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黒いアスファルトは所々ひび割れ、草が生え、車が走るには不便極まりない状態であった。だが、その心配は不要である。車の復元は材料、作る工場、燃料など様々な問題でほとんど進んでいない。そのため、数時間に1本のバスが通る以外、ここは車道ではなく歩道としての役割を果たしていた。
その車道兼歩道のわきにこぢんまりと立つ建物。建物とは言っても内部は椅子が置かれているだけで、屋根が日よけと雨宿りの役割を示す以外特に意味を成してはいない。その壁には時刻表と書かれた紙が貼られ、そこには数カ所だけ数字が書かれ、ほとんどが空白となっている。
俺とレリュートはその建物の中の椅子に腰かけ、アルモル元自然公園行きのバスを待っていた。季節は初夏。6月に入ったばかりの外は日差しをさけていても空気に連動して暑さが伝わってくる。手に持った瓶はいまだに冷たさを保ったままだが、1時間もすれば、この暑さから身を癒す清冷さも失われてしまうだろう。俺はそれが失われる前に身を清める。口の中に入る冷水は空気を含み、その空気が口に含まれるやいなやはじけだしのどを刺激する。敏感になったのどを清冷が通り過ぎるたびに暑さに悶えそうな体を癒していく。瓶から口を離し俺は心の中で思う。
「やっぱ炭酸といえばマスカッシュだよな!」
俺が飲んでいたのは炭酸を含んだ人気商品カッシュシリーズの一つマスカッシュである。カッシュシリーズの売りは2つで、1つはこの炭酸の気持ちよさである。この炭酸は口に入れた瞬間のどにある冷たいものを感じる機能をより敏感にし、清冷感をより一層高めてくれる……というのが1つ目の売りだがこのメカニズムについては俺もさっぱりわからん。
そしてもう一つが味の多さだ。このカッシュシリーズだいたいの果物の味が存在し、カッシュの上につく2文字がその味を示している。100種類あるというが先ほどのよくわからない清冷炭酸論と同様信憑性はかなり低い。俺が今飲んでいるマスカッシュは、マスカット味であまり人気がないためお店でもそんなに見かけることはない。たまたまバスの待ち時間に飲むものを近くのお店で買う(レリュートの経費で)ことにしたらマスカッシュが陳列していたため、俺は迷わずこれを選んだ。
ちなみにレリュートはアプカッシュを選んだ。これはアップル味だ。アプカッシュは人気があるみたいで、どこのお店でも必ず10本以上は陳列されている。けど俺はあまり好きではない。確かにうまいけどどことなく平凡だ。マスカッシュの稀少性には勝てないと俺は豪語する。
実際に俺のマスカッシュの残量はもう残りわずかだ。レリュートのほうはまだ半分以上残っている。男女差はあるもののやっぱ最後は味だよな。というのは俺の妄想――。
本当は契約書の2枚目以降の長ったらしい文章を読んでいた。そのためほとんどアプカッシュを口に運ぶことはなく、椅子の上に大量の汗をかきながら直立していた。
俺は契約書とにらめっこするレリュートを見る。文章を見るときはやはりメガネを頭の上にあげるようだ。先ほどバス停までくるときも買い物をするときもずっとメガネはかけたままだった。形だけの休憩室にある時刻表を確認する時もメガネは外さなかった。
これは何らかの問題でもあるのだろうか、実はこのメガネをかけると漢字の読み方がわかるとか(そんなのがあったらむちゃくちゃほしいが)実はこの国とは別の国から来て言葉をまだ理解おらず、このメガネで翻訳しているとか、考えがわけのわからない方向に向かおうとしている。
「なぁ。さっきから思ってたけど」
「ん?」
「さっきからメガネあげたり下げたりしていたからさ。遠視か何かなのかと思ってさ。あ、答えづらい質問なら別に答えなくてもいいさ」
最終的に聞くことにした。
できるものならずっと外していてもらえるきっかけを作りたかったからだ。やっぱ外しているほうが断然いい。
「あー。これメガネじゃなくて、遠距離調査鏡っていうの。私たち魔物調査は基本調査が主流で戦闘はからっきしだから、できる限り魔物に気付かれない位置で調査できるように作られたものなの。普段からつけているのは慣れるためかな? いきなり使おうとすると倍率の上げ下げだけで酔っちゃうからね」
「じゃあ、文字を読むとき外すのは読みづらいからか?」
「そうそう。このスコープ最低倍率が3倍だから読めないことはないけど、文字をいちいちスライドさせないと読めないから読むのに時間かかっちゃうから細かい文字を読むときは大概外しているわね。あ、ちなみに視力1,2だから眼鏡はかける必要性ないのよね」
