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デリート  作者: 和貴
12/12

第12話 デリート

 ニアとエルフィンは船底の格納庫から、意識不明のまま医療セクションに搬送されて行ったアーヴィンを心配しながら見送っていた。

「出来る限りの応急処置はしたの。でも、設備も無い所での処置なんて無理よ」

 エルフィンが俯き両手で顔を覆う。

 ストレッチャーに乗せられていた時、アーヴィンは意識が朦朧としたままで多量の吐血をしていた。肺を撃たれた為に呼吸も浅く、誰が見ても危険な状態だと判断出来た。

「だ、大丈夫……よ」

 ニアは虚勢を張ってみたが、思いっ切りその虚勢は空振りした。

「ニアちゃん、私の事恨んでないの?」

 顔を上げたエルフィンと眼が合った。碧い瞳が潤んで、白目が真っ赤に充血している。


 ニアの眼を通して映ったエルフィンに、僕はどきりとさせられた。

「私が……私が彼を撃ったのよ? 彼にもしもの事があれば……私のせいだわ」

 ニアは何も言えなかった。

 ニアはエルフィンがオースティンさんを撃ったのを目撃していた。でもあの時の彼はアイツに操られていた。多分ニアがエルフィンの立場でも、同じ結果になっていたかも知れない。

(……ごめんよ、エルフィン……)

 僕もニアと同じだった。気の利いた言葉の一つさえ浮かんで来ない。生前、学校ではあれほど先生方に高い評価を受け、他の生徒からもそれなりの評価をされていい気になっていたこの僕が……こんな時に役に立てない……

(勉強ばっかりじゃ駄目なんだ……ごめん……)

 僕はニアの中で何度も彼女に謝っていた。こんな事、ただ思ってるだけでいても、彼女に届く筈が無いのを判っているのに。

「?」

 船員達が遠巻きにして取囲み、厳しい眼が向けられている事にニアは気付いた。

 振り向いたニアと視線が合った何人かが、後ろめたそうに眼を逸らした。逆に睨み返して来る者もいる。ニアは困惑した。

「おい、お前があの船を襲ったんだろう?」

 一人の船員が堰を切った。一同から、「そうだ、そうだ」とどよめきが沸き起こる。

 訳が解らずに立ち尽くしたニアの後ろで、突然どさりと何かが倒れた。

「エルフィン!」

 慌てて振り返り、彼女の傍に寄ろうとする。

「動くな!彼女に触るんじゃない!」

「手を上げろ!」

 何人かの銃口が一斉にニアに向けられた。

「くっ……」

 ニアは仕方なく俯き、唇を噛締めてゆっくりと両手を上げる。

「ひどい熱だ」

 エルフィンの傍に来た一人が、彼女の額に手を当てて言った。

「俺が医務室へ連れて行く」

 一人がエルフィンを抱き上げ、格納庫から急いで出て行く。ニアとニアの中に戻った僕は、黙ってそれを見送るより他に無かった。

「大体、お前一人が無事ったぁ、どういう事だ? お前、本当はエレメンタルだろう!」

「そうだ。大方、乗っ取った船が破棄されると知って、怪我人を助けたフリでもして自分も助かった心算でいるんじゃないのか?」

「どうなんだよ?」

「ちが……違う!ニアはエレメンタルなんかじゃ……」

 俄かに格納庫内が殺気立つ。彼等に気圧されてニアは言葉を詰まらせる。

(ニア、この人達の挑発に乗っちゃ駄目だよ)

 僕はニアに釘を刺した。今、ニアが何を考えているかって事ぐらいはお見通しだ。

(人一倍速い反射能力を見せちゃ駄目だ。絶対に。皆銃を携帯している。それこそ今のこの人達を刺激すれば、幾らニアだって殺され兼ねないよ)

(だって……だってコイツ等ニアの事をエレメンタルだって……)

