第1話 化粧品
「止めろ……止めて!」
僕の声が震えた。
遅くなった学校の帰り、僕は初めて目にする奇妙な「ヒト」達に呼び止められた。
彼等は外見上、ヒトの身体を模してはいるが異星人と人間とのミックスだ。
自然光(太陽光)を極端に嫌う地下の都市社会に棲む住人で、肌は僕よりも青白く、堅く絡まった頭髪はそのまま。凡そ身嗜みといった衛生上にはお構い無し。彼等は「エレメンタル」(突然変異種)と呼ばれていて、時には僕達の言う「超能力」なんかを持ち合わせている「ヒト」も居るらしい。
雑居ビルに囲まれた人気の無い狭い路地に僕は連れて行かれ、いきなり乱暴された。薄暗い暗闇に反響する複数の靴音が入り乱れ、僕の悲鳴が混じる。
僕の両腕は左右とも奇妙な方向へと折れ曲がっていた。全身の感覚が麻痺している。呼吸する度に胸からは不快な音がして、鼻の奥がキナ臭くなっていた。
僕は彼等の一人に胸倉を掴み上げられる。彼等の狂気を帯びた黄色い眼が、闇の中で爛々と光った。
「助けてっ……」
僕は固く眼を瞑って祈るように何度も口走っていた。その間にも、何人ものエレメンタルに突き飛ばされ、蹴飛ばされる。
どうしてこんな街中に彼等が居るんだ? 移民局は何を管理しているんだ?
無惨に殴られ、暴行されているのに、僕の頭のはそんなコトを冷静に考えていた。
自分の感覚を遮断して麻痺させているもう一人の僕が居る。物凄く不自然で奇妙な感覚がしている。
集中力がある一定の基準値を超越すれば、その五感は意識と分裂する――
詰まり、痛覚等の感覚が無くなると何処かで読み齧ったのを思い出していた。但し、その域に到達するのにはかなりの熟練が必要だとも記載されていたみたいだったけど……?
変だ。こんな事初めてだ……
僕の頭とは別に、感覚を切り離された身体から荒々しい息遣いが漏れる。
「ぐっ!」
投げ出された胸の上を足蹴にされた。
身体が大きく「く」の字に曲がり、嫌な鈍い音がした。堪らずに戻した物は、大量の血液だった。目の前の真っ赤な血の色に、僕の分離していた意識は一瞬で引き戻されてしまう。
苦痛に歪めた顔を、ほんの少し持ち上げた。
僕のすぐ傍で、一緒に居た双子の「もう一人」が同じ目に遭っている。
僕達が何をしたって? 言い掛りを付けて来たのは彼等だ。造りが同じでも僕達は別々だ。双子で何が悪いんだよ?
ナニモシテナイノニ……
「誰か……誰か助けて!」
路地からは本道に続いており、そこから沢山の人が通り過ぎて行く。でも、誰もが僕達から眼を逸らせ、見ない振りをして立ち去って行く。
どうして?
「馬鹿め、俺達エレメンタルに歯向う奴が何処に居る!」
彼等の嘲る声が、僕達の恐怖心を一層掻き立てた。
(誰も助けてはくれない。このままだと二人共殺される……)
「嫌だ! ……死にたくないッ!」
恐怖と絶望の中、僕は双子のもう一人の意識と同調してパニックに陥った。
全身が燃えるように熱い。
目の前が真赤に染まり、続いて辺りの物が真っ白に溶け込んだ。眩いばかりの光は総てを覆い尽くし、そして……
* *
ガラスの罅割れる鋭い音と、自分の叫び声にはっと目を覚ました。
上半身がベッドから摺り落ちていた。
全身汗でびっしょりになって喉の奥がカラ々だ。
(キモチガワルイ……)
僕は両腕を掻き寄せて、ぶるっと身震いすると、軽く咳き込んだ。
(……風邪?)