つまるところ仕事のためってことか。それと魔物調査ってのは後ろのほうから魔物を調べるみたいだということが理解できた。実際こんな片田舎じゃ魔物調査どころか元素使いにすら会えないからな。魔物調査ってのがどういう者か詳しく知りたいがもう一つ先に聞いておかなければならないことがある。それは――。
「なぁ――」
俺が口を開き、第一声を発しようとしたとき。
ピーピーピー
どこからともなく鳥の発する声より鋭く甲高い音が聞こえる。どこかで聞いた覚えがあるが思い出せない。
「あ、私だ。本部からかな?」
というと先ほどペンを出したスカートのポケットと同じ場所から片手で収まるくらいの長方形の薄い物体を取り出す。
なるほど、多機能小型機か。マルチプレイヤーとはマナを利用したいろんな機能を一つに集約したもので、今レリュートが使っているのは長距離連絡システムである。
レリュートは多機能小型機のパネルをタッチし、多機能小型機の側面に手を伸ばす。すると黄色の糸のようなものが現れる。直径だいたい2cmほどの細長い糸を耳の先端に誘導し、耳に差し込む。装着が終わると多機能小型機を持ち上げ、パネルをタッチすると目の前に黄色い蜂の巣のような所々穴が開いた丸い物体が現れる。
「はい、私です」
それに向かってレリュートが話しかける。あー、確かこんな感じだったな。
俺も何度かこの機能は使用したことがある。とはいっても連絡先が親父だけだったからそんなに使うこともなく俺の多機能小型機はすっかり時刻確認の時計と化している。
昔マナが発達する前はこれに似た機能を持った機械があったらしいが、マナの発達により廃止され、その時機能の根本である部分を撤去したため、今すぐに復元することは事実事実上不可能となってしまったらしい。
そのため長距離連絡はいまだにマナに頼らざるをえない。それとこの多機能小型機、実は魔物討伐部関係であると無償で配られるものであって、俺の初めて戦人になった時親父から譲ってもらった。
ほかの人にはただいい物が貰えたと羨ましいように見えるが、これは主に依頼や定期討伐などでスムーズに事が進むように配給されたのと同時にもう一つ重要な意味を成している。
「わかりました。それでは夕刻までにできる限り報告できるよう努力いたします」
俺が多機能小型機のおさらいをしているうちにレリュートの会話はおわったようだ。
「うわ、結構使ったな。今週のマナ使用量結構ぎりぎりかな……」
パネルの横にある数字の書かれたスクリーンを見て右手で頭を抱えるレリュート。
そうこれが魔物討伐部の人間に多機能小型機が無償で配られる理由である。
パネル横にある数字はマナの使用量を現しており、この数字は1週間ごとにリセットされる。もし、週間以内に規定値を超えた場合、罰則が与えられる。
つまり長距離連絡はオプションで実際は元素使いのマナ使用量測定が主な役目なのだ。それなら元素使いにだけ渡せばいいと思うが、元素使いを束縛しているようにも見えなくはないので、形をよくするために魔物討伐部全員に分け与えられている。
ズボンの内側にあるポケットから自分の多機能小型機を取り出す。ところどころ汚れており、スクリーンの一部が手の油で変な色をしている。
時刻は13時40分かバスの到着が13時38分だからもう来てもいいはずなのだが舗装されていない道に数が少ないとはいえ、ここら辺も魔物が徘徊することは時々ある。何らかのトラブルに巻き込まれているのだろう。
パネルの横に目をやると、現在のマナ使用量は134と示されている。実は多機能小型機を動かす動力にも微量のマナが使われており、ずっと0であることは故障している以外ありえない。ちなみに上限は3000なため、今週も余裕のクリアである。
確か元素使いは1回の元素爆破でこの上限を余裕で越えてしまうために上限が他の魔物討伐部の人間より高い。
しかし、長距離連絡のみで上限すれすれって、俺の記憶の中ではそこまでマナを使用した(親父と連絡するだけだったし)記憶はない。魔物調査は連絡の多い職柄なのだろうかと、椅子から少し腰を浮かせ、レリュートの多機能小型機を覗き込む。
長距離連絡の相手との通話時間1分20秒とパネルに記録され、その横のスクリーンには9722と書かれている。
「は?」
思わず声が出てしまった。それにレリュートが気づき
「どうしたの?」
と声をかけてくる。
「え? マナ使用量の上限って確か3000だよな? 元素使い以外は同じじゃ……」
そう9722じゃどう見てもオーバーしている。それも3倍近くも。けれどもレリュートはまだ上限に達していないような口のきき方だった。なんで?
