第11話 バイオハザード
「ニア?」
エルフィンの補佐をしていた僕は、急に眩暈を覚えて椅子から転げ落ちた。彼女が驚いてベッドから腰を浮かす。
僕の視界が真っ赤に染まった。これは何? 血……なの?
「ニア、ニアが……」
エルフィンが僕の声にはっとして辺りを見回した。傍に居る筈のニアが何処にも居ない。
「ニアちゃんがどうし……?」
僕の方を振り返ったエルフィンの視線がそこで停まった。
血の涙を流している僕の……いや、ニアの体が急速に成長している。床にぺたんと座り込んだ彼女の手足が伸び、栗色の髪がサアッと床一面に広がった。
「あ……あ……一体、どうしちゃったんだよ?」
胸の鼓動が速くなる。僕は強い息苦しさを感じて、首に手を当てた。ぬるりとした妙な違和感を覚える手を目の前でゆっくりと拡げた。
震えている掌が真っ赤だ。
「マック、マック、落着いて。ニアちゃんは無事なの?」
「わ……判らない。でも、今は無事だろうけど、危険なのは確かだよ」
彼女から両肩を凄い力で掴まれ、激しく揺さぶられたお陰で僕は我に返った。
エルフィンの左腕から軽い電子音が鳴った。腕に内蔵された通信装置だ。
「……はい?」
エルフィンの視線は僕の姿に釘付けになったままだ。
―「エルフィン。一体、君は何処に居るのかね?」
三島さんの声だ。エルフィンは我に返って手早く状況を説明する。
―「もしやと思ってみれば……ええい、指示があったと言うのに全くお前達は……」
僕達には、三島さんの戸惑った様子が伺えた。
―「いいか? 落ち着いてよく聞くんだ。今度指示に従わなければ命の保障は出来ない……その船はもう月のステーションには戻らん」
僕とエルフィンは驚いてお互いの顔を見合わせる。
―「遠隔操作で恒星へH・Dする。非常事態に於けるD・35を発令。マニュアルに従って廃棄する。大至急脱出用ポッドに行け。時間が無い」
「待って下さい。D・35……廃棄って……バイオハザードでもあったのですか?」
余りにも急な展開に、エルフィンは困惑の色を隠せない。
―「そうだ。いずれにせよ、乗員七名が船内で行方不明になっておる。目撃者が居なかった事と、原因が判明しなかった事が災いして、対応が遅れた」
そう言って間が開く。
―「とにかく……急げ」
「でも……」
―「H・Dに入れば、此方……手の下し様が……」
通信にノイズが掛かった。たちまち三島さんの声が遠くなる。
エルフィンは通信が切れた腕をじっと見詰めていた。
その瞳はなんだか哀しそうだ。身体を失った僕には、彼女の気持ちが痛いほど判る。いや、病気で弱っていて、ある程度の覚悟をしていた僕とは違う。エルフィンは突然の事故で両の手足を失ったんだ。きっと僕なんかよりずっと……
「エルフィン……」
僕は言葉に詰まった。彼女に声を掛けたものの、何て言ったら良いのか判らない。
「……大丈夫。少し、驚いただけだよ」
僕を気遣う様にエルフィンは軽く頷いて表情を和らげた。
「マックはそのまま続けて。私はニアちゃんを捜すわ」
「うん。此処の通路の奥に誰かと居る筈だよ」
覚束ない足取りで必死になって立ち上がり、椅子に座り直した。
僕の息苦しさはまだ続いている……って事は、まだニアが危険な状態だからだ。
「誰か……って?」
「待って……」
僕はニアの視覚に意識をリンクさせてみる。
「……駄目だ。どうしたんだろう。視覚障害でも起こしたのかな。ハッキリ見えない。この人って、あのオースティンさん……なのかなぁ?」
ニアの視界には薄暗いフィルターの様な靄が掛かっているみたいだった。ニアの目の前には銀髪のグレネイチャらしい人が居る。でも、ニアの目線の前に居るって事は、ニアと同じ背丈の人って事? けど、あの人はもっとずっと背が高いし……???
