第8話 過去
ニアは意識を失ったまま、医療機器に囲まれて眠っていた。
アーヴィンは黙って銃口をニアに向ける。鈍く重い光を放っている銃口にはサイレンサが予め装着されている。
(本気なのか? なら、何故助けた? 一度までならまだしも……放っておけば確実に手を汚さずに殺せたのに……)
自問する。
(何故、助けた?)
安全装置をゆっくりと外す。そのまま引金を引けば簡単な事だった。
しかし、躊躇いが引金に掛けた手を張り付かせて、動けない。
次第に銃口が小刻みに震え出す。
(ゲームのキャラクターなんかじゃ無い。リセットすれば大丈夫だとでも思っているのか? ニアをまたあの溶液に漬ければ元に戻るとでも、俺は……俺は本気で信じているのか?)
彼の調査が事実ならば、ニアはセンター医療局で実験動物の様に幾度と無く殺害され、蘇生されていた事になる。それとも記憶をダビングされて「ニア」を引継いだ別の「ニア」なのかも知れない。まるでゲームの世界だ。
(馬鹿な……そんな事は無い)
無意識に首を振る。額に汗が吹き出した。
(ニアを殺して終わりにするのか? 不穏要因は何でも消してお終いか? 俺が今まで遣って来た様に、同じ事を繰り返すのか?)
「……違う」
呻く様な声が小さく漏れた。
(俺の手でニアの悪しき連鎖を絶ち切ってやるのか? ニアがそれをいつ願った?)
アーヴィンは首を振った。もう一人の自分に苛まれる。
(自分はどうなんだ? 『グレネイチャ』と呼ばれ蔑まれ続ける自分は?)
(そうさ……こんな思いは俺達だけで十分さ。だから……)
(だから殺す……のか?)
不意に眠っている筈のニアの眼から、涙が溢れた。
アーヴィンの緊張していた何かが切れた。ゆっくりと肩が落ち、銃口がニアから逸れる。
「……ん?」
乱暴に目元を拭かれてニアは眼を覚ました。
「よぉ、お目覚め?」
「……アーヴィン?」
日焼けした様な赤銅色の肌に短い銀髪。吸い込まれそうな蒼い眼の持ち主に見覚えがあった。
そこにはニアが見る事の無かった、ニュートラル状態の彼の姿があった。
尤も、顔の右半分は包帯で覆われていてあまり表情は窺えないものの、外見さえ除けば何処にでも居そうな普通のお兄さんといった雰囲気だ。ニアが気を失う前までの、銃を持って殺気立っていた彼と同一人物だとは到底思えない。
「ニアは……あにゃ?」
起き上がろうとして、起き上がれなかった。よく見ると自分の身体はあちこち包帯でぐるぐる巻きだ。左足に至っては固定され、吊り下げられている。どこも痛くは無かったが、感覚も無い。
「どおして?」
ニアは訳を求める様にアーヴィンを見た。
彼の顔半分は勿論、右腕を首から吊っており、全身至る所を包帯とガーゼで処置されていた。アーヴィンの方がニアよりも悲惨な状態だ。
「此処か? 此処は軍の病院船。」
「病……院?」
ニアは混乱した。必死で何があったのかを思い出そうと記憶の糸を手繰り寄せる。
ショックによる、一時的な記憶喪失だろうか?
アーヴィンは、事の顛末を言おうか言うまいかと迷っていた。
* *
『止せっ!』
アーヴィンの制する声も、ニアの許へは届かなかった。
ニアが放った強烈な閃光は、容赦無く辺り一面に襲い掛かり、飛び散った火花で誘爆を引き起こす。
腹部に響く様な鈍く重々しい音がして、通路脇にあるボックスのロックが解除されて、扉が次々と跳ね上がった。もう片方の下部の扉から、大量の水溶液に交じって人の形をした幾つものモノが流出し、見る々うちに通路を埋め尽くす。
『な……?』
アーヴィンは息を呑んだ。
一面の炎に照らし出されながら流出して来たモノは、年齢こそ様々だが、皆一様にニアの容姿を兼ね備えていた子供達だった。しかも、通路の奥へ行くに従って人型はその姿を失い、異形のモノになっている。
『エレメンタル』頭の中で、この言葉が浮かんだ。
代表取締役アレン・D・ロディナル。彼は最後まで自分の本当の体(ノーマルである事)を諦める事が出来なかったのだろうか? ノーマルに固執する余りの結果がこれなのか?
