第1話 葛城くん!わたしに“正しい”走り方を教えてください!
【Aパート:沙良視点】
冷たい冬の風が、白峰高校のグラウンドを吹き抜けた。
北風がナイフのように肌を刺し、空はどこまでも灰色だった。
佐伯沙良はスパイクの紐を解きながら、ため息をついた。
(……今日もダメだ)
トラックのタイムは、今季最低。
かつては考えられなかった結果だった。
中学時代の私は違った。
市大会優勝、県大会決勝まであと0.2秒。
練習すればタイムは縮む。
“正しい努力は必ず報われる”と信じていた。
先生や先輩にも「沙良は努力の天才だ」と言われた。
その言葉が誇りだった。
(なのに……どうして?)
顧問の「肩の力を抜け」
先輩の「ピッチを上げろ」
雑誌の「骨盤を立てろ」
動画の「母指球で押せ」
全部、試した。
全部、意識した。
結果は……悪化した。
「……まだ足りないだけ」
沙良は自分にそう言い聞かせた。
やり方が間違っているわけじゃない。
自分の努力が“正確さ”に欠けているだけ。
(もっと。もっと正しく。絶対に戻れる)
ふと、視線の先に静かに走り続ける男子の姿があった。
葛城悠翔。
無口。地味。だが膨大な陸上知識を持つ選手。
「困ったら葛城に聞け」は陸上部内の半ば冗談めいた都市伝説だった。
(葛城くんになら)
衝動的に立ち上がった。
スパイクが乾いた土を踏む音が、冬空に響く。
「葛城くん!」
呼ばれた彼は驚いたように振り返った。
細身の体。襟を立てたジャージ。
戸惑いながらも真っ直ぐに沙良を見た。
「佐伯さん……? どうしたの」
沙良は息を整え、まっすぐに告げた。
「わたしに──
わたしに、もっと正しい走り方を教えてください!」
【Bパート:葛城視点】
灰色の空。冷たい風。
葛城悠翔はトラック脇で淡々と流し走を続けていた。
特に意味はない。ただの習慣だった。
(今日もダメだ)
白峰高校・男子陸上部。
5人だけの弱小チーム。
やる気もまとまりもない。
女子陸上部の華やかさがうらやましかった。
(先輩たちの残した部を潰したくない)
そんな気持ちだけで本を読んだ。
陸上の理論書、トレーニング本。
だがページはめくっても内容は素通りした。
結局、知識は頭に残らず、ただ走るだけだった。
(何も……上手くいかない)
そのとき名前を呼ぶ声が響いた。
「葛城くん!」
振り返った先には佐伯沙良。
部のエース。自分とは別世界の存在。
そんな彼女が──
「わたしに、もっと正しい走り方を教えてください!」
葛城は絶句した。
(……は?)
【Cパート:沙良&葛城】
葛城は固まった。
(なんで俺? 部のエースが?)
現実逃避したい衝動に駆られる。
だが沙良は本気だった。
まるでオリンピック選手のような覚悟の目で見つめてくる。
「……わ、わかった。少しだけなら」
(やっべぇ……俺、なんもわかんねぇぞ……)
「はい!よろしくお願いします。コーチ!」
勢いよく頭を下げる沙良。
(いや、コーチじゃねぇし……)
葛城は心中で頭を抱えていた。