「行くわ!」
エルフィンはニアが身の危険に晒されているのを感じ、急いで銃の安全装置を外すと覚束ない足取りで壁伝いに外へ出た。
* *
「動かないで!」
エルフィンの視界には、マックと同じ姿のニアが、アーヴィンに首を締め上げられて宙吊りにされた姿が映っていた。ニアは既に意識が無いのかぐったりとしている。
「彼女を離して! ニアちゃん! 返事をして!」
エルフィンは銃を構えて男を狙ったが、腕が震えて思うように照準が合わない。それは恐怖心などからではなかった。熱のせいで焦点が思う様に定まらないのと、術後の新しい腕が馴染んでくれなかったからだった。
彼はニアを片手で乱暴に放り投げた。彼女の身体が反対側の壁に叩き付けられて、人形の様に崩折れる。
「あッ! ニア!」
反応があった。ニアは首を押えて呼吸を乱し、激しく咳き込む。
ほっとした。そして、今度は目の前に立塞がる背の高いグレネイチャを見上げた。
彼は連邦軍の三島と面会していた男だ。一方的かも知れないが、ニアに懐かれていた様子だったのに、今は人が変わったように、彼女を乱暴に扱っているのが理解出来ない。
俯いていた彼が彼女をキッと見据える。
彼の眼に生気は無かった。エルフィンは気味悪さを隠せない。
「……生キテイタノカ?」
耳障りな声がした。
『生きていたのか』とは自分の事だろうか? どうしてこの男がそんな事を言い出すのか判らない。
「うっ、動かないで!」
エルフィンの警告を無視して、彼はふらふらと漂う様な足取りで近寄って来る。その姿が異様で、彼女は恐怖心を煽られた。
アーヴィンの事はあの後で三島からある程度は聞いていた。グレネイチャであるというだけの事で、一瞬でも彼を見下した自分を恥じていた。正直、その事で謝ろうとも思っていた。
彼を撃ちたくは無いと思う。
彼との距離が詰まり、間合いギリギリになった。牽制の心算で足元を狙って撃つ。それでも尚怯んだ様子は無く近付いて来る。彼の虚ろな瞳は何者かに操られている様にも見える。
「こ、来ないで!」
強く眼を閉じて引金を引いた。彼との距離があまりにも接近し過ぎていて外し様が無い。
弾は彼の右胸を貫通した。
彼は胸を庇って二、三歩後退さり、気味の悪い叫び声とも、唸り声ともつかない声を雄叫びを上げた。すると背中の銃創から、黒い流動体がのたうちながら流れ出る。
アーヴィンの両膝が折れ、ゆっくりとスローモーションを見ている様にエルフィンの上に崩れる。
エルフィンが怯えて悲鳴を上げた。
今度は彼の背後から、ソイツがアーヴィンごとエルフィンを呑み込もうとして襲い掛かった。
* *
「エルフィン!」
彼女が、得体の知れない奴に襲われる光景が鮮明に見えて、借りていたニアの身体が霧のようにフッと消えた。
マックは意識を飛ばして瞬間にニアの中に戻っていた。
先にマックが動いたのか、ニアが反応したのかは覚えていないようだ。気が付いた時には、ニアが落としたスタンガンを拾って、アーヴィンの身体から出て来た奴へ最大出力で押し当てていた。
青白い火花が盛大に散った。
(間に……合った……?)
大きな誤算は、奴と一緒にアーヴィンを巻き込んでいた事だった。
マックは、アーヴィンと一緒にエルフィンまで巻き込んだのかと思ったが、偶然か、それとも故意にだろうか? 一瞬早く、アーヴィンの左腕がエルフィンを突き放し、彼女は事無きを得る。
倒れたアーヴィンの身体から白煙が昇り、炭化して焼け焦げた臭いが辺りに立ち込める。
「きゃああ、アーヴィン!」
我に返って悲鳴を上げたニアの手から、スタンガンが落ちた。
* *
三島は、ニア達の居る病院船と並んで航行している軍の巡視船に乗っていた。
「部長、間もなく病院船の遠隔操作に取り掛かります」
背後で乗員の声がしたが、三島は動けないでいた。
『行って下さい! 貴方の代わりはいない』
(……アーヴィン)
頭の中で、彼の声が何度も繰り返して聞こえる。
(わしはお前に謝らねばならん。お前こそ……お前こそ代わりは居らんのだ)
何度悔んでも悔み切れない。自責の念に駆られた。
(わしは……わしはお前を一度ならず二度までも見捨ててしまわねばならんのか……?)