 それは僕にも当て嵌まる。悔しかった。泣き出したくなる程悔しかった。

 周りを取り囲んでいた船員達が一斉にニアに詰め寄って来る。疑心暗鬼になった彼等に、今は何を言っても無駄だ。

「本当に人間かどうか俺が確かめてやろうか?」

「きゃ?」

 ニアのすぐ後ろに居た一人の手が、ニアの長い髪を鷲掴みにして引っ張った。ニアは乱暴に引き摺り倒されて悲鳴を上げる。

 下品な笑い声がした。卑猥なヤジがそこら中で飛ぶ。

「本性を現せ!」

 ニアの顔が恐怖に慄く。

「何をやっておる!」その一喝で、一同はしいんと静かになった。「これが、この船のやり方か?」

 小柄な老紳士……確か、オースティンさんが『三島さん』って呼んでいた人だ。何処かの偉い人なのか、凛とした声は威厳を持っている。

 声を荒らげた三島さんは、格納庫の中につかつかと入って来た。そして船員達に押え付けられているニアを発見した。

 一瞬、間があった。『見知らぬ少女がいる……』三島さんはそんな表情を浮かべている。

「おじ……さん?」

 ニアは起き上がり、自分の両肩を掻き寄せてしゃくりあげながら震えている。

「ニ……ニア……ニアなのか?」

 その女の子に、ニアの面影があった事に気付いてくれたみたいだ。でも、別れてから何年もの時が過ぎたのならいざ知らず、ほんの数時間しか経っていないのに、このニアの変わり様をどう説明すれば良いんだろう。ニアだって僕と同じだった。

 僕以上に口下手なニアが、この状況を彼に伝えられる筈も無く、ニアは涙ぐんだままじっと物言いたげに三島さんを見上げている。

 三島さんは、目のやり場に困った様子だった。ニアは服の上からずぶ濡れでシャツが透けて肌に密着している。襟も引裂かれていて胸元が大きくはだけていた。船員がおかしくなるのも判る気がする。

 三島さんは自分の上着を脱いで、ニアに掛けて遣った。

「部長、まさかこのエレメンタルを野放しにしておく心算じゃないでしょうね」

 格納庫内が再びざわめいた。

「彼女はエレメンタルなどではない。私が一切の責任を負う」

「責任問題がどうこうと言っているのではありません!」

「事が起こってからでは済まされないですよ!」

 船員達銘々が不満を漏らす。


「ニア、堪えてくれ」

 三島さんは辛そうな表情をして、ニアを隔離部屋へと閉じ込めた。

「このままでは船内がパニックになる。何よりお前が危険だ。皆、殺気立っておる。落ち着くまでの辛抱だ」

 そう言いながら、三島さんは慣れた手付きでニアの首に包帯を巻いてくれた。

 ニアの首にはクッキリと手形の痣が残り、数箇所の刺し傷が痛々しく残っていた。致命傷になる筈だった動脈部にも傷があったけれど、何故かそれらの傷だけは既に塞がっている。通常では有り得ない現象だ。

「致命傷にならんで良かったな? 誰が遣ったのかねこの傷は?」

 ニアはずっと怯えて押し黙り、震えている。

 済んだ事だけれど、今頃になって恐怖心が湧き上がって来たみたいだ。

 僕だってショックだった。見ず知らずの他人からのあからさまな拒否。憎悪。それは今まで僕やニアが感じた事の無かった『殺意』と言っても構わない。

 その総てがニアに(僕に)向けられたんだ。

 正直、僕もニアと同様に、少しおかしくなっていたのかも知れない。もしも三島さんが来てくれなかったらと思うとぞっとする。

(ココニ居テハイケナイノ? にあハ、アノ船ト一緒ニ消エテシマエバ良カッタノ?)

(そんな……そんなコト無い! ニアは居ていいんだ)だけど、その判断は誰がするの? 偽者の僕が、ニアに居て良いだなんて……荒唐無稽だ。(それでも僕はニアに居て欲しいよ。消えるだなんて、そんな事思ったりしないでよ!)