その時僕はこの異常にまだ気が付いていなかった。本当に単なる風邪だと思っていたんだ。
「マック、なぁに? 今の」
ドアの外で聞き慣れた声がした。
夢? そうか……そうか、夢だったんだ……良かった……
緊張が一瞬で萎えた。
なんとか落ち着こうとして、額に張り付いた前髪を掻き上げる。
「……」
僕はテーブルに置いていたメガネのレンズが割れている事に気付いた。
肩で息をしながら、汗でじっとりと濡れた右の掌を見詰める。
(……また壊しちゃった)
今度は全身が震え出した。
夢だと判っても、言い表しようの無い焦燥感は消えてない。それは僕にとっては余りにもリアル過ぎた。
だって……また見たんだ……同じ夢を。
人口の増加に伴い、人々は安住の地を宇宙へと求めて行った。
何世代にも亘って第二の地球を探す旅。
そしてもう一方の道を選択した僕たちの祖先は、地球の傍に月と同様の巨大衛星を創り出した。
「エア」と名付けられた第二のコロニーは、その総てが人工的に創り出された物だった。地表と呼ばれる大陸の周りには空気が満たされ、地球と同じく自然が造り出されていた。
自然が人工的に創られた物で在ること以外は、何ら地球と変わらない。むしろ地球よりずっと浄化されていて綺麗なのかも知れない。
そして、一時は安息を得られたかのように見えた……けれど、過去から積み重ねられて来た戦争兵器汚染や食物への過剰な遺伝子操作等様々な人為的要因から、世代交代が何世紀と続かぬうちにいつの間にか人々のDNAは汚染され、傷付けられていた。
勿論、地球外生物との交流もあって、いつしか人間とエレメンタル(突然変異の知的生命身体)、サイバノイド(人造人間)との確執。加えて旧世紀から続いている、人間間での人種差別問題も未だに根強く残っており、深刻化の様相を呈していた。
「入るよぉ?」
軽い電子音がして、ドアが開いた。
肩に掛かるさらさらの栗色の髪。
ツリ眼気味のくりっとした大きな瞳は、まるで猫の瞳のように光の加減で濃い金色にも真紅にも見える。
体型は小柄で華奢な……どっちかと言うと痩せた小学生に見える女の子が立っていた。
しかも、彼女は僕と全く同じ顔、同じ背格好なんだ。
その彼女が仏頂面をして、しきりに右の利き手を振っている。
うわっ、すごく不機嫌。
「何? また静電気?」
彼女は僕の問い掛けに軽く頷いた。そして、のろ々と起き上がり、ベッドに据わり直す。
「な……何?」
肩を竦めて身構える。
努めて平静を装うけれど、僕の眼は既に怯えて腰が完全に退けているのが自分でも解った。
「あんたねぇ〜」
彼女はぐっと顎を引き、上目遣いで睨み付けた。
その瞳が紅く光って、自分と同じ顔なのに、何故だか彼女が怖い。
「ゴミは収集日が決まってるの。って何度言ったら分かるのよぉ。しかも、全然分別出来て無いしぃ」
「……はぁ?」
拍子抜けする。何かと思ったらこれだもの。
「……煩いな。後で分けようと思って取敢えず出しておいたの。別にニアに頼んだ覚えは無いよ。迷惑かけてないし。それにあのゴミだって……」
「そぉ言う問題じゃないの。玄関に置いてたら邪魔でしょ? 邪魔。それに、この前(授業を)休んだ時、ノート貸してくれた子にちゃんと返してお礼言ったの?」
言い掛けた言葉を偉そうに遮られてムッとする。そりゃあノートはまだ返していないし、当然何もしていないけど……
「っちいち、煩いよ。どうだっていいじゃないか。貸してくれって僕が頼んだ訳じゃないし。第一、ファラが勝手に持って来たんだ。礼を言う必要なんかな……」
最後まで言わせて貰えなかった。
ニアはつかつかと歩み寄り、いきなり僕の鼻を摘んだ。
「イデデデッ!」
「あ〜に言ってンのよ。マックってば、人に感謝するって気持ちとか、礼儀とかってのは持ってナイの?」
「相手のお節介にまで礼言う必要なんかないっつーの。ったたたっ」
「まだ言う!」
今度は両耳を握って乱暴に揺さぶった。
「いぃ〜ってえぇぇぇ〜!そーだよッ!」
「バカッ!」
ニアはやっと手を放した。
僕は呻きながら、両耳を押さえて蹲る。
この恐ろしく乱暴なのが、僕のもう一人であるニア・ロディナル。十二歳。
ドクターが言うには、一卵性双子で性別が違っているのは珍しいそうなんだ。
背格好では、元々二人共標準よりも成長が遅れているせいもあって、髪の長さと僕が掛けている眼鏡でしか二人の区別が殆どつかない。
