第8話 姫とナイト
【Aパート】
土曜練習の疲れが、体の奥にまで染み込んでいた。
葛城悠翔は部屋のベッドに倒れ込み、手近なゲームケースを手に取った。
(……たまには現実逃避もいいよな)
机の上には、開きっぱなしの陸上理論書やフォーム改善の資料。
その隣で、新作のファンタジーシミュレーションゲームが静かに存在を主張していた。
葛城は電源を入れ、コントローラーを手に取る。
【Bパート】
画面の中――
戦乱の王国。
城壁の上で、気高い姫が剣を手に立ち尽くしている。
姫:「私は……私はまだ弱い。でも、絶対に諦めない!
必ずこの国を守ってみせます!」
その隣で、漆黒の鎧をまとったナイトが膝をつき、姫に忠誠を誓う。
ナイト:「貴女が前に進み続ける限り、私は必ずその背中を守ろう──命を賭しても」
葛城は静かに画面を見つめ、思わず苦笑した。
(……なんだよ、このクサいセリフ)
指先で軽くコントローラーをいじりながら、ふっと吹き出す。
普段なら、ここから没頭していた。
でも今日は、違った。
【Cパート】
ふと、姫の姿が――
脳裏で別の誰かの面影に変わる。
──必死に食らいつき、極端な努力を惜しまず、
何度転んでも立ち上がる誰か。
佐伯沙良。
(……佐伯さん)
葛城は手の動きを止めた。
画面の中の姫と、現実の沙良が重なって見えて仕方なかった。
(俺は……)
彼女のために、何かをしてやれるわけでもない。
テキトーなアドバイスひとつで、逆に失敗させてしまった。
知識も、実績も、力も――何もない。
(……でも、いつか)
葛城はゆっくりとゲームの電源を切った。
画面がふっと暗転し、そこに自分の顔がぼんやりと映り込む。
(いつか、誰かの努力をちゃんと支えられる存在になれたら……)
葛城は静かに目を閉じた。
(俺は──)
葛城は立ち上がり、迷いなく本棚へと向かった。