 お互いに心が張り裂けそうになる。


「……おじさん」

 消え入りそうな声がニアの口から漏れた。

 三島さんの手が止まる。

「ニアが怖くないの? あのおじさん達が言ってた通り、ニアはエレメンタルかも知れないんだよ?」

 投げ遣りに言った。今のニアは自分の周りだけで無く、自分まで信じられなくなっているの?

(ニア、何てこと言うんだよ!)

 僕はニアの言葉に戸惑った。

「もしかしたら……ここでおじさんが危険な目に遭うかも知れないんだよ?」

「ほう、それは困ったね。どうしようかな?」三島さんは他人事の様に言うと、にっこりと優しく笑った。そして、休めていた手を動かして包帯を巻き終える。「そうだな。ここで私もお終いかな?」

 言っている事と、彼の表情が余りにもちぐはぐで、ニアは唖然とする。

 三島さんはニアの反応を確かめるようにして続けた。

「……なんてな。大丈夫、ニアはエレメンタルなんかじゃ無いぞ」

「おじ……うっ……」

 目頭が熱くなり、ニアの頬に涙が毀れた。

「辛い思いをさせてしまったな」

 三島さんは泣き出したニアの頭を優しく撫でた。

 言い方といい、リアクションといい、僕は三島さんがオースティンさんに似ていると思った……と、言うより彼が三島さんと似ているんだ。

「アーヴィンとエルフィン……助かるよね?」

 二人とも失いたくない。僕にはニアの気持ちが痛い程解る。

「あ、ああ……」

 あやふやな生返事。それだけで僕とニアは彼が未だに危険な状態であることを覚った。

「心配する事は無い。アーヴィンは今、優秀なスタッフが看護している。きっと大丈夫だ」


  *  *


 三島の言葉は、ニアを落ち着かせる為に言った嘘だった。実際には、彼はまともな処置さえ施されずに放置されていたのだ。

 昇圧剤と抗生剤の投与だけでは助からない。その事が判っているだけに、三島は内心焦っていた。

 アーヴィンに充分な治療が施されていないのにはもう一つの理由があった。彼がグレネイチャだという理由で、一部の医師が治療を拒否していたからだ。尤も、彼に必要な血液の適合する型が船内に無かった事も災いしていた。

「嘘! おじさん、ニアに嘘吐いてる!」

 急に押し黙ってしまった三島に、ニアは敏感に真実を見抜いてしまった。

「エルフィンは、術後の無理が堪えておるのだろう。彼女は熱が下がれば大丈夫だ。お前も良く知っているだろうが、センターの山崎を呼び寄せた。間も無く着く頃だ」

 そう言って三島は再び黙り込んだ。

「……おじさん、アーヴィンに会わせて」

 ニアは三島を見上げた。

「何を言っている。彼は昏睡状態だ。意識が無いんだぞ?」

 自分の言う心算の無かった言葉を口にしてしまい、三島ははっと我に返った。

「それでもいい……いいから」

 三島はニアの直向ひたむきな眼に心を打たれる。

「判った。但し、これをさせてはくれまいか?」

 三島は電磁手錠を取り出した。ニアは一瞬身じろいだが気を取り直し、黙って頷くと、両手を三島に差し出す。


 アーヴィンは幾つもの医療機材に囲まれていた。しかし、彼の居る処置室には看護師さえ居ない。

 モニターに、彼の生命反応が波形となって表示されているが、その波形に力強さは見られない。しかも、時々波形が乱れている。

 三島とニアは、その光景を二階の視察室から覗いていた。

 三島の権限を遣い、彼の銃創の手術は何とか終了させたのだが、自発呼吸が出来ず、今は補助機器に頼っている。外傷性のショックだろうが、それだけでこんなになるものなのだろうか?