ノーマルとエレメンタル、サイバノイドといった人種差別が過激化して行く一方の背景を考えれば、彼がノーマルに拘っていた気持ちも強ち解らないでもない。
もしかしたら、オリジナルの彼はノーマルでは無かったのかも知れない。オリジナルがエレメンタルだったとしたら……そんな疑問すら今のアーヴィンには容易に思いつく。
自分であれば、被験体は御免だなと思った。実験の結果、何十、何百人と同じ自分が現れる事を想像するだけでおぞましくなる。しかも自分自身が実験材料なのだ。
どういう神経をしているのだか気が知れない。
尤も、自身の一部を提供しての臨床実験に、法規制だの被験者に対する人権などと言うものは皆無だ。訴訟を起こす者が不在なのだから、研究はずっと効率良く進んでいた事だろう。恐らく、あの状態ではかなり危険な処まで来ていた筈だ。その位はアーヴィンにも想像出来る。
* *
「どーしたの? アーヴィン?」
急に押し黙ってしまった彼の顔を、ニアが無邪気に覗き込んだ。
「え……っ? うわっ?」
すぐ目の前に、ニアの顔のアップがあった。今にもキス出来るくらいの超至近距離にアーヴィンは慌てて顔を引き、赤くなる。
普段の彼なら、相手がこんなに接近していたのにも関わらず、気付かなかった等と言う事は在り得なかった。全くの不覚だ。
「やだなぁ、アーヴィンったら、照れちゃってぇ」
「はあ? 誰が照れるって?」
どうやらニアは、アーヴィンが自分の事を意識して赤くなったのだと勘違いしたようだ。
「だからさ……」
「オースティンさん、貴方に面会の方が来ておられますよ」
看護師の声に、ニアの誤解を解こうとして言い掛けたアーヴィンは、はっとして振り返った。
入口に立っている彼女の後ろに、白髪交じりの小柄な老紳士が控えている。
「……はい」
アーヴィンが抑揚の無い返事をするのを見届けると、老紳士は部屋を出るようにと眼で合図を送って来た。彼は黙って頷き、素直に従う。
「まずは、その物騒なものを此方に渡して貰えんか?」
穏やかだが、毅然とした物言いだ。
ベンチに腰掛けたまま、アーヴィンは黙って後ろに隠し持っていた銃を取り出した。銃口を相手に向けないよう、慣れた手つきで持ち換えて差し出す。
アーヴィンは妙に大人しい。それどころか、彼はこの老紳士に対し、ある意味萎縮している風にも見える。
老紳士は銃を受け取ると、自分の背広の内側に隠した。そして、何事も無かったかのように自動販売機の前に立つ。
「コーヒーはブラックで好かったかな?」
アーヴィンは俯いたままで頷いた。
老紳士は、アーヴィンに紙コップに入ったコーヒーを手渡すと、一人分程少し空けて彼の隣に座った。
「病院船の展望室なら人気はあるものだが、流石に軍の船だとそうはいかんようだな?」
そう言って微笑しながら、目の前のガラスに映っているアーヴィンを見た。
俯いたまま、その彼の表情は見て取れないが、コップを持つ手が微かに震えている。
「あれから四年……か。また、豪く派手に遣ってくれたな?」
「……」
『自分ではありません』と、喉元まで出掛かった言葉を呑み下した。ニアの存在はアーヴィンの意図していた結末とは大きく違っていたからだ。
「自分が生きていた事を本当にご存知なかったのですか? 自分はあの時、岬さんに……」
「高城は『既に手遅れだった』との報告をわしに遣しおった。万が一、お前が生存していたと発覚し、最悪の事態になった場合を想定しての、わしへの配慮だろうが……知らなかったとはいえ部下にそこまでフォローさせていたとはな……上司としては失格だ。いや、それよりも委員会の採決を承諾してしまった時点でわしは最低の失格者だ」
老紳士は大きく溜め息を吐くと、視線を落して自嘲する。
「そんな……岬さんを遣したのは貴方だ。あの人が来なかったら自分はとっくに……」
「身元が判るような事を何故遣った? いや、何故ここに居る? 以前のお前ならこんな事は無かった筈だ」
