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デリート  作者: 和貴
9/12

第9部 再生

 

 ニアが再び目を覚ましたのは、あれから三十七時間後だった。

 アーヴィンがニアに使用したミューズ社製の細胞再蘇生液程の効果は無いが、それでも治療の甲斐あって、傷は外見上殆ど完治していた。

 アーヴィンも、傷の痛みこそまだ取れてはいなかったが、外見上元通りになっている。

 ニアの意識が戻って来ている事に気付いたアーヴィンは、パソコンの画面から眼を離して椅子から立ち上がった。ずっとニアの傍で彼女の様子を診ながら、失ったクルーザーのA・Iチップを修復していた処だった。


 ふと、ニアが目を覚ます気配を感じ、アーヴィンは手を止めて立ち上がる。

 ベッドの脇に立ち、ぐっとニアの顔を覗き込む。

「おーいニア、涎出てるぞ」

 その声に、ニアの意識よりも早く右手が反応した。が、そこにはアーヴィンの顔は無い。

「なっ、またアンタなの?」

 ニアの声は、初めて会った時と同じく、毅然としたものだった。寝顔を見られて、ニアは赤くなって怒り出す。

「……? 涎なんか出てイナイじゃん」

 慌てて口元を拭うと、口を尖らせてアーヴィンを睨んだ。

「冗談だよ。残念だったな、俺で」

 心配してずっと付き添っていたのに、ニアからつれない態度を取られてしまい、心配して損をしてしまったような気がする。

 ムッとなったアーヴィンを余所に、ニアは病室内を珍しそうに見廻すと、頭上にある自分の患者名のカードを見付けた。

「何コレ? タニア・オースティン? ニアが? ニアこんな名前じゃな!うぐぐ……」

 大声で騒ぎ立てるニアの口を、堪り兼ねて手で塞ぐ。

「勘弁してくれよー。事情があっての事だから」

「んぐぐ?」

 アーヴィンの大接近で、ニアは一層真っ赤になって手足をばたつかせた。自分から寄って行った分には構わないが、相手から近寄られると妙に彼を意識してしまい、胸の動悸が止まらなくなる。

 騒ぎに気付いた看護師がやって来た。

「まあぁ、タニアさん! 気が付かれたのね? 良かったわぁ。お兄さんもご安心されたでしょう? 待っていてね。今、ドクター呼んで来るから」

「へっ? お兄さん?」

 きょとんとする。

「ニアがなかなか起きなかったからさ。投薬ミスだって大騒ぎになった」

「ふーん。で、どうして此処にずうっと居る訳? お兄様。って、どうして兄妹なのよう」

 ニアは不満そうにアーヴィンを睨み付ける。

「別に。文句を言わない。お前には俺の大ぁ~い切な商売道具をダメにして貰ったからな。いやぁ~、眼が覚めてくれて良かったぁ。起きてくれなきゃどうしようかと思ったよ。はい、これ請求書」

 アーヴィンはにっこりと作り笑いをして、ニアの目の前にカードを差し出す。

 今度はニアがムッとなった。

「こうゆーのって、架空請求とかってゆーモンじゃないの?」

「冗談言わないでくれ。こっちはボランティアじゃないんだ」

 暫くの間、お互いが譲らずの状態になるが、言い合いはドクターが来た事で中断された。


 処置後、先に口を割ったのはニアだった。

「えーっと、アーヴィンだったっけ? ニアの事助けてくれたみたいだからお礼は言っておくね」

「って、タメ口かよ? それに、「みたい」って何なんだよ?」

 アーヴィンがげんなりして、揚足を取る。

「で、この請求書渡すためだけに、ずっとここに居たの?」

「あ? ……ああ」

 軽く咳払いをして、視線をニアから外す。

「あ、今間があった」

 ニアは上目遣いでアーヴィンを指差した。

「茶化すな」

 彼は背を向けた。そして、躊躇いながら言葉を選ぶ。

「お前、今迄の事覚えていないのか? その……もう一人の事も?」

「……ううん。覚えているよ。ちゃんとね」

 部屋の隅に置かれたサーバーから、コーヒーを淹れようとしていたアーヴィンの手が止まる。

「だって、あのままでもマックはきっと助からなかったよ」

 ニアの口調は穏やかなものだった。

 別れる間際まで苦しそうにしていたマックの表情が脳裏を過る。

 ニアは思い通りにならない身体に顔を顰めながら、ベッドから降りた。足を軽く引き摺り、壁伝いに窓際へ寄って行く。

 アーヴィンはその場に佇んだまま、黙ってニアを見守った。

「それに……それにね、戻って来たよ。ニアの所へ」

 窓の外は漆黒の宇宙空間が広がっている。室内の照明を反射して、ガラスは丁度鏡と同じ原理になり、左右対称のもう一人のニアが、ガラスの向こう側に映って居る。

 ニアはガラスに映った自分の顔をじっと見詰めた。そして、ガラスにこつんと額を寄せる。

「……」

 アーヴィンには、彼女へ掛けて遣るべき言葉が見付から無かった。実際にマックと会った事は無かったが、バーチャル映像で見た二人の姿は、男女の区別すら他人には困難な程、余りにも似過ぎていたのだ。その為ガラスに映ったニアと、本物のニア。一瞬、どちらかがマックであっても不思議ではない錯覚に囚われてしまい、アーヴィンは困惑した。