ただ、決定的に違うのは、病弱で通院生活を余儀無く強いられている僕と違って、陸上部で走り回って真っ黒になっている彼女とは明らかに肌の色が違っている。今は紫外線が一番強い時期だからなおの事だ。
それで初対面の人からは、よく僕が女の子で彼女が男の子だと勘違いされてしまう。双子で造りが同じなんだから、仕方無いけど。
尤も、常に医師の手が必要な病弱の僕に、元気が服着て歩いてるようなニアを比べるってのも、根本的に間違っているような気がする。
僕達は別々の環境で育っていた。ニアと会ったのはつい半年前の事だ。
ニアは僕の存在をずっと前から知っていたそうだけど、僕は彼女と出会う寸前まで自分が双子だって事知らずにいた。
だけど、僕達が出会う前には、時々行った事も無いような所へ行った夢をお互いが見ていた。この事は後で分かったのだけど、どうやら僕達はお互いの体験を共有出来て、心だけで会話出来る精神共鳴の能力があるそうだ。
そして、お互いの共有した情報は眠っている時に見る「夢」として記憶され、蓄積されている。一緒に生活し始めると、ニアからの共有情報は多くなり、僕はベッドに居ながら、頻繁に彼女からの情報を得ていた。だけど、それはみんな彼女の体験情報であって、僕の体験じゃない。
以来、学校へ行けるようにまで回復した僕は、半年経った今でもしばしば自分の置かれている状況に順応出来ないで居る。でも、もっと混乱していたのは僕達を取り巻く周囲の人達だった。眼鏡の有無や肌の色で判断出来るけれど、それ以外では二人の微妙な違いに気付かなければ、僕達の区別は無理。
それだけ僕達はそっくりだったんだ。
ニアは、窓のブラインドを全開にした。
溢れんばかりの光が射して、思わず片腕で眼を覆う。
ニアに苛められたせいかも知れないけど、何だか身体がだるくて気分が悪い。
「さっさと着替えなよ? ニアはもう行くからね」
ニアはリモコンで透明ガラスに白いフィルターを掛けた。
突き刺すような光は、穏やかな程好い明るさになる。
「行くって?」
キョトンとして聞き返した。
「そ、時間。早く行かないと知らないよ?」
ニアの指差す方を見る。
時計は八時を過ぎていた。
「うわっ?」
寝過ごした!
思わず腰を浮かす。
「その寝癖、ちゃんと直してから行きなよね」
ニアは僕の頭を指差すと、リモコンを無造作に投げて遣した。
そしてふふんと鼻で笑って部屋を出て行く。
ついでにテーブルに置いてあった手付かずの板チョコを掠め取って。
「あっ!」
最後に残しておいた理紗からのバレンタインチョコを……って、もういない。
「ちぇっ」
まあ、義理ってヤツだろうけど、折角大事に残してたのに……起こすなら、もっと早く起こしてくれればいいのに。それに、さっき僕に礼儀とか何とか言わなかったっけ? よく言うよ人のモノ盗って行って……第一、あのゴミだってニアの部屋のゴミじゃないか? 僕に自分の部屋の掃除まで押し付けるなっつーの。
僕は赤くなってジンジンしている鼻と耳を交互に擦り、軽く咳き込みながら恨めしそうにニアの出て行ったドアを睨み付けた。
* *
「それってさぁ、『予知夢』ってんじゃねーの? マックってミョーにカンが良い時あるし」
僕はタケルとケインの三人で、ジュースを片手に教室移動をしていた。
ケインの言葉に、思い当たるフシがあってドキッとする。
「そっ、そう……かなぁ?」
「でもよ、エレメンタルにはマジで気つけておかねーとヤバイぜ? Fクラスの槇田って奴、今日休んでるのどーしてだか知ってるか? 夕べ行ったゲーセンでエレメンタルの奴等にインネンつけられて暴行されたって。マックの夢と同じじゃん? でさ、まだ意識不明なんだと。アイツのオヤジって議員じゃん? もぉ激怒っちゃってさ、豪い勢いでサラのオヤジん所行って、言わなきゃ良かったのに「エレメンタル狩りだ!」とか何とか口走っちゃって、マスコミにスクープされたんだ」
「エレメンタルが? 地下居住区でしかあいつ等活動出来ないし?」
「だーら、夕べだって言ってンだよ。昼間の自然光(太陽光)が駄目なんだろ?」
タケルがケインに知ったかぶりを披露する。
「移民運営局が管理してるのに?」
「奴等だっていつまでも、そう馬鹿じゃないだろう? 昼間は無理でも夜間なら……何処からか抜け道っつーかそんなもん見付けたとか、誰かに手引きでもされて出て来たんじゃないの?」