硬く目を閉じる。真一文字に結ばれた口元は微かに震え、悲痛な表情を浮かべた顔は蒼白だった。
「……長」
「部長」
何人かの乗員に呼び止められて、我に返った。
「あ、ああ……」
「本船も回避行動に移行して宜しいでしょうか?」
離脱者を受け入れていた船が、次々と月のステーションへと進路を変更している。
「……いや、もう少し待ってくれ」
三島はそう言って片手を軽く挙げる。
乗員達はざわめいた。
「まだ、脱出して来る者がいる」
「お言葉ですが、病院船は予定通り間も無くH・Dを行います。安全距離を保つ為には、早急の回避行動が必要かと思われます」
「……解っている」
三島は穏やかに言った。
(エルフィン……まだか?)
言葉とは裏腹に、三島の心中は穏やかではなかった。
一分、一秒がとても早く感じられた。このまま、時が止まってくれればと願ってしまう。
「船内で何者かが航行システムに介入しようとしています。此方からロックしているので変更は無理だと思いますが……」
「船内モニタはどうなっておる?」
「……駄目ですね。捕捉出来ません。完全に沈黙しています」
幾つものモニタに切り替えるが、どれも既に機能を落している。
(確認不能か……)
「部長」
「……解った」
三島はがっくりと肩を落とし、断腸の思いで静かに眼を閉じた。
「進路変更。本船は直ちに当宇宙域より離脱」
「了解! 進路変更!」
乗員が復唱をして、いよいよ進路を変更する間際に、通信が入った。
―「部長……島……」
ノイズが多くて聞き取り辛い。が、三島にはそれが誰の声であるのかすぐに判った。
「エルフィンか?」
三島は素早く通信マイクに向かう。
「至急、医師の招集を頼む!」
負傷者が居る事を受け、三島は艦内の医師の召集をした。
* *
ニアはアーヴィンに縋り付く。
「アーヴィン! やだ、起きてよぉ!」
何度も揺り動かす。
「ニアちゃん……」
エルフィンは眼を逸らした。
「ねえ……ねえってばぁ」
ぽたっ、ぽたっ、と大粒の涙が毀れ、アーヴィンの頬を濡らす。
「ねえ……返事、してよぅ。う、うっ……」
肩を落として座り込んでいるニアの頭に、そっと何かが触れる。
それは、アーヴィンの左手だった。
「……頼む、から、耳元で……怒鳴るな」
消え入りそうな声がした。眼を閉じたまま、喋るのも億劫そうだ。
「アーヴィン!」
ニアは、アーヴィンの左手を、そっと両手で包んだ。
エルフィンもほっとする。が、油断は出来ない。緊急処置が必要だ。
「エルフィン、もう時間が無い」
マックはニアの身体が映っている、割れたガラス片から出て来た。
「ええ。何とかH・Dを止めるか、一時的に停止させることは出来ないかしら」
エルフィンも頷く。
「早くここから脱出をしないと、彼も、私達も……」
「あのシステムで何とかやってみる。」
「お願い」
ニアの姿をしたマックは、彼女の言葉に強く頷き、さっきまで居たニアの病室へと踵を返す。
とにかく、一刻も早くこの船から脱出しなければ、誰一人として助からないのだ。エルフィンは、アーヴィンの左腕を支えて立ち上がった。ニアも彼の右側で支える。
「ニアちゃん、手を貸して。まだ未使用のポッドが残っているわ」
「……待テ!」
その声に二人は振り返った。
身の毛がよだった。ソイツがまだ生きている。
ニアはアーヴィンの身体から離れた。エルフィンはアーヴィンの体重総てを支える事になってよろめいた。
「エルフィン、アーヴィンを……早く!」
ニアは自分でも良く判らなかったが、無性に苛々していた。
元々、気が短くて負けず嫌いの方だったが、ここの所アーヴィンと知り合ってから調子が狂いっ放しだっただけだ。
