おまけ:28.5話~王子様は手段を選ばない~
初めて彼女を見たときの感動を、私は一生忘れない。
当時6歳だった私―エイベル・チェットアメン―は、ある少女と引き合わされた。
その少女の名はリリーシア・ヴァスト。
国内最大規模の領地と資産を有する公爵家の娘。
ふわふわとピンクゴールドの髪を揺らし、透き通る空のような青い瞳をまっすぐにこちらに向けてくる。
その愛らしさに、私は知らず笑みを浮かべていた。
「っ!り、リリーシア、です…」
「エイベルだ。よろしく、リリーシア嬢」
どもったのもかわいい。
次の瞬間、彼女の口からまさかの言葉が飛び出すことになるのだが、それに驚きはあれど、拒否する気持ちは毛すじほども無かった。
「殿下、結婚してください!」
「ああ、いいぞ」
了承した瞬間、リリーシアは私に飛びつき、頬にキスまでしてきた。
それすら愛おしいと思ったのだから、彼女に負けず劣らず私も一目ぼれだったのだ。
それからは夢のような時間だった。
どんなに厳しい帝王学の勉強も、リリーシアも同じように王妃となるべくの勉強をし、奮起していることを聞くと何も辛くない。
何度も合間に逢瀬を重ね、早く婚約、結婚したい。
ただそれだけを願っていた。
あの事件が起きるまでは。
リリーシアが血を吐いた。
それも、尋常ではない量を。
彼女の大好きなピンク色のドレスを、濃い赤が染め上げていく。
その光景を前に、私は初めて悲しみという感情に襲われた。
「リリーシア!ダメだ、まだ死ぬな!」
そう呼びかけても、返事が返ってくることは無かった。
その後、1年ほどの記憶はない。
リリーシアの死に茫然自失となった私は、知らずに王家の保養地へ療養に送られていた。
やっと自我を取り戻した私に湧き上がった感情は、リリーシアを奪った者への激しい憎悪だった。
絶対に許さない。
確実に捕まえ、リリーシアを奪ったことの罰を与えなければ、私に未来など要らない。
それから私は数年かけて、側近たちとともに保養地でリリーシアを殺害した犯人を見つけ出すための作戦を練った。
犯人の目途はおよおそ付いている。
次期王妃確実と言われていたリリーシアが邪魔だった。
なら、犯人はリリーシアの代わりに王妃になろうとしている者だ。
最も可能性が高いのが、リリーシアの代わりに王妃候補に名乗りを上げているアイクオ家のミルドレッド嬢だ。
だが証拠がない。
もちろん王家としても調査が進められたが、リリーシアの分を給仕したと思われる侍女が行方不明。同時期に王都近くの山小屋で焼死体が発見され、おそらくその侍女と思われている。
口封じだというのは誰が見ても明らかであり、それによって調査は行き詰っていた。
そこで私は、犯人と思われる令嬢たちに近づき、証言あるいは証拠を掴もうと画策した。
そのためには、エイベルだと思われてはいけない。
私にリリーシア殺害を匂わせるようなヘマをやらかすほど馬鹿ではないだろう。
大して影響力のない遊び人のような立場になれば、彼女らの口も軽くなるのではないか…という結論でまとまった。
早速私は、隣国の劇団を買収して役の指導を受けた。
買収したのは、私が演技の指導を受けているのがバレないようにするため。
丸一年受け続け、『ルベア』という人格は生まれた。
軽薄で、女好き。
(これで、絶対にリリーシアを殺した犯人の尻尾を掴んでやる!)
しかし、狙いとは裏腹に決定的な証拠は掴めないまま、何年も経ってしまった。
ルベアは幸いにもミルドレッド嬢のお気に入りになれた。
そこで何か漏らすかと思ったが、思った以上に彼女の口は堅い。
それとなくリリーシアのことを話題に出したこともあったが、彼女はいつも
「いなくなって清々したわ」
としか言わない。
これでは彼女が関わっているとは言えないし、アイクオ家の屋敷は警備が厳重だ。
迂闊に潜入もできない。
犯人の目星も経たず、リリーシア殺害の証拠も見つからない。
あっという間に私は24歳になり、そんなもやもした気持ちを抱えていたある日。
ルベアとして警備任務をこなして王城に戻ったそのとき、ある女性が目の前から歩いてくることに気付いた。
恰好からして平民。
それだけなら気にも留めないが、なぜか彼女に目を奪われてしまった。
(何故だ?どうしてあの娘と、リリーシアが被る?)
