犬と猿とチョコレート
誰にでも犬猿の仲の相手というものがいる。
女子高校生の山下姫子にも、そんな相手がいた。
その相手の名前を、高橋康太と言った。
学校の同じクラスの男子だ。
姫子にとって康太は、何もかもが気に入らない相手。
粗雑な喋り方も気に入らないし、大雑把な性格も気に入らない。
偶然なのだろうが、居て欲しくない時に姿を現したりもする。
康太本人に悪気が無いのはわかっているが、どうしても受け入れられない。
だから姫子はなるべく康太と関わらないようにしていた。
しかし、関わらずにはいられない時もある。
バレンタインデーである。
2月中旬にはバレンタインデーがやってくる。
女が、好意を寄せる男に、
バレンタインチョコレートを渡して気持ちを伝える、あれだ。
もちろん、姫子の学校でも、バレンタインデーには、
女子生徒が男子生徒にバレンタインチョコレートを渡す姿が見られる。
姫子はもちろん、康太にバレンタインチョコレートを渡すつもりはない。
しかし、バレンタインデーには、義理チョコという厄介な風習がある。
好意を持っているわけではないけれど、普段お世話になっている感謝として、
姫子の学校では、女子生徒たちが男子生徒全員に、
ちょっとしたバレンタインチョコレートを配ることにしている。
これが姫子には気に入らない。
チョコレートは女子生徒がまとめて用意する。
いつもは少額を出し合って、袋売りチョコレートを買うことにしている。
それが姫子には気に入らなかった。
姫子は自室のベッドにゴロンと横になって言った。
「もうすぐバレンタインデー。
学校ではきっとうちのクラスも、
女子が男子に義理チョコを用意するんだろうな。
そうすると、だ。
少しなりとも、あたしが出したお金で買ったチョコが、
康太の口に入ることになるわけ。
冗談じゃない。
どうしてあたしが康太に、例え義理チョコであれ、
バレンタインチョコをあげなきゃいけないわけ!?」
怒りに任せて枕を投げつける。
罪もない枕がベッドの足元に当たって落ちた。
「どうにかして康太に、
バレンタインチョコを渡さないで済まないものかな。」
姫子は一計を案じることにした。
翌日。
姫子は学校に登校すると、休み時間に女子生徒たちに相談した。
「ねえ、今年のバレンタインデーの義理チョコなんだけど、
辞めにするってことはできないかな?」
すると女子生徒たちは顔を見合わせた。
そして、姫子にやさしく答えた。
「姫子ちゃん、もしかしてお小遣い足りないの?」
「だったら、今年のバレンタインデーの義理チョコの分は、
私たちが立て替えておいてあげるよ。」
どうやらクラスメイトの女子生徒たちに勘違いをされているようだ。
姫子は両手と顔を振って否定した。
「違う違う!お金が無いわけじゃないの。
ただ、ちょっとチョコを渡したくない相手がいるって言うか・・・。」
「もしかして、高橋くんのこと?」
「ギクッ!そ、そうだけど・・・。」
「バレンタインデーの義理チョコだよ?
本命のチョコでもあるまいし、みんなで出し合うくらい、我慢できない?」
「我慢できない!
あたしの好意のほんのちょっとでも、康太にあげたくない!」
「義理チョコだから厚意の方だとは思えない?」
「どっちも一緒だよ!あー!康太ムカつく!」
こんな様子で、姫子は駄々をこねていた。
大声は風に乗って康太自身の耳にも届いていて、康太はムッとしている。
その様子を見て、女子生徒が小声で言った。
「ほら、高橋くんにも聞こえちゃうよ。
姫子、この間、高橋くんにプリント届けて貰ってたじゃない。」
「あれは先生に頼まれたって言ってたよ。」
「それでも届けてくれたんだから、お世話になってるんだよ。
だから、義理チョコくらい我慢しなよ。」
「うー。」
姫子は反論することもできず、黙っているしかできなかった。
日時は過ぎて、今年のバレンタインデーが近付いてきた。
姫子には好きな人などいないので、本命チョコレートを用意する必要はない。
その代わり、何とか康太に義理チョコレートを渡さずに済まないものか、
あれやこれやと思案していた。
姫子は学校で女子生徒たちに言った。
「義理チョコなんて時代遅れだよ!
女子だけがバレンタインチョコを渡すなんて、不平等だ!」
「だから、ホワイトデーがあるじゃない。」
「私、彼氏から何倍も高いプレゼントのお返しをしてもらう予定。」
義理チョコレートにはお返しのホワイトデーがセットで付いてくる。
バレンタインデーよりもホワイトデーの方が、
何倍も高価なプレゼントをするのが常だ。
だから女にとってバレンタインチョコレートは負担ではない。
むしろ先行投資であるとも言える。
だから、姫子の主張する負担の軽減や不平等などは一蹴されてしまった。
次に姫子が提案したのは、義理チョコレートの自由参加だった。
「義理チョコって、強制されてやるものじゃないと思う。
どう?今まではクラスの女子全員で義理チョコの費用を出し合ってたけど、
今年は有志だけで費用を出すってことにしない?」
すると女子生徒たちは口を尖らせた。
「それって、お金を出したい人だけが出すってこと?