向き合ったソイツがほくそ笑み、自分を馬鹿にした様に思えたせいもある。尤も顔が無いので判断が厳しいところだ。
「ニアちゃん、これを!」
エルフィンが三十センチ程度の筒状の金属を投げて遣した。
素早く受け取る。
筒の端にスイッチがあった。ニアは筒を覗き込みながらスイッチを入れる。
「覗いちゃダメ!」
エルフィンが金切り声で叫ぶ。
ニアの目の前で、筒の中からジーという不快な音と共に糸状の赤い光が伸びた。
「わ?」
慌ててかわす。
左頬に軽い熱気を感じ、髪の毛が一束ぱさりと焼け落ちた。
エルフィンは生きた心地がしない。
「だ、大丈夫……なの?」
「うん。早く、先に行って」
ニアは平気な顔で小さく手を振った。そして、ソイツに向き直る。
「良イノカ? 後悔スル事ニナルゾ」
「何が……?」
言い掛けて、ニアは立ち竦んだ。
ソイツはニアの目の前まで素早く床を伝って来ると、人の姿を取り始める。
ニアは息を呑んだ。
「何コイツ。ニアに化けてるの?」
ソイツは瞬く間にニアの姿を模倣した。
「ドウカネ、自分ト同ジ姿ノ私ガ倒セルノカ?」
自信ありげに言い放った。
しかし、ソイツの姿は一定の状態を保つことが出来無い様だ。ニアを模倣した姿もすぐに輪郭が歪んで溶けてしまう。
ニアの手が震えた。
「くっくっ……ぶぁっはっはっ!」
いきなりニアが笑い出す。
「何ぃ~それ、ニアなのぉ? キモイ~」
同じ顔ならマックもそうだ。だが表情が全く無い。そしてそれがニア自身の顔。気味が悪かったが、それ以上に、崩れて行く顔を見ていて可笑しかった。
「黙レ!」
ソイツの一部分が、ニアの首に向かって素早く伸びる。
一瞬でニアの表情が真顔になった。
「同じ手は効かないよ」
予備動作無しにかわしてレーザー・ソードを薙ぎ払ったが、ソイツもほぼ同時に反応した。
直感的に、ソイツに触れれば無事では済まされないと悟る。取り込まれれば終わりだ。事の重大さがニアにも把握出来る。
ニアの額から、珠のような汗が噴き出し、心拍数が上がった。
「落ち着かなきゃ。落ち着いて……」自分でそう言い聞かせながら、間合いを計る。「ここから先へは行かせないよ」
* *
僕はニアの居た病室に戻っていた。
そして、再びパソコンに向かう。遠隔操作でのH・Dを止める為に。いや、止める事が出来なくても、少しでも時間稼ぎが出来れば脱出の可能性はぐっと上がる。
システムに侵入した。緊張でマウスを持つ手が震えている。僕の額に汗が滲んだ。
「……ダメだ。どのシステムも外部操作でロックが掛かっている」
一つずつ解除していけない事もないけれど、これでは時間が掛かってしまう。
何か方法がある筈なんだ。方法が……
気持ちばかりが先走る。
瞬く間に画面全体が赤くなり、エラーの文字が点滅して完全に操作不能になった。
ダメか……
僕は強制操作で画面を切り替えて、今度はエルフィンと創りかけていたトラップを開いた。
ニアは、自分と互角の反射神経を持ったソイツに手を焼いていた。肩で大きく息をしながら、何とかソイツから逃れる手立てを巡らせている。
一瞬でも触れれば取り込まれてしまうから分が悪い。
「わ?」
突然、ニア達の居る通路のスプリンクラーが一斉に作動した。同時に、エア・シャッターが唸りながら閉じてゆく。
閉じ込められてずぶ濡れになったニアとソイツは一瞬、怯んだ。
「ええ〜っ? あ、あに? ちょっとぉ! ニアまで閉じ込められちゃったじゃないよー!」
ニアは焦って大声で怒鳴った。
(ニア、ニア)
僕はニアの心の中へ呼び掛ける。
(え?)
(僕の声が聞こえる? 今から、一、二の三で飛んで。いいかい? 出来るだけ高く飛ぶんだ)
(う……うん……?)
