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1.喪失

 パリ、ロンシャン競馬場。例年通りの雨の中、観客たちはただ静かに一点を見つめていた。出走馬たちはすでにゴール板を過ぎていた――ただ一頭を除いて。凱旋門賞——世界最高峰の格と名誉を誇るレースにおいて、勝ち馬を称える歓声はない。私は渦中にいて、とても目の前のことが現実とは思えなかった。あの暗幕の向こうにいるのは、私の愛馬なのだから。

 ラヴリーワールド。主な勝鞍は、アルテミスステークス、オークス、エリザベス女王杯、宝塚記念。そこで海外からの招待を受け、インターナショナルステークス四着、アイルランドチャンピオンステークス二着と結果を出し、ここ凱旋門賞の舞台へと登ったのだ。

 どうすればよかったのか。長期遠征がストレスだったか。だが、馬場もコースも性質の異なる海外で結果を出すには、やはり海外に慣れるしかない。当日の調子に見落としはなかったか。いや、飼葉の食いも睡眠も十分だったと思う。馬体にも違和感はなかったし、力が漲っているように見受けられた。ではあと考えられるとすれば――驕り。日本馬初の凱旋門賞制覇に手が届くという驕り。日の丸を背負って本場に挑むという驕り。だとすれば――私は馬主に相応しくないのかもしれない。

 騎手の日高からも調教師の神山からも頭を下げられたが、私は静かに労い、直前の様子を黙って聴いた。

「賢い馬でしたから、今まで出遅れたり掛かったりなんてことはなかったんですが、思えば今回出が良すぎたんです」

 日高の言葉が胸の底に落ちる。本来出が良ければ、好位置を取りやすい。ロンシャンで戦うにはいかに好位置を取るかが肝であるし、スピードタイプの日本馬がパワーとスタミナの要求されるロンシャンで好走するには必要条件である。

 もし、ラヴリーワールドが賢すぎたとしたら。自分が何を期待されていて、そのためにどのような立ち回りをすべきか理解していたとしたら――彼女を追い詰めたのは、ほかならぬ私ということになる。

 私は改めて日高と神山に謝辞を述べ、独りホテルへと戻った。

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