それこそ、姫子が言ってた不平等ってやつじゃない。」
「受け取る男子は、誰がお金を出してないかなんてわからないよ。
お金を出さなかった子はただ乗りじゃない?
私は反対。」
「私も。姫子、ちょっと冷静になりなよ。」
こうして姫子の提案は、またも女子生徒たちによって却下されてしまった。
どうしても康太に義理チョコレートを渡したくない。
姫子の悪あがきは続く。
次に姫子は、こんなことを言い出した。
「じゃあ、今年の義理チョコは、手渡しすることにしない?」
「手渡し?」
「そう。好きとは言わなくても、みんな気になる男子はいるでしょ?
気になる男子に、女子が義理チョコを手渡しするの。
そうしたら、男子も喜ぶと思うな。
女子も、義理チョコだから気軽に気持ちを示せると思うし。」
「ふぅん、それいいかもね。」
「折角、お金を出し合って義理チョコを用意するんだから、
喜んでもらえる渡し方の方がいいよね。」
姫子の義理チョコ手渡し案は、好意的に受け入れられた。
「問題は、複数の女子が義理チョコを渡したがってる男子だけど、
それはみんなで渡しても良いか。
どうせ義理チョコは一つ一つは安いし、複数になっても誤差の内ね。」
「じゃあ、誰が誰に義理チョコを渡すか、分担を決めていこう。」
自分の案が採用されてニコニコ顔だった姫子。
しかしその笑顔は長くは続かなかった。
「あ、あたし!?」
学校の教室に姫子の悲鳴が響き渡った。
バレンタインデーの義理チョコレートを、
女子が男子に手渡しするという姫子の案は採用され、
今は誰が誰に義理チョコレートを渡すか決めている真っ最中・・・なのだが。
担当を決めていった結果、姫子に計算外の出来事が起こってしまった。
「高橋くんに義理チョコを渡す役割は、姫子に決定ね。」
「あ、あたし!?どうしてそうなるわけ?」
「だって、高橋くんと一番親しいのは、姫子だもん。」
「あれは親しいんじゃなくて腐れ縁っていうの!
一緒にいたいわけじゃないし、たまたま同じクラスになっただけ!」
「それでも、プリント届けてもらったり、先生の呼び出しを教えてもらったり、
姫子が高橋くんにお世話になってるのは事実でしょ。」
「そうだけど・・・、それだって、康太は言われてやっただけじゃない!」
「じゃあ姫子も言われたらやるんだよね?高橋くんに義理チョコを渡す役割。」
「それは・・・」
「しかも、この手渡し案を提案したのも姫子自身だし。
文句ないよね?」
女子生徒たちが笑顔を姫子の顔に近付ける。
その笑顔の迫力には、有無を言わせぬものがあった。
こうして仕方がなく、姫子は康太に、
義理チョコレートを手渡す役割を負うことになった。
当初の姫子が考えていたことと、真逆の結果になってしまって、
姫子は頭を抱えていた。
それから準備はトントン拍子に進んで、いよいよバレンタインデー本番。
姫子の学校でも、女子生徒たちも男子生徒たちも、朝からそわそわしていた。
本命の相手がいる女子生徒、男子生徒は、誰も干渉する必要はない。
恋する二人の間のこと。
問題は、そうではない、義理チョコレートの方だった。
今年は姫子の提案、あるいは策略によって、
義理チョコレートも一つ一つ、女子生徒が男子生徒に手渡しすることになった。
「はい、義理チョコ。」
「ど、どうもありがとう。」
義理チョコレートと言われても、
男にとって女からバレンタインデーにチョコレートを手渡しされるのは、
心ときめく出来事。
男子生徒たちは、ただの義理チョコレートでも大満足。
中には本命の相手に手渡しで義理チョコレートを渡せて、
満足している女子生徒もいた。
全体的に見れば、義理チョコレートの手渡し案は大成功。
誰も不幸になるものがいない案だった。
ただし、それは発案者の姫子を除いてのことだった。
「康太に何も渡さないために色々画策したのに、
どうして、あたしが康太に義理とはいえ、
チョコを手渡ししなきゃいけないのよー!」
姫子の叫びに、女子生徒たちはニヤニヤ顔、男子生徒たちは首をすくめていた。
無反応だったのは、たった一人だけだった。
バレンタインデーでも学校の授業は普段通りに進んでいく。
授業、休み時間、そしてまた授業の繰り返し。
その合間をぬって、女子生徒たちはバレンタインチョコレートを渡していく。
中々勇気が出なくて、渡すのが遅くなる女子生徒も少なくない。
遅くなればなるほど、周りでバレンタインチョコレートを渡す人が減り、
自分が目立って渡しにくくなっていく。
だから女子生徒たちは、勇気を振り絞って、
バレンタインチョコレートを渡していった。
中には義理チョコレートが実質的な本命バレンタインチョコレートとなり、
無事にカップル成立しそうな生徒たちもいた。
全体的にみれば、教室の中は恋愛感情でいっぱい。
そこかしこで桃色の空間が生まれていた。
そんな中で、一箇所だけ、ブラックホールのように重苦しい空気があった。