僕の質問に、タケルが尤もらしい理由を付ける。
だからだ……この所、やけに夜間のパトロールが厳重になったなと感じていたのは。
僕達三人は黙って視線を足元へと落した。この地下数百メートルもの先には彼等「エレメンタル」だけの社会が存在している。
僕は悪夢を思い出して鳥肌が立ち、身震いした。
「なるほどね……でも、槇田のオヤジがどうしてサラのオヤジの処に行くんだし?」
ケインがタケルに訊ねた。
「知らねーのかよ? あのオヤジ陸自の上官だぞ」
「うえっ。じゃあさ、サラと結婚する奴って命懸けだし」
「言うねぇ。ケインも。オヤジの気に入らなきゃ迫撃砲ブッ放すってか?」
タケルが茶化す。
「コンコン……うっ! ゴホッ!」
始業時間からずっと意識して咳き込まないようにしていたのに、気が緩んで思わず咳をした。
「んあ? マック風邪か?」
「大丈夫かよ? おい?」
二人が敏感に反応するのは、きっと来週から実力診断テストが控えているからだと思った。
「う……ん。ちょっと寝冷え」
僕は軽く笑ってごまかす。胸が少し熱い……でも、このぐらいどうって事ないさ……多分。
この症状を僕は軽く考えていた。
「寝冷えって……お前ってばお子様だし」
ケインが呆れる。
「うつすなよ? 俺、今週の実テに賭けてるんだからな。ま、大事を取ってお前がリタイヤすれば俺が今度こそトップに返り咲くけどな?」
タケルが不敵な面構えで僕を軽く睨んだ。
タケルはいつでも僕にリベンジだとか言って挑戦して来る。
「う、うん。でさ、槇田君のお父さんの事だけど……」
僕は曖昧に返事をすると、慌てて話を元に戻した。
僕のひ弱な身体に難癖付けられるのは御免だったし、友達であっても勉強のライバルだと公言するタケルの嫌味も聞きたくなかった。
「あのおじさん、確か選挙の時にエレメンタルと友好をとかマニフェストに謳っていなかった?」
僕は温厚そうな選挙当時のポスターの顔しか頭に浮かばない。
「誰だってさ、いざ身内が被害を被ると、そんなもんだろ? あいつ長男の一人っ子だから余計だな」
タケルが冷静に分析する。
「ふーん。いざとなったら議員の地位だって捨てちゃうのかな?」
「馬―鹿。それはそれ。これはこれだし」
ケインが僕の額を指で小突いた。
「???」
「あんな事言ったって議員は辞めないと思うぜ? 自分達から仕掛けて行ったんじゃないし、第一、被害者だからな。ちゃんとした理由があるもんな。他のクラスにも被害に遭ってる奴等、結構いるぜ。親父から聞いたんだけど、ここだけの話、レイプに遭ったってゆー奴もいる」
「レ? ……はあ?」
聞き慣れない言葉に僕は首を傾げる。
「だぁーっ、もおいいって。マックには判んなくって」
「???」
「やだねぇ。マックってばお子様だし」
ケインがタケルの言葉を続けた。そして大袈裟に首を振る。
「お子様……って……?」
僕は何の事だか解からない。
「マックさぁ、ニアそっくりだし、間違って襲われたりしてな? ハハ……」
「ははは、まさか」
声が浮付いて、顔が引き攣る。
笑えないジョークだ。こっちはそんな夢ばかり何度も見て悩んでるのに……タケル達に話したのが間違いだった。
「いいや、実際お前達二人が半年前に転校して来てからとゆーもの、皆の視線が気になってしょーがないだろ? 女子なら話は解かるけど、一部の男子のお前を見る眼ってちょっとヤバくない? お前、上級生の男子から「カワイー」とかって言われてんだぜ? どうよそれ?」
「ええっ?」
再び全身が鳥肌立ち、髪が逆立った。
僕は思いっ切り退いてしまう。
(知らなかった……)
確かに、皆や先生達の視線が気になっていたのは事実だ。
けど、それは僕が病弱で学校を休みがちなのに、ずっと首席でいるからじゃないのかなと勝手に思い込んでいた。
学校を休んでいるのは病気のせいじゃなくて塾に行ってるからなのかと訊かれた事もあった。尋ねるだけならまだしも、実際に塾に行ってズルイ事していると決め付けられ、僕は何度も中傷された。半年前の転校して来た頃には、タケルですら例外じゃなかった。
尤も、僕が来る前まではタケルが学年トップだったから猶更だ。
元々病弱な僕には自分を表現出来る範囲が限定されていた。
何もしないよりはマシだったし、病院の先生達も何かに夢中になれるものを探せば良いと僕に勧めた。
それがたま々勉強だっただけの事だ。
でも……違うの?