彼女は王城の中を堂々とした足取りで進んでいた。
平民はおろか、下位貴族であっても、王城の中は萎縮するものだ。
逆に高位貴族となると、その地位からやたらと威張り散らかすものもいる。
彼女はそのどれでもなく、歩くのが当然という態度を示していた。
その姿が、在りし日のリリーシアのようだ。
気付くと私はその娘に近づいていた。
「あれ~?なんだか小さい子がいるなぁ。君、誰?」
声を掛けた瞬間、彼女は固まっていた。
令嬢の中にはそんな反応を示すものもいる。
私は好奇心からもっと近づいた。
「は、はい。大丈夫です」
「そう、ならよかった。で、君誰?」
つい顔を覗き込んだら、なんと彼女は後ずさりした。
これには私が驚いてしまった。
(大抵は私の顔に見惚れるか、照れて顔をそらすだけなのに、彼女の反応はどちらでもない。なんなんだ、彼女は?)
軽い自己紹介をした後、アリスと名乗った彼女はスタスタと行ってしまった。
一度も振り返ることも無く。
想定外の行動ばかりの彼女に、私は彼女を見かけると声を掛けるようになってしまった、
そんなことをしている場合ではない…そう思うのに、彼女を見ると歩み寄る足が止まらない。
だが、そんな私の行動が仇になってしまった。
ミルドレッド嬢が、アリスに制裁を加えたというのだ。
これまでも、私と関わった他の令嬢に対してミルドレッド嬢が何かしたことはあった。
だが、私はあえてそれを止めずに放置している。
全てはリリーシア殺害の証拠をつかむため。
咎めるのではなく、放置することで彼女が過激な行動にでてボロを出すのを待った。
そのためには、必要な犠牲だと割り切ることにしていたのに。
アリスに危害を加えられたと聞いて、頭の中が真っ赤になった。
今すぐ同じことをミルドレッド嬢にしてやりたい。
そんな衝動に襲われたが、側近たちに止められた。
やむなく私はアリスに謝罪の手紙と慰謝料を渡し、距離を置くことを決める。
それはまるで、断腸の思いだった。
どうして彼女のことに関しては、冷静でいられないのかが分からない。
それから2年後。
驚くべき情報が入ってきた。
なんとあのアリスが、宰相の養女になったというのだ。
さらに宰相は、側近の負担軽減と称して、彼女を私専属の侍女として押し付けてきた。
私はすぐさま宰相に抗議したが、彼はどこ吹く風だ。
「君の側近が苦労しているのは事実でしょ?ただでさえ君の『お遊戯』に付き合わせてるんだからね」
「っ!」
宰相は私のしていることを『お遊戯』と称している。
分かっている。
冷静に考えれば、10年超えてなお死した者に囚われることがいかに愚かか。
だが、それでもやると決めた。
結局、彼女は侍女としての業務に付くことになったが、影武者の存在がバレることを懸念し、業務は掃除だけにした。
彼女は何度も執務室でも掃除したり、手伝おうとしてきた。
正直に言えば、彼女が近くにいることはうれしい。
それに、公爵家の養女になった以上は、ミルドレッド嬢とてたやすく手出しは出来ない。
だから、ついルベアとして彼女にかまいたくなってしまう。
ただ、どうして彼女はプリムス公爵家の養女になったのか、どうして侍女になったのかが教えてくれない。
それがもどかしかったけれど、それでもいいと思っていた。
しかし、事態というのは唐突に動くものだ。
その日は、ルベアとして一応騎士業務についていた。
しかしそこに側近が駆け寄ってきた。
「すみません、少しお話が…」
「…何だ?」
彼が声を潜めたので、ルベアではなくエイベルとして応対する。
だが、続く言葉に私は驚くしかなかった。
「殿下の私室で影武者の存在がバレました。つきましては、殿下の判断を仰ぎたく…」
「すぐに行く」
一体何をやらかしてくれたんだと憤る気持ちを抑え急ぐ。
現場を見たとき、唖然としてしまった。
そこには、侍女のアリスに押し倒された影武者がいる。
しかも彼女は顔を涙で濡らしていて。
影武者であることがバレてしまっては隠しようがない。
私はアリスに正体を明かすことにした。
ただし、明かす以上ただでは返さないつもりで。
しかし、そこでアリスは驚くべき行動に出た。
「殿下ぁ!」
「っ!?」
突然彼女は私に抱き着いてきた。
その抱き着き方に、やはりリリーシアの姿が被る。
どうにも彼女の考えが読めない。
私はどうして侍女になったのか、王妃になりたいのかと聞くも、彼女はそのどれにもこれ以上ないくらいにハキハキと答えた。
こちらが驚きを通り越して困惑するほどに。
だが、ついに聞き捨てならないことをアリスは答えた。
「…何故だ?私がいつ、君にそこまで好かれるようなことをしたんだ?」
「昔からです!」
「いやだから……」
「リリーシアのときから、ずっとです!」
リリーシア?