姫子である。
姫子はまだ康太に割り当てられた義理チョコレートを渡せずにいた。
これを渡したら、康太はどんな顔をするだろう。
きっと嫌味の一つでも言ってくるに違いない。
そう思うと、とても義理チョコレートでも渡す気にはなれなかった。
「そもそもどうしてこんなことになったんだよー!」
姫子はもう何回もそう口にしていた。
もう何度後悔しただろう。
そうしている間に時は過ぎ、授業は終わり、放課後になっていた。
放課後の教室では、まだバレンタインチョコレートの受け渡しが、
そこかしこで行われていた。
今までバレンタインチョコレートを渡す勇気が出なかった女子生徒が、
時間制限に追われて、やっとバレンタインチョコレートを渡している。
そんな中に姫子もいた。
ただし姫子の場合は状況が異なる。
恋心を示す勇気が出なかったのではなく、
単純に嫌だったから先延ばしにしていたに過ぎない。
康太の方を見ると、康太は帰り支度を始めている。
このままなら義理チョコレートを渡さずに済むだろうか。
いやいや、それでは、女子生徒たちみんなで出し合った、
義理チョコレートの費用をネコババすることになってしまう。
義理チョコレートを手元に残してはおけない。
そんなことを考えていると、目の前にすっと影がさした。
見上げると、姫子の席の前には、あの康太が立っていた。
「な、何の用?」
焦る姫子に、康太は落ち着いて言った。
「お前、俺に義理チョコ渡したくないんだろう。」
「そ、それは・・・。」
「いいよ、言わなくても。
お前が俺を気に入っていないことくらいわかるよ。
俺は別に、お前に嫌がらせしたいわけじゃないんだ。
だから、無理に義理チョコなんて渡さなくて良い。
そういうのは、やりたい奴だけがやれないいんだ。
お前が今持ってる義理チョコは、お前が食っていいよ。」
「そ、それは駄目だよ。
だって、康太に義理チョコを渡すのは、あたしの役割で・・・。」
「役割なんか気にするな。
お前はお前がやりたいようにやれ。
バレンタインデーっていうのは、そういうものだろう?
金の問題なら、俺が代わりに義理チョコの金を出してやるよ。
何度も言うが、俺はお前に嫌がらせしたいわけじゃないんだ。
お前が俺を嫌ってるなら、俺はそれを受け入れる。
お前の自由を奪いたくないし、束縛もしたくない。」
康太は姫子に要件を伝えると、じゃあなと身を翻した。
教室を出ていく康太の姿を、姫子は言葉も出せずに見送っていた。
バレンタインデーの日。
姫子は康太に義理チョコレートを渡すことができなかった。
でも姫子には嫌な気分はしなかった。
確かに、女子生徒たちで集めた費用で買ったチョコレートを、
担当になった相手である康太に渡せなかったのは問題だ。
しかし姫子は嬉しかった。
あの康太が、気の利かないと思っていた康太が、
姫子のことを理解してくれていた。
どうやら姫子は康太のことを誤解していたようだ。
康太は粗雑なのではなく、言葉が足りないだけなのだ。
康太はちゃんと姫子のことを理解してくれている。
そのうえで、バレンタインデーの義務から解放してくれた。
今の姫子にとって康太は、
バレンタインデーに溺れる姫子を救い出してくれた、
ライフセーバーのようだった。
気が付くと、姫子が握りしめていた義理チョコは、
手の温かさで溶けてしまっていた。
溶けたのは姫子の頑固な心もだっただろうか。
姫子はそのことに気が付きつつあった。
それから、姫子と康太の関係は変わった。
バレンタインデーに何も贈らないことが、二人のわだかまりをほぐしてくれた。
姫子は康太の本当はやさしいところに気が付き、心境に変化が生まれていた。
康太も、姫子が嫌がることは避けようと努力しているようだった。
失敗したバレンタインデーは、新たな恋の種となり、
小さな恋の芽を芽吹かせている。
姫子が康太に話しかける。
「康太、あのさ。あたし、あんたのこと・・・」
この恋の芽が花開くには、更に一年、
次のバレンタインデーまでの時間を必要とした。
しかし時間は経とうとも、咲くはずのないはずだった恋の花は、
確かに芽吹いているのだった。
終わり。
バレンタインデーと言えば、チョコを渡して好意を伝えるものです。
でも逆に、チョコを受け取らないことで表現できる好意もあると思います。
バレンタインチョコレートは、あくまで自由意志で渡すもの。
例え義理チョコであっても、強制してはいけない。
それで仲間はずれにされても耐えるのが、男に科せられた使命だと思います。
義務でなければ、義理チョコも渡さないような仲でも、
いずれ分かり逢える日が来ると信じています。
だから世の男は、バレンタインチョコレートが貰えなくても、
それに落ち込む必要はありません。
あくまでその一瞬の評価でしかないのだから。
お読み頂きありがとうございました。




