7.5話~アウクシリウム子爵の憂鬱~
アウクシリウム子爵。
それが今の私の持つ肩書だ。
アウクシリウム子爵は領地を持ち、王都から馬車で5日ほどの距離にある。
明光風靡な田舎といった感じで、王都のような華やかさはないが、そののどかさを私は気に入っている。
領地経営は安定しており、そこそこ子爵家として裕福でもある。
アウクシリウム子爵の一族は、緑の頭髪に茶色の瞳が特徴だ。
口さがない者には「木のようだ」と揶揄されることもあるが、私は気に入っている。
木は大地に根付いて動物たちの棲み処となり、人々にとっては建材になり、火になる。
木の偉大さを語れば、私の右に出る者はいないだろう。
そのくらいには、私は自分の一族を愛している。
そんなアウクシリウム子爵家は、代々秀才を輩出してきた。
その中で、私は歴代で最も優秀ではないかと言われている。
貴族学校を主席で卒業し、王城で働かないかと誘われたこともあった。
だが私はそれを蹴った。
王城のくだらない派閥争いが嫌だったからだ。
それはすでに貴族学校で片鱗が見えていた。
ろくに権力も知性も無いのに、足の引っ張り合いと、罵倒するための語彙の豊富さしかない生徒に驚きだ。
こんな連中が権力を握ればどうなるか。
そんな奴らに関わるなど、面倒でしかない。
私は貴族学校を卒業後、すぐさま領地に戻り、爵位を継いだ。
引き止める者もいたが、残念ながら断った。
(世の中には愚か者が多すぎるな…)
数年前、公爵令嬢が事故で亡くなったという。
だが、貴族学校での知り合いによれば、毒殺されたのではないかという。
茶会で血を吐いて倒れたというのだから、立派な暗殺だ。
わずか12歳の少女が、派閥争いか、あるいは王太子妃の座を狙って殺された。
悲しみよりも呆れが上回ったものだ。
だが、そんな私の世の中への見方を覆すものが現れた。
「旦那様、正門に幼い平民の少女が本を読ませてほしいと押しかけてきております」
「何?」
執務室で仕事中、入室してきた執事のエリックが言ったことに眉を顰める。
平民が、本を読ませてほしいなど聞いたことが無い。
一体どういうことだ?
「幼いというのは、どれくらいだ?」
「おそらく…お嬢様と同じくらいかと」
「ほう」
ナナカは今4歳だ。それと同じくらいで本を読みたいと言う。
そんな少女に私は興味を持った。
「直接話をする。案内しろ」
「はっ」
エリックの案内に従い、正門へと向かう。
そこには、確かにナナカと変わらない少女がいた。
(まさか、本当にこんな少女が?いくらなんでもあり得ないだろう)
「その子供が例の?」
「はい、旦那様」
エリックに確認すると、確かに頷いた。
私のその少女…アリスに向き直る。
「君は、アリスといったか?」
「はい」
「屋敷の本が読みたいと?」
「はい」
「だが、その理由は言えないというんだな?」
「はい!」
とても元気のいい返事に、不信感よりもおかしさがこみあげてきた。
そしてなにより、こちらをまっすぐ見据えるその瞳に、畏怖のような感情すらこみ上げる。
(まさかこの年で目的を明かすリスクを知っているということか。普通なら文字を読むことすらできないはずだ。一体この少女が何者か、興味があるところだが…)
それはおいおいとして、私は少女に図書室で本を読むことを許可した。
それに喜ぶ少女の姿は、年相応のものだった。
アリスを帰らせた後、私は執務室に戻ってアリスのことを思いだしていた。
目的を明かす。
それは、プラスの面とマイナスの面がある。
プラスは、周囲の人間から協力が得られること。
マイナスは、足を引っ張られること。
貴族学校でも見られたことだ。
将来立派な騎士になると宣言した令息が、それを馬鹿にした高位貴族の令息によってその目標を断念させられたことがある。
騎士になりたかった令息は、如何に自分が騎士に向いていないかをからかい混じりに否定され続けた。
あげくには、高位貴族の護衛に徹底的に痛めつけられ、騎士の道を断念したという。
おそらくだが、アリスの目的は人からは否定されるような、大それたものなのだろう。
人は自分の理解の外にあるものは、受け入れられず、否定する。
それを分かっていて、実行できるアリスは大したものだ。
それから2年が経過した。
アリスは欠かさず図書室に通っている。
司書にそれとなくアリスが読んでいる本を探らせたが、見事にジャンルはバラバラだ。
驚きなのは、薬学書や医学書まで読んでいるということ。
もはや教養というレベルを超えているものまで読んでいて、驚きだ。
そんなアリスのことを、私はつい娘のナナカに話した。
するとナナカはすぐにアリスに突っかかったようだ。
ナナカは極度の負けず嫌いで、勉強嫌い。
そんなナナカにとって、本を読めて勉強もできるアリスの存在は許しがたいものだったらしい。