「……以前の自分……ですか……もう時効って事にはならないですかね?」
軽口を叩いて横目で老紳士の出方を窺ったが、彼は小首を傾げて片方の眉を少し上げただけだ。
アーヴィンは顔を上げて、目前に広がる宇宙空間を見据えた。そして、ゆっくりと瞼を閉じる。
「お前には捜査妨害、機密事項のハッキング等の容疑が掛かっておるぞ?」
血の気が失せていたアーヴィンの顔に緊張が走る。
「上層部はカンカンだ。極秘裏の内に事態を収拾する心算だったのに。一体、何処の誰がこんな事をしでかしたのか……とな?」
「!」三島の言葉に、アーヴィンは眼を見開いた。「み、三島さん、それって……」
声が上擦る。
「一度死亡した筈の者が生き還って、もう一度死んでおるのだ。わしの手には負えんよ」
三島は頭を廻らせて壁に埋め込まれているモニタを見た。センサーが彼の視線を感知して、スイッチが入る。
どの局でもミューズ社所有の大型船スター・ミューズが、連邦の検問中に現れた海賊船と交戦中、巻き添えに遭って爆発したと報道されていた。事実と若干違っているのは、連邦軍の報道規制に因るものだ。
「この件で、連邦はかなり世論の矢面に立たされた。予測可能な危険宇宙域での検問の必要性。民間船への配慮の無さ。艦の制御機器管理の問題……どれを取っても落度ばかりが露呈した」
三島はそう言って大きな溜息を吐く。
「報道カメラマン、アーヴィン・オースティン所有のクルーザーが、軍の誤作動による事故で被弾。本人死亡との記事もあるが?」ちらりと上目遣いにアーヴィンの様子を窺う。「お陰でマスコミから豪く叩かれたよ。皆、明日は我が身だからな」三島は少し緊張していた表情を綻ばせてアーヴィンを見た。「実は、わしはセンターの山崎医師とは古くからの付き合いでな。偶然、奴からお前のデータが送り付けられて来た時は正直言って驚いたよ。俄には信じられなくてな」
アーヴィンは三島の言葉を黙殺した。
三島は彼の反応に肩を落とした。アーヴィンが自分との接触を嫌っているのだと察したからだ。
「生存者のリストに、彼女達の名がありませんが?」
「そうだ。」
三島はあっさりと肯定した。が、その理由は喋る心算は無いらしい。尤も、アーヴィンにはおおよその見当は付いている。
「……ところで」
彼は気を取り直して、徐にベンチから立ち上がった。
「わざわざ此処まで足を運んだわしの意を汲み取って欲しいものだが?」
「仰っている意味が解りません」
アーヴィンは惚けた。が、三島には見抜かれている。
「……三島さん」
数年間、聞けなかった事にアーヴィンは触れた。
「あの時、最後まで委員会の判断に、自らのリスクを負ってでもずっと反対して下さっていた事は知っています。でも、委員会は可決され、自分達の抹殺は断行された。しかも、反対していた貴方の立場は、危うくなる処か……こうしてここに居る」
アーヴィンは顔を背けた。三島を直視出来ないでいたからだ。彼の握った拳が白くなる。
三島には『何故です?』と問い掛ける彼の言葉が聞こえた気がした。
「尤もだな」彼の様子を窺っていた三島は、一呼吸於いてゆっくりと話し始めた。「わしは……いっそ、あの時更迭されていれば良かったのかも知れんな」
「……」
アーヴィンは言葉に詰まった。
「あの後、委員会は事実上解散。長官も責任を負って任期を待たずに職を辞した。ただ、解せんのは、ここ数ヵ月前から元委員長を含め、この件に関しての一連の主要な人物が次々と消息不明や変死……との報告が入って来ている事だ。表向きには、定年退職や持病を理由に第一線を退いていた上に、マスコミ等の介入があってなかなか正確な情報が得られなかった。個人情報となるのでな。開示手続きに手間取ったよ。調査委員会は当人の不慮の事故、他殺、あらゆる方面からの想定を考慮。彼等の共通した経歴関連事項から、お前達との関係を導き出して指摘した者もおったが……当時点では容疑者全員が死亡しておったのでな」三島は、振り返ってアーヴィンを見た。その視線は彼を探っている様だった。「知っておったかね?」