 三島は黙ってアーヴィンを見詰めた。

「おじさんの嘘吐き! 誰も……誰もアーヴィンの処に居ないじゃない! お医者さん一人も居ないじゃない! 誰かアーヴィンを……アーヴィンを助けてよう!」

 ニアの目の前がぼやけた。電磁手錠をした手が、貼り着いたガラスから力無く滑り落ちる。

 極度の緊張から、ニアの手形状にガラスが曇った。

「……ア、ニア」

 三島の呼掛けに、ニアはゆっくりと反応した。

「山崎が着いた」

 三島は、座り込んでしまったニアの肩をそっと包んだ。ニアはゆっくりと振り返る。

 開いたドアから、見慣れた何人ものスタッフが現われた。弾かれた様に駆け寄ると、ニアは葵に縋り付く。

「ええっ? ニア? ……貴方ニアなの?」

 彼女達もまた、変わってしまったニアの姿に戸惑い、三島と同じ反応を見せる。

「すまんな山崎。ここ最近、お前の具合が悪いと知っておったのだが……他に頼る者が居なくてな」

「構わんよ。お前の頼みだ」

 三島の声にドクターは軽く顎を引いて応えた。三島の言う通り、ドクターの青ざめた顔色は以前とは随分人相が違っている。それが単なる疲労から来たものが原因では無いと容易に見当が付く。

 ドクターはニアの変貌に戸惑いながら、アーヴィンの症状を詳しく記録している電子カルテに眼を通した。

「状況ははかばかしく無い様だな? すぐに降りよう。ニアも来……? おい三島、ニアの手に在るのは何だ?」

 ドクターは、ニアの電磁手錠を見て、露骨に顔を顰めた。

「どうした? まるで犯罪者扱いだ」

「ああ、ちょっと事情があってな」

「外せんのか?」

「今はな」


  *  *


 オースティンさんの居るフロアに、葵さん達と一緒に降りて来たニアは、何故か術衣に着替えさせられていた。

 ニアの不安が僕に伝わる。けど、僕には薄々判っていた。僕が生前受けていた処置。きっとドクターは彼にもその処置を試みようとしているんだ。

 でも、それを遣るには……

 ドクターが手早くオースティンさんを診察した後、ニアに近付いた。そしてニアの両手を取る。

「ニア、彼を助けたいか?」

 ニアは黙って頷いた。ドクターはニアの反応を確かめるように大きく頷く。

「彼は、今、ウィルスに感染しているのだよ」

「ウィルス?」

「ああ。インフルエンザによく似た、呼吸器系に摂り付くウィルスに感染している。このウィルスは、私が昔知っている人物が感染していたウィルスと、とてもよく似ているものだ。普通の人が持ち合わせている免疫システムなどは、意図も簡単にすり抜けてしまう。それだけ強い毒性を持っているのだよ。HIVの様に、感染しても陰性であれば問題は別だ。が、陽性になって一度発症すれば……残念だが、このウィルスに効果的に効くワクチンは無いのだ」

 ニアは、ドクターの言っている事が解っているのだろうか? 

 僕の不安はどんどん拡がって行く。

「どう、どうすれば良い?」

 ニアは縋る様にしてドクターを見上げる。

「毒性は若干弱まってはいたが、これに良く似たウィルスに感染していた者がついこの間まで居た……マックだ」

 僕? 僕が……感染……者?

 ショックだった。急に喀血したり、体調が極端に悪くなったのはそのせいだったのか。だったら、ドクターがこれからしようとしている処置は……僕は確信を持った。

(ニア、断るんだ)

(?)

(今からでも遅くない。ドクターの遣ろうとしている処置を断るんだ!)

 僕は、懸命になってニアを踏み止まらせようとした。

 そう。ニアだけが生まれつき持っていたんだ。この特殊なウィルスに対抗出来る抗体を。だから、僕にはニアの輸血が必要だったんだ。あの時オースティンさんに摂り憑いていた奴がニアを襲っても、ニアは感染しないで無事だった理由が、今なら納得出来る。

 ドクターは尚も続けた。

「彼を治療するには、抗体を持ったお前の血清が必要だ。今から培養している猶予は無い。直接投与するしか無い。解るね? だが、それもかなりの量が必要になる」

「助かるの?」

 たった一パーセントしか無かったニアの希望が、ドクターの言葉で半分に膨れ上がった。

 ドクターの掌の中で、ニアは手をぎゅっと握る。

「だが、必ずしも彼が助かるという保障は無い。仮に助かったとしても既にかなりの意識障害だ。ニアの事を覚えてはいないかも知れないよ?」

「いいよ。それでアーヴィンが助かるかも知れないなら……」

 ニアは穏やかに言った。

(ニア、駄目だ。止めろ!)

