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悪役令嬢は攻略本を持っている  作者: N


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10/10

第10話「殿下がチャートどおりに動かない(後編)」

 中庭での会話から三日後、イザベルが新しい報告書を持ってきた。


 「殿下が、ヴィオレット様について調べています」


 開口一番だった。いつもより少し、表情が硬かった。


 「座ってお話しくださいな」と私は言った。


 イザベルが座った。膝の上で手を組んだ。


 「どこまで分かりましたか」


 「殿下の動きを把握している情報源から、確認しました」とイザベルは言った。「ここ一週間で、殿下がドラクロワ家に関する情報を複数のルートから集めています。ヴィオレット様個人についても、魔法の実力、家族関係、学院での行動、全部です」


 「そうですか」


 「驚かないんですか」


 「少し驚いていますわ」と私は言った。「ただ、殿下が情報を集める方だということは、すでに把握していましたので」


 イザベルが少し眉を上げた。


 「いつから」


 「中庭で直接お話した時に、私の報告書の文字を読んでいましたわ。あの距離で、あの速さで。情報を集める習慣がある方だと、その時に分かりました」


 イザベルが黙った。それから、少し口元を緩めた。


 「……ヴィオレット様は、よく見ていますね」


 「あなたほどではありませんわ」


 「私は仕組みを作って集めますが、ヴィオレット様は直接見て判断する。方法が違います」とイザベルは言った。「どちらも必要だと思います」


 「心強いですわ」


 イザベルの頬が、少し赤くなった。


 「……それで」と彼女は続けた。「殿下が情報を集めていることは、ヴィオレット様にとって問題ですか」


 私は少し考えた。


 問題か、どうか。


 ゲームのシナリオでは、この時期の王子はまだヴィオレットに対して「婚約破棄の方向で考えている」段階のはずだった。情報を集めるとしても、それは「いかに問題なく破棄するか」のためのはずだ。


 でも、中庭での会話と、この情報収集の規模を合わせて考えると、少し違う可能性がある。


 「問題ではありませんわ」と私は言った。「ただ、引き続き確認をお願いできますか。殿下が何を目的として情報を集めているか、分かれば教えてください」


 「承知しました」とイザベルは言った。それから、少し躊躇ってから付け加えた。「……心配しています、私は」


 「ありがとうございます」


 「お礼を言われると困ります」


 「では、ありがとうを心の中にしまいますわ」


 イザベルが「それはそれで困ります」と言った。珍しく、少し笑っていた。


---


 翌日の昼休み、私は図書室にいた。


 来月の社交シーズンに向けて、王国の外交史を確認していた。社交界での会話に使える情報を、事前に整理しておくためだ。これも編集者時代の習慣で、場に臨む前に「使える知識」を頭に入れておく。


 マリアンヌは図書室の入口近くに控えている。ジルは外だ。


 本を読みながら、昨日のイザベルの報告を整理していた。


 レオナルドが情報を集めている。規模が大きい。目的が分からない。


 チャートと照らし合わせると、この時期の王子は静観しているはずだ。でも実際の行動は、静観とはかけ離れている。


 中庭での会話。「婚約者」という言葉。「抱えすぎるな」という忠告。そして大規模な情報収集。


 どれも、ゲームの設定にはない。


 なぜ、こんなにも乖離しているのか。


 私が行動を変えたからだ、というのは分かっている。でも、それだけではない気がしていた。ゲームの設定と実際のレオナルドは、根本的なところで違う。ゲームのレオナルドは「鉄壁クール系」で、必要なこと以外は動かなかった。でも実際のレオナルドは、必要かどうか分からない動きを、すでに何度もしている。


