表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は攻略本を持っている  作者: N


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話「殿下は思ったより観察眼がある」

 レオナルド・シグルド・アルヴァレスは、人を観察する癖がある。


 物心ついた頃からそうだった。王族として生まれ、次期国王として育てられる過程で、人の表情を読む力、言葉の裏を読む力は、生存本能に近いものとして身についた。誰が本音を言っているか。誰が何かを隠しているか。誰の笑顔が本物で、誰の笑顔が仮面か。


 だから、あの令嬢のことが、気になって仕方がない。


---


 三日前の進級式典のことだ。


 ヴィオレット・エルミナ・ドラクロワ。公爵令嬢。闇属性。自分の婚約者。


 式典の前から、レオナルドは彼女を観察していた。観察していた、というより、観察せざるを得なかった、という方が正確だ。


 理由は単純だ。彼女の動きが、読めなかった。


 ドラクロワ令嬢については、それなりの情報を持っていた。高圧的。傲慢。使用人への扱いが悪い。社交界での振る舞いに問題がある。そういった評判は、以前から耳に入っていた。


 だから、この婚約がいつまでも続くものだとは思っていなかった。婚約を続けることへの積極的な理由が、見当たらなかった。ただそれだけのことだった。少なくとも、今日の式典を見るまでは。


 ところが。


 式典の歓談時間に、ラナ・ソワーズがエミリア・サンクレールに絡み始めた場面で、ヴィオレットが動いた。


 あの時の彼女の動き方を、レオナルドは今も正確に覚えている。


 焦っていなかった。かといって余裕を見せびらかしている様子でもなかった。ただ、計算された動作で、必要な場所に、必要なタイミングで現れた。


 そして言った言葉が、感情的でも、権威的でもなかった。


 事実だけを、穏やかに、でも広間全体に届く声で言った。


 「公の場で誤った前提に基づいてご令嬢を辱めることは、あなたご自身の品位にも関わりますわ」


 攻撃ではなかった。警告でもなかった。指摘、だった。


 それが、妙に引っかかった。


---


 「殿下」


 ガエルの声で、レオナルドは書類から目を上げた。


 執務室。窓から差し込む夕方の光が、机の上の書類を橙色に染めている。


 「何だ」


 「さっきから同じ書類を三回読んでいます」


 レオナルドは書類に視線を戻した。確かに、内容が頭に入っていなかった。


 「……気のせいだ」


 「気のせいにしては、ペンが三分止まっていましたが」


 「ガエル」


 「はい」


 「余計なことを言うな」


 「承知しました」とガエルは言った。言ったが、椅子を引いて勝手に座った。「ドラクロワ令嬢のことを考えていましたか」


 レオナルドは答えなかった。


 答えなかったことが、答えになった。


 「やっぱり」とガエルは言った。笑っている気配がした。「俺も気になりましたよ、今日の令嬢は」


 「どこが」


 「どこが、って聞くんですね」


 「情報収集だ」


 「そういうことにしておきます」ガエルが少し姿勢を変えた。「俺が令嬢に直接話しかけた時の話、しますか」


 「聞く」


 「殿下がご覧になっていたことを伝えたんです。そうしたら令嬢、動じなかったんですよ」


 「動じなかった」


 「ええ。普通は少し緊張するか、嬉しそうにするか、どちらかじゃないですか。殿下に見られていたと知ったら。でも令嬢は、ただ『お気遣い、痛み入りますと殿下にお伝えください』って」


 レオナルドは少し考えた。


 「感情が読めなかったか」


 「むしろ逆です」ガエルは言った。「感情は表情に出ていた。ちゃんと反応していた。でも、それを言葉に乗せなかった。感情と言葉を、きちんと分けて使っている感じがしました」


 「……それは」


 「珍しいと思います」とガエルは続けた。「俺が会ってきた貴族令嬢の中で、あそこまで意図的に言葉を選んでいる方は、そういない」


 レオナルドは書類をそっと机に置いた。


 「ドラクロワ令嬢について、分かっていることをまとめろ」


 「今すぐですか」


 「ああ」


 ガエルが少し表情を引き締めた。普段の軽薄な雰囲気が、わずかに変わる。こちらが本来のガエルだ、とレオナルドは知っている。


 「ヴィオレット・エルミナ・ドラクロワ。十二歳。闇属性。ドラクロワ公爵家の一人娘。以前の評判は先ほど殿下がご存知のとおり。ただし」


 「ただし」


 「直近三日で、複数の人間が令嬢の変化に気づいています。具体的には、今日の式典で令嬢を見ていた令嬢たちが、終了後に話し合っていた内容を耳にしました。要約すると、『ドラクロワ令嬢が変わった』です」


