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デリート  作者: 和貴
10/12

第10話 罠

「何が入っているって? これに」

 赤毛の男は、金属で出来た黒い箱の様な物を乱暴に足で蹴った。

 見た目よりも重かったらしく、男は顔を顰めながら蹴った足を庇って飛び跳ねる。

「さあな? 一応、鑑識に出すんだと。何でもスター・ミューズから出て来た物なんだと。おい、乱暴に扱うな。一応、生命反応が確認されているんだぞ」

 もう一人の男が嗜める。

「へっ、生命反応? こんな箱にどうやったら収まるってんだよ?」

 男は馬鹿にした様に笑った。

 その箱は、縦横三十センチ四方の立方体だった。せいぜい人の頭部が収まる程度の大きさでしかない。

「小人族でも入っているってか?」

 肩を竦める。

「確かにな。だが、上からの命令だ。聞かない訳にはいかんだろ」

 そう言って煙草に火を点ける。

「あと二日もすれば、ステーションに到着だ。俺達はそこでコレを引き渡してお終いさ。お前にはくれぐれも言っておくが、面倒な事は御免だからな」

 彼は相方に釘を刺す。青白い煙草の煙が彼の身体に纏わり付く。

「おい、お前こそ火気厳禁じゃないのか?」

「ああ? 良いの良いのコレ位」

 彼はしたり顔で煙を吐いた。

「可燃物の検査済み。引火性は無いんだと」

「本当に入っているのかよ?」

 赤毛の男が、今度は箱を揺すった。

「ん?」

「どうした?」

「水みたいな反応がある」

「水? 水に生命反応か……多分培養液か何かに浸かっているんだろうな」

「ああ、たぷたぷいってるぜ……ん? ここに繋目があるぞ」

 男は繋目にナイフを宛がった。

「おいバード、止せよ。何が入っているのか判らないんだぞ。勝手に……」

「……開いた」

「え?」

 バードと呼ばれた男が抱えていた箱から、水の様な液体が流れ出して彼の膝を濡らした。

「うわー、気持ち悪ィい! 何だよ、二重包装じゃないのかよ?」

 バードは悪態を吐きながら箱を乱暴に放り投げ、濡れた膝を手で擦った。

「おい!」

 もう一人が慌てて箱の行方を目で追った。

 箱は抉じ開けられた所を下にして庫内の隅に転がったが、中には何も入っていない様だ。別段、変わった様子は認められない。

「何てェ事してくれたんだ!」

 嗜めようとバードに向直った。

「え?」

 視線が泳いだ。

 たった今までそこに居て、自分と話をしていたバードの姿が何処にもない。

「おい、バード? 揶揄るのは止めにしようや。何処に行った?バード?」必死になって辺りを見回すが、彼の姿は忽然と消えている。「……おかしい……」

 彼は上着に手を滑り込ませて銃を取り出すと、慎重にバードが座って居た小型のコンテナに近寄った。バードを汚した水の様なものの形跡も無い。

 彼は訝りながらもコンテナに触れてみた。

 まだ暖かい。確かにバードは此処に座っていたのだ。

 暫くの間、息を殺して様子をうががうが、依然彼からの返答は無かった。

「バード! 揶揄るのは止せって言ってるんだ!」

 もう一度庫内に響き渡る声で怒鳴った。バードの気配が忽然と消えている。

 耳が痛くなる程の静寂が彼を襲った。心臓の鼓動が早くなる。

「……」

 はっとした。不気味な殺気が自分の頭上に突然現われる。


  *  *


 三島とアーヴィンは、揃ってニアの部屋を後にした。

『オースティンさん、ニアを護ってくれた事は感謝しています。でも、僕は貴方を許せない』トゲのあるマックの言葉が、未だに耳に残っている。ニアに随分酷な事をしたのは百も承知だ。だが、言葉の真意が読み取れないでいた。

「……気になるかね? 彼の言葉が」

 アーヴィンの表情を読んだ三島は、穏やかに言った。

「あ? ……え、ええ」

「図星の様だな? 顔を見れば解る。心当たりがあるのではないのかね?」

「それが、ありすぎて……」

 アーヴィンは自嘲気味に笑った。

「アーヴィン」

「はい?」

「このわしが、今更こんな事を言うのは何なんだが……」

 三島は改まって軽く咳払いをした。

「アーヴィン、どんな事にも関連して来る事だが、止めようと思ってそれを実行するのは一分、一秒でも事足りる。簡単な事だ。が、反対に諦めずに問題をどう乗り越えて行くか、どう継続していくかが大切なのではないかな? 否定的に捉えず、もっと現実に正面から向き合わなければな。否定し続け、逃げているばかりでは行くまい。何の解決にもならんぞ」