「一緒なのは戦人と元素研究と魔物産業であって、魔物調査も例外で少し高いの」
「ということは魔物調査も元素爆破みたいなの使うのか?」
「元素爆破とは違うけどこの多機能小型機の中に調査記録図鑑が入っています。それが長距離連絡以上にマナを使用するから、魔物調査は元素使い以外の人たちより上限が高いの」
そんな機能があるとは知らなかった。この多機能小型機って多機能という割にはマナ使用量の調査と長距離連絡(俺の場合は時刻表示がほとんどだが)の2種類しかないと思っていたが、それ以外にもオプションがあることを初めて知った。もしかしたら元素研究や魔物産業、さらには戦人にもまだ知らないシステムがあったりするのだろうか?
「そういえばさっき長距離連絡で本部? の人と話していたみたいだけどなにかあったのか?」
ふと疑問に思ったことを口にする。先ほどの会話について相手の声を聞くことはできないが、レリュートの声は聞こうと思えば聞くことができた。しかし、自分は多機能小型機の性能のおさらいをしていたため話を一切聞いていなかった。先ほど表示されていた1分20秒の間にいったい何が話されていたのか気になる。
「はい。実は明日、アルモル元自然公園でイベントごとがあるらしいの。臨時で雇った戦人が数人いるらしいけど、今回の調査対象の相手が務まるかどうかわからないから、今日中に証拠品を手に入れてイベントを中止させたいみたいよ」
こんな時期にイベントごとか。そもそも行事やイベントの類には参加しないからそこらへん一切知らないが、元々は特別ステージが数カ所も用意され1か月に何度もイベントごとが行われていたらしいアルモル元自然公園ならイベント場所としてはぴったりだろう。魔物も少ないし。
突然現れたのは……大型の亜人種だっけ?そういえば亜人種って何なのか初めて聞いた時から疑問に思っていたのをすっかり忘れていた。さらに長距離連絡で話が途絶えたが魔物調査がどんな仕事かも聞いておきたかったことも思い出す。
「そういえばさっき何か聞こうとしていたけど、私に何か聞きたいことあった?」
思い出すのと同時にレリュートも先ほどの呼びかけを思い出してくれたようだ。
「あのさ――」
俺が口を開き、第一声を発しようとしたとき。
プップーー
デジャブというものだろうか。先ほどとは違うまぬけな音がする。
音が発した方角を見ると数100メートル先にバスが手入れの行き届いていない車道の上を走っていた。先ほどの音はクラクションの音か。多機能小型機を取り出す。13時45分、7分近くの遅れだ。それくらいの遅れなら大したトラブルにも巻き込まれていないはずだろう。
小さく見えたバスが目の前に近づくにつれ大きくなっていく。そして大きくなるにつれ違和感に気付く。バスの中が黒い。日中なのにバスの中だけはPMをAMに変えたかのように暗い。そして目の前にバスがついたときその正体を知ることができた。
人、人、人、人……、もっと詳しくするならおばちゃん、おばちゃん、おばちゃん――。空きの席どころか空きの吊皮すら見つけることが困難な状況に俺は唖然とする。
「ね、ねえ、こ、ここら辺のバスは、い、いつもこんな感じなのかな?」
レリュートもどうやら唖然というか動揺しているようだ。
「いあ、いつもはこんな感じじゃ――」
ふとバス側面の広告部分に目が行く。バスや列車が復元されると同時に再び栄え始めたのが広告業である。瞬間移動装置は装置が備え付けられているそこに行かなければ目にすることはできないが、バスや列車であれば移動中や停車中に広告の宣伝ができるため、月数万ベルにて貸出している。その一つに
『アルモル百貨店閉店セール全品40%OFF』
