第8話「魔法の授業で目立ちたくなかった」
魔法の実技授業は、週に二回ある。
属性ごとに分かれて行う個別授業と、全属性合同で行う応用授業の二種類だ。今日は後者、全属性合同の応用授業だった。
場所は学院の魔法演習場。広い石造りの空間に、属性ごとの的と、魔力測定の装置が並んでいる。先生はバルト・グレーヴ教諭。五十代の、白髪交じりの男性で、魔法理論の権威として知られている人物だ。
そして今日の授業には、来賓がいた。
レオナルド・シグルド・アルヴァレス第一王子。観覧席に、ガエルと共に座っている。
――(内心)なんで今日来るんですか殿下。
口から出た言葉はなかった。でも、チャートの中に「魔法授業で目立たない」という項目を書いていた自分を、少し恨んだ。
目立たない予定だったのに。
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授業の前半は、基本的な魔力制御の確認だった。
各自が自分の属性魔法を一度発動させ、グレーヴ教諭が魔力量と制御精度を確認する。評価は五段階で、クラス全体の平均を把握するための作業だ。
順番は出席番号順だった。
私の番は、後半だった。
前半の生徒たちの発動を見ながら、私は密かに観察していた。
火属性の男子生徒が、拳大の火球を出した。評価は三。水属性の令嬢が、きれいな水の球を浮かせた。評価は四。土属性の生徒が、小さな石の柱を立てた。評価は三。
平均的な水準だ。この年齢の生徒なら、これくらいが普通だろう。
問題は、私の魔力量が「普通ではない」ことだ。
ドラクロワ家の闇魔法は、代々強力だ。父のエドモンは王国最強と言われている。私がその血を引いている以上、魔力量は同年代の平均をかなり上回る。指輪で制御しているが、発動を完全にゼロにはできない。
どこまで抑えるか、が問題だった。
抑えすぎると不自然だ。でも普通に出すと、目立つ。
イザベルが情報を集めてくれているおかげで、現在の状況は把握している。マーガレット・ドゥナンはまだ動いている。ヴィオレットの評判を意図的に操作しようとしている勢力がいる以上、ここで弱い魔力を見せると「やはり大したことはない」という印象を与えてしまう。
かといって、強すぎる魔力を見せると、別の意味で警戒される。
――適度に、でも印象的に。編集者的に言えば、「引き」を作る。
私は深呼吸をした。
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「ドラクロワ」
グレーヴ教諭に名前を呼ばれた。
私は演習場の中央に進んだ。周囲の視線が集まるのを感じた。王子の視線も、おそらくこちらに向いている。
「闇属性、基本発動を見せてください」
「はい」
私は右手を前に出した。
指輪が、静かに温かくなった。魔力を制御しながら、引き出す。漆黒の霧のようなものが、手のひらの上に集まり始めた。
ここまでは普通だ。
問題は次だった。
引き出した魔力が、思ったより素直に応えてきた。
指輪が制御しているはずなのに、魔力の「重さ」が、今日は違った。昨夜眠れなかったせいかもしれない。あるいは、王子の視線を意識したせいかもしれない。どちらにせよ、制御の感覚が、いつもより繊細だった。
抑える。
でも、魔力は生き物のように、少しずつ形を作っていった。
黒い霧が、ゆっくりと球体に変わった。手のひらより少し大きい、完璧に均一な黒い球体。その表面が、かすかに光を吸収している。
演習場が、静かになった。
グレーヴ教諭の手が、魔力測定の器具に向かった。数値を確認している。その動きが、途中で止まった。
「……ドラクロワ、今、どのくらい制御していますか」
「七割ほどですわ」
「七割」
「はい。それ以上は、授業の場には不適切かと思いまして」
グレーヴ教諭が、もう一度測定器を見た。それから私を見た。それから測定器を見た。
「……評価は、五です」
クラスがざわめいた。
五段階評価の五は、この授業で初めてだった。
私は黒い球体を静かに消した。魔力を内側に戻す。指輪が、また静かに温かくなった。
「ありがとうございました」と私は言って、自分の席に戻った。
――(内心)目立ってしまいましたわ。
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授業の後半は、応用課題だった。
自分の属性魔法を使って、指定された課題をこなす。今日の課題は「精度の制御」で、魔力の量を細かく調節しながら、指定された的に当てるというものだ。
私は淡々とこなした。
目立たないように、とは思っていた。でも、七割で評価五が出てしまった以上、今さら抑えても意味がない。であれば、きちんとやる方がいい。
課題を終えて席に戻ると、隣の席の令嬢が小声で声をかけてきた。
「ドラクロワ様、すごかったです」
「ありがとうございますわ」
「七割であの出力は、見たことなくて」
「家の魔法ですので」
「ドラクロワ家ってやっぱりすごいんですね」
私は少し微笑んだ。それ以上は何も言わなかった。
前の席から、別の声が聞こえた。
「でも、闇属性って、やっぱり少し怖いよね」
小声だったが、聞こえた。
言った本人は気づいていないらしく、前を向いたままだった。
私は何も言わなかった。聞こえなかったふりをした。
ただ、胸の奥が、わずかに、ちくりとした。
前世では属性も魔法も関係なかった。自分の存在を「不吉」と言われた経験はない。この世界では、闇属性というだけで、そういう目で見られることがある。
頭では分かっていた。でも、実際に耳にすると、少し、重かった。
指輪が、かすかに熱くなった。
魔力が、感情に反応している。
私は深呼吸をした。落ち着け。ここで魔力を乱すのは最悪だ。
ゆっくりと息を吐いた。指輪の熱が、静かに引いていった。
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授業が終わり、生徒たちが演習場を出始めた。