 「三日で人間は変わらない」


 「そうですね」とガエルは言った。「だから、変わったのではなく、見せていなかったものを見せ始めた、のかもしれません」


 レオナルドは窓の外を見た。夕暮れの空が、じわじわと暗くなっていく。


 「エミリア・サンクレールとの接触についてはどう見る」


 「令嬢がエミリアを助けたことは、本心からだと思います。計算もあったと思いますが、計算だけではなかった。エミリアを見た時の目が、分析じゃなかったので」


 「どんな目だった」


 「面白いものを見つけた人の目、でした」


 レオナルドはしばらく黙った。


 ガエルの観察は、大抵正確だ。だから今の言葉も、おそらく正確なのだろう。


 「引き続き、情報を集めろ」


 「承知しました」とガエルは立ち上がった。「ただ、殿下」


 「なんだ」


 「自分で話しかけてみるのが、一番早いと思いますよ」


 レオナルドは答えなかった。


 ガエルは笑いながら、執務室を出ていった。


---


 一人になった執務室で、レオナルドは再び書類に向かった。


 今度は、内容が頭に入ってきた。集中できた。


 でも、ペンを走らせながら、頭の一部がずっと、別のことを考えていた。


 ヴィオレット・エルミナ・ドラクロワ。


 評判どおりの人間ではない。それは確かだ。では、評判とどう違うのか。どこまでが本当で、どこからが演技なのか。演技だとしたら、何のための演技なのか。


 分からない。


 レオナルドは、分からないことが嫌いだった。特に、自分の周囲にいる人間のことが分からないのは、居心地が悪かった。


 だから観察する。情報を集める。分析する。


 それが自分のやり方だった。


 だが、とレオナルドは思った。


 今日の令嬢は、自分が観察しているのに気づいていた。気づいた上で、にっこりと微笑んで、視線を外した。


 あれは何だったのか。


 動じなかったのか。気にしなかったのか。それとも、気づいた上で、意図的に無視したのか。


 どれなのか、判断できなかった。


 レオナルドは書類を一枚、机の端に移した。


 判断できないことは、もう少し情報を集めてから結論を出す。それが自分のやり方だ。


 ただ、一つだけ、今日の時点で判断できることがあった。


 ヴィオレット・エルミナ・ドラクロワは、思っていたより、はるかに興味深い人間だ。


---


 その夜、ガエルが執務室に戻ってきた。


 「一つ、追加の情報があります」


 「言え」


 「令嬢の従僕が、今日の式典の前後、屋敷の周辺を警戒していたようです。密偵の存在を事前に把握していて、対応していた」


 レオナルドは少し眉を動かした。


 「十二歳の令嬢が、密偵の動きを把握している」


 「従僕がよく動く方らしいです。ただ、令嬢が指示を出していた可能性があります」


 「……なぜそう思う」


 「令嬢の帰りの馬車が屋敷に着いた時、兄君のクロード・ドラクロワ卿が門の前で待っていたのですが、令嬢は『今日は少しだけ何かあった』と話していたそうです。密偵については話さなかった。つまり、既に処理済みだったということです」


 レオナルドはしばらく黙った。


 「情報管理を、自分でやっている」


 「そう見えます」


 十二歳で、自分の周囲の安全管理に気を配り、情報を選別して兄に伝え、式典では場を完璧に読んで動く。


 評判と、あまりにも違う。


 「ガエル」


 「はい」


 「明後日の茶会の出席者リストを確認しろ。ドラクロワ令嬢が出席する予定の集まりがあれば、報告しろ」


 ガエルが一瞬、動きを止めた。


 「……自分で話しかけるおつもりですか」


 「情報収集だ」


 「そういうことにしておきます」


 ガエルはにっこり笑って、執務室を出ていった。


 レオナルドは窓の外を見た。夜の空に、月が出ていた。


 ヴィオレット・エルミナ・ドラクロワ。


 婚約破棄を検討していた相手の名前が、今夜は違う重さで、頭の中に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