と書かれた広告が貼ってある。ちなみに今日が初日らしい。
アルモル百貨店は片田舎としては異様な規模を誇る店で、ここらでは珍しい5階建という高さが象徴的だ。少し前から危ういとは思っていたが今までよく保っていたと思う。
なぜ危うかったかというと理由は2つ、両方マナ異変関連だ。
1.瞬間移動装置の使用率の激減。
元々こんな片田舎でもやっていけたのは瞬間移動装置のおかげで、遠方の国からの客でもすぐに行き帰りできたからである。
2.電力の供給がまだなため食糧の大量保管ができなくなったため。
現在もステイン近郊では電力の供給が行われていない。マナができてからも電気は生活の中では欠かせない必需品であったが、その電気もまたマナで作られていたため、マナの使用が制限された今深刻な電力不足に陥ったことが2つ目の理由だ。
今も冷蔵庫及び冷凍庫は使用できず、生ものを保管する場合は氷蓄屋から氷を買って氷を底にした箱の中で保管するしかなかった。
氷蓄屋も広告業と一緒でマナ異変によって栄え始めた職の一つだ。
冷たい地下洞窟で保管してある氷を切り分け、電力の供給が行われていない地域の人々に売り歩く別名「歩く冷蔵庫」である。
とアルモル百貨店の歴史を振り返っている場合ではなかった!
俺たちがさっきまでいた建物の壁に貼ってある時刻表を見る。次のバスが来る時間まで2時間以上ある。それと広告によると閉店セールは夜7時までやっているそうで、次のバスが空いているとは限らない。
唖然とする俺の横で決心したのか――。
「乗ろう。タイムリミットは今日まで何だから!」
とレリュートが前へ進みだす。
魔物討伐部でも思ったがこいつ正義感強いよな。きれいな顔立ちが凛々しく見え、一層美人に見える。と入る寸前にディスタ……え~っと……メ、メガネをかけ直した。美少女消失。そりゃないでしょ。
と心の中で嘆いていると。
「ご、ごめん な さい ちょっと 入ら せ ても らえな いでしょうか……」
必死に入ろうとするもおばちゃんたちの肉壁でまったく前に進めないレリュート。こりゃかなりきつそうだな。
「すみませんお客様。もう少し前のほうにお進みください」
運転手が気をきかせてくれたおかげでぎりぎり二人入ることができた。
腰に差してある鞘がドアに挟まってしまったけど……。
◇
透明感のあるものってひんやりした感じしませんか?グラスとか水とか氷とか、大半飲み物関係ではあるが冷たい印象がある。後は青に近い(正確には水色か)色だからという説もある。もちろん持論だが。それでも赤を見るよりも青見ていたほうが何だか涼しくなりますよね?
だから俺は涼を求めた。
目の前にあるバス後方入口のドアガラスに。
まあ実際にはぎゅうぎゅう詰めで顔が自然とドアガラスに押しつけられているだけ何ですけど。鞘が挟まれている以上動けないし。顔の特に頬の部分にかすかな冷たさを感じるが、全身はすでに火照っている。ドアガラスに映る俺の顔は真っ赤とまではいかないがかなり赤い。
ガラスに映る自分の左側にいるレリュートも頬が赤い、メガネは半分曇っていて目元は見えない。ふらふらしているのは凸凹のアスファルトをバスが浮き沈みしながら進んでいるからではなく、おばちゃんの倹約精神の熱気にやられたのだろう。
頬でドアガラスの青オーラ(冷たい物から出ているかもしれないオーラ 自説)を得ようとするも、次第に背中からの熱気のほうが勝ってくる。右後ろのおばちゃんの背中がすごい熱気を持って襲い掛かってくる。バスが揺れるたびにでかい背中が俺に体重を預ける。そのたびに熱と重量を持った火山岩が襲い掛かってくるような感覚に襲われる。
そしてまた左に大きく揺れると火山岩が!ぐわーーー!重い!あちー!
