かつての暗殺者
盾となるはずのオーガをすべて切られたグレンデルは、目の前で起きた事態に、驚愕していた。
瞬き一つしただけだ。
それだけで、自分の配下が死に絶え、黒い翼の片方が燃えるように輝いている薬師だけが目の前に立っている。
「ッ死ねェ!」
恍惚の表情をしている薬師に対し、とっさに手にしていたメイスを振るう。
金属以上の強度を持った竜の皮膚すら焼く炎をまとったメイスだ。だが、
人間の皮膚はもちろん、人間が持つ鉄の武器すら溶かし折る。触れさせれば、殺せる、そんな武器だが、
「腕をもらおうか」
空を切った。
否、正確には、メイスを持っている腕を二の腕から斬り落とされた。
「!?」
斬られたことに、後から気づいた。
そして、既に目の前からは、薬師は消えている。
数メートル離れた場所に、剣を片手に立っている。
……斬撃も移動も、この俺が、目で追えない速度だと!?
対竜用に改造された自分は、竜種の高速機動を迎撃できるような身体能力をしている。それですら、視認できたのは舞い散る羽根の軌跡のみだった。
「クソが!!」
グレンデルは叫び、瞬時に落ちた腕を再生し、メイスを拾う。
「なるほど。再生能力もあるんだね。出血も弱いし、切除面と合わせてみるに、アンデット系のオーガかな。なら、心核を破壊する必要があるね」
それを見て、目の前の薬師は冷静に分析してくる。
片翼を光らせながらだ。
「てめえ……その翼は、ただの毒じゃねえのか!?」
「いやいや、ただの毒さ。ただ、さっきも言った通り、俺の体は毒を食らえば食らうほど強化される。そういう仕組みをしていてね」
片翼の黒色光がだんだんと根元に寄っていく。まるで、黒色を薬師の体の中に送り込んでいるように。
「……当然、濃縮された毒を一気に叩き込めば、その分だけ能力も上がるんだよ」
言葉と共に剣が来た。
「切開確認」
袈裟懸けだ。
「うおおおおお!?」
とっさに飛びのき、腕で守った。
竜の力に耐え、鉄の武器では傷もつかない、改造された身体をたやすく切り裂いてくる。
簡単に腕が飛び、胸元にも切っ先が届く。それを見て、薬師は笑う。
「うん。心核は胸と首の間だね」
こちらを殺すために調べているのだ、と目的がはっきり伝わる。冷静な声色で。
〇
ヴァスキーは、不鮮明な景色の中で、娘の声を聴いていた。
「あれが、カムイなの……?」
「そう……だ。あれが、我が……いや、我々が恐れた、男だ」
応急処置のお陰か、意識もはっきりしてきた。だからこそ、良く見えた。
戦場で幾度か見た黒い翼が。
戦場で人間経由で知らされた言葉がある。
……戦場で黒翼が見えたら、その前に立つな。黒翼に近づくな。黄泉の世界に連れていかれるぞ、と。
最初は人間の言葉だからと侮った。
ただ、マツリカという友人が、関係しているというのは気になっていた。
戦時中、何やら満足そうにしているマツリカから、少しだけ話を聞いたことがある。
毒が効かない相手と対峙した時、毒使いは困ってしまう。それを解決する複数の方法を持たせて鍛え上げたのだ、と。それ以外も含め、自分を超えた最高傑作が生まれた、と。
己自身が毒使いの最高峰にいる奴が、『最高傑作』と呼んだものがどんな存在なのか気になったというのもある。
竜は視力も優れている。
だから戦場で、黒い翼が見えた時、少しだけ近づいてみようとしたことがあった。
その結果、得られたのは、
……邪竜である我が近づけぬほどの、忌避感……。
戦地でカムイにあったのは、恐怖や畏怖、というよりは、近づいてはいけないと、そう感じさせるものだった。ただ、今は、
「怖いけど、凄く綺麗……」
戦地を離れ、今は薬師として戦う彼だけを知る娘は、そう評した。
であれば、かつての名前は、ふさわしくはない。それをヴァスキーは知っているからこそ、心で留める。
……ああ、そうだ。戦地で奴が通った道には、骸が並び、黒と灰色の羽が舞い散っている。
首を失っているか、毒で外傷もなく死んでいるか、どちらにせよ死に方の違いでしかない体だけが、通り道にあった。
そして、魔王の暗殺者という立場から、ほとんどのものから姿も顔も名前も知られずに戦っていた。
前に立ちふさがり、顔を認識したものは死ぬ。故に、戦場でついた識別名で呼ばれていたのだ。
……黄泉の黒翼。
それが今、自分たちを活かすために、治す為に戦っているのだ。