 考えすぎか、と思った時、図書室のドアが開いた。


 「ドラクロワ令嬢」


 レオナルドだった。


 今日はガエルも一緒だった。ガエルが「お邪魔します」と人懐こく言った。


 私は本を閉じた。立ち上がろうとすると、「座ったままでいい」とレオナルドが言った。


 二人が向かいの椅子に座った。ガエルが楽しそうな顔をしていた。レオナルドは、いつもの表情だった。


 「偶然ですか」と私は聞いた。


 「いや」とレオナルドは言った。「探した」


 「……探した」


 「ガエルが図書室だろうと言ったので」


 「当たりましたね」とガエルが言った。にっこりして。


 私は少し考えた。


 探した。つまり、意図して来た。理由がある。


 「何かご用でしたか」


 「先日の話の続きをしたかった」


 「先日というのは、中庭でのことですか」


 「ああ」


 「続き、とは」


 レオナルドが少し間を置いた。


 「お前が学院内の動きを把握していると言っていた。具体的に、どの範囲まで把握しているか知りたかった」


 「それは、なぜですか」


 「情報が重複しているなら、無駄を省ける」


 私はレオナルドを見た。


 「重複している、というのは、殿下も同じ範囲の情報を持っているということですか」


 「一部は」


 「つまり、情報を共有しようとおっしゃっているのですか」


 レオナルドが少し目を細めた。


 「そう受け取ってもらって構わない」


 私はしばらく黙った。


 これは、チャートに全くない展開だった。


 ゲームのシナリオでは、この時期の王子とヴィオレットは、表向きの婚約関係を保ちながら、実質的にはほとんど接触しない。情報を共有するどころか、会話すら少ない。


 それが今、情報共有を提案してきている。


 ――(内心)チャートが崩壊していますわ。完全に。


 「一つ確認させてください」と私は言った。


 「なんだ」


 「殿下は、なぜ私に情報を共有しようとお思いになったのですか」


 レオナルドが少し間を置いた。


 「お前が、独自に情報を集めて動いているのが分かったからだ」


 「それが理由ですか」


 「お前が集めた情報と、俺が集めた情報を合わせれば、より正確な状況把握ができる」


 「合理的な理由ですわね」


 「そうだ」


 「他に理由はありますか」


 レオナルドが、今度は少し長い沈黙を置いた。


 「……婚約者が、独りで動いているのを見ているのは、落ち着かない」


 私は少し驚いて、王子の顔を見た。


 レオナルドは前を向いていた。図書室の本棚を見ていた。その横顔は、相変わらず表情が読みにくかった。でも、耳が、わずかに赤かった。


 「殿下」


 「なんだ」


 「今、少し、正直なことをおっしゃいましたわね」


 「そうか」


 「そうですわ」


 レオナルドが、本棚から視線を外した。こちらを見た。金眼が、まっすぐだった。


 「情報共有に、同意するか」


 私は少し考えた。


 同意するべきか、どうか。


 チャートの観点から考えると、これは「王子との関係構築」において、想定より大幅に早い進展だ。早く動きすぎると調整が難しくなる、というリスクは変わらない。


 でも。


 マーガレット・ドゥナンの動きが大きくなっている。宮廷の外縁との接触が始まっている。独りで対応するには、限界が近づいているかもしれない。


 そして何より。


 目の前の人間は、ゲームの「鉄壁クール系の王子」ではない。もっと複雑で、もっと正直で、耳が赤くなる人間だ。


 「一つ、条件があります」と私は言った。


 「言え」


 「私が持っている情報の出所は、守秘していただきたいのです。情報源の安全のために」


 「構わない」


 「それなら、同意します」


 レオナルドが、少し表情を緩めた。緩めた、というより、何かが解けた、という感じだった。


 「では、改めて」と彼は言った。「よろしく頼む」


 「こちらこそ」と私は言った。「よろしくお願いしますわ、殿下」


 ガエルが「よかったよかった」と小声で言った。レオナルドが「うるさい」と即座に返した。ガエルが「はいはい」と言いながら全然反省していない顔をした。


 この二人のやり取りを見ていると、クロード兄さんとジルの関係に少し似ている気がした。


---


 それから三十分ほど、三人で話した。


 内容は、マーガレット・ドゥナンの動きについてだ。


 私がイザベルから得た情報を伝えると、レオナルドは静かに聞いていた。途中でいくつかの質問をした。的確な質問だった。どこに焦点を当てるべきか、何が重要で何がそうでないか、判断が早かった。


 レオナルドが持っている情報は、私が持っていないものだった。宮廷の内部の動き、貴族間の利害関係、王家に対する各派閥の立場。それらを、簡潔に、でも必要なことは全部話してくれた。


 「マーガレット・ドゥナンの背後には、第二王子派閥の外縁がいる可能性がある」とレオナルドは言った。


 「第二王子派閥、とは」


 「弟だ。俺の婚約が破棄されることを望んでいる勢力がいる」


 「それはなぜですか」


 「俺の婚約者がドラクロワ家の令嬢であることで、ドラクロワ家の力が王家の正嫡に集中する。それを崩したい勢力がいる」


 私はしばらく黙った。


 これはゲームの設定にあった情報だ。第二王子派閥の存在は、シナリオの後半で明らかになる要素だった。でも、この時期にレオナルドが自分から話してくれるとは思っていなかった。