 ニアの中で、僕は必死に反対する。けれども、僕の声はニアの心には届かなかったみたいだ。まるで貸す耳を持たないニアの様子に、僕は焦った。

「それだけではない。簡単に了解をしてくれるな」

 ドクターは余りにも淡々としたニアの態度に戸惑った。

「ニア自身も危険な状態になるのだぞ? 処置後、記憶の欠如も考えられる。彼の事を忘れているかも知れないのだ……マックはもう居ない。お前はあの子に対して十分過ぎるほど役目を果たした。もうお前は自由だ……私もどうかしている。ニアにまた術衣など着せて……」眼を閉じて後悔する様に首を横に振った。ドクターは、暗にニアが協力しても無駄だと解っている様な口振りだ。「……やはり駄目だ。私には……今更、お前が命の切り売りを他人にすることは無い。義務だと考えるのは止しなさい。ましてや、彼はグレネイチャだ。お前がそこまでして助ける必要は無いんだよ」

「厭ッ! ドクターまで……どうして? 皆どうしてそんな見捨てる様な事を言うの? アーヴィンがグレネイチャだからって……酷いよ! そんなのヘンだよ! アーヴィンはいつだって……いつだって、何度もニアの事助けてくれたよ!」

 泣きながらニアはドクターを睨んだ。

「だからこそだ」

 ドクターはニアが人種差別の偏見を全く意識していない事に気付いて話し方を変えた。

「……?」

「彼が助けてくれたお前自身だからだ。危険な賭けをして……そうまでして彼が喜ぶとでも思うのかね?」

「そんな……そんなコト解かんないよ……」

 ニアはドクターの諭す口振りに怯み、弱気になって何度も頭を振った。

(受けちゃ駄目だ!)

 僕は、強く拒否する。

(……何で?)

 ニアが応えた。聞こえてたの? 僕の声が。

(ニアの身体だよ?)

 ニアの言葉が突き刺さった。

(そ……うだよね。ムキになって……ごめん)

 僕は自分を恥じた。本当にニアの事を心配していたんだろうか。ニアが危険な目に遭うって事は、詰まりは僕も危険になるって事だ。でも……そんな心算でニアを引き止めようとしたんじゃない……と思う……多分。

「ドクター!」

 スタッフの一人が駆け寄った。

「昇圧剤に反応しなくなりました。急速に心音が下がって来ています。」

「このままでは危険です」

 オースティンさんの状態がいよいよ厳しくなっている。迷っている時間は無い。

「やっぱり駄目。無駄だって、迷惑だって言われてもいい。ニアは……ニアはアーヴィンを助けたいよ……お願い! ドクター……」

 大粒の涙がはらはらとニアの頬に毀れる。

「……解った」

 ドクターは静かに頷いた。


  *  *


 誰かの視線を感じて、ニアは目を覚ました。目の前に緩やかに波打った金髪の美人が居る。

「やっと気が付いた。大丈夫? 気分はどう?」

 彼女はニアの長い髪を三つ編みにしていた。何処からか、紺色のサテンで出来たリボンを持って来て、きゅっと結ぶ。 

 そして、ニアの枕元に顔を近付けて頬杖をしたまま、にっこりと微笑んだ。

「……エ……ルフィン……?」

「そうだよ。覚えていた? 良かったぁ。ドクターから、記憶の欠如は無いよって聞いていたけど、ちょっと心配していたのよ」

「エルフィン、熱、下がったんだ」

 ニアは彼女が傍に居てくれた事で表情を緩める。

「……?」

 ニアはゆっくりと起き上がった。

 彼女が居てくれて安心している筈なのに、急に何だか落ち着かなくなった。何故こんなにも落ち着かないのか、解らない自分が腹立たしくなる。

「気になるのね?」

「え?」

 ニアはうろたえた。

「……何の事?」

「あら、覚えてないの?」

 ニアはエルフィンに釣られて曖昧に笑った。

 笑いながら、何故か涙が毀れる。

(ドウシテ?)