「大袈裟なんだし。マックってばリアクションが」
「知らぬは本人ばかりなり……ってか?」
タケルがまたしても茶化す。
「ま、まさか、二人までそう思っているんじゃないよね?」
「ったり前だ! 俺はそんなアブナイ奴じゃない」
偉そうに腕組みをして勿体をつけながらタケルが断言する。
「まあ、ニアなら別だけどよ。あと四、五年して胸なんかもこう……出てくりゃ言う事無しだ」
そう付足して、両手を胸の前で抱えるように拡げて見せた。表情が緩んで鼻の下が伸びちゃっている。
「うっわぁー、タケル今相当エロイ顔してるし!」
ケインがタケルを見てにや々する。
「……はぁ、あのニアがねぇ……ムリだと思うけどな」
僕の頭の中で、ウエストだけが括れたスリムなニアの身体が浮かんだ。
彼女は家では僕が居てもお構い無しで、お風呂から出てバスタオル一枚でウロウロしている。僕に背を向けて、エアコンに向かってそのバスタオルを拡げた事だって何度もある。きっと、恥ずかしいとか言う羞恥心はニアには無いんだ。
それとも僕の事を男子だと全く意識していないからかな?
本当にこっちが恥ずかしくなっちゃうよ……胸だって本当にささやかで……って言うよりも真っ平らだし、ニアが憧れているブラとかって言う物のお世話には縁遠い。
ケインの予言している様にはきっとならないと思った。
「なぁーんちゃって。気にすんなよ? 大丈夫だって。トリガラのお子様を襲う物好きなんてそうザラには居ないって。でもブッチャケお前この頃顔色良くないぜ?」
神妙な面持ちで黙り込んでしまった僕の頭を、タケルがふざけてヨシヨシと撫でた。
「って、気にしろって言ってる! それに、トリガラは止めろよ」
僕には却って気にしろと言われたようにとれて口を尖らせる。
やっぱ、これだけ小さけりゃそう言われても仕方ないのかな?
お世辞でも僕の身長は標準以下だし、体重だって軽く四十を切っている。背の順に並んでも、僕とニアが学年で一番。ダントツに低くて小柄だ。
参観日に来ていた父兄から小学生がクラスに居ると勘違いされたことだって一度や二度じゃ無かった。
タケルが言った「トリガラ」は初めて会った時から言われている。
彼に言わせると、肉は無いが良いダシが採れるからであって、決して侮辱しているのでは無いそうだ。
本当かな? とは思うけど……
「お、噂をすれば、ニアだし」
ケインがカップを持った手で指差した。
ジュースを飲んでいたタケルが思わず吹く。
指先を目で追うと、ニアがクラスの瞳とフェイの三人で話しながら僕たちの方へ遣って来た。
「……え?」
軽く咳き込みながら、何かを感じて僕は立ち止まった。
ニアも僕達に気が付いたみたいだ。
「あれぇマック達、これからカヤジ(梶谷先生)の授業?」
右手に、濃い緑色の小さなガラス小瓶を大事そうに持っている。
化粧品の試供品みたいだけど、精巧な飾り細工が施されていて、素人目にも中々の値打ち品だと判った。
「ハァ~イ、お嬢さん方。今日は随分とまた凄そうな物を持っているし」
「ケッ、まぁーた始まった。ケインのお調子者がぁ」
タケルが毒づく。
彼の厭味が聞えたのか聞えなかったのか、ケインはニア達女の子と勝手に盛り上がっている。
「あ、判る?」
「うん、うん。それって、ミューズのVIPだし」
ケインは大きく頷いた。
「へぇー、ケイン知ってんだ?」
「うっそー? マジで?」
彼女達が眼を輝かせた。
「知らいでか。有名な化粧品だもんな? 俺ン家姉ちゃん居るから毎朝、毎晩使ってるし。けど、ミューズ社の化粧品はどれを取っても品切れ続出で、中々手に入らないって姉ちゃん言ってたし」
「そぉーなのよ。これ、ゲットすンの凄ンごく大変だったんだからぁ」
つぶらな瞳をキラキラさせて、瞳が豊かな胸を張った。
中学生とは思えないプロポーションだ。
グラマラスな彼女の胸はもはや胸では無く、胸部にお尻があるみたいだった。
僕達三人は、彼女の必要以上に大きく開いた胸元に視線を奪われる。