私はマリアンヌと合流しようとして、足を止めた。
「ドラクロワ令嬢」
振り返ると、ガエルが立っていた。にこにこした顔で。
「授業の観覧、楽しませていただきました」
「それはよかったですわ」
「殿下もご覧になっていました」
「存じています」
「感想を聞いてきましょうか」
「結構ですわ」
ガエルが少し笑った。
「相変わらず、そっけないですね」
「そうですか」
「でも嫌いじゃないです、そういうところ」
どこかで聞いた言葉だ、と思った。イザベルも同じことを言っていた。
「ガエル・ミレイユ卿」と私は言った。
「はい」
「殿下は、今日の授業をどこから見ていましたか」
「観覧席です。正面の」
「私が魔力を発動した時、殿下の表情はどうでしたか」
ガエルが少し目を細めた。
「……情報収集ですか」
「ええ」
「正直ですね」
「曖昧に聞いても、あなたは教えてくれないでしょう」
ガエルが、今度ははっきり笑った。
「殿下は」とガエルは言った。「驚いていました。ただ、それだけじゃなくて」
「それだけじゃなくて?」
「何か、考えている顔でした。殿下が何かを考えている時の顔は、俺には分かるので」
「何を考えていたと思いますか」
「さあ」とガエルは言った。「それは、殿下に直接聞いてみないと分かりません」
「そうですか」
「聞いてみますか、今日」
「またの機会に」
ガエルが「残念です」と言った。残念そうではない声で。
「一つだけ、お伝えしておきます」とガエルは続けた。
「なんでしょう」
「殿下は、闇属性を不吉だとは思っていません」
私は少し目を動かした。
「なぜそれを」
「先ほど、授業中に誰かが言っていたでしょう。『闇属性は怖い』と。殿下の表情が、その瞬間だけ、別の種類に変わったので」
「別の種類、とは」
「不快そうな顔、です」とガエルは言った。「誰かに対してではなく、そういう言葉が存在することへの、不快感です」
私はしばらく黙った。
「……伝言、ありがとうございます」
「自分の判断で言いましたので、殿下には内緒です」
「分かりました」
ガエルが一礼して、観覧席の方向に戻っていった。
私はその背中を見送りながら、先ほどの胸のちくりを思い出した。
ゆっくりと、消えていった。
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演習場の出口でマリアンヌと合流すると、彼女はいつもより少し早足で近づいてきた。
「お嬢様、授業中に何かありましたか」
「何かとは」
「指輪が一瞬、光りました」
マリアンヌは細かいところを見ている。指輪が魔力の乱れに反応して光ったのを、演習場の端から見ていたらしい。
「少し、集中が乱れましたわ。でも大丈夫です」
「……何か、嫌なことを言われましたか」
私は少し考えた。
正直に言うか、どうか。
「少し」と私は言った。「でも、気にしていませんわ」
マリアンヌが黙った。
廊下を歩きながら、少しの沈黙が続いた。
「お嬢様」とマリアンヌが言った。
「はい」
「闇属性は、不吉ではありません」
「知っていますわ」
「念のため、申し上げました」
私は少し笑った。
「ありがとう、マリアンヌ」
マリアンヌの目が、静かに潤んだ。
「……任務中でございます」
「分かっています」
二人で廊下を歩いた。
外から差し込む光が、石畳を明るく照らしていた。
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帰りの馬車の中で、ジルが御者台から声をかけてきた。
「お嬢様、今日の授業の噂が、もう広まっています」
「早いですわね」
「『ドラクロワ令嬢の魔力が七割で評価五だった』って。貴族社会の噂は速いですね」
「それで、どんな反応ですか」
「半々です」とジルは言った。「すごいという反応と、やっぱり闇属性は、という反応と」
「そうですか」
「でも」とジルは続けた。「すごいという反応の方が、少し多いです」
「少し、ですか」
「少しだけ。でも確実に」
私は窓の外を見た。夕暮れの街が流れていく。
チャートを更新する。頭の中で。
進捗:魔法授業、目立ちたくなかったが目立った。ただし、マイナスではない。評価五という事実は、ドラクロワ令嬢への印象を「怖い」から「すごい」へ少し変える効果がある。
それから、一行。
新情報:レオナルドは闇属性を不吉だと思っていない。ガエルの言葉が本当なら、これは重要な情報だ。
そして最後に。
今日の指輪の件:感情の制御、まだ完璧ではない。引き続き注意する。
馬車が屋敷の門に近づいた。
門の前で、クロード兄さんが待っていた。今日も腕を組んで。
馬車が止まると、クロード兄さんが近づいてきた。
「授業はどうだった」
「少し、目立ちましたわ」
「聞いた。評価五だったそうだな」
「お兄様まで噂を」
「俺の部下が学院関係者に知り合いがいてな」とクロード兄さんは言った。少し、表情が緩んでいた。「……よくやった」
「目立ちたくなかったのですが」
「それでも、よくやった」
私は少し苦笑した。
屋敷に入りながら、クロード兄さんが小声で言った。
「誰かに何か言われたか」
「少しだけ」
「そうか」
それだけだった。それ以上は聞かなかった。でも、廊下を歩く間、クロード兄さんがいつもより少し近い距離にいた。
気づかないふりをした。
でも、悪くなかった。
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その夜、父から手紙が来た。
便箋一枚だった。
「授業での評価、聞いた。誇りに思う。それだけだ。エドモン」
一枚だった。
私は少し笑って、引き出しにしまった。
お父様、成長しましたわね。
でも「それだけだ」の後に三行分の余白があったのは、何かを書きかけてやめた痕跡だ。
結局、四枚分の気持ちを一枚に押し込んだのだろう。
それはそれで、十分すぎるくらい伝わっていた。




