死地で喜ぶ
お世話になっております。
仕事が落ち着いたので今日から連載再開です!
ヴァスキーは眉をひそめていた。
「立ち上がるだと……?!」
「話を聞いた感じ、リリスの親御さんであることは分かったけど。こんなにいい毒の持ち主がいたのか!! やはり長生きはするものだなあ!!」
何やら長い杖を持った男は、明るい表情で言いながら、きびきびと歩いて近寄ってくる。
呼吸を麻痺させる毒が効いている素振りは、ない。
「それはそうと、今は、本人が頑張っている最中ですので。触れないようにお願いできますか? 興奮させるのも、あまり良くないので」
自分と娘の間に立ちふさがるように入りながら言ってくる。それに対し、
「邪魔を、するな!」
ヴァスキーは思い切り腕を振るい、毒をぶつけた。
激痛、出血、魔法毒の三種類の毒を混合させ、粘着度と強度を上げたものだ。
……一種類に抵抗があろうと、これならば!
それは男の全身にへばりついた瞬間、
――ブシッ
と、男の鼻から血が噴き出た。狙い通りだ。
さらには、
「うおおおおおお!」
悲鳴を上げて、体をかきむしっている。
「無駄だ。払おうとしたところで、その毒は取れん。お前だけに付着する」
服すら貫通し、ただ個人に付着する。そういう魔力が付与してある。
男は膝もガクガクと震わせている。数秒も全身の皮膚から出血し、倒れるだろう。
「意識があるうちに言ってやる。我が娘から契約の呪縛を解く気になったら申し出ろ。そうすれば、痛みと出血で発狂する前に、解いてやろう」
あとは、コイツから娘を引き離せば終わり。そう思っていたのだが、
「素晴らしい……! 粘着質でありながら、体にしみこんでくる速度が速い。この灼熱感!! 矢に塗られたカエルの毒とかで味わったことがあるが、それ以上だ……!」
男は、膝を揺らしながら、しかし、自分にまとわりつく毒を抱きしめるようにしながらそう言った。
その表情は、とても嬉しそうなものだ。
更には、数秒待とうとも、それ以上の変化は訪れなかった。
「なぜ……倒れない……!? なぜ、その程度の出血で済んでいる」
「え……出血……? おっと、興奮しすぎたか」
男は、鼻を自分の腕で拭った。それだけで、血は止まった。
……毒が効いての出血ではなく、興奮による鼻血……?!
杖を持った男の言が誠ならば、そういう事になる。
……オレの毒が、効いていない……!?
思った瞬間、
「もういい! 加減は抜きだ!」
ヴァスキーの身体が膨れ上がった。そして人間の身体が弾け、現れるのは、
「竜……いや、竜人というべきか!」
二足で立つ、巨大な黒い竜だ。
その体を覆うように、黒い靄が覆っており、その靄からは、毒が滴り落ちており、地面に一滴垂れるだけで
――ジュウッ!
と、浸食するような音が響いた。
この姿になれば周囲を死地にする事すら容易い。
そんな体で、頭を大きくしならせ、
「『邪竜の暴風』……!」
ブレスと共に、自らが生み出した毒を、杖の男に叩きつけた。
暴風雨のよう向かう毒。
それを杖の男は真っ向から受けた。
当然だ。人間に避けられる速度ではない。
そして、人間であるならば、毒の暴風雨を食らった瞬間、一言も発せず倒れる。解毒しない限り一生涯、呻くことしか出来ぬ存在になり果てる。
そういうものであるはずなのに、
「ふふ、ははははは!!」
杖の男は笑った。
倒れもせず、吹き飛びもせず。
地面に足を突きさすように踏み込み、あえて毒を受けるように。
まるで、適温のシャワーを浴びているかのごとく、気持ちよさそうに。
「うふふ、最高だ! 極上の毒だ! 雨のように毒を味える。こんな幸せなことがあるんだな。生き延びてよかった!」
鼻血を出しながら。恍惚の目で笑うのだ。
〇
……こいつは異常だ!
男を見て、ヴァスキーは目を細めた。そして、
「毒が、効かぬなら、力で吹き飛ばしてくれる……!」
拳で黙らせようと、振りかぶった。
「おっと……さすがに受け止めると吹き飛びそうだね。ならば……」
すると、杖の男は、自分と同じように拳を構えた。
……打ち合う気か!?
彼我の対格差は歴然。膂力の差も人と竜であれば桁が違う。
「愚か者め! 吹き飛べ!」
そのまま、ヴァスキーの拳と人の拳が衝突した。
そして、
――ドガン!
という豪快な破裂音と共に、お互いの周囲に衝撃波が舞う。
地面が割れて、飛び散り、
「――」
自分も相手も、動きが、止まった。
「なに!?」
「患者から離れすぎるわけにはいかないんだ」
拮抗された。
……人の身で我の膂力と渡り合うだと!?
否、正確には、
「ぐ……!?」
ヴァスキーの拳が、割れた。
血が滴り、思わず二歩三歩と、後ずさる。
対して、杖の男は骨すら追っておらず、手を振りながら、眉尻を下げた。
「申し訳ない。貴方の毒のお陰で、俺の身体は興奮しまくりでね。毒に負けまいと、骨も肉も強靭になっているんだ。そういう《《作り》》になっているんだよ」
その様子に、ヴァスキーは眉をひそめた。
目の前の男は本当に人間なのか、いや、それ以上に思うのは、
……なんだ……? この微かに纏っている雰囲気を、俺は知っている……。確か、戦場で……?
その思考が頭によぎり、しかし首を振るい、思考をもとに戻す。
……否、こやつが誰であろうと! 娘を取り戻すためにも、引けぬ!
思い、再び拳を振り上げようとした。その瞬間だ。
――ドゴン!
という音が響いた。
目の前に巨大な岩が投げられたのだ。
それは先ほどの拳の衝突で捲りあがったことで出来たもので、投げてきたのは、己の娘。彼女は怒りの表情で、
「いい加減にしてよ、パパ! カムイは私を治してくれてただけなの!」
そんなふうに言うのだった。