「いいえ」
アーヴィンは感情が全く読み取れないよう無表情で答えたが、三島の答えから、やはり思った通りだったのだと思った。三島から訊かなくても、報道関係者であるアーヴィンがこの事実を知らない筈は無かった。が、彼は敢えて否定する。
「そうか」
微かに三島が安堵の息を吐いた。
「……三島さん」
「うん?」
「疑っているのですか? 自分を」
「さあてね。どうやらわしは藪から蛇を出すのが苦手でね」
さらりとかわした心算だったようだ。
=「って、疑ってるじゃねーかよ」
三島の言い様にアーヴィンは小声で誰にともなく呟き、ムッとなる。
「余計な事を言ってしまったかな? まぁ、聞かなかった事にしてくれ」曖昧な笑みを浮かべて、三島は尚も続けた。「本題に戻るが、良いかな?」
アーヴィンは軽く顎を引く。
「軍は、今回の件でミューズケミカル社と事実上手を切りたがっている。連邦ではもう対応出来ない程の力を持ってしまった」
アーヴィンは苦笑した。
「また同じですか? 単なるトカゲの尻尾切だ。長官が代わっても、体質は何ら以前と変わらない。で、此処で貴方の申し出なり条件なりを呑むことを拒否すれば、自分はもう一度?」
吐き捨てるように言い放ち、『もう一度『抹殺』……ですか?』とその後を続けてしまいそうになったアーヴィンは、慌てて口を閉ざす。
「いや」
「……え?」
三島は穏やかに否定した。
意外だった。何かに騙されている様な気がして、アーヴィンは自分の耳を疑う。
「今回の件に関して、お前は何ら関わってはおらん。いいな?」三島は強引に言い切った。「でなければ、残念だがわしが創ったシナリオは書き換えなければならん」
アーヴィンの蒼い眼が、スッと細くなった。
「それは取引ですか?」
三島は悪戯っぽく笑った。
アーヴィンは適当にあしらわれた様な気がして不機嫌になる。尤も、アーヴィンにとって、昔から三島は喰えない人物であった。相変わらず『老獪なオヤジ』は健在のようだ。
「ニア・ロディナルの外傷はいずれ消える。大した事は無い。が、二人共当分カウンセリングが必要だな」
「二人?」
「そうだ。彼女達と唯一接触していたノースグラントのエージェントだ……表向きにはな?」
そう言って、三島は意味深にアーヴィンを見上げた。
「表向きは……ですか? 一体、何処から何処までが本当なのだか……煙に巻いてしまう心算ですか?」
(これだから、管理職ってのは……)
三島の引っ掛る言い様に憮然となる。
「ニアの双子の弟は?」
その問い掛けに、沈痛な面持ちになった三島は、黙って首を横に振った。
* *
アーヴィンはいつの間にかニアの居る個室の前に来ていた。余程彼女の事が気懸かりだったのだろう。無意識とはいえ、自分の取った行動に半ば呆れてしまう。
扉の前に立った途端、タイミング良く目の前のドアが開いた。
アーヴィンは反射的に半身を引いて立ち位置を変える。
「あ、オースティンさん」
担当の看護師数人が出て来る。
声を掛けられ、アーヴィンは軽く会釈をして、彼女達の後ろ……部屋に居る筈のニアを気に掛ける。
「今、鎮静剤を使用した所です」
それぞれが、髪の乱れや服装の乱れを整えながら、彼に一礼して出て行った。彼女達の様子から、容易にニアの状態が見て取れる。
アーヴィンは躊躇いながら部屋に入った。
ニアは、ベッドの上で両腕を力無く差し伸べ、まるで何かを捕まえようとしている様な動作をしていた。その瞳に生気は無く、うわ言まで呟いている。
どうやら彼女達からマックの事を聞いてしまったらしい。ニアにとって、唯一身内であった弟が亡くなったのだ。幾ら気丈なニアでも、ショックは如何許りだったろう。
アーヴィンはその場に居た堪れなくなり、ニアに背を向けて出て行こうとした。
「?」
