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好きと言えるその日まで  作者: 桜倉ちひろ
鈍感力の行方
16/19

 「卒業生、入場」

 いつも陰気で暗いイメージの教頭が、今日は背筋を伸ばして凛とした声で読み上げたセリフに、あぁ教頭ってこんなだっけ、と場違いなことを思った。

 その分他のみんなより一歩出遅れて、後ろの奴から西村おせーぞ、と急かされた。わり、と一声告げてから、重たく感じる足を一歩踏み出す。

 なんでだろう……あんなにどうでもいいと思っていたのに、今になって卒業が嫌だなんて気持ちが込み上げてきた。それでも今、逃げ出せるわけでもないことは百も承知なわけで、俺はカクリと力の抜けそうになる膝に力を込めて出した一歩に体重をかけた。

 常にはない踏み心地。

 体育館いっぱいに敷き詰められた、薄いエメラルドグリーンは、昨日後輩たちが用意したものだろう。ギュッと上靴と擦れる感触が、いつもと違って少し不快だ。まるで、うっかりガムを踏んでしまったかのような気さえする。あの時の、やっちまった、って感じがして余計に嫌気が差してきた。

 厳かな雰囲気。響いてくるのは幾度となく聞いたことのある、ありきたりななんちゃら交響曲とかいうやつだろうか。卒業式だからって、そんなに一生懸命雰囲気ださなくてよくね? とか馬鹿な言いがかりまでつけたくなってきて、どうしたよ俺、と自分で自分を問いただしたくなった。

 そんなことを思って漫然と歩いていたら、2年の座る場所を横切っていた。

 何でだろう。もう、いつからか分からないけれど、直ぐに見つけられるようになった子が、卒業する筈の俺よりも先に涙ぐんでいる。

 ――馬鹿だな、お前が卒業するんじゃないだろうが。

 そんなツッコミをいれたくなるけれど、こんな空気の中そんな軽口を叩けるはずもない。

 『泣くな、ばか』

 口パクでそう伝えたら、多分だけど伝わった。それなのに、目尻で止まっていた涙がポタリと落ちてしまったようで、失敗したと思った。あーあ。もう、何で泣くかなアイツは。俺一人、いなくなったところで学校生活困らないだろうが。

 そう思うのに、泣き顔を見せる友香にどこかホッとしている自分もいて、そんな自分に苦い気持ちを抱いた。



 思い返してみても、妙な関係だった。

 始まりは友香の意味不明な告白だ。付き合いたいとかそんな気持ちもなく、ただ勢いで告白してしまったと言う友香。聞けば中学のころから俺を好きでいてくれたと言う。

 正直、自分で言うのも悲しいものがあるけれど、そうそうモテるようなタイプでないことは自分が一番分かっている。

 理由の一つは言葉が足りないところ。特に愛想が良くないところ。加えて女子と喋るのが面倒だと思っているところだ。別に嫌いなわけじゃないけど、きゃあきゃあと高い声だとか、状況を見てさらりと態度を変えるところだとか、なんだかそんな女子の態度が突然怖く思えた。

 誰かと付き合ったりだなんて考えたこともなかったし、ダチとつるんでる方がよっぽど楽しい。

 中学は野球に、高校は……ただ野球から離れたいと思って過ごしていた。

 野球は嫌いじゃない。小さいころから野球に熱い父親がリトルリーグなんかに入れてくれて、それこそ野球漬け。中学も同じくで、ひたすら野球野球で打ち込んできた。

 でも打ち込んできたから分かる。俺の限界はこの辺なんだろうって。甲子園への熱意も湧かないし、実力の差ってのはドンドン見えてくる。

 真面目な性格のお蔭で、中学は副キャプテンなんてものに顧問が選んでくれたけれど、俺には荷が重すぎるポジションだった。

 だから高校生活は、野球から少し離れようと考えた。ただそれだけのことで、この学校を選んだ。

 ……選んだ、のに。

 こんな俺を追いかけてやってきたという友香に、最初は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 おまけに野球をしてる俺がかっこいいだとか言う。正直、その言葉に腹だたしく思ってしまったのも本音だ。どれだけの想いで、俺が野球部を捨てたと思っているんだと。そう言ってやりたくもなった。

