9話
ルベア様のエスコートでたどり着いたのは、おしゃれな服屋だった。
店頭には花も飾ってあり、窓ガラス多めで店内も明るい。
平民向けというよりは、下級貴族や富豪向けのちょっと高級志向らしい。
「ここはね、質のいい服をそこそこ安く取り扱ってるんだ。素材に貴族が着古したドレスなんかを再利用しているらしくてね。どうだい、肌触りはいいだろう?」
「そうですね」
並んでいる服の裾に触れると、確かに手触りはいいわ。
それに、お値段も予算の範囲内。
ここならいい服が選べそうだわ。
店内を眺めていると、奥から店員が現れた。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は初めてですか?」
「はい」
「そうですか。お客様の背丈ですと、合う服は左に向かってつき当りにございます。試着室はそこから右にありますので、是非ご利用ください」
「ありがとうございます」
案内に従い、店の奥に向かう。
良さそうな服を試着してみて、最終的には3着を買う事に。
ホクホクした気持ちで店を出ると、ルベア様がお店の壁にもたれかかっていた。
「買い終わったかい?」
「はい、良い服がありました。いいお店を紹介していただきありがとうございます」
頭を下げると、気にするなと言わんばかりに手が振られる。
「いいってことだよ。さ、次に行こうか」
「あ、すみません。もうお金が無いので、私は帰らせていただきます」
良い服だったばかりに、ちょっと奮発しちゃったのよね。
おかげで財布の中が寂しいことになってしまったわ。
もうどこかに行く余裕は無いから、帰るしかない。
そう言うと、ルベア様は軽く笑った。
「ああ、大丈夫大丈夫。俺のおごりだから、いいカフェを知ってるんだよ」
「? いえ、お構いなく」
奢ってもらうなんて申し訳ないわ。
首を横に振ると、頭を下げて帰ることにする。
「ちょ、ちょっと待った!」
しかし、焦った様子のルベア様に手首を掴まれた。
「どうされました?」
「いや、奢るから行こうって言ったじゃん?」
「いえ、ですから結構ですと」
「評判のカフェだよ?女性に大人気の」
「そうなんですか。さすが女性好きのルベア様は、女性向けのお店も把握されてるんですね」
ニッコリ笑ってそう言うとルベア様は固まってしまった。
私、何か変なことを言ったかしら?
男性なのにそこまで調べてらっしゃるからすごいと思ったのに。
首をかしげると、ルベア様は気を立て直されたようで笑顔に戻った。
「それは置いといて、さっ、行こう?」
う~ん、どうしようかしら。
ルベア様に奢ってもらうようなことは何もないから、気がひけるのよね。
そう思っていると、突然声が飛び込んできた。
「ルベア様!こんなところで出会えるなんて奇遇ですわね」
そう言いながらルベア様へと駆け寄ってくるドレス姿の女性がいた。
(可愛らしい方だわ。私よりも年上かしら?)
その女性は親し気にルベア様の腕をとると、自分の腕に絡めた。
そんな2人の姿を見ていると、つい羨ましくなってしまう。
(ああ、私もエイベル殿下とあんな風に腕を組んでみたいわ…)
そう思っていると、その女性は今気付いたように私を見てくる。
「あら?ルベア様、どうしたんですかその子供は」
「あ、ああ、この子はね…」
女性にそう言われて、ルベア様は慌てたように私の手首を掴んでた手を離した。
(知り合いが来たみたいだし、ルベア様もこれで退屈されないでしょう)
私は一安心してそっと距離を取った。
「ルベア様、今日はありがとうございました。では私はこれで」
「あっ……」
くるりと振り返ると人混みに紛れてその場を後にした。
きっとあの女性は、ルベア様と二人っきりで楽しみたいでしょうからね。
私だって、エイベル殿下と二人っきりで楽しみたいと思いますもの。
実際には侍女や護衛も付いているから、完全に二人っきりとはいかないけども。
(まぁそれはいいわ。この服が着られるときが楽しみね)
新しい服を入れた紙袋を手に下げ、私は浮き立つ気分のまま王城の女中寮へと帰った。
***
いい買い物ができた休日から3日後。
今日は予想外の事件が起きた。
それは、掃除で王城の廊下をモップで磨いていたときのこと。
奥から複数の足音が聞こえ、顔を上げるとそこには異様な光景が広がっていた。
(何なのかしら、あれ?)