 三島はそう言って、アーヴィンから受け取った銃にスーツの上から手を当てる。

 自分がその銃で何を遣ろうとしていたか、三島にはお見通しだったのだ。

 昔と同様、言葉を遣わずに黙って諭す三島に、アーヴィンはきまりが悪くなって眼を逸らした。

「解っています。いえ、解っている心算です。ただ……それを、四年前に委員会の連中が解ってくれていれば……」

「……すまん」

 不意に三島はそう言って、彼に頭を下げた。三島もアーヴィンと思う処は同じのようだ。

「止して……下さい」アーヴィンは顔を背けて首を振った。「貴方のせいじゃない。違うんだ。でも……」

 今ここで視線を合わせたら、今までの恨み辛みを全部彼にぶちまけてしまいそうだった。そして、そんな脆い自分が許せなかった。


「間もなく、月のステーションに到着する。どうだ、肴の旨い処を知っておるのだが寄って行かんか?」

 三島には、アーヴィンの張り詰めていた気が緩んで行くように感じられる。

「機会があればまた今度。仕事の片付けがありますから」

「……そうか」

 お決まりの社交辞令で断られてしまい、三島は歩を止めて彼を見上げた。身長差で自然とそうなる。大きくなったな。いや、大きくなり過ぎるぞと思った。四年前に別れた時の目線は、確かもっと低かった筈だ。

「何か?」

 アーヴィンの澄んだ蒼い瞳が真っ直ぐに三島を見詰める。

「わしの旧コードは抹消せずに残しておこう」

 その言葉が何を意味しているのか、アーヴィンはすぐに理解する。

「三島さん……」

 アーヴィンは三島に敬礼をしようと、背筋を伸ばした。そして、右手を挙げる……が、その手は彼の胸の前で止まった。一瞬、躊躇ったが思い直して深々と頭を下げる。

 自分はもう既に軍の人間では無い。尤も、アーヴィンは軍の一員だとして認めて貰った事さえ無かった為、正式な敬礼は見よう見真似でしか知らないのだ。

 三島は軽く頷くと、アーヴィンの前を通り過ぎた。そして徐に軽く右手を挙げる。

 アーヴィンは彼の背を見送った。

「おお、そうだった」

 たった今、別れた筈の三島が、慌てて戻って来た。

 アーヴィンの左肩が、かくっと下がる。

「どうしたんです?」

 苦笑しながら尋ねた。何だか憎めない。お茶目な三島は健在のようだ。

「これをお前に返すのを忘れておったよ」

 三島はスーツの懐から彼の銃を取り出した。

「本部に持って帰る処だった。わしが持っていても使い物にはならん」


 不意にアーヴィンは異常な気配を察知して、視線を銃から外した。三島も間接的に、彼の様子から(ただ)ならぬ気配に気付く。

 二人とも身構えて辺りを見回した。アーヴィンは素早く銃を鷲掴みにして受け取ると、周囲に気を配りながら安全装置を外す。

 絶妙のタイミングで三島の携帯が鳴った。

「どうした? 何があった?」

 珍しく、ノイズが多くて聞き取り辛い。

「何? 聞き取れんぞ! おい? ……あっ、ええい切れたか」

 三島は渋々携帯を切った。

 アーヴィンは神経を尖らせて、辺りを一層警戒する。

「何だ? この感じは……」

 神経を逆撫でされるような嫌な予感がした。何かを素早く引き摺っている音が、次第に近付いて来る。

「後ろか? ……いや、前?」

 通路で反響音が廻っていて、位置の特定が困難だ。

「!」

 ソイツは、通路天井部に設置されている排気ダクトの側面を伝って、素早く移動していた。

 反射的に身体が動いた。立て続けに引金を引く。ダクトが破損して、そこから蒸気が噴出した。

「なっ、外した? 馬鹿な……」

 動きを予測して撃ってみるが、尽くかわされる。

 ソイツは、黒っぽい金属のような光沢を帯びていた。形は不定形。流動体の物質ではあるが、厄介な事に、自らの意思を持って動いているようにしか見えない。前進するのに、左右へと廻り込み無駄な動きが多い癖に、動きが速い。しかもその動きには規則性が見出せないのだ。

