2043年 第四次世界大戦が始まる前夜
2043年 6月
『けんちゃん、早く手を洗っておいで、ご飯できたわよ。』
母が熱いうちに食べてしまいましょうと催促する。家族がテーブルにつく、珍しく父もいる。仕事が早く終わったのだろう。祖父母も加わり、一家5人で食卓を囲む。いつもの風景。祖父はカレイの煮付けが出てきたので、とても嬉しそうだった。その祖父の号令でいただきますを大きな声で唱えた時に聞いたこともないサイレンが鳴った。
五人が持つ5台の携帯がけたたましく鳴り、振動したのだ。どうしたのかと、父が普段はつけないテレビをつけたら、そこに写っていたのは東シナ海で中国軍とアメリカ軍の衝突の映像だった。
大きな戦艦から発射される様々な大小のミサイルが飛び交う。赤や黄色や青色の炎を見てケンジは素直に綺麗だなと思った。中国の戦艦もアメリカの戦艦も相手が見えていない距離で撃ち合っているので、軍事に明るくない人が見るとただの演習に見えるだろう。それでもいくつものミサイルが船腹を掠めるので、それが実践だとようやくわかる。
『そうか、ついにこの時が来おったか・・・・。』
爺ちゃんがゆっくりと箸を置き、婆ちゃんに向かって頷いた。婆ちゃんは静かに頷き返しただけだった。父は神妙な顔になったが、発言はしなかった。
『せっかく絹枝さんが作ってくれたんじゃけえ、早う食べようや。』
爺ちゃんがそう言ったので、父はテレビを消し、食事を始めた。ただ、いつもより美味しいの言葉の数が多かった気がする。皆が食事を終わらせたのを確認したのち、爺ちゃんが話し始めた。
『みんなもテレビを見て知っている通り、中国とアメリカが戦争を始めた。いつか来るとは思うちょったけど、まさか実際に起きてみると不思議なもんで実感が湧かんわいねぇ。わしらが住んどるのは山口じゃけぇね、自衛隊の基地は勿論、米軍基地もあるけぇ、これから先どうなるか分からんわいね。その二つの基地のおかげで守られるんか、それとも逆に狙われて危ないんか分からん。本当にわからん。』
爺ちゃんは分からんという言葉を繰り返し、婆ちゃんも母ちゃんも、父も何も言わなかった。
『僕たちに関係あるん?』
僕は聞いた。中国もアメリカも遠い国だ。僕の住む国、日本に関係があるのだろうか?
『けんちゃんはまだ8歳じゃけえ、分からんかもしれんけど、関係があるゆうたら、関係があるわいねぇ』
婆ちゃんが教えてくれた。世界は複雑につながり合っているんだと。
『で、どうしたらええん?みんな死んじゃうの?』
『いいや、すぐに危険になることはないとは思うんじゃが、ケンジだけでも疎開の準備はしたほうがええかもしれんわいね。』
父が神妙な顔で小さく言った。爺ちゃんは父の意見に対して腕を組み、考えている。
『疎開ってなに?』
なぜか涙が出てきた。離れ離れになっちゃうの?
『ケンジが安全な場所でしっかりと勉強できるところを探そうかいの。わしも一緒じゃけえ、安心しいね。』
婆ちゃんが沈黙を破って話してくれた。大好きな婆ちゃんが一緒ならできるかもしれないとふと思った。
2043年 11月
米軍の動き
三沢空軍基地(青森県三沢市)から緩やかに撤退を開始
横田空軍基地(東京都福生市など)から完全に撤退済み
横須賀海軍基地(神奈川県横須賀市)から完全に撤退済み
岩国海兵隊基地(山口県岩国市)から段階的に撤退を開始
佐世保海軍基地(長崎県佐世保市)に引き続き駐留要諦
沖縄の米軍基地群 に引き続き駐留予定
2043年 12月8日
アメリカが最初の核爆弾を東京に落とした。関東近辺の米軍施設が空になったのを確認後であり、用意周到であった。ジョンソン大統領は爆弾の投下のタイミングで宣戦布告し、爆弾が爆発後に勝利宣言をした。コードネーム(作戦名)カミカゼ・アタックと名付けられたこの作戦は、102年前、真珠湾攻撃を受けた日と同日に行われた。
1日で首都とその機能、人口にして400万人も失った日本はなす術がなかった。内閣総理大臣は勿論、国会議員はほぼ全滅、日本国全体を統括する人物はいなくなった。いく人かの自衛隊幕僚長は抗戦を試みたが、米国が東京の1時間後に富士山に東京型とは違う種類の爆弾を投下したのを見て、思い止まった。
富士山はこの世から無くなった。核爆発は地形を変えたのは勿論、火山の活動を促し、マグマがまるで噴水ように噴き出すようになった。静岡を含む関東一帯は黒い霧で覆われ、それは日光を遮断し、気温を下げた。
ついさっきまで同盟国であったアメリカに爆弾を落とされたことは、日本国、日本人にとってまさに青天の霹靂であった。これには流石に日本人はどうすることもできなく、ただただ自体を見守るしかできなかった。国民は極度の緊張状態であり、混乱や略奪が出なかったのがふしぎだった。
ジョンソン大統領は中国に対してアメリカはいつでも核を使用する準備があると宣言した。まずは手始めに見せしめとして日本に最新型の爆弾を使用したと説明した。これは102年前の恨みを晴らすものであるが、同時に政治的に信用ができない、二枚舌の日本人を懲らしめ、政治的にも経済的にも、そして歴史的にも抹殺、消去するためだと言い放った。
”我々アメリカ人は騎士道を重んじる。敵国にも敬意を表する。まずは敵の敵の日本を懲らしめた。あなた方中国に考える時間を与える。”
ジョンソン大統領はその演説の後、かねてより用意してあった部屋で拳銃自殺をした。日本国在住で、核爆発に巻き込まれたアメリカ人に対しての責任を取る形であった。これは爆弾の投下を決めたジョンソン大統領が自ら決めていた、予定されていたものだった。その経緯はネット、テレビ、すべての情報ツールを使い、ライブ中継された。そして副大統領であるスティーブンソンが臨時大統領として権威が移譲された。
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作者
遠藤信彦