 注いでいたコーヒーが、カップから溢れる。

「あちっ!」

 慌てて手を引っ込めた。

「ま……まぁな。それで自分に区切りがつけられるのなら、それもありか?」

 毀れたコーヒーを拭取りながら振り返ったアーヴィンは、そこで釘付けになった。

 ニアの肩が震えている。

「って……区切りって、どういう事? ……マックの事、忘れろって言うの? ムリだよ。そんなのムリ……忘れようと思っても、こうやってニアの姿が映っちゃうとその度に思い出しちゃう。ニアの顔を見る度に思い出しちゃうよ! ……うううーっ」

「ニア……」

 気不味くなった。が、すぐに入口の外に現れた新しい気配に気を取られる。

「あー! 泣かしてる。いけないんだ!」

 いきなり入って来た一五、六歳の金髪の少女に指を指されて、アーヴィンは一瞬うろたえた。

 緩く波打った長い金髪と、パッチリとした碧い瞳に長い睫。均整のとれた体型に洗練されている立ち居振る舞い。アーヴィンは彼女に見覚えがあった。

 彼女がティファだと理解したアーヴィンは驚いた。

 自分を見詰めて立ち竦むアーヴィンにチラリと視線を投掛けると、彼女は形の良い眉を顰めた。

「あ? 貴方、グレネイチャ……なの?」

 グレネイチャがどうして此処に居るのだと言わんばかりに不思議そうな顔をする。どうやら彼女にはアーヴィンとの面識は無いようだ。

 それは、アーヴィンが過去に幾度となく他人から投掛けられて来た視線だった。彼はやんわりと、彼女の蔑むようなきつい視線を受け止める。

 彼の様子を知ってか知らずか、彼女はアシスト・ロボットに体を支えられながら、ニアの傍へとぎこちなく歩を進めた。どうやら、今回の事故に巻き込まれて両の手足をバイオノイド化したばかりらしい。

「ニアちゃん私よ。エルフィン」

 そう言って彼女はニアの肩をそっと抱き寄せた。

「ごめん……ごめんね。護ってあげられなかった。ずっと傍に居たのに……」

 長い金髪がさらりと音を立てる。

 看護師から既に聞いてはいたが、ニアにはどうしても信じられなかった。寧ろ、皆の言葉を信じてマックを自分の中から消してしまうのが怖かった。

 エルフィンの優しい温もりがニアに伝わって来る。

「……どおして? ニア、さっきまでマックと話していたんだよぉ? 何で? 皆はマックが死んじゃったって……どおしてそんなヒドイコト言うの?」

 エルフィンに抱き留められて、今まで張り詰めていたニアの何かが切れた。

 ニアは大声で激しく泣きじゃくる。

「……」

 アーヴィンとエルフィンは思わず互いに顔を見合わせた。

「ショックの余り混乱して事実を認めないでいるのね」

「多分な」

 彼の相槌にエルフィンははっと我に返り、慌ててそっぽを向く。

 アーヴィンは席を外そうとして踵を返したが、歩み出すことは無かった。ドアの向こうで、三島が眼を細めて立っている。



「まだここに居たのか? お前の事だ。もうとっくに居なくなっているものだと思っとったよ」

「そうしようと思いました……いえ、今でもそう思ってますよ」

 アーヴィンは両手を組んで思いっ切り伸びをする。

「だが、お前は此処に居る。もう逃げんという事か?」

 三島は一層眼を細めて誰にとも無く頷いた。

「チョッと話が違ってはいませんか?」

 アーヴィンは咎めるような眼で三島を睨み付けた。

「何が?」

「惚けないで下さい。彼女はノースグラントのエージェントなんかじゃない。表向きだと仰っていたのは此の事ですか?」

「知っていたのかね」

「知っていた……って、何言っているんです? 彼女は軍の人間とは似て非なる人物だ。水と油関係の連邦にどうして彼女が……一体、何を考えているんです?」

 三島は穏やかに笑った。

「テロリストのティファがミューズの船に乗っていたんですよ? 自分達と一緒に!」

「そうだ」

 あっさりと認める。

「事を起こされなくて良かった……知らなかったとはいえ、一歩間違えれば自分も巻き添えですからね」

 無意識にシャツの袖口で汗を拭うアーヴィンの喉が鳴った。

「彼女は既にミューズからマークされていた。要注意人物ではなく、別の目的でな」

「アレだけの容姿だ。逆に目立つでしょう? ……今思えば理由はどうであれ、マークしてくれていたミューズに感謝すべきですね」

「そうかも知れんな。だが、今は違う。彼女がそうであったのは事情があっての事だ」

「判っています。しかしそれとこれとでは……」

「アーヴィン」

 三島は食い下がるアーヴィンを嗜めた。

「……そうですね。自分がどうこう言える立場ではありませんね」

『俺も似た様な者か……』と、アーヴィンは深い息を吐いて前髪を掻き上げる。

「彼女、規格外の軍専用バイオノイド処置をしていますよね? 可哀想に。標準仕様スペックなら、もうとっくに歩けているでしょう? どうするんです? 彼女達を。まだ、答えを貰っていませんよ?」

