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不覚だった。相手の行動パターン、攻撃手段、攻撃の軌道も全て熟知の上だった。
研修時代に対処法の訓練の際よく問いに出たのは、今私の目の前で牙をむいているクロードリザードだ。何度もやったことだ。相手の力量は完全にわかっている。
けど見切れなかった。
……自分の力量を……
クロードリザードの爪すら受けきれないほど衰えていたとは。
刀で受けきるはずの凶刃は想像通りの力加減であったが、情けないことに私はそれを受けきれずこうして地に尻もちをつく羽目となった。
持っていた刀は既になく、残っているのは湧き出る冷や汗と痺れ、そして恐怖心だった。
とりあえず冷静にならねばない。ここで落とす命など持ち合わせていない。私は生きなければならない。
手の痺れが取れた瞬間手の反動を借り一目散に逃げるのが一番だろう。攻撃の軌道はある程度読めるから1体なら走りながら避けることも可能だ。問題は町に戻るまで体力が保つかどうかだ。
先ほどの衝撃で刀はどこか草の茂みに隠れる形となってしまい、その姿を確認することはできない。
大切なものであるが致し方がない。必ず、必ず取りに戻ってくる!
その気持ちに呼応したのか草陰でがさがさと物音が聞こえる。
刀が私の心とリンクするかのように自分の存在を教えてくれているのだろうか。けどそんなメルヘンチックなことが起こるはずもなく
――事態は最悪の方向へと進む。
「……嘘でしょ……」
そこに現れたのは新たなクロードリザード、しかも2体いる。
クロードリザードは1体から2体になった時点でも飛躍的に難易度が上がる生態。ましてや今は3体、こちらは私一人のみ。
なぜここの地域のこいつらが群れを成しているのか?
そんな疑問が浮かんだのは一瞬、今はただただ現実に怯えるだけで精一杯だ。
自分の実力であればかろうじて3体相手に逃げることくらいは可能であった。そう過去形だ3年前の自分でなければならない。
手と足を使い後ずさりする。目に飛び込んできたのは先ほど私が命を奪ったファミリアの遺体。
先ほどまで奪う側であったが今は奪われる側となっていることに血の気が一気に引く。
懺悔で済むものなら今すぐ跪きたい。たとえそこが皮膚を貫く茨の上だろうと何もかもを焼き尽くす溶岩の上だろうと――。
突如空を切る咆哮が轟く。ファミリアへの謝罪が済まないうちに一体のクロードリザードがとびかかってきたのだ。
「ひっ!」
咄嗟の判断でかするかかすらないかの間合いで降り下ろされた5本の刃を避ける。避けた先にクロードリザードが着地し、そこにいたファミリアの死体が下敷きとなる。
血が穴と呼ばれる穴から噴き出る。
人と同じ赤い血……私の中にも流れている血……昔はこんなものに恐怖など感じなかった。いや、恐怖を感じるほどのこともなかったというのが正しいのだろうか。
私は何をしてきたのだろうか。
私は昔よりもっと力が、助ける力が欲しくて。
けど何だ。
昔より遥かに衰えたとしか見えない現状は。
私は……私は何を……。
1体動いたことによって私は3体に包囲されるような形となった。
ふといろんな風景が頭を駆け抜ける。……あー……これが走馬灯ってやつなのね。
けど見えるもの端から端まで最近のことばかり。私の脳内のどこかで3年前の記憶が遮断されているのだろうか。
初めて魔物調査に入ったこと。
初めて調査記録図鑑を使ったこと。
初めての遠出。
そして出会ったあのバカ……
「おい!」
そうこんな感じの声だった。何も知らないくせに言動だけは妙に威勢がいい。
「何そんなとこで腰抜かしてるんだよ!」
そうこんな感じでいつも急ぎ足のように物事を進めようとする。猪突猛進って言葉がとってもお似合いな一角獣みたいなやつ。