ナナカはアリスが本を読めるのは嘘だと思っていたようだ。
しかし実際にアリスが本を読んだことで、ナナカは負けを認めざるを得なかった。
それが面白くなく、部屋でずいぶん暴れたようだ。
そこで私はアリスに手伝ってもらうことにした。
アリスに一緒に勉強してもらうことで、負けず嫌いのナナカは勉強から逃げることができなくなる。
この作戦は成功した。
アリスに負けたくないナナカは、懸命に勉強に取り組むようになった。
さらに、アリスに倣って本まで読みだした。
これは思わぬ副産物であり、アリスには感謝してもしきれない。
二人はいいライバルにもなったようだ。
いや、友人というべきか。
アリスには勉強のついでに侍女業を覚えてもらおうと思ったのだが、これがどうして理解が早い。
あっという間に覚えてしまい、紅茶を淹れることに関してはベテランの使用人を上回るほどだ。
本人は謙遜しているが、まるで美味しい紅茶とはなんたるかを知っているかのよう。
このままアリスにはナナカの専属侍女を務めてほしい。
だが、アリスには目的がある。
それはきっと、子爵家の専属侍女という小さなものでは収まらない、もっと上の目的が。
なら私はどうすべきか。
その判断をする機会は、唐突に訪れた。
アリスたちが12歳になったころ。
私の手元には、王城での女中を募集するというお触れがあった。
王城の女中は平民ではなれず、基本的には下位貴族の令嬢が花嫁修業や出会いを求めてなるものだ。
高位貴族であれば、王族の侍女になるので女中にはならない。
このお触れは、本来であればナナカに向けて送られたものだ。
しかし例外もある。
どうして平民がなれないかといえば、身元の保証ができないからだ。
つまり、平民のアリスでも、貴族である私が身元を保証すれば女中になれる。
私は、これはアリスに話すべき内容だと思った。
(彼女の目的はおそらく、王城にあるんじゃないだろうか)
アリスはナナカの専属侍女となってからも、図書室通いをやめていない。
それはつまり、今の立場では満足していないということだ。
そう思い、彼女に王城の侍女になってみないかと話をした。
アリスは二つ返事でうなずいた。
そこに私は、安心と少しの寂しさを感じた。
アリスがいなくなるのが寂しいというのはある。
だがそれだけではなく、これまで共に過ごしてきたはずのナナカとの別れを、ためらいなく決断したことだ。
しかしそれに触れると、アリスは目に見えて動揺した。
目的のために周りが見えなくなる者がいるが、アリスもその一人のようだ。
そこに安心した自分がいる。
(ナナカの一方通行なものではなかったようだな)
しかしその後、ナナカが執務室に来た。
ナナカはアリスから王城行きを聞いたが、どうして王城に行くのかを教えてもらえなかったことに泣いていた。
「アリスなんて…ぐすっ……」
「ナナカ…」
「お父様は知ってるんでしょ!何でナナカが王城に行くのを!私にだけ話してくれないなんて…ひどい!」
ナナカは、私はアリスから目的を聞いていると思い込んでいるようだ。
なら、それは否定しておかなければならない。
「ナナカ、アリスの目的は私も知らないのだよ」
「えっ…?嘘…」
相当意外だったのか、娘は目を見開いて私を見た。
「本当だ。アリスは目的を明かすリスクを知っている。だから、私にすら喋っていない」
「………どうして」
「自分がどうしたいのか、喋ることがいいこととは限らない。私も、他人によって目的を潰された人を知っている」
ナナカに諭すように語り掛ける。
それを聞いたナナカは、目を吊り上げて怒りの感情をあらわにした。
「そんな、ひどい!」
「その通り、ひどいものだ。だが、そういう者がいるのが現実というものなのだよ」
「………」
「アリスは…私にも、ナナカにも、そしておそらくは両親にも言っていないだろう。彼女は一人で、目的に向かって進み続けている。私は、そんな彼女を応援すると決めたのだ。今回の王城行きは、彼女へのプレゼントのようなものだ」
「お父様…」
「アリスは、誰にも言えないことを頑張っている。ナナカ、アリスは君にとってどんな存在だ?」
「アリスは……あたしの、親友…」
「なら、どうする?」
問いかけに、ナナカは目元をこすって涙をぬぐうと、決意を秘めた目で私を見返した。
「私も応援する!だって、あたしがアリスの一番の親友だもん!」
「そうか。なら、それを伝えなくてないけないのは誰だ?」
「…行ってくる!」
けたたましい音を立てて扉を開け、ナナカが出ていった。
(やれやれ、これではまだまだ嫁入りは先だな)
その1週間後。
ナナカとアリスは、晴れ晴れとした表情で片方は見送り、片方は馬車に乗り込んだ。
小さくなっていく馬車を見送りながら、私は願った。
(どうか、アリスの目的が叶いますように)