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YAMAGUCHI DEAD END  作者: 遠藤信彦
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2046年 2月



辺りは静かな竹林である。標高は高くない。雪が積もる地域ではないので、写真で見るともしかしたら季節を特定できないかもしれない。地面に深く積もった落ち葉を見て、秋か冬かが想像できるだろう。その竹林の中に小さな集落があった。いかにもお手製といった見窄らしい作りの壁や屋根で、窓ガラスなどはなかった。その集落にはおよそ百人ほどが暮らしており、主に老人と子供であった。

橋本ケンジはそこで祖父母と一緒に暮らしていた。その場所は元山口県内なので、疎開とまではいかないが両親と離れて暮らしている。実家のある住宅は空からの空襲に対して無防備でありすぎるため、離れて暮らしている。

元山口県という記述したのには理由がある。東京でアメリカの核爆弾が首都機能と国会議員、推定400万人以上の人口を一瞬にして奪った。これにより事実上政府が消滅したため、日本は国として崩壊した。それに加え、追い討ちをかけるように中国の核爆弾が大阪と神戸を焼き、日本はパニックになった。

この事態を受け、すぐに山口県の知事、伊藤龍生は廃県置藩を宣言し、県内の警察及び旧自衛隊の指揮権を掌握した。伊藤は石油コンビナートや、発電所に藩兵を派遣し、藩有化とした。食料の配給制を敷き、住民に秩序を求めた。

文字通り、”国”を失い、何も頼るものがなくなった元県民は、新しく藩民として伊藤龍生に従った。伊藤龍生は新しい藩をYAMAGUCHIとした。敵国であるアメリカが使う英語表記に対して疑問の声も多く上がったが、伊藤龍生は頑なに英語表記の重要性を説いた。まず第一に、これから先、何も起きなくても藩民は全て残らず餓死してしまうこと。たとえ餓死を免れたとしても、石油などの物資にも限りがあり、先細りは免れないこと。アメリカ軍や中国軍がこの山口を占拠しようと、上陸作戦を取られるとなすすべもないこと。それらを考慮した上で藩名を英語表記でYAMAGUCHIとし、SNSなどで世界に助けを求めるのが重要だとした。先ずは我々の存在を知ってもらうのが先だと強く主張した。


伊藤龍生は藩主こそ名乗ったが、これを公認の任期制とし、自らの任期を3年の限定であるとした。彼が掲げたのは藩民の安全と食糧の確保だった。藩境に藩兵を派遣し、道路に検問を引いた。YAMAGUCHI藩内からの人材、人口流出を防ぎ、藩外からの略奪目的の犯罪者流入を防ぐためだった。また、健康であるものには第一次産業に従事するように促した。

藩民は危機的状況の現在に即断力のあるリーダーを喜び敬い、良く従った。

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