「本当に生物なのか?」

 動き回っている以上、認めざるを得なかった。

 アーヴィンよりも遥かに動体視力が劣っている三島が目視で確認出来た時、ソイツは既に彼の背後から覆い被さろうとして、大きく空間に拡がっていた。

「三島さん!」

 アーヴィンは咄嗟に三島に体当たりをして、彼を通路脇に突き飛ばす。アーヴィンは三島の代わりに身体を包み込まれた。

「アーヴィン!」

「逃げてください! 今のうちに! ……早く!」

「しかし……」

 三島は躊躇する。

「行って下さい! 俺の代わりは在っても、貴方の代わりはいない」

 アーヴィンは掴み処の無い生物に巻きつかれる。

「早く!」

 三島はアーヴィンの声に追い立てられる様にその場を離れた。背後で非常警報装置のハードカバーが割れて、警報装置が作動する。

 狙って引金を引くが、至近距離だというのに外される。

 引金に手応えが無くなった。弾切れだ。アーヴィンは舌打ちした。

=何度撃ッテモ同ジ事ダ……ぐれねいちゃカ? エエイ汚ラワシイ。

 耳元で耳障りな声がした。視覚器官も聴覚器官も到底備えていそうに無いモノが喋っている。

(こいつ、喋れるのか?)

=嫌、オ前ノ頭ニ直接話掛ケテイル。

 ソイツがにやりと笑った様な気がした。

=ホウ、オ前すたー・みゅーずニ居タノカ。

(が、どうした?)

 アーヴィンはもがいた。記憶を探られている。

=アノ小娘、生キテハオルマイト思ッテイタガ……ソウカ。アノ小娘……何処ニ居ル?

「知るかよッ!」

=他ノ奴等ハ殺ッテシマッタガ、オ前ニハモウ少シ付合ッテ貰オウ……面白イ。ナカナカノ経歴デハナイカ。

 ソイツはクククと笑った。何もかもお見通しだと言わんばかりだ。

 ニアのか細い幼児体形が目の前に浮かんだ。背筋に冷たいものを感じた。ある程度なら、ソイツの考えている事がアーヴィンにも伝わって来る。

「ニアは生殖年齢には達していない。残念だったな」

 アーヴィンは鼻で笑った。ソイツは器となる人物を探している。ニアが危険な目に遭うのは、簡単に予測が付いた。

=遺伝子操作ガ出来ナイトデモ?

 ソイツが馬鹿にした様に嘲笑った。



 あと八時間弱で月のステーションに到着する予定だった船内に、非常事態を告げる警報が鳴り響いた。簡単な身支度をしていたニア達は、驚いて飛び上がる。

 左足を軽く引き摺ってニアは通路を覗き込んだ。突然の警報に、外は騒然としている。

 エルフィンは、部屋に常備されていたハードケースのパックから、慣れない手つきで銃を取り出した。

「タニアさん!」

 乗員達の流れに逆らって、担当の看護師が血相を変えて来るのが見えた。

「だから、タニアじゃないってば」

 勝手に偽名を使われたニアが不満そうに口を尖らせる。

「至急、上の第五セクションに移動して下さい」

 看護師は慌ててニアの手を引こうとした。

「何かあったのですか?」

 エルフィンが銃を後ろに隠し持ち、ニアの頭越しに訊ねる。

「詳しい事は知らないの。ただ、最下層の格納庫で異変が起きたみたい。何かが此方へ来ているの。船内セキュリティも故障しているし」

「故障? 状況が判らないと、対処出来ないわ。上階へ逃げ込んでどうなる訳でもないでしょう。」

 冷静なエルフィンに看護師は戸惑った。

「まさかこの船を見捨てる心算? そんなに危険な事が起きているの?」

「上からの指示です。貴方も従って下さい」

 お決まりの台詞だ。

「格納庫って、言ったわよね」

 エルフィンはパソコンに向かうと、不自由な手付きで船内セキュリティに接続する。思う様に動かない自分の新しい手が腹立たしかった。

 素早く庫内の移動履歴を調べた。格納庫は六つあり、第一から第四は物資の移動は無い。

「ねぇ」

 エルフィンは振り向いて看護師を見上げた。

「この、第六格納庫にだけ人が配置されていた様だけど、どうして?」

「それは……機密事項に触れる事なので」

 看護師の視線が逸れる。

「知っているのね?」

 エルフィンは険しい顔で看護師を見詰めた。そして、片手で前髪を掻き揚げる。

「言ってあげましょうか? 貴方達、もしかしてスター・ミューズに乗船していた生存者全員。いえ、外観はともかく、まさか生体反応が認められたモノ総てをこの船に乗せているのじゃないでしょうね?」

 エルフィンは眼を細めた。彼女の心の内まで見透かしている様な眼だ。その視線から逃れる様に看護師が顔を逸らす。

「私の口からは……」

「流石ね。大した忠誠心ですこと。この非常事態でも口を割らないのだもの。良い心掛けね。」

 何度も頷き、皮肉たっぷりに言ってやった。

 ミューズ社が何を遣っていたのか、軍は既に黙認し、それどころか容認していたらしい。

「ニアちゃん、彼女と先に避難していて」

「エルフィン?」

「いいのよ」

 エルフィンはニアに精一杯の余裕を持って微笑んだ。


  *  *


(ニア)

 僕はポツリと話し掛ける。

(あに?)