 「殿下は」と私は言った。「この婚約について、どうお思いですか」


 レオナルドが少し止まった。


 ガエルが、さりげなく視線を窓の外に向けた。聞こえていないふりをしている。でも、耳はこちらに向いているだろう。


 「以前は」とレオナルドは言った。「続ける積極的な理由が見当たらなかった」


 「以前は、と言うことは」


 「今は、少し違う」


 「どう違いますか」


 レオナルドが、また本棚を見た。


 「お前が、思っていた人間と違う」


 「それは」


 「評判と、実際が、大きくかけ離れている」とレオナルドは言った。「どちらが本当か、まだ判断できていない。だから、もう少し見る必要がある」


 「見る、とは観察するということですか」


 「そうだ」


 「では、引き続き観察してくださいませ」と私は言った。


 レオナルドが、こちらを見た。


 「……それでいいのか」


 「観察されることは、構いませんわ。ただ」


 「ただ?」


 「私も、殿下を観察しますわ」


 レオナルドが少し間を置いた。


 「それは、構わない」


 「ありがとうございます」


 「礼を言うことでもない」


 ガエルが、窓の外を向いたまま、肩を小さく震わせた。笑っているらしい。レオナルドが「ガエル」と低く言った。ガエルが「なんでもありません」と言った。


---


 帰りの廊下で、マリアンヌが小声で言った。


 「お嬢様、大丈夫でしたか」


 「大丈夫でしたわ」


 「殿下と、随分長くお話になりましたね」


 「ええ」


 「……殿下は、どんな方でしたか」


 私は少し考えた。


 どんな方か。


 ゲームの設定と違う。耳が赤くなる。情報収集が得意。正直なことを、たまに速く言う。沈黙を気にしない。


 「思っていたより、ずっと」と私は言った。


 「ずっと、何ですか」


 「人間らしい方でしたわ」


 マリアンヌが少し首を傾けた。


 「それは、よいことですか」


 「ええ」と私は言った。「よいことですわ」


 マリアンヌが頷いた。


 廊下の角を曲がったところで、ジルが待っていた。


 「お嬢様、殿下とお話になったんですね」


 「見ていたのですか」


 「遠くから少しだけ」


 「またですか」


 「警備の確認です」


 「図書室の中まで警備の確認をするのですか」


 「廊下からです、ちゃんと」


 マリアンヌが「どちらにせよ同じです」と言った。


 「それで」とジルは言った。「殿下、どうでした」


 「どう、とは」


 「なんか、印象変わりましたか」


 私は少し考えた。


 印象が変わったか。


 変わった、というより、解像度が上がった、という感じだ。ゲームの設定という「低解像度の画像」が、実際に会うたびに、少しずつ鮮明になっていく。


 「変わりましたわ」と私は言った。「思っていたより、ずっと複雑な方だと分かりました」


 「複雑、ってどんな風に」


 「一言では言えないくらい」


 ジルが少し考えた顔をした。それから、にっこり笑った。


 「それって、気になってるってことじゃないですか」


 「違いますわ」


 「そうですか」


 「そうです」


 「……そうですか」


 「なぜ二回言いますか」


 「念のため」


 マリアンヌが「ジル、歩きなさい」と言った。ジルが「はいはい」と歩き出した。


 私は二人の後ろを歩きながら、チャートを更新した。


 重大な修正:レオナルドとの情報共有開始。この時期のシナリオには全くない展開。チャートの大幅修正が必要。


 それから、一行。


 レオナルドは「以前は続ける積極的な理由が見当たらなかった」と言った。今は違う、とも言った。この変化の意味を、慎重に分析する必要がある。


 そして最後に。


 私も、殿下を観察すると言った。これは本当のことだ。ただ、観察しているうちに、観察以外の何かが混じり始めないよう、注意する必要がある。


 最後の一行を書いてから、私は少し止まった。


 なぜ、そんな注意書きが必要だと思ったのか。


 考えたが、答えが出なかった。


 出なかったので、チャートをしまった。


 廊下の先で、ジルがマリアンヌに何か言い、マリアンヌがジルの背中を軽く叩いた。ジルが「痛い」と言った。マリアンヌが「これくらいで痛くはありません」と言った。


 私はその様子を見ながら、歩き続けた。


 夕方の光が、廊下に斜めに差し込んでいた。


 温かい光だった。

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