第4話 俺なんかに頼っていいのかよ?
【Aパート:葛城&沙良】
冷たい風が頬を刺す。
昨日のやり取りが頭から離れなかった。
「ささみ……とか?」
本当に適当に言った。
佐伯さんは真剣な顔でうなずき、スマホを取り出して誰かにLINEを送り、そのまま走り去っていった。
(……マジで行った)
葛城悠翔はジャージのポケットに手を突っ込み、ため息をつく。
(いやいや……なんであんなに一直線なんだ。俺の曖昧な助言をよくもまあ……)
(……きっと、また何か聞きに来るんだろうな。あいつなら)
【Bパート:葛城】
男子陸上部の部室は、今日も静かだった。
5人しかいない弱小チーム。
誰も喋らず、それぞれが自分のメニューをこなしている。
葛城は隅のベンチに座り、分厚い陸上理論書を開く。
「また本かよ葛城~。そんなの読んで楽しいの?」
軽く声をかけてきたのは同級生の秋月蓮。
いつも適当で軽い。
「……暇つぶしだよ」
葛城はページから目を離さずに答える。
そこに1年生の三谷翼が加わった。
小柄で元気な後輩。沙良に憧れているのは明白だった。
「ていうか昨日の放課後、佐伯先輩と話してましたよね?」
「おっ、まさかの部内恋愛? やるねぇ葛城~」
秋月が茶化す。
葛城はページをめくりながら、ため息をつく。
(……ほんと、こいつらは気楽でいいな)
「違うって。ただ聞かれただけだよ」
気づけば、同じ行を何度も読んでいた。
「ハムストリングの柔軟性」「ピッチ矯正」「骨盤の安定」──
どれも今は、ただの模様にしか見えない。
ページの角が、パタリと音を立てて閉じられる。
(全部やりました!……ささみささみ……)
ぷっ。
沙良の真剣すぎる表情が脳裏をよぎり、不意に心の中で吹き出した。
(……ほんと、面白れぇやつだ。バカみたいに真っ直ぐで)
無意識に、ため息が漏れる。
(……いや、だからって、俺に頼るなよ)
「……ああ、もう」
葛城は軽く頭を振り、気持ちを切り替えるように立ち上がった。
部室の扉が開き、秋月と三谷が荷物を持って出ていく。
「じゃーな葛城。あんま無理すんなよ」
「先輩、お疲れ様です!」
葛城は軽く手を上げるだけで、二人を見送った。
直後、廊下から三谷の声が細く戻ってきた。
「……あ、先輩! 次の数学テストの範囲って……」
声は葛城の背中に届くことなく、廊下の向こうへ吸い込まれていった。
──人気のなくなったグラウンド。
冷たい夜風が、トラックの砂をさらさらと巻き上げる。
葛城は無言でスパイクを履き、スタート地点に立った。
(……全部やってもダメだった、って言ってたな)
(そんな簡単に答えは出ねぇよ。俺だって……)
スパイクの乾いた音が、静かな夜にリズムを刻む。
冷たい空気が頬を刺し、肺に鋭く入り込んでくる。
フォームもペースも気にせず、ただ無心で流し走を繰り返す。
最後の1周を終えたとき、葛城は息を吐きながら夜空を見上げた。
星はまだ見えなかったが、心のどこかがわずかに軽くなった気がした。
(はぁ、次はどんな無茶ぶりしてくるんだか)
そう思いながらも──
どこか、期待している自分に気づいていた。