第7話 それでも、走る
【Aパート:葛城】
監督室の冷たい空気が、葛城悠翔の肌に痛かった。
「お前が選手にアドバイス?
知識も実績もないのにか?」
顧問の言葉が、頭の奥で何度も反響する。
葛城は拳を強く握りしめた。
(……浮かれてた。
佐伯さんのことなんて、これっぽっちも考えてなかった……)
部室を出たあとも、気持ちは晴れなかった。
廊下の先から、気楽な声が飛んでくる。
「おいおい、何やらかしたんだよ葛城~」
秋月蓮だった。
ジャージのポケットに手を突っ込んだまま、軽い足取りで近づいてくる。
「……ちょっとな」
葛城は苦笑で返すしかなかった。
秋月は大げさにため息をつき、葛城の背中を軽く叩いた。
「真面目すぎなんだよ、お前は。
そんな顔してたら走れねぇぞ?」
その軽さが、少しだけ葛城の心をほぐした。
「……そうかもな」
【Bパート:沙良&如月&顧問】
(自分のフォーム……どうやれば……)
冬のグラウンド。
冷たい風が頬を撫でる。
沙良は悩んだ末、部内の実力者・如月遥に声をかけた。
「如月さん、ちょっと相談いいですか?」
「……はぁ? 何? まあいいけど」
如月はストレッチを止め、めんどくさそうにうなずいた。
「膝を高く引き上げるには、どうしたらいいですか?」
沙良の問いに、如月は淡々と答えた。
「体幹と腸腰筋。
特に腸腰筋が弱いと、膝を高く保てない」
沙良は真剣に考える。
(腸腰筋……膝を持ち上げる動作の要。
たしかに、今の私はそこが弱いかもしれない)
少しの沈黙のあと、沙良は力強くうなずいた。
「わかりました!
じゃあ腸腰筋だけ鍛えます!」
「……は?……いや、体幹も……」
「はい! 徹底的に、腸腰筋のみを重点的に!」
如月は額を押さえ、ため息をついた。
「いやいや、極端だって……
さっき、体幹も大事って……」
「はい! だから、まずは一つずつ、腸腰筋を!」
「いや、だから! 人の話聞けやし!」
「――あぁ、アンタはほんとぶっ飛んでるわ……」
そこに、後ろから声が飛んできた。
「またか、佐伯」
顧問だった。
腕を組み、呆れたような、それでいてどこか優しい目で沙良を見ている。
「極端なんだよ、お前は。
話を聞くときは、ちゃんと最後まで聞け」
「……はい」
沙良は小さくうなずいた。
顧問は少しだけ視線を和らげ、ぽつりと言った。
「でもまあ……
そうやって試して、失敗して、また考えて……
それが、お前のスタイルなのかもしれんな」
その言葉は、優しいものだった。
でも、沙良には重かった。
(失敗して、また考える。……それが私?)
(正しい努力をしてるつもりだった。
間違えたくなかったのに)
喉の奥が、きゅっと締まった。
【Cパート:沙良&葛城】
冬の夜。
昇降口から校庭を見下ろす。
何もかも、うまくいかない。
ストレッチ、ささみ生活、振り子トレーニング。
努力しているのに、空回りしている気がして――
胸が締め付けられる。
(なんで、うまくいかないんだろう)
ふと視線を向けると、グラウンドの奥に小さな人影があった。
葛城くんだ。
夜の冷え込みにも負けず、黙々と、無心で、ただ流し走を繰り返している。
怒られたばかりなのに。
誰にも褒められなくても。
黙って、地道に、走り続けている。
沙良は拳を握った。
(葛城くんも……諦めてない)
静かに、足を踏み出す。
(私も、負けない)
まだ答えは見えない。
でも、止まるわけにはいかなかった。
冬の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、
沙良は夜のグラウンドへと向かっていった。