「凄。なぁ、瞳の方がこの前のエロ本よりも凄くない? 顔はイマイチだけどよ?」
小鼻を膨らませながら、こそっとタケルが僕に小声で囁いた。
僕は彼女の胸に視線を奪われたまま、顔を赤らめて、素直に肯定する。
「胸がデカイと馬鹿っぽいって言うけど、ホントだな?」
「し! 聞こえるよ?」
僕は慌ててタケルの袖口を引いて、注意を逸らせようとする。
「なぁ〜に。本当の事だから、聞こえたって構うもん……」
そこまでだった。
僕達の様子に勘付いた瞳がゲンコツをお見舞して来た。
「痛ってえ〜な!」
「なぁ〜んか、タケルの目、やぁ〜らしい」
「うう……何で僕まで……?」
僕もタケルと同じく頭を抱えた。
目の前に星がちらつく。
「瞳、フェロモン振り撒き過ぎー」
ニアが言った。
「本当、遣り過ぎだってーの」
ニアと同じ陸上部のフェイが意地悪っぽく言う。
彼女もニア程ではないけれど、余分な皮下脂肪が無く、かなり痩せてスレンダー身体型だ。
二人共、身体脂肪なんて殆ど無いのじゃないかな……僕もだけど。
「うっさい」
口ではそう言ったが、瞳は余裕をかましている。
「悔しかったらアタシみたくやってみなさいよ」とでも言いたげだ。
二人共そこの所はいつものお約束の突っ込みで、ケロリとしている。
仲、良いよな? 何だか彼女達が羨ましい。
僕は眼を細めて彼女達を見詰めた。
勿論、僕だってタケルやケイン達が居る。けど、何か違うんだ。
楽しそうに話していても、時々心の何処かで一歩退いている自分に気が付く。
(どうしてだろう……? 僕が皆と同じ条件で無いから……?)
(そうやって勝手に自分を差別して納得してるんだ。良いのかな? それで……)
頭の中でもう一人の声が囁いた。
「誰?」
僕は思わず頭の中のもう一人の声に問い掛けていた。
「はあ? どうしたんだよ?」
まだ自分の頭を撫でながら、タケルが僕を見て訝る。
「な……何でも無い」
僕は曖昧にごまかしてタケルの疑いの視線から逃れるようにケイン達を見た。
「試供品と言えども入手困難。しかもコレは生産数限定の激レア物よお?」
「これ一つで奪い合いが起こるって言うものねー」
得意になってフェイとニアが続ける。
何でも、使用すれば肌の状態が超短期間で劇的に良くなるとか、ニキビや皮膚病の特効薬だとか他の商品には飲用出来るのもあるとかって、イロイロとウンチクを聞かされた。
彼女達は待たされている僕達の事にはまるでお構い無しだ。
「オイ、まぁ〜た始まったよ。効能だの何だのって、よっく覚えてるよなぁ? 授業の中身はまるで覚えてない癖によぉ」
「本当」
ケインは彼女達の記憶力の凄さに呆れ返った。僕もゲンナリしながら相槌を打つ。
(……何だろう……?)
不思議な感覚はまだそのまま続いている。
「盛り上がっているトコ悪いけど、それ、ちょっと見せてくれる?」
「あらァ、マックも知ってるんだ」
「いや……」
僕は、瞳の言葉を否定しながらも、小壜を受け取った。
「! ……え?」
瞬間、すうっと身体中の血の気が引いて耳鳴りがした。
全身に寒気が奔る。
小壜は蓋を開けてもいないのに反応している。
中で何かが蠢いていた。
それは、蛇が頭を擡げた時と似ていた。
怪しげな煙とも、炎とも思えないもやもやとした黒いモノが壜の蓋を内側から押し開けて溢れ出す。
それが僕の掌の上でゆっくりと手首に纏わり、近付いて来る。
蛇なんて、動物園のガラスの檻でしか見た事が無かった。
檻の中で、じっとして動かないロープみたいな生き物――
今までそれが気味悪いとは思ったけれど、怖いと思った事は無かった。
なのに今の僕は身体が竦んで身動きさえ出来ずに震えてる。
(怖い)
ニア達が悲鳴を上げ、辺りが騒然となった。
皆の顔色が真っ青だ。見えてるんだコレが。
僕は金縛りに遭い、総ての時間が静止する。
そして、纏わりつかれた手首から、どんどん力を抜き取られていくような感覚――
脱力感が増して来る。
(動け……ない?)