 ニアは看護師に急かされて先を急いでいた。

(いいの? 本当に)

(だから、あにが?)

(何かがこっちへ来てんだよ? エルフィンそのままにしちゃっていいの?)

 僕は不満そうに話掛ける。

(だって、ニアが残って何が出来るのよぉ)

(彼女、サイバー処置受けたばっかなんだよ? ニアだって、不自由そうにしてたのを見てたじゃないか)

(……うん……)

 ニアは手を引いている看護師を止めた。丁度上りのエレベーターが目の前で停まる。

「あ、あの、やっぱり行かない。ニアはエルフィンの所に戻るよ」

「タニアさんまで、何を言っているの? 皆非難したのよ? 早く指示通りに行って下さい。上部フロアに行けば、脱出用ポッドがあります」

 看護師は先にエレベーターに乗り、強くニアの手を引いた。

(! やっぱりこの船を出るんだ)

「あっ! タニアさん待って!」

 ニアは、看護師の手を振り払って、引き返そうとした。

「ここは、指示通りにして下さい。貴方まで危険な目に遭うかも知れないのよ。子供の貴方が行ってどうなる事じゃないわ。聴きなさい」

 看護師は尚もニアの手を引こうとして揉み合った。

「タニアさん!」

 ニアも必死に抵抗する。看護師はやむを得ずスタンガンを取り出したが、悲鳴を上げて倒れたのは看護師だった。ニアの右手には、彼女から素早くもぎ取ったスタンガンが握られている。

「ごめんね」

 ニアを残してエレベーターのドアが閉まった。



 戻って来たニアを、エルフィンは叱った。

「何故言われた通りに出来ないの?」

 軽い眩暈がする。まさかとは思っていたが、本当に戻って来るなんて思っても見なかった事だ。少なくともエルフィンの知っている子供の中には、ニアの様な無謀としか言い様の無い子は居なかった。

「だって、エルフィンも此処に居るじゃない」

「私はいいの。まだ間に合うわ、行きなさい。早く!」

 ニアは怖くはないのだろうか?

 エルフィンは頬を紅潮させて言った。

「やだ!」

 暫く二人で睨み合う。

 エルフィンが操作していたパソコンからかわいい電子音が鳴った。彼女が電子音に反応する。

 もしかして、自分の事を心配して戻って来たと言うのだろうか?

 ほんの少し、心がくすぐったくなる。

「もお、知らないから」気持ちとは裏腹に、つい投遣りな言葉が口を突いて出る。「戻って来なくても大丈夫なのに……」

 そうは言ったものの、簡単なキー操作が思う様に出来ない。エルフィンは身体に馴染まない両腕に、内心では不安と苛立ちを募らせてる。

「僕が遣るよ」

 見兼ねてマックがニアを映していたガラスから出て来た。左右対象になっている双子がエルフィンの傍に立つ。

「……お願い」

 エルフィンがほっとした表情を見せて席を譲った。本当は助けが必要だったらしい。

(ウソつきぃ)

 素直じゃない、彼女を見ていたニアが不満そうに膨れた。尤も、彼女は誰が頼りになるのかぐらい解っている。

 マックはニアと協力し、彼女に手を貸してベッドに座らせた。

「ん?」

(何だか、エルフィン熱いよ?)

 ニアも気が付いたみたいだ。

(術後なんだから熱も出るさ。気付かないフリしていよう。彼女、僕達にあまり弱みを見せたく無いみたいだよ)

(……うん)

「もうこの階にまで来ているわ」

「今からトラップ創ってる暇ないかな?」

「出来ないことも無いわ。付け焼刃だけどね」

「これ?」

 マックは身体を捩ってエルフィンに画面を見て貰う。

「そう」

「……」

 二人の遣り取りを聞いていたニアだが、内容の方はさっぱりだった。

(あによ。マックってば、エルフィンを助けたいの、自分じゃないのよぉ)