「んもー、駄目ね。ドクターもいい加減なんだから」

「ごめん……どうしてなのかなぁ」

 立ち上がったエルフィンは暫らくニアの様子を窺っていたが、やがて腰に手を当てて肩で息を一つ吐いた。

「……まだ、地下の展望室に居るんじゃないの? 行って来れば?」

「地下? 展望室?」

 ニアは混乱した。

「確か、ニア達宇宙船の中じゃなかった?」

「ううん。月の病院よ。あの後搬送されたの。地下には、地形を利用して海中展望室があるのよ。多分そこにまだ居ると思うけど?」

「居るって……誰が?」

(今、ニアが一番逢いたい人じゃないの?)

 ニアの中に居るマックが少しだけ意地悪そうに言う。

 戸惑っているニアを見て、エルフィンは片手で額を押えた。

「肝心なコト覚えていないなんて……もお、行って来なさいよ。ほら、早く!」

 半身バイオノイドになったエルフィンの凄い力で追い立てられて、ニアは病室からひょいと放り出された。

 気を利かせたマックが席を外そうと、ニアの姿が映った鏡から出て来て、エルフィンと二人でニアを見送った。


  *  *


 ニアはエルフィンの言っている意味が解らないまま、移動通路に乗った。

 途中、何人もの病人や怪我人の人間(ノーマル)やサイバノイドと擦れ違う。見たことも無い広い病院内に、ニアは自分の事さえ解らなくなり、精神的に不安定な状態に陥った。

 やっと地下へ辿り着き、エレベーターの扉が開く。

「わ?」

 ニアの視界一杯に、誰かの胸元があった。

 ニアが降りようとして扉のすぐ前に出て来ていたのと、相手が急いで乗ろうとしていたのでぶつかりそうになったのだが、ギリギリの所でお互いにかわす。

「失礼」

 男はそう言った後、ニアを見て立ち止まった。

=「……似ている?」

=「わ、蒼い眼……?」

 お互いが誰にともなく呟いた。

 ニアは怪訝そうに男を見上げた。きゅんと胸が締め付けられる様な甘い感覚がする。

 男は短い銀髪に日焼けした様な赤銅色の肌、そして吸い込まれるような蒼い瞳を持った細身の背の高い男だった。

(『グレネイチャ』……? あれ? この言葉って何だっけ?)

 ニアの頭の中でこの言葉が浮かんだ。何処かで聞いた事がある様な気がする言葉だけれど、その言葉が何を意味しているのだかニアにはさっぱり解らない。

(ニアにそっくりだが……誰だ? この娘は?)

(誰なの? この人……)

 蒼い眼がニアの心を捉え、二人の視線が絡み合う。

 暫く、お互いが無言で見詰め合った。

「あの……何処かで会った?」

 先に声を掛けたのは男の方からだった。

「それって誘ってるの?」

 不躾な男の言葉に、ニアは少々憮然となる。

「あっ、いや、ゴメン。そう言うのじゃなくて……その、君が余りにも知っている女の子とよく似ていたものだから」人違いだと思って、男は慌てて謝った。「その子には、大切な借りがあるんだ……って、あれ? 俺どうしてこんな事、見ず知らずの女の子に喋っているんだ?」

 男はそう言ってしまってから、左手の甲で口元を押える仕草をした。

 エレベーターの扉が閉まり掛ける。

「じゃ」

 男は優しく微笑すると、擦れ違いざまに無意識にニアの頭に軽く左手を乗せた。

=「えっ?」

 一瞬、ニアは感電した様な感覚を覚えた。そして放心状態になる。

「……?」

 ニアは呆然として立ち尽くした。その後ろでエレベーターのドアが静かに閉まる。

 不思議な感覚に顔が次第に赤くなり、恥ずかしくなって俯いた。徐に触れられた頭に右手を持って行く。

(な、何て失礼なの? 逢った事なんて、事なんて無い……のに?)