リリーシアだと?
そんなはずはない。
彼女は死んだんだ。
だが、頭のどこかで目の前の少女が、リリーシアではないかと囁く声もある。
「…君が、リリーシア……だと?」
「はい!」
「…証拠は?」
「ありません!」
(…ああ、なるほど。確かに彼女はリリーシアだ)
常にまっすぐ前を見て、これ以上ないくらい清々しい。
これまでのアリスを見てきて感じていた感じが、全てリリーシアという像に一致していく。
目の前にいる女性はリリーシアだ。
そう思って彼女を見たら、なんとテーブルを足蹴にして抱き着いてきた。
少しやんちゃになったようだが、この勢いがまさにリリーシアだ。
「殿下ぁ!」
「ははっ。ああ…間違いないな。この後先考えない感じは、リリーシアそのものだ」
それから事態は一気に進んだ。
アリスは自ら囮になることで、犯人をあぶりだそうというのだ。
当然待ったをかけたが、アリスは譲らない。
もちろん、それが最も確実な手段なのはわかる。
でも、またリリーシアを喪う悲しみを味わいたくない。
結局、アリスは一歩も譲らず、その案で進むことになった。
全力でアリスを守るため、私は徹底的に作戦を練り込むことに全神経を注ぐことにする。
さらに図書館で読書をしていたアリスは、リリーシア殺害に使われたと思われる毒を突き止めた。
その毒の生産はルテェアット国であり、アイクオ家が独占貿易している国だ。
可能性は一気に高まった。
入手経路が判明した以上、あとは毒の所有を決定づければ確定する。
アリスの登場から事態はとんとん拍子に進んでいく。
ああ…まるで彼女は私の勝利の女神のようだと、つい誰かに自慢したくなるほどに嬉しかった。
そしていよいよ作戦決行当日。
母上にお願いして開催してもらった、私の婚約者を探すという目的を備えた茶会。
私たちは、給仕する者全員に目を光らせていた。
そしてついに、アリスへ給仕していた侍女が、紅茶に何かを仕込む様子を目撃する。
すぐさま侍女は確保され、毒物は押収。
最初は口を割らなかったが、15年前の同じ事件で侍女が口封じに焼き殺されたことを教えると、口を割った。
どうやら茶会が終わった後に、隣国へお金を持って逃亡させる手筈だったらしい。
おそらくそれは嘘だっただろうなと思う。
やはり犯人はミルドレッド嬢だった。
私はエイベルとして茶会に現れた。
そして、アリスに給仕された紅茶を飲もうとする。
案の定、ミルドレッド嬢は止めようとした。
それを振り払い、飲もうとしたことで、ミルドレッド嬢は決定的なことを口にした。
「毒が入っていますから!飲んではダメです!」
それが決定打となり、彼女は捕まった。
やっとリリーシアを殺した犯人を捕らえることができた、その満足感は計り知れない。
そして、これで心置きなく私はアリスに生まれ変わったリリーシアと結婚することができる。
私の人生は、リリーシアの死によって暗雲で閉ざされ、そしてアリスとなったリリーシアによって晴れを迎えることができた。
つくづく、私の人生に彼女の存在は欠かせない。
それを思い知った。




