14話
(うぅ…まさかこんなことになるなんて…)
エイベル殿下の侍女になれたと喜んだのもつかの間。
今私は、無人の殿下の私室の掃除をしている。
なんと私の仕事は、殿下の私室や寝室の掃除……だけ。
一切殿下と接する機会が無いのだ。
(何のために殿下の侍女になったのか、これじゃわからないじゃないの!?)
殿下の身の回りの世話を通して、殿下と親密になって婚約、そして結婚という流れ…のはずだったのに!
殿下の世話は、常に傍にいる男性の側近だけが行うという。
それは、殿下が仮面を外したがらないほど顔に負った傷が原因だとか。
殿下はその傷を、本当に親しい者以外には決して見せず、それは使用人も例外ではなかった。
そもそも殿下には侍女がいなかった。
その理由はすでに述べた通りで、本来は部屋の掃除も側近が行っていたという。
それをお義父様が、無理やり側近の負担軽減という名目で私をねじ込んでくれた。
ここまでお膳立てしてもらったんだ。
ここから先は、私が自分で何とかしないといけないと思うの。
(とはいえ、どうしたものかしら…)
掃除は私室も寝室もあっという間に終わってしまう。
政務をこなすのに執務室にこもりっきりだから、使う時間が少なく、ほとんど汚れることもないのだ。
殿下たちが戻ってくれば、当然私は部屋から追い出され、着替えも食事の世話もさせてもらえない。
…当然、殿下の仮面の下の顔がどうなっているのかを、見ることもできない。
(興味が無いと言えばウソになるけど、私も今の殿下の顔を拝見したいわ。そのうえで、私も殿下が顔をさらしても大丈夫な人の一人になりたい。安心できる存在になってあげたいわ)
また、殿下は怪我の影響でしゃべりづらくなってしまったらしく、言葉も全て側近を通して伝えられる。
侍女として最初の挨拶のために殿下の執務室に向かったけれど、そこで殿下の声を直接聞くことは叶わなかった。
さらに久しぶりにお会いした姿は想像以上に大変なもの。
仮面とは聞いていたけれど、それは顔だけを覆うものではなく頭部全体を覆い隠すものだった。
顔はおろか、首から上全てがどうなっているのか分からないほどに。
14年ぶりに殿下に再会できたのに、とても味気ないもので終わったことが、ショックだった。
***
「今日もあっさり終わってしまったわ…」
殿下の侍女になってから数日後。
全然汚れていない部屋を一通り掃除したら、あっという間に終わってしまった。
もう今日は何もすることが無いので、帰るしかない。
このままじゃいけないと思いながら王城の廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「アリスちゃん!」
(この声は…)
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのはルベア様だった。
実に2年ぶりに声を掛けられたのだけれど、彼はミルドレッド様の件でもう二度と声を掛けないと誓ったはず。
それが今になって声を掛けてきたのはどうしてなのかしら?
彼はスタスタと歩み寄ると、なぜか焦った顔をしてこちらを見下ろした。
私は彼の表情の意味が分からず、首をかしげるしかなかった。
とりあえず、挨拶をかわすとしましょう。
「お久しぶりです、ルベア様」
「ああ、久しぶり。…じゃなくて!ええっと、色々聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「? ルベア様。以前、私には話しかけないと手紙で頂いたと思うのですけど」
「ここなら誰かに見られることはないから。それより…」
(確かにここは王城の中でも殿下の部屋に近いところだから、早々人は来ないと思うけど…)
ずいぶん身勝手な言い分に、ちょっとイラっときた。
自分でおっしゃったことなのにね。
それよりもある疑問が頭をよぎる。
(……あれ、ルベア様、今どこから来たのかしら?)