右からの強烈な攻撃と同時に左からも――ん?
なんだ、この柔らかいものは?背中も紙みたいな表面的な柔らかさとは違い、布やタオルのような全体的な柔らかさを持つ。
左といえば確かレリュートが……ドアガラスに映るレリュートは左手をドアガラス横の銀色の棒状の手摺を握り、右手は――俺の体が影となって見えない。顔を120度位動かし、影になっていた部分を覗き込む。そこには俺の背中にぐったりと右手を添えて体を押し付けているレリュートが。
そして俺の背中には少しばかり潰れた丸い物体が――
こ、これはまさか――
俺は何度か大人の男が好む類の本(親父の私物)を見たことはあるが、ステインの魔物討伐部には女性の戦人(もちろん元素使いも)は在籍しておらず、依頼に来る女性も町にいる女性もこのバスと同じでおばちゃんばかりだ。
こ、これがあの……む、胸というものなのか! もちろん触れたことなど一度もない。
「あ、あつい~~……」
レリュートが暑さに悶える声が聞こえる。あまりの熱気で思考が停止し、今自分がどのような状態に置かれているのかは気付いていないようだ。
この柔らかい至宝さえ感じていられれば、たとえ大火事の山中でも、溶岩の煮えたぎる火山の近くでも平然としていられそうな気がする!
……今なら少し触ってもばれないじゃないだろうか?
バスの中は身動きが自由に取れるほど余裕などなかったが幸い手はある程度動かすことができた。なおかつ自分の周りにいるおばちゃんは全員背中を向け、バリケードを構築していた。
いやいや待てよ。こいつは依頼人だ。依頼人に契約者が問題行動を起こせばただでは済まない。
それに戦人としては致命的な歴史を残すことになりかねない。ここはぐっと我慢して堪えるべきだ。
そこへ再び振動。
むにっ。
っ⁉
やばい!また魔の手、いや女神の胸が俺の理性に迫ってくる。
再び俺の脳が手にゴーサインを送る。待て!待つんだ! そこには確かにアダルトな男の本に写っていたものがある。だがそれは俺の生活すべてを奪いかねない! その全てって何かって? いや、その……1,100万ベルだ!ここでこいつに見放されたら100万ベルは手に入らないんだぞ!
手と脳の攻防戦は激しさを増すが、次第に脳が支配権を持ち始め、手がゆっくりとドアガラスから離れていく。終わりだ。戦人人生終了のシグナルが赤く点滅する。
だめだ。だめだ! 俺の理性よ! こんなことをしたら罰が下る! メガネの女神の怒りを受けることになる!
脳が絶対王政を築き上げた今、最終警告を無視した手は止まらない。ゆっくりとドアガラスから手を離し、背中に感じるそこへ手を伸ばす。そして――
天罰が下る。
停車するバス。そしてドアガラスの前には――火山岩……おばちゃんの列。
「すみませんお客様。もう少し前のほうにお進みください」
ごめんなさい。
もう邪なことは一切考えません。と誓っても迫りくる倹約おばちゃんの覇気。
ドアが開き挟まっていた鞘も動くようになった。折れてないだろうな……。
俺は伸ばしていた手の目的地を男の至宝から肩に変え、
「レリュート、レリュートお客がまた入るから奥詰めてくれ」
「ま、まだ 来るの~?」
今にも倒れそうな表情に罪悪感が立ち込める。巻き込んじまった。被害者なのに。
◇
焼石大増量したサウナに揺られ、さらに10分近く。
アルモル百貨店最寄りのバス停に到着――
するや否や火砕流が発生した!