 よく、細身のエルフィンとつり合う規格があったなと感心する。

「両名とも身柄を一任されておる。ニア・ロディナルに関して言えば、わしよりもお前の方が詳しいのではないかね? 事情はある程度、センターの山崎から聞いておる。お前の事だ。ニアの能力にはもう気付いているだろう?」

「通常の何倍もの反射速度。ですか? 軍の幹部が知ったら、先ず野放しはしないでしょうね。一生ラボ送りとか……全く、獣並だ」

 そう言ってアーヴィンは不用意に口走ってしまった事を後悔した。自分の目の前に居る三島も軍の幹部の一人なのだから。

「どうした?」

「い、いえ、何でも……」

 アーヴィンは三島から顔を逸らせるように振り返ると、抱き合って泣いている二人に視線を向けた。

「彼女達を放っては於けんよ。わしの方で善処する心算だ。一つわしに任せては貰えんか?」

「……はぁ。別に自分が彼女の保護者って訳ではありませんから」

 アーヴィンは気抜けした。自分はニアの事で、何をムキになっていたのだろうかと。

 そして、今度はもの言いたげに三島に視線を投げ掛ける。

「何かね?」

「三島さん、良いのですか? その……」

 アーヴィンは口籠った。後を三島が引き継ぐ。

「わしが越権行為ではないかと?」

 三島は鷹揚に構えている。アーヴィンは黙って顎を引いた。

「お前が心配する事ではない。但し、彼女達が不利になるような取材は差し控えて貰おうか」

「……まさか」

 アーヴィンは暗に否定する。

「お前には……」

「っと、待って下さい」

 アーヴィンは、尚も話を続けようとした三島に片手を上げて遮った。また『あの時の気配』がしたからだ。

 彼はもう一度ニア達へと振り返った。ゆっくりと部屋の中を見回して気配を確認する。さして広くない病室だ。アーヴィンなら、人の気配くらい隠れていてもすぐに分かる。

 互いに抱き合って泣いている二人。ドアの前で立っている三島と自分。アシスト・ロボットは機能性重視の為、人型ではない。なら、この『人の気配』は一体誰なのか?

 アーヴィンの視線は、一面を外壁と併用している硬化ガラスの所で止まった。

「ニアが二人居る……」

 声が上擦った。


  *  *


(マック、ごめん。ニアはもっと優しくしてあげてたら良かった)

 ニアは、マックへの想いが知らず々のうちに懺悔に変って行った事に気付かないでいた。

(いつも宿題手伝わせてごめん。先週の掃除当番入れ替わってニアの分もさせちゃってごめん。学校行く時、起こしてあげなくってごめん。それから、葵さんから貰ったお菓子、全部食べちゃったの)

―(それから?)

(えーと、理紗がこの前マックの事が好きだって告ってたのに、黙っててごめん)

―(理紗って、隣のクラスの?)

(うん)

―(……)

「だから、ごめんって」

 マックの声に責められた気がして、つい言葉が口を突いて出た。

 突然、大きな声で喋ったニアに、その場に居た三人が意表を突かれて注目した。

「ニアちゃん、誰と話しているの?」

 エルフィンが不思議そうに小首を傾げる。

「えっ?」

 ニアははっと我に返った。

 自分のすぐ後ろに誰か居る気配がしていた。すぐ後ろと言っても、ガラス窓があるだけで、人が入れるほどの隙間は無い。

 恐る々振り返る。

 ガラスには怯えた表情の自分と、エルフィン。そして、居る筈の無いもう一人のニアが居た。自分では無いもう一人のニアの目元が引き攣っている。

「だ、誰? ……マック……なの?」

(うわっ、怒ってる。ニアが思い出した事、もしかして解った?)

 ニアは心の中で問い掛けた。

(うん)

 もう一人のニアが、ガラスの中で大きく頷いた。

 ニアは驚いてエルフィンに縋り付いたまま凍り付く。


  *  *


 僕は外壁ガラスに映ったニアの姿と重なり、生前の僕の姿に変化する……と言っても、外見上髪が少し短くなったくらいで殆ど変わらない。そして、丁度水面から出て来るように、ガラスの中から出て来た。

 怒っていた顔が急に緩む。

「ニア、ありがと……僕、還って来れたよ」

 僕は、ニアを抱き締めた。ニアは訳が判らずにそのまま固まっている。

「……マックぅう」

 じわりとニアの瞳が潤んだ。


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