中央には赤いドレスを着た令嬢がいて、その周囲に麗しい令息たちを侍らせた状態でこちらに向かって歩いてくる。
令嬢は長くてウェーブがかった黒髪を垂らし、血のように赤い瞳はつり上がっている。
アイラインや口紅はとにかく派手の一言。
その手にはこれまた装飾が派手な扇が握られており、どこを見ても派手だ。
(んー…どこかで見覚えがあるような気がするけれど、気のせいね)
思いだせないことを一旦置いといて、邪魔にならないようにそっと廊下の端に身を寄せる。
そのまま通り過ぎたら掃除を再開しようと思っていたのに、その集団は私の前で止まった。
「ちょっと、そこのあなた」
どこか聞き覚えがある声が響き、私は誰かが呼びかけられたんだろうと思って下を向いて通りすぎるのを待った。
「ジェイク。この娘、蹴飛ばしなさい」
「はっ…えっ?」
「私を無視したのよ。さっさとしなさい」
「……はい。おらぁ!」
次の瞬間、私は横から強い衝撃を受け、廊下を転がった。
衝撃は肺を圧迫し、少しの間呼吸ができなくなった。
(な、なに?何が起こったの?)
頭は混乱し、その上空気が取り込めない息苦しさに私はどうしようもなかった。
「ごほっ!はぁっ……」
「身の程知らずのゴミね。私が問いかけてるの、答えなさい」
「っ!」
今度は頭を固い何かで押し付けられた。
それが靴だと気付いたのは、私の頭の上にドレスのドレープが広がっていたから。
そこでようやく、私は頭を令嬢に踏まれていることに気付いた。
(何で、こんなこと…!?)
「全く、ルベアはこんな小娘に関わるなんて何を考えているのかしら」
ぐりぐりとヒールが頭に突き刺さる。
ヒールの痛みと、石畳に押し付けられる痛み。
2つの痛みに私は身を縮こまらせるしかできなかった。
それでも、気になる名前が出てきたことだけは分かる。
(ルベア様のこと?一体何で…)
どうして彼の名前が出てくるのか。
もしかしてこの令嬢と何か関係があったのかしら。
「言っておきますわよ。平民風情がルベアには二度と関わらないで。次はこの程度じゃ済みませんわよ」
「あぐっ!」
言い終わると、一瞬浮いた足が私の頭を蹴り飛ばす。
その痛みに何か言うこともできず、頭を抱えてうずくまるしかない。
足音が離れていき、聞こえなくなるまで私は立ち上がることができなかった。
(何だったのよ……もう)
いきなりのことで、何をどう思っていいのかすら分からない。
「ううっ……」
頭の痛みが落ち着いて、そっと頭から手を離すとそこにはべっとりと血が付いていた。
それに気付くと、今度は頭がズキズキと傷みだす。
石畳に手を付き、ゆっくりと起き上がると石畳にも小さく血だまりが出来ていた。
「…頭、どこか切れたのかしら……」
医務室に行かなきゃいけない。
でも、血で汚れた石畳もこのままにはできない。
(先に、血を拭かなきゃ)
なんとかモップを手にすると、支えにして立ち上がる。
痛む頭を歯を食いしばって我慢し、何とか血を拭き取った。
モップとバケツを持ち、片付けに向かう。
その道中、私の頭は痛みとある感情が沸き上がっていた。
(何なのかしら、あのお嬢様!いきなり人の頭を蹴るとか、おかしいわよ!絶対、いつかやり返してやるんだから)
怒りと闘争心。
ルベア様が何か関係してるみたいだけど、そんなことどうでもいいの!
このままじゃ済まさないんだから!
その誓いを胸に、掃除道具を片づけたあとに医務室へと向かった。