「は、早く放して!」
ニアが僕の右腕に縋って激しく揺さぶった。
手から滑り落ちた小壜からは、既に煙のような妖しいモノは消失していた。
僕の視界から皆が消えて、廊下の天井が映った。
ニアが何か僕に呼掛けているみたいだけど、僕の意識はそこまでだった。
眼の前がブラックアウトする。
時々思うんだ。
この弱く不自由な身体が無くなれば、僕は自由になれるのかな?
身体が無くなるって事は、死ぬってコト。
だからそうなっちゃえば僕は消えるしかないのかな?
ココロだけ残って生きて行くなんて事は無いのかな?
そんなの在り得ないハズなのに、何でこんな事考えてしまうんだろう。
* *
「発症したのか?」
「はい。陽性反応+++(スリープラス)です。半年前のあの件以来、処置後の経過が順調だったものですからもう大丈夫かと思いましたが……あ、意識が回復しました」
(……誰? ドクター山崎と葵さんの声?)
眼が覚めると僕はいつもの病院のベッドに居た。そして見慣れた白衣の先生と看護師。
「マック、気分はどうかね?」
「あ、はい……もう、大丈夫です」
つい条件反射で返事をした。
倒れるのはいつもの事だと勘違いをしてしまったんだ。
「本当?」
葵さんがぐっと身を乗り出して僕の顔を覗き込んだ。
自然、白衣から白い胸の谷間が覗く。
どきっ!
僕の視線が彼女の胸元に吸い寄せられ、顔が火照って自分が真っ赤になっているのが分かる。
「葵君。からかっちゃ困る。正確なデータが取れないじゃないかね」
ドクター山崎は彼女のちょっとした悪戯に軽く眉を寄せる。
「はぁーい」
葵さんがクスクス笑った。
(葵さん……何なんだよ……)
ムッとする。
ドクターの言う通り僕はからかわれたんだ。
「処置しよう。マック、好き嫌いも程々にしておかないとダメだぞ?」
「はーい」
まただ。
またお説教。
僕の周りの大人達は、どうしてこうお説教ばかり言うんだろう。
元々、僕はひどい偏食だ。
言われなくたって解ってる。
だけど、嫌いな物はどうしても好きになれないんだ。ただ、嫌いで苦手なものが他の子と違って少し多いだけなんだよ。ほんの少し……ね。
僕は猶も続くドクターのお説教を聞き流しながら、葵さんの指示で腕を伸ばした。
今月はこれでもう五度目だ。段々と回数が増えている。
きちんと食事しないだけでこんなにも頻繁に輸血しないといけないのかな?
ドクターや葵さんに聞いても大丈夫だとしか言ってくれない。それに、この血。最近気付いたんだけど、これってニアのモノらしいんだ。
僕が病院に行った日は決まって事前にニアも葵さんに呼ばれている。
この前なんか、偉そうに「献血しちゃったぁ」とか言ってたけど。大身体、成長期でまだ身体の出来ていないニアが何で献血をしなきゃいけないのさ?
おかしいよ?
「ドクター」
「うん?」
「僕、どうしたんだろう。ニア達が学校で化粧品の小壜を持って来ていて、その壜を持ったら中身が生き物に見えたんだ。」
「ほぉ?」
興味深げにドクター山崎は首を傾げると、傍にあった椅子を引いて座った。
(あれ? ドクター何だか顔色が良くないや)
その時僕はドクター山崎が身体調を崩しているように見えた。
(でも、聴いてくれるのかな? 僕の話)
「ニア達が持っても何ともなかったのに、僕だけに……反応した」
まだ頭がぼうっとしている。
「どうしちゃったんだろう。僕……」
僕はまた何度か軽く咳き込んだ。