 だけどそう言わせなかったのは、やっぱり友香だからと言うべきか……ストレートに、野球をしてる姿が良いと言ってくれるのを聞いて、何か胸に残っていたモヤモヤがストンと腹の奥に落ちた。

 そうか、俺別に野球を捨てなくてもいいんだなって。強くもない奴は、辞めるしかない。そう依怙地な気持ちで、野球も出来ない環境に自分を追いやった。でも、別に趣味でやったりとか、そういうのはいいんじゃないかって。そうやって割り切ることが出来た。プロじゃない人間も、野球をやっていいんだって。

 その気持ちになったのは、先輩同士のしょうもない対抗試合に駆り出された時だった。

 常々追いかけてくる友香を誘って参加した、あの野球。卒業してから何度か誘いを受けていたけれど、ずっと気持ちが乗らなくて、参加しても試合には出ないなんてことも多かった。

 でも友香が一生懸命応援してくれて。タオルくれたり、弁当用意してくれたり。それがすごく楽しそうで、なんだ、普通に楽しめばいいんだってようやく気づいた。

 きっと普通の奴が普通にそのことに気が付くのは、俺みたいに時間がかかることじゃないと思う。

 でも好きだからこそ、何年も続けてきたからこそ、プロか辞めるかの二択しかなかった。だから、そうじゃない道を受け入れることが出来たのは――本意ではないけれど、友香のお蔭としか言えない。

 それは十分に分かっている。分かっている、けど――



 「只今より、……」

 全員が着席したのを確認して、教頭がまた卒業式の始まりを宣言した。それだけで、体育館内いっぱいに緊張した空気が流れる。いつもふざけてばかりの奴らまで黙りこくって、きりっとした表情を見せるのを見て、自分の顔も引き締まった気がした。

 幸い、高校にもなれば、答辞を読む代表者や生徒会長ら以外には出番はない。卒業証書も一人一人手渡されることもなく、ササッとすましてもらえる。ただ黙って1時間くらいをやりすごせばいいだけ……なんだけど。

 なんだか、背中に刺さる視線が痛いような……気がしても振り向いてはやれない。


 結局、後ろのアイツが気になって、俺は卒業式に集中出来ずに1時間を過ごした。

 「卒業生、退場」

 始まった時より、少しばかり鼻声になった教頭先生の声に気が付いて、終わりを感じた。確か教頭は、着任以来初めての卒業式だったか。あんまり接点もない気がしたけれど、感極まるほどのものがあったのかと思えば、余計に卒業の文字がまるで他人事のように思えてくる。

 けれど――ったく、お前は卒業生じゃないだろ!? とツッコんでやりたくなるほど、俯いて泣いている奴が目に入った。俺が1時間ずーっと視線が気になってしょうがなかった奴だ。

 『友香っ』

 声には出さず、口パクで呼びかけてやれば、ぶんと顔を上げた。

 アイツ、超能力でもあんのか?

 パッと顔を上げた友香と目が合うと、俺は苦笑いを浮かべた。けれど、あいつは嬉しそうに笑って、小さく胸元で手を振った。その顔が妙に大人びて見えて……俺は少し胸が痛い。

 ――お前さ、そんな笑い方すんなよ。

 友香の笑い方はもっとアホっぽい。それで、一気に脱力させるような、そんな相手の毒気を抜くような笑いなんだ。

 でも今のあれは……切なくて、痛い。

 溜め息に変わりそうな吐息を飲みこんで、フイと友香から視線を外した。

 もう見ていられない――それが正直な気持ちだった。

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