第3話 ストレッチ地獄とささみ即決
【Aパート:沙良】
冷たい風がカーテンの隙間から忍び込み、部屋の温度を容赦なく奪っていく。
制服を脱いでジャージに着替えた私は、静かに床に座り込んだ。
(きっと最初は顧問の「肩の力を抜け」だ。
昨日、わたしが言葉に出した順から考えれば間違いない。
……葛城くんの“ひとつずつ”も、そういう意味だと思う)
しかし、さすが、葛城くん。
確かに全部をやると矛盾する点も出てくる。
でも、身体に馴染んだ状態からなら、それも無理なくできるかもしれない。
それなら──
まずはこのテーマに集中だ。
右肩を前に。今度は後ろに。
首をぐるりと回して、肩甲骨を開くイメージで……。
時計の針が二周目に入ったあたりで、部屋の外から呆れた声が届いた。
「……あんた何やってんの?」
母の言葉に、私はひと呼吸だけ手を止めた。
「ストレッチ。ストレッチしてるの。」
(これで、少しずつ完成に近づいていってる。……たぶん)
すぐに再開する。
迷いはない。これは必要なことなのだから。
***
翌朝。
冬のグラウンドは痛いほど冷え切っていた。
私は念入りにウォーミングアップをしてから、スタート地点に立った。
走り出した瞬間――
右肩に鋭い痛みが走った。
(ぐっ。ちょっとつった。昨日のせいかな?
でも、これもきっと調整の範囲)
ペースを落として走り続ける私を、顧問が呼び止めた。
「おい佐伯、どうした」
「肩が……少しだけ。でも走れます」
私は正直に、昨夜のことを話した。
顧問は数秒黙った後、ため息をついた。
「お前は筋力がないのに、そんなにストレッチしたら逆効果だ。加減しろ」
(筋力かぁ。確かに、わたしは、上半身の筋トレを疎かにしていた。
なるほど、次は……そこね)
【Bパート:沙良&葛城】
放課後。
私は迷わず、葛城くんに声をかけた。
「葛城くん。昨日はありがとう。
ところで、筋力ってどうやったら、つくかな?」
突然の問いかけに、葛城くんは明らかに戸惑った。
そして、考えた末に口を開いた。
「……ささみ、とか?
たんぱく質は筋肉の材料になるらしいよね。
ささみしか食べないアスリートとかいるらしいさ」
私はすぐに葛城くんの言葉を整理した。
筋肉を作るにはタンパク質 → 鶏肉 → ささみ。
それなら最も効率の良い手段は──ささみ生活。
しかも、ささみは高タンパク低脂質。
アスリート食としては理想的。
(うん、論理的に正しい)
私は大きくうなずき、すぐにスマホを取り出して母にLINEを送った。
迷いはない。正しい努力に必要なら、即実行。
『今日ささみお願い。いっとき、ささみしか食べないから』
数秒後、母から短く返ってきた。
『え?どういうこと?』
(確かに、アスリートは食事管理まで徹底してる。
葛城くんの言う通りだ。わたしは、そこまで考えてなかった。
やっぱり、ちゃんとやらないと)
葛城くんは目の前で困ったような顔をしていた。
でも私は――気づかないふりをしていた。
「ありがとうございます。コーチ」
少し茶化しながら、葛城くんにお礼を言う。
こうして、わたしのささみ生活は始まった。