 赤面して戸惑いながらも、男が消えて行った扉を振り返って見詰めた。

(……何だろう? この気持ちは……?)

 思い出しそうで思い出せないもどかしさ。何かが心の中で引っ掛る。

 気を取り直して、水中展望台のフロアに視線を戻した。


 フロア内は全体が硬化総ガラス貼りで、水面下より五、六メートルの中に建てられていた。

 人工海水ではあるが、地球の穏やかな南の海を模して造られている。その中で本物の色とりどりの魚の群れが泳いでいた。

「やあ、気が付いたのだね?」

 一人の老紳士がニアに気が付き、ソファから腰を浮かした。両手を軽く広げてにこやかに微笑みながらニアを迎える。

「もう大丈夫かね?」

「三島のおじさん……」

(でも、おじさんじゃない)

 自分の事を気遣ってくれる言葉が嬉しかった。しかし、ニアは自分が逢いに来た人ではないと悟ってがっかりと肩を落とす。

 その様子に気付いた三島が後を続けた。

「今迄わしと一緒に居たのだがね。此処へ来る途中で逢わなかったかね? 彼に」

「……彼?」

 真っ先に蒼い瞳をした男の顔が浮かんだ。

(! もしかして、さっきの……なのかなぁ?)

 ニアは振り返り、男が消えて行ったエレベーターを見詰めた。


  *  *


「今頃、ニアちゃんは彼に出会えているかしらね?」

 エルフィンは僕に紅茶を淹れながらにっこりと微笑んだ。まるで自分の事の様に嬉しそうだ。

 僕もニアの事が気になって仕方が無い。で、マナー違反は十分承知でニアに意識を同調させて、彼女の記憶を探ってみた。

 ……ちょっと、これは……

 僕はニアに遇った出来事をエルフィンに伝えた。

「ええ〜っ? 会えなかったぁ? どう言う事よそれ」

 テーブルの向かい側からエルフィンが身を乗り出して僕に顔を近付ける。

 どきっ!

 目の前十数センチにエルフィンの顔があった。その奥に白い谷間が覗いている。

(うわ!)

 僕は瞬間全身を強張らせて身構えた。あっという間に全身が火照って真っ赤になる。

「せっ、正確には、ちゃんと彼に出会っていたんだ。けど、ニアが成長してしまって彼に気付いて貰えなかったのと、ニアの記憶の混乱と欠如でお互いに気付かなかったんだよ。」

「あーあ、ツイてないわね」

 エルフィンはがっかりして椅子に座り直した。そして、テーブルに置いてあった新聞に眼を通す。

「それはどうかな?」

 僕は首を傾げてチョッと偉そうに腕組みした。

「どうして?」

「だって、ニアが好くっても、彼にとっては迷惑なのかもしれないでしょ?」

「何偉そーな事言ってるのよ。マックってば、精神年齢高いわよ」

「? それって、褒め言葉?」

 僕はきょとんとしてエルフィンを見た。彼女は視線を僕から逸らせて新聞に戻す。

「いやぁ〜ね。その逆よ」

「うっ……」

 痛い所を突かれて僕は天井を仰いだ。

 葵さんからもよく、『ご年配の思考だ』とか言われてた。僕には何事に関してもすぐに否定的に捉えてしまう処があって、とても十二歳の少年の言う事じゃないって。けど、そんな考え方をしてしまうのは僕の置かれていた状況がそうさせているからだとも言っていたっけ。