その疑問を訊ねるよりも前に、ルベア様からの質問に押し切られてしまった。
「宰相の養子になったって、ホントなの?」
「はい、事実です」
「ど、どうして!?」
「どうしてって……」
またしても首をかしげてしまう。
ルベア様は、一体どうしてそんなことを知りたがるのかと。
お義父様には目的を明かしたけど、だからといって誰にでも喋るつもりはもちろんない。
それはルベア様も含む。
「それは申し上げられません」
「えっ……」
「こちらとしても事情がありまして、おいそれと簡単に言えるものではありません」
ここは丁重に断るとしましょう。
だけど、断られたルベア様の顔が、またあのときのエイベル殿下の表情と重なり、心がきゅっと締め付けられる。
(うぅ、その顔は見たくないわ。ほんと、ルベア様はエイベル殿下に似すぎなのよ…)
内心ちょっと毒づきながら、私は話は終わったとばかりに踵を返した。
だけど、すぐさまルベア様に腕を掴まれる。
「なら、わた…エイベル殿下の侍女になったのはどうしてなんだよ?」
「…お義父様の勧めです。あと、痛いです」
「す、済まない」
強く掴まれた腕をさする。
無意識で思った以上の力でつかんだのだろう、ルベア様も動揺していた。
(本当に、ルベア様はどうしてしまったのかしら…)
2年前のときは女性好きの騎士様と聞いていたし、服を買うお店選びを手伝ってくれた礼もある。
しかし、今のルベア様はそのときとはまるで別人のようだ。
軽薄な感じは変わらないけれど、こんなに余裕がないような感じは無かった。
もしかして、この2年の間にミルドレッド様と関わるうちに変わってしまったのかしら?
これまでも、取り巻きを連れて王城内を歩くミルドレッド様の姿を物陰から見たことはある。
その取り巻きの中にはたまにルベア様の姿があった。
女性好きのうわさもなりを潜め、ミルドレッド様以外の女性と共にいる姿はほとんど無いとか。
(女性好きだから、精神的に参っているのかもしれないわね。なんとかしてあげたいけれど、だからといって私のことをペラペラしゃべるわけにはいかないわ)
「では失礼します」
「あ、ああ……」
今度こそ進んでいく。
もうルベア様は追ってこない。
なんだか釈然としない気持ちを抱えたまま、タウンハウスへと帰ることにした。
***
エイベル殿下の侍女になってから一月後。
私の元に一通の手紙が来ていた。
その宛名を確認した時、緊張が走る。
手紙を開いて中を読むと、リビングで休んでいるお義父様の元へと向かった。
「どうしたんだい、アリス」
「お義父様。…アイクオ家のミルドレッド様から、お茶会の招待状が届きました」
「……へぇ」
お義父様の目が細くなる。
ミルドレッド様は2年前、ルベア様に関わったからという理由で、私の頭を足蹴にした人だ。
…ついでに言えば、リリーシアが死んだことに関わった疑惑もある。
「あの家が開く茶会には碌な噂が無い。まして今回は、殿下の侍女になった君へと招待だ。あそこの令嬢はずっと殿下との結婚を狙い、そのために26歳になった今でも独身。まず、歓迎されてはいない。それは分かるね?」
「もちろんです」
いわば敵地。
前回は取り巻きの一人であるルベア様に関わっただけであれなのだ。
殿下の侍女になった以上、何を仕掛けてくるのか。想像するに、ろくなことにならないことだけは分かる。
「断ることもできるよ。所詮ただのお茶会だ。我がプリムス家はアイクオ家とはさして親密でもないからね」
どうする?とお義父様は目で問いかけてくる。
もちろん答えは決まってるわ。
「行きます」
「ふふっ、だろうね」
私の答えにお義父様は笑った。
答えは分かっていたとでもいうように。
ミルドレッド様は私のライバルなのだ。
ここで退くという選択はあり得ない。
26歳というとっくに行き遅れになっているけれど、その地位と強引な手法でエイベル殿下の婚約者最有力候補には変わらない。
前はただの平民の女中だった。
今は、公爵家の令嬢であり、殿下の侍女だ。
もう前とは立場も状況も違う。
(ミルドレッド様…お会いできるのを楽しみにしておりますわ!)
茶会に向け、闘志をたぎらせる私だった。