「おい! 何ぼけっとしてるんだよ!」
そうあいつ結構力はあるのよね。ベンヌの足8本も持ち上げるほどだしね。そんな力でつねられると――
「え?」
目の前の靄が消えたように周囲の状況が目から頭へと駆け廻る。
先ほどと同じ点は緑の生い茂る草原。草独特の匂いと共に血の匂いが混ざるのは先ほどた私が腹を切り、追い打ちでクロードリザードに踏みつぶされたファミリアのものだ。
そのクロードリザードは仲間の2匹を連れて今も尚こちらの様子を伺っている。
そして先ほどとは違う点、それは空白だった私の隣に。
私の頬をつねっているハルトがいることである。
淡い認識が真意に変わった瞬間、頬に強烈な痛みが走る。
「いたたたた! 何するのよ、乙女の柔肌に!」
私の頬をつねるハルトの右手を払う。と同時に離れる瞬間のとっておきの痛みが襲う。
「いったー……もう! 後がついたらどう責任とってくれるのよ! というか何であんたがいるわけ⁉」
そうだ。なぜ彼がここにいるのだろうか? 食堂で別れた後ここに来るまで一度も会ってなどいないからこの場所がわかるはずもない。それに彼とは仲違いしたはず……。
「またお前が無茶していると思ったからさ。全く、さっきの言葉は完全に訂正だな。魔物調査は後ろで観察する職じゃない、戦人や元素使いよりも前線で無茶をする職だってな」
さっきとは打って変わってハルトの中の魔物調査という職がお気楽職から超危険職に急激なランクアップした。いや実際は前線に出てまで無茶をする職じゃないけど……
「どうせ被害が出たと聞いた瞬間、護衛も何も頼まずに一人で危険を排除しようとしたんだろう?」
「は? 被害? 護衛? てさっきからいったい――」
「話は後だ。それよりこいつら魔物調査がいねーとやばいんだろ?」
あ そこの所の知識はあるのね。意外。でも魔物調査の中ではマイナーな問いでも戦人にとっては周知の物じゃないはずなんだけど……。
「おーい。さっきから何ぼさっとしてるんだ? あ、そうか何も食ってないから脳みそ働いてないのか?」
「あんたと一緒にしないでよ!」
いつも通りのハルトのずれた問いにツッコミ返す。そこでようやく今の状況が頭に入るようになった。
ハルトが増えたとはいえ、未だに2対3とこちらの方が不利な状況には変わりない。下手に動くことだけは避けたい。
幸い相手の特性上こちらの一人、ハルトが剣を抜き戦闘態勢になっている以上容易に近づいてくることはない。
けど一体を止めたとして残り二体を同時に相手するのは――そうだ!
「ねえ、ハルト? あいつら同時に二体相手にできる?」
「はあ⁉ また俺が過酷労働するのかよ! それに二体の動きを同時に見ることなんて……」
「いいの。二体とも同じ行動をすることになるから。辺りを見る限り誰もいなそうだから二体まとめてあれでやっちゃって」
そう奴らの特性を逆手に取れば一石二鳥など簡単である。
「ちっ、またあの力使うのかよ。あれマナの消費はなくても俺の体力の消費はでかいんだぞ。ここまで走ってきた分と合わせて飯で返してもらうからな」
「もう、相変わらず注文の多い契約者ね。まあ後の依頼次第では考えてあげてもいいわ。それで作戦だけどハルトは後で動く二体を狙ってね。そのために――」
少し危険なことをするがこれで大丈夫なはず。なぜかはわからないけど彼だとそう思える。だからあえてこの身を捧げる。
「私が囮になるわ」
「な⁉ おい一体何を⁉」
ハルトが制止しようとするのを私は無視し足元にある手ごろな石を手に取り、先ほど私に襲い掛かってきたクロードリザードへと渾身の力で投げつける。
やはり腕力が弱っているのだろうか。そこまで速くない投石をクロードリザードは首を傾げることによって避ける。それと同時に残りの二体が動き出す。
(来た!)