「何事も実際にチャレンジしなくっちゃ。彼が迷惑だってハッキリ言ってるワケじゃないでしょ?」

「そりゃあ……そうだけど」

 って、ンな事言えるものかなぁ? 少しでも気があれば僕なら却って言えないけれど。

 僕はエルフィンの横顔を眺めた。彼女は僕の視線に全く気付いていない。

(……やっぱ、綺麗だ)

 彼女の整った横顔は、僕が初めてときめいたモデルのティファ・フィニによく似ている。彼女が生きていればエルフィンと同じ歳なんだよな……

 僕は無条件でエルフィンに見惚れていた。

「ええっ?」

 新聞に眼を通していたエルフィンが、ページを捲った途端に驚いて声を上げた。

「?」

「ちょっ、コレ、マズくない?」

 彼女が指した社会面には、紙面半分を大きく占拠したミューズ社の船内写真が掲載されていた。

 僕には、それを撮影したのが誰であるのかすぐに判った。でも、あの時三島が一切の情報を処分するようにと彼に釘を刺していたのに……

(それをやっちゃったんだ……あの人は)

 写真には、辺り一面に真紅の炎が上がり、船室の床一面におびただしい人数の子供が倒れている。記事には『遺体』として扱われていた。

 エルフィンは、その子達が僕達の姉妹になっていたかも知れない被験体である事には気付いていない。

「これだけの写真をよく撮れたわねえ。この船って私達が乗っていた船よね? 爆発した筈でしょ? 覚えていないけれど」

 そこまで言って、エルフィンは思いついた様だった。

「……居たわ。乗船していたカメラマンが……彼が遣ったのね?」

「みたいだね」

 僕はあっさりと肯定する。

「ミューズ社もかなり危なくなったわね。『開発商品に扱ぎ付けるまでに繰り返される非合法な実験』ですって。『人体の成分をそのまま抽出』とも書かれているわ。本当かしら? もしそれが本当なら、効果が絶大であったとしても次に消費者が購入するかしらね?」

「気持ち悪くて買う気になれない?」

「ええ」

 エルフィンは迷う事無く即答した。

「けど、もの凄い効き目なんでしょ? それ。美容目的で使用している程度ならともかく、医療用にも使われているんだよね? キモいとか言っている次元の問題じゃない、本当にそれを必要としている人達にとってはどんなに高価な物であっても……じゃない?」

「……そっかぁ。でもねぇ、これって倫理の問題よね」

「実際、連邦軍のご用達になっていたでしょ? 軍はミューズ社との癒着を暴かれて痛手を受けたんだよね? けど結局は必要とされている以上、警察からの厳重注意と監督で終わるのじゃないかな? で、登録社名を変更してでもこのまま存続。ひょっとしたら、次は厚生技術省とかからお誘いが来るなんて事も有得たりするかもね?」

「なぁーんだ。じゃあさ、この記事を掲載しても意味が……」

「無い訳じゃないよ」そして、僕はエルフィンには判らない様に呟いた。=「少なくともこの僕やニアにとっては……ね」

 彼が遣った事に対して賛同は出来ても、どうしてか未だに彼の事が好ましく思えないままだ。

「マックぅ、エルフィーン」

 振り返るとニアが、ドアに力無く寄り掛かって立っていた。

 彼女の背後に何かドロドロとしたモノが憑いている様に見える程、ニアの表情は暗い。

「あ、会えなかったよぉ~。もう、二度と会えないかもって。三島のおじさんがそう言ってたよぉ。くすん……」

 ニアは肩を落として涙ぐんだ。

「ごめんね、ニアちゃん。私達、知っていたの」

「あっ! もお、エルフィン。言っちゃ駄目だよ」慌てて言ったが、もう遅い。ニアが僕を恨めしそうに睨み付けていた。「後が怖いから」

 言い終わらない内にニアの拳骨が僕の左右のこめかみを強く挟んだ。

 僕はギャーと叫んでのたうち回る。

 ……二度と会えない……って、それはどうかな?

 僕は断言こそ出来なかったけれど、彼にはまたいつか会えると直感的に思った。

 それも、そんなに遠くない日に。



                          デリート 第1章 完


 

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