える唇を噛みしめていた。それに遅れて気が付いた俺は、無意識で友香の指先を握っていた。
深く考えもしなかった。ただ、そんなことをしたら目が痛くなるだろう、そんな気がした。
「せんぱ」
「目、痛くなるだろ」
「だいじょぶ、私こんなの、しょっちゅうだし」
えへへ。そう馬鹿みたいに笑う友香。
笑いながら、やっぱり寂しいですね、と零したのにつられて耐え切れずに腕を引き寄せた。
「はぅわぁあっ」
びっくりして固まる友香を余所に、引き寄せてしまったが最後。
後戻りできなくなった腕が、友香の背中に勝手に回って、ギュッと抱きしめた。
――いや待て、俺待て。なんで、こうなった?
脳内会議を行うのに、混濁して答えまで出せない。
けれど身体は勝手に動いて、友香の頭に顎を乗せて、ギリギリまで引き寄せてしまう腕が止まらない。
「友香」
「ひゃ、ひゃいっ」
裏返った声で答える友香に苦笑しながら、泣くな、というと無言で頷かれた。
その時にふと、思い出す。卒業と言えば、3年前――俺は彼女から花を貰った。それを返せずに、再会したあの日、俺はシャーペンを渡したんだ。そしてそのまま今日まで来て、俺の腕には彼女がすっぽり収まっている。
なぜだ、どうしてこうなっている。
やっぱり何かがすっきりしないのに、俺はもう頭が馬鹿になっているのだろう。無意識に右手が友香の頭を撫でていた。
「先輩。ど、どうした」「煩い」
戸惑う友香を黙らせ、友香の頭の上で考る。でも考え付くのは、ただ、何と言うか――この腕の中に居るすっぽり感が、存外悪くないってことしか浮かばない。
さて、西村尚人に問う。
これは、普通か? 普通なのか?
「卒業……嫌、ですか?」
煩いと言ったせいか、遠慮がちに尋ねる声が、もそもそと聞こえてきた。友香の方も、どうしたものかと戸惑っているのかもしれない。けれど、戸惑い度数で言えば、俺の方が上に決まっている。
――だって俺は、答えを持っていないんだから。