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――やっぱりな。
思った通り、葛西は落ち込んで地面にめり込んでいた。どうしてこう、コイツって分かりやすいんだ?
しかもいつも通りに石を蹴って、足を痛めたみたいなオマケつき。俺は別に、コイツのことが分かるエスパーになんかなりたくないのに……葛西のことは、なぜだか分かってしまう。
そんな自分に苦笑いしつつ、周りを見渡して足を止めた。
「ここで、いいだろ」
公園にある、どおってこともないベンチの上にドスンと葛西の荷物を下した。ほんと、何入ってるんだ? ってくらいに重い。パッと手を放すと、葛西が慌てて鞄に走り寄り、俺に向かって頭を下げた。
「すみません、なんか、こんなとこまで」
「……別に」
「えと、あの……」
この期に及んで、どう切り出すか悩んでいる葛西。ほんっとバカだなって、思いながら俺はドカッと遠慮なく腰を下ろした。
「早く出せよ。腹減っただろ」
「あ、はい……っ」
バタバタと葛西が持ってきたお弁当を広げて俺に差し出してきた。弁当に、水分補給用の飲み物に、はちみつ漬けレモンなんてものまで用意して。一体、コイツの野球観戦ってどういうもんなんだろうって疑問に思ってしまう。けど、不思議とこれら全部、俺のためにしてくれたのかと思うと、素直に嬉しいと思った。
「コレ、おいしいですか?」
「ん、んまい」
「よかったぁ」
旨い、くらいしか返事のしようがなくて、気の利いた言葉も何一つ発しない俺の言葉に、いちいち喜ぶ。その表情が、今日一番嬉しそうで……俺は――これが、見たかったんだ――って気が付いた。
どうしたらいいのか分からなくてずっと考えてたのに、こんなに簡単なのか? って思う気持ちと。だけど、こんな……葛西が笑ってるだけで堪らなく嬉しくなる自分の気持ちとで、俺はなんだかわけが分からなくなった。
―――こいつは、俺にとっての、なんだ?
*
なんだかよく分からないけど……先輩が、今目の前で「うまい」って言いながら、私の作ったものを食べてくれている。行かなくてよかったんですか? って聞くと不機嫌になったから、もう聞くのは止めた。先輩が判断したんだから、居ていいことにしよう。
ちょっとだけ。あと少しだけでいいから、独占したい――なんて思うのは、いけないこと?
ずっとなんて言わない。今日、あと少しだけでいい。
ただの学校の先輩後輩。私と尚人先輩の間にはそれしかないけれど、でも私にはそれだけで十分だから。
中学から憧れていた、形は違うけどマネージャー気取りも実現できた。その気分をあと少しだけ……そうしたら、またいつものそっけない関係に戻るから。
――あとちょっと、隣にいる時間を独占させて下さい。
そう思いながら、ゆっくりと瞼を閉じてその時間に浸ろうとしたとき、先輩から不意に質問が飛んできた。
「お前さぁ、石蹴るの止めたら?」
「石?」
「そ、石ころ。今日も蹴ってただろ」
「う……」
さっき痛めた親指を思い出し、なぜか今頃痛い気がしてきた。
「あんなもんで怪我するなんて、お前くらいだろ」
「う……はい。あ、でもね」
「何?」
「いや、やっぱいいです」
蹴った石が当たって『あれ、もしかして』……って、展開を期待してるんだけど、それを他人が聞くと私って単なるバカじゃないかって気が付いた。よくよく考えたら、私と先輩は出会ってるんだから、そのシチュは実現不可能だ。今となっては癖みたいなものになってるわけだし。でも、このややこしい話を先輩にうまく出来そうにもなくて、私は口を噤んだ。
そんな私の横で、ふぅーっと息を吹きながらベンチに深く腰掛ける先輩。ふと、今の私たちって周りから見たらどう映るのかな? なんてニヤニヤしながら想像しちゃったけど、そんなことしてたらお前バカだろって言われそうな気がして、慌てて口元を手で覆った。
それでも嬉しい想像が止まらなくて、ふふって笑ってしまうと、横から怪訝そうな顔で見下ろされる。でも瞳がぶつかって、また私の頬は緩むだけだった。
*
葛西はやっぱりおかしなやつだと思う。
大体のことは何考えてるか想像がつくけど、時々ニヤニヤしているのは見当が付かない時が多い。
「何?」
「べ、別に、何もっ」
やっぱ、嬉しそうだ……まぁ、いっか。ベンチの背に両手を広げて空を見上げると、綺麗な青が広がっている。こんな青空の下、葛西と並んで座ってるなんて一年前の俺には想像もできなかった。
けど――今のこの状況を、俺は嫌じゃない。
……もう、薄々気が付き始めている。俺のこのイライラは、先輩として許される独占欲の範囲を超えてきたから起きていることだと。それをこいつが大きく受け止めているから成り立っているだけで、それが傍から見て許されるのか? といえば、もう無理が生じている気がするってことも。
それでもまだ手を伸ばすには躊躇する。
まだ、もう少しだけ。今の関係を崩さずにいたい。
認めたい気持ち半分、認めたくない気持ち半分。どんどん葛西に引き込まれていく自分が怖くなってきていることに、俺は気が付いてきている。ただ怖いんだ、関係が変わるのが。それが葛西を苦しめている気がするけど、もうちょっとだけ我儘を許してはくれないだろうか。
俺は多分、きっと、近いうちにコイツを――友香を。
「行くぞ」
声をかけて俺が立ち上がると、慌てて鞄に荷物をしまう葛西。いつもドタバタしてて、嬉しそうにしているコイツが……俺は、嫌いじゃない。むしろ――
立ち上がって準備できましたって顔で立つ葛西を見て、俺は一息吸ってから手を差し出した。首を傾げて、一瞬不思議そうにしてからおずおずと手を出す葛西に、フッと笑ってから手を伸ばして掴む。驚いた顔を見せてから、今度は顔を赤くする葛西に俺はまた笑った。
――好きだって、言わされるんだろうな……
そんな日が、遠くない気がする。俺は、まんまと葛西に嵌められているから。だけど、多分認めたら最後で、ずっと言わされ続けるような気がして、俺はまだその言葉を封印する。
――いつか俺の方が、葛西の気持ちを超える気がするから。
だから今くらい、理不尽な独占欲をみせても許してくれるよな?
「荷物寄越せ……友香」
「へっ……!?」
「遅ぇよ」
「は!? え、えぇえ?」
訳が分からず慌てふためいている友香に苦笑しながら、無理矢理荷物を奪う。そうしたら友香は、ビックリした表情の後に満面の笑みを浮かべて言った。
「先輩、やっぱり石ころ蹴ってもいいですか!?」
「はぁ?」
やっぱりコイツの回路はよく分からない。けど、来年、再来年、その先――俺は、分かるようになるのかもしれない、な。
一先ず今晩のメールは、おやすみだけじゃなくて『また弁当作れよ』って送ろうと思う。
多分、いや絶対。コイツは満面の笑みを浮かべて、ハイって返事をしてくれるだろうから。
(fin)
25.1.22
26.12.6 転載完了