予想通りの動きをしてくれた。複数のクロードリザードがいる場合、1匹が狙われると他のクロードリザードが敵対した相手に総攻撃をしかけ袋叩きにする。この戦闘スタイルが影響して単独戦闘及びむやみやたらな戦闘では被害のみしか出ない。
もちろん今奴らの一体に攻撃をしかけた私もそのターゲットと見なされている。
このままでは私の背中に10の血の河川を流し、私は絶命することとなる。
けどそうはならない。なぜなら――
「今よ!」
「わかってる! うおおおおー」
ハルトの方を向くと右腕にはまったブレスレットの茶の宝珠が太陽に照らされた大地の煌めきのように輝く。
ハルトの剣の回りだけ砂塵が荒れ狂う。まるで剣に操られているかのように。
いや実際操っているのだろう。前回の炎同様に。
二頭のクロードリザードが私との距離を縮めてくる。奴らの宿敵は何が何でも私には変わりない。だからやつらには私の数メートル隣にいるハルトの存在を認識しきれていない。
逃げ道がないのは私ではない。奴ら何のだ。
「食らえー!」
ハルトの叫びと共に剣を下から上にフルスイングする。すると剣と地面の接点から少量の大地が削られ前へと押し倒される。
次にそこから少し前の大地も削られ前へ、次も前へ、前へ、前へと続く。
そしていくつもの大地を巻き込んだ一撃は茶色の津波を巻き起こし、砂や土塊、はては岩石さえも巻き込み二体のクロードリザードに襲い掛かる。
不意に横から押し寄せた岩の波に成す術もなく二体は流されていく。流されている間に小石が体の至る所を貫き、岩石が皮膚をえぐる。
津波がひいたころには二体の命は既に失われていた。
「ふう……」
彼がため息をついて剣を地に突き刺す。
それを見てやっぱりハルトはハルトだなと思う。
「まだへばらないでね! 敵はもう1体いるんだから!」
と同時に私は後ろを振り返り思いっきり右足を横から振り上げる。
足の軌道は残された一体のクロードリザードの左わき腹へとつながり、前進運動を止め横へと飛ばす。腕は鈍ったがよく歩いていたせいか足は健全なままだった。
まだ残りがいる以上仕事は終わってない。
二体を攻撃したハルトは取り残されたクロードリザードにとって宿敵の存在となる。よって次は彼が狙われるが、一体をある程度構うくらいなら私にもできた。
「うわ、まだこいつがいたか! 邪魔だ、こんにゃろー!」
私の蹴りがよほど効いたのかクロードリザードは横たわったままでハルトが剣を垂直に突き刺す。私たち人間やファミリアとは違う青い血を流してその場に動かなくなる。
周りには3体のクロードリザードの亡骸、そして先ほどの土石流に巻き込まれたファミリアはもはや原型を留めていなかった。
「はあ……何とか終わったわね。で、さっきの被害とかって何よ?」
とりあえずひと段落したことなので聞きたいことを聞くことにする。
「はあ? お前さっきのトカゲがこの近くで大量に現れたからここに来たんじゃないのかよ?」
「へ? 確かにここら辺で3匹はびっくりよ? というかそもそもここら辺は単独で生活しているのが多いはずだし……」
「それだからお前たちが警告していたんだろ! お前たちの組織がやっていることなんだからそこらへんはわかってるだろ?」
はぁ⁉ 何⁉ 全く話が通じない! 私たちの組織と一体何の関係があるの? というか私はあんたの取りこぼした最後の依頼をするためにここへ――
「えーい! とりあえず話は後だ! またいつあいつらが出てくるかわかんねーしな」
そういってハルトが私の手を強引に掴む。一瞬どきっとした。
「あ、ちょっと待って! 荷物散乱しちゃったと思うしすぐ片づけるから回り見張っててよ!」
「いや荷物なんてまた後でもいいだろ? それにいざとなれば買いなおせば」
「あの中にはお金も入っているのよ? 夕飯抜きでいい?」
「見張ってマース」
相変わらず飯とめんどくさいことが関連すると素直よね、この現金が。
戦闘の邪魔にならないように遠くに置いてあったバックは横に倒れていたもの当初の場所からほとんど動いてはいなかった。
「大丈夫ね。破損しているものはないわ」
中身がすべて無事で安堵しているとどこかから注がれる光が目に入る。上からではなく下からなので太陽の光が直接目に入っているわけではないはずだが一体どこから――
「あっ」
そこにはクロードリザードによって弾き飛ばされた大事な刀が横たわっていた。あれほどの衝撃を受けながらも傷がほとんどついていないところを見ると改めてすごい一品だと思わされる。
ふと自分の大切な守り刀を1本失ったあの人は無事なのだろうか……と頭の中をよぎる。
「おーい! いつまでかかるんだー?」
おっと物思いにふけっている時間はないんだった。
私は刀をバックに入れハルトの元へと走る。
また厄介事が多い毎日が始まりそうだ。
《被害報告》
日時 6月12日
時間 午後12時30分前後
場所 サンガ村近郊
被害要因 クロードリザードの大量発生
被害者数 死亡3名(商人2名とその護衛1名)
重軽傷者8名(東門、西門、北門それぞれの警備兵5名、巡回に当たった戦人3名)
被害原因 魔物調査からの警告に対する対応が不十分であったこと
対策 警備の見直し及び魔物調査の人員の確保
備考 現在サンガ魔物討伐部に魔物調査が不在のためできれば本部から何人か派遣を願いたい。今まで散々なほどの警告を黙殺してきたことを赦免していただき、この要件を飲んでいただければ幸いです。
魔物討伐部本部様へ
サンガ魔物討伐部オーナー ギース・マケインより
作者無駄事囁
レリュートが今後、秘剣ツバメ返しを使う予定はございません。