2047年 7月
『じいちゃん、ほいならカエルの様子を見てくるわいね。』
『広島のもんが隠れちょるかもしれんけぇねぇ、気ぃつけんにゃいけんよ。』
白いタンクトップに青の半ズボンを履いたケンジは虫取り棒をもって近所の同級生のタクミと一緒に”カエル養殖場”に行った。戦争が始まってからは健康な藩民はすべからく労働を課せられた。それは小学生の男子でも同様であった。ケンジとタクミにはカエルの養殖場の管理が任されている。竹林の近くにある湖まで歩いて行き、カエルに餌をやり、清掃をする。とても大事な仕事であり、ケンジもタクミも腕が良くて大人から評判が良い。屠殺と食肉加工は主に小学生高学年と中学女子の仕事だ。ケンジもタクミもナイフが使える仕事につきたく、早く高学年になりたいと思っていた。
『次にカエルが食えるんわ、いつかいねぇ、待ちきれんわいねぇ。』
『藩兵さんに行くんが先じゃけぇねぇ、分からんねぇ、食べたいのぉ。』
『このカエル、生で食えんかいのぉ?』
『止めちょきぃ、腹に当たるわいねぇ。』
虫取り棒で養殖場に落ちたゴミや落ち葉を拾い集めながらケンジとタクミはお腹を鳴らしている。子供は優先してタンパク質を取らせてもらえるが、鶏卵とイナゴなどの昆虫が主で、肉は滅多に食べれなかった。炭水化物は主に米である。山口は他の藩や県と比べて恵まれていた。なぜなら、もともと山口は米の自給率は100%を超えており、戦争被害もなかったので生産は継続ができ、供給は安定していた。
ケンジとタクミは鎌で雑草を刈りはじめた。餌やりのあとの休憩には雑草を刈っている。刈り取った草を干し草のように乾燥させ、近くにある牛や馬のの放牧場に持っていくためだ。干し草は重たいが、ガソリンの節約のため、大人が一輪車を使用して運搬する。
ケンジとタクミが草刈りと運搬を終わり、木陰でばあちゃんが作ってくれたおにぎりを頬張っていると、木陰からボロボロの衣服を纏った大人が奇声を上げながら走ってきた。目は窪み、頬はこけ、空いた口からは歯は見えなかった。手には棍棒のような物を持っている。
『ケンジ!!来た!!広島人かもしれん!!』
『うわぁ!!来た!!逃げんにゃあ、食われる!!内藤さん呼ばんにゃあ!!』
ケンジとタクミはおにぎりを持って一目散に加工場にいる大人を呼びに走った。
男は走るのを止め、ゆっくりと近づいてきている。多分、空腹すぎて走れないのだろう。少し足を引きずっているようにも見える。男はケンジとタクミがいた木陰にやっと辿り着き、食べ物がないか探し始めた。まるでコンタクトレンズを探すかのように四つん這いになり、目を近づけている。
『ない、ない、ない、ちっくしょう、食ってやる。食ってやる。あのガキを食ってやる。』
男は目を血走らせ、鬼の形相で二人の少年を追って加工場に向かって歩いた。
ケンジとタクミは大声で叫びながら加工場に向かう。あの大人が広島人なら喰われてしまうかもという不安が二人を必死になって走らせた。まず加工場の近くにいた洗濯係の老婆が二人に気づき、すぐに避難するように匿った。老婆は首から下げた警笛を何度も吹き、緊急事態を知らせる。老婆も屋内に入り、点呼と戸締りの点検を行なった。すぐに加工場の母屋からライフルやナイフを持った3人の大人たちが出てきた。警備及び加工場の責任者達だった。養殖場はもちろん、ケンジとタクミを含む工場員、15名の少年少女を護るために常駐する元警察OBと現役自衛官二人の構成だった。
警備隊隊長の内藤は注意深く辺りを見回し、侵入者が一人だと確認すると、狙撃手飯田に発砲許可を与えた。もう一人の水田は子供達を守るために母屋に戻った。物音ひとつしない沈黙と重たい空気が辺りを覆う。
『パァーン。』
乾いた音が静寂を破った。飯田の放ったライフルの玉は侵入者の腹部に命中した。侵入者は前のめりに倒れた。彼が立ち上がれないのを遠目から確認すると、内藤と飯田はゆっくりと注意深く侵入者に近づいて行った。
『見事です。』
感謝の気持ちを込めて内藤が飯田に言う。感謝しますと付け加えた。
『発砲許可ありがとうございます。いつもの判断の速さにこちらも感謝申し上げます。』
飯田が返した。
『おい、コラ!起きぃや!あ?22口径じゃけぇ、直ぐにはくたばらんじゃろうが?』
先ほどの丁寧な口調のやり取りをした、同じ人物とは思えないほどの乱暴な聞き方を内藤は侵入者に対して浴びせた。
男は苦しそうに呻き声を上げる、ひぃ、ひぃ、と息を漏らし涙を流した。
『岩国のほうで子供が食われたが、ありゃぁ、お前か?』
内藤が拳を握りしめて震えている。
『助けてくれぇ、助けてくれぇ。』
男が仕方がなかったんだと言った。
『もう何日も食べてなかっんじゃ。広島はもう”わや”じぁけえ、食うもんもありゃせん。持っちょってもヤクザに取られるけぇね。そいで大人でも食われたやつが出てきはじめたけぇ。ワシもなりふりかまっちょられんかったんじゃ。』
男は腹部を両手で押さえ、語りはじめた。
語意注釈
”わや” →無茶苦茶