 軽く嫉妬してしまう。自分の居場所が見付からないニアは、すぐそこまで来ているらしい危険物に対して俄かに好奇心が頭を擡げた。


 船内の警報はまだ鳴り響いている。ニアはひっそりとして人気の無くなった通路に出た。

 照明が非常灯に切り替えられて薄暗くなっている。所々で異常を示す赤色警告灯だけが賑やかに点滅していた。その通路のずっと奥に、誰かがまだ残って居る気配がしている。

「?」

 ニアは息を詰めて、気配のする方へ用心深く小走りに近寄った。

 足音を忍ばせてそっと近寄り、息を殺してじっと見詰める。

 背の高い男が、通路脇の手摺に寄り掛かっていた。片手で顔を覆っていたが、それが誰なのかニアにはすぐに判った。

「何ぁーんだ。アーヴィンじゃない」ほっとして、ニアは彼の方へと駆け寄った。「どしたの? まだ此処に……」

 アーヴィンが顔を上げ、二人の視線が合った。

『居たの?』と言い掛けて、ニアの表情が強張った。 

 顔色を変えて、二、三歩思わず後退る。

 アーヴィンは全くの無表情だった。しかもニアが見惚れた蒼い瞳は何だか淀んで生気が感じられない。驚いたニアはアーヴィンから離れようとした。

「きゃん!」

 いきなり彼の右手がニアを捉えた。瞬時に逃げる方向を切り替えたが、彼の腕は不自然に伸びた様に見えた。

(そんな……?)

 ニアは持ち前の反射神経で誰にも捕まらない自信があった。なのに簡単に正面から首を乱暴に掴まれ、締上げられている。幾ら相手がアーヴィンでも俄かには信じられなかった。

 そのまま片手で通路脇の壁へと物凄い力で押し付けられた。ニアは宙に浮いた両足をバタつかせる。

「見ツケタ」

「!」

 ニアの髪が逆立ち、鳥肌が立った。

 ぞっとする様な耳障りな声でアーヴィンが喋った。彼の声ではない。何処かで聞いた事があった様な気がするが、今のニアにはそれが誰だか思い出せない。

(アーヴィンじゃ……ないの?)

 ニアは両手で彼の手首に掴まった。姿はアーヴィンなのだが今は全く違う気配がしている。

「だ……れ?」

(く、苦しい……)

 息が詰まって意識が薄らいだ。

「俺さ。判らないのか?」

 アーヴィンはにやりと笑った。彼の腕が奇妙な動きをしていた。皮膚の下で何か別の生物が居る様に見える。

 いきなり彼の腕の皮膚を突き破って、幾つもの黒っぽい筋状のモノがニアの首に襲い掛かった。掴まれている首の周りに、刺す様な強い痛みが奔る。

「ああ!」

 それは、ニアの首の皮膚を切り裂き、頚動脈から容赦なく彼女の頭部へと侵入して行く。

 全身に痛みが奔った。内出血した血が口や鼻、耳からも溢れ出す。視界も例外では無かった。目の前が真っ赤になっり、血の涙が溢れる。

 堪らずに悲鳴を上げた。

「アーヴィ……止め……!」

 唇を塞がれた。必死になってもがくが、力ずくで押え付けられる。

 彼の事は嫌いではなかった。少し怖い時もあるけれど、何処かで彼に惹かれていた。

 本人の意思は完璧に無視して、ステーションに着いたら、別れ際にキスして貰おうかな。なんて一人で勝手に想像して赤面していたのも事実だった。

 けれど、今の彼は別人の様だ。

(イヤだ! こんなの!)

 彼に唇を重ねられても赤い涙が止まらない。悲しくて胸が張り裂けそうだ。

 ニアの体に異変が起こった。

 急速に体が成長して行く。瞬く間に手足が伸び、髪や爪が物凄い勢いで伸びて行った。ニア自身、コンプレックスだった幼児体型から思春期の第二次性徴期へと一気に変化して行く。

 背が伸びても、足はまだ床には届いていなかった。逆に、体が大きくなった分首への負担が大きくなる。

 彼の片手がニアの襟に掛かり、シャツが力任せに引裂かれる。細い右肩から胸元が露わになった。小麦色の肌にランニングシャツのラインがくっきりと白く浮かび上がる。

 ニアの胸元に四本の赤い擦り傷が付いた。

「やだぁ!」

 ニアは必死に抵抗しながら隠し持っていたスタンガンをアーヴィンに押し付けようとした。 だが、簡単に払い落とされその手首を掴まれて締め上げられる。

「あうっ!」

 肘から電気が流れた様な痛みが奔った。

「ニア、そんなに俺が嫌いか?」

 アーヴィンの声が耳元で囁いた。締め付けている首筋にぐっと力が篭められる。

 気が遠くなる。

(イヤだ! マック……助け……)


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