我先にバスの外へ出ようとするおばちゃんたちに押し流されないよう近くの手摺に捕まる。てレリュートが流されかけている!このままじゃ水死体、いや溶岩死体が完成してしまう!
俺は左手を手摺に、右手はレリュートをしっかりとつかみレリュートの命綱と化す。
流されてたまるか。俺の100万ベルと男の至宝――――――――と依頼人。
別に依頼人だということを忘れていたわけではない。ちなみに優先順位が上からというわけでもないからな。絶対に。
やがて火砕流は流れ去り、茶色く焦げた(元々こんな色だったが)床が後の静けさを物語っていた。
ふと周りを見て確信したのだが、俺ら意外に客は誰一人も残っていない。つまりはバスの乗客2名を除くほか全員はアルモル百貨店閉店セール目当てだったという。大盛況何だろうな今頃。
誰一人いなくなったバスは事実上俺たちの貸切状態となったため、一番後ろのながい椅子に熱中症患者を肩に支えながら向かう。
着くや否やレリュートは長椅子の真ん中で窓側に足を放り出すような形で仰向けに倒れた。あの暑さに完全ノックアウトしたようだ。
レリュートの頭の方と足の方、両サイドには一人が座れるほどの空白があった。
俺は考えた。レリュートの右足は椅子の下に膝を曲げた状態でぶらぶら揺れており、左足は椅子の上にどうどうと土足で踏み込んでいる。大股とまではいかないが股の開いた状態だ。
つまりここで足側に座ればスカートの――――いややめておこう。
もう天罰はこりこりだ。この次におばちゃんじゃなくマッチョなおじさん方が大勢入ってきたりでもしたら――。
アルモル元自然公園まで残りのバス停は後3つ。時間にしてやく10分近くそんな短時間にこのようなことが起こることはまずない。というか大人数のマッチョなおじさんがアルモル元自然公園に行って何するんだよ?ボディービル大会?もしや明日のイベントって……変なことばかり思いつくのは先ほどの天罰のせいなのか、自分もすでに熱中症状態で頭がショートしたのかは今となってはわからない。
結局俺は頭側に座ることにした。天罰再来頑固拒否。
頭側に座るとバスがちょうどアルモル百貨店の前に差し掛かっていることに気付いた。
――そこは戦場と化していた。
店の中に入らなかったのか外に出されていたワゴンに人だかりができている。おばちゃんたちが前の人を押しのけ、突き飛ばし、中には倒れこむ人もいる。5階建のビルの中はどうなっているのだろうか?
電力が届いてない以上商品を冷やすのは氷蓄屋から買い取った氷だけだが、バスの中の熱気をさらに超す熱気であれば氷なんか一瞬で溶けてしまいそうだ。生肉、生魚大丈夫なのだろうか?
戦場という言葉で気になったのだが、俺何か聞きたいことがあったような気がするんだ。これから魔物討伐するにあたって何か聞いておかなければならないことがあったはず何だけど何だったかな……。たぶんショートしたであろう頭は昔のことを一切思い出せず、まだバスの中に立ち込める熱気が思考することを阻む。
てよく見たら窓1個も空いてないじゃねーか!
いくらアルモル百貨店での戦略練っていたからってそりゃないでしょおばちゃんたち。と思いすぐ横にある窓を開ける。外から熱気を取っ払う風が流れ込む。その強い風の流れがレリュートのスカートをばたつかせた。
……後悔なんかしていない。だって天罰怖いもん。と実際後悔していたと思う自分に言い聞かせる。
とかしているうちにアルモル元自然公園の1つ前のバス停に差し掛かったことに気付く。
結局何を聞こうとしていたのかは思い出せずじまいだったかまあ大丈夫だろう。
バスは再び動き出し、俺たちの目的地へと走り出した。
このとき質問を思い出せなかったことと、一つの思い違いが後に天罰以上の波乱を巻き起こすことに俺は気付くわけもなかった。
作者無駄事囁
閉店セールって確かに安いけど、バスの運賃がかかると行く意味ないのでは? と思うのは自分だけだろうか?