そこは大海原
お話を投稿する。
お話を書き始めて2年ちょっとが経ち、
お話を書くことが、私の日常の一つになっているのですが。
書き始めたころは。
「え!なんて楽しい世界見つけちゃったの?最高じゃん!やっほう!!」
って、テンションマックスで、海をバッシャバッシャと泳ぐ感覚がありました。
それこそね。
海ではあまり披露できないクロールしてみたり、バタフライしてみたり。
「あ!あそこに無人島見える!あそこまで泳いでみる?」って泳ぎだして。
「待って。あっちになんか流れてきてる!あっち行こう!」っていう感じに、好き勝手泳いだものです。
「今は違うのか?」
「今は落ち着いて、ちゃんとゴールを決めた島まで泳いでいるのか?」
と、問われたら。
「どうかな。そうでもないかも……?」とは思うけど。
少し落ち着いて、背泳ぎくらいになった気がします、
高いテンションはいつか落ち着くもの。
それでも、ここまで面白いな〜って感じるものは、人生そうそう見つからないと分かっているので、やっぱり泳いでしまうのです。
だって私、引きこもりをこよなく愛する人だよ?
そんな簡