(行くよ? 一、二の三!)
僕は実行キーを叩いた。
ニアは訳も解らずに指示された通りに思いっきり飛んだ。滞空時間が出来るだけ長く取れるように、体を丸めて膝を抱える。
床一面に強烈な閃光が奔った。通路の照明器具やパネル等が火花を散らし、音を立てて破裂する。
ニアの姿をしたソイツが閃光に包まれて悲鳴を上げた。光は尚も輝き、辺りの床一面を真っ白に呑み込んだ。
ニアは、あまりの眩しさに直視出来なくて、両腕で眼を覆う。
一気に集束した閃光は掻き消され、その床にニアが身軽に着地する。
(早く! 今のうちに!)
僕はニアの後ろのエア・シャッターを開けて促した。
すぐ横の壁面に、ジェット式のストレッチャー(担架)が設置されている。二つ在ったらしいが、一つはエルフィンが使って行った様だ。
ニアは急いでストレッチャーを取り出して拡げた。そして、サーフィンの要領で素早く飛び乗ると、スイッチを足で踏み込む。
ストレッチャーは、一定の高度を保ちながら、風を切って滑る様に進む。ニアは腰を低く落すと、レベルを最大値に切り替えた。巧に左右に拡げた手でバランスを取り、体重を移動させながらコーナーを曲がる。
ニアのいた個室からもう一人のニアが顔を出す。
「マック!」
「後ろ!」
僕の声に、ニアは一瞬だけ振り返った。
目の隅で、ソイツが元の流動体に戻って、追い掛けて来るのが見える。よく見ると少し遅れて同じモノが幾つも群れの様になって集まって来ている。
「うあー! 増えてる!」
ニアはレーザー・ソードのスイッチを入れて逆手に持つと、槍投げの要領で投げつけた。
ソイツが避けようとして、動きが鈍る。
「マック跳んで!」
ニアは右手を一杯に差し出した。
スピードを緩めずにこのまま掠める様にして僕を連れて行く心算だ。一瞬怯んだけれど、状況が僕を許さなかった。
「わ?」
ジャンプした僕は思わず声が出た。
身体が軽い。何でこんなに軽いんだ?
僕は、今まで僕の身体では味わえなかった心地好さを感じ取っていた。普段の生活でさえ思う様に儘ならなかった僕の身体とは大違いだ。
けれど、そう手放しで喜んでも居られなかった。
追って来たソイツが、僕の足に触れそうになる。
「ニア、ごめん」
僕はそう言って直接ニアの中に戻り、ニアの姿をした僕は唐突に消えた。
ニアが一瞬不思議そうな顔をしたのが見えた。
「きゃう!」
激しい頭痛に襲われ、ニアが頭を抱えて悲鳴を上げる。一瞬、バランスを崩しそうになったが、辛うじて体勢を立て直した。
(だから、ごめんって)
前にエルフィンが襲われた時にも直接ニアの中に戻った事がある。でもあの時は僕もニアも夢中だったから、集中し過ぎて頭痛の感覚が麻痺していたんだ。
重さが半分になったストレッチャーはたちまち加速する。だが、ソイツ達も一層ムキになって追い掛けて来た。
「ニアちゃん! こっちよ!」
エルフィンの声が聞こえた。
見ると、ポッドの前に出て来てニアを待っていた。
「早く入って扉を閉めて! 早く!」
「ええっ、そんな事したらニアちゃんが!」
ニアとエルフィンの距離はまだ優に三百メートル以上ある。
「いいから、閉めて!」
ニアは叫ぶと、ストレッチャーから伸び上がった。脱出ポッドの扉が急速に閉まりかけている。
ストレッチャーに急ブレーキを掛け、ニアは扉に向かってジャンプした。
扉は船の外壁部側面に少し引っ込んだ場所にある。通路から直線的には進入出来ないが、ニアは一旦外壁部の窪んだ所を強く蹴り、ワンクッション置いて飛び込んで来た。
ストレッチャーが操縦者を失って失速し、派手に左右の壁にぶつかりながら大破して辺りに破片を撒き散らした。
ニアがポッドに飛び込むのと、扉が閉まるのがほぼ同時だった。