不意に、アーヴィンは背後から何かが近付いてくる気配を察して我に返った。
踵を返しながら、左手でいつも右脇に携帯している拳銃を握ろうとして、手を滑らせて空を掴んだ。残念ながら銃は三島に押収されている。今は自分も怪我人だ。
それは、宇宙船の外から来た。小さな発光体の集まりは、壁一面が強化ガラスで出来ているこの部屋に向かって、どんどん近付いて来る。
アーヴィンは思わず後退った。
不思議と、ソレには邪気は感じられない。それどころか、この小さな発光体の集まりが、何処かで感じた事がある気配と同じもののような気がしてならなかった。
「……まさか?」
その発光体は遂に外部を遮断している筈のガラスをも通り抜けた。
光は猶も不自然な動きを見せながら、ふよふよとニアの周りを暫くの間漂っていたが、やがてアーヴィンが見守る中、光は唐突に消えた。
まるで、ニアの身体に吸収されたように。
* *
僕は、目の前で広げた両の掌をじっと見詰めた。どうしたんだろう。自分の身体が消え掛かっている。
そうか、僕は死んだんだ……そう言えばちっとも苦しくないや。
死に対する恐怖とか、自分の不自由な体への未練なんて、全然無かった。きっと、エルフィンに僕の最期を看取って貰えたからなのかも知れない。
僕の身体が悪くなる度に、何度もニアの泣き叫んでいる声を聞いていた。彼女は、何人もの医師に押え付けられて別室へ……そこから先は二人共何一つ覚えてはいない。でも、僕はいつの間にか気付いていた。眼が覚めた僕の前に居るニアは、以前のニアじゃないって事。
見た目は同じ。仕草や、口の悪さも同じ。なのに何かが違う。
彼女は本当にニアで、僕の双子の片割れなのだろうか……って、僕はニアの存在を疑いさえするようになっていた。
前に見た嫌な夢も、本当は夢じゃ無かったんだ。僕がただ現実を夢だと思い込んでいただけ。僕は半年前のあの時、ニアと二人で本当に何人ものエレメンタルに襲われて……僕がニアをあいつ等と一緒に消したんだ! このコントロール出来ないへんてこな力を遣って。
この力はエレメンタルのモノじゃないの? 人間が本来持つべき力じゃない。僕は、僕は本当は……解からない。自分が何者だか、本当に『マック・ロディナル』と呼ばれていた人間なのかさえ解からなくなってしまう。
『マック……返シテ。アタシノ身体ヲ返シテ』
移植されたニアの肺が、心臓がニアの声で囁く。
「止めてよッ!」
悪寒が走る。僕はいつだって消えたかったよ。でも、その度に消えたのは僕じゃなくてニアだ……どうして?
『彼女はお前のスペア(取換え部品)なのさ』
まだ、僕の元のカタチを保っている頭の中から声がした。僕と同じ声のもう一人。でも、何て冷たくて嫌な感じの声なんだ。
『だから同じ。だから双子。彼女は僕のパーツだから』
「違う! 違う! 違う! 僕は僕。ニアはニアだ! 彼女の命を断ち続けてまで生きたくなんか……」
『そうかな? 本当は誰よりも強く「生きたい」と願っていたのは、他でもない自分じゃないのか?』
「そ……そんな……」
『健康なニアを病室や車椅子から眺める度に、此処に座っているのは自分ではなくて、本当はニアだったらと考えた事は無かったか? 同じ双子なのに自分だけがどうしてなのだと妬んだ事は無かったのか? 消えたいだなんて嘘だ。本当はもっと生きていたいんだろう? 綺麗事は止めろよ』
また頭の中から声がする。必死に抗おうとするけれど、心の奥の本性を見破られている。僕自身だもの……当たり前だ。
「……そうさ。本当は……本当は、僕はまだ死にたくはなかったんだ」
堪らない嫌悪感。生きられない事を知っていながら、それでも生きたいと願っていた。あのミューズの社長と一緒だ……僕は。
でも、僕の体はもう何処にも無い。ニアやエルフィンに逢いたくても、もう二度と逢えないんだと思うと、切なくなる。
―「マック……」
ニアの声がする。気のせいかな? 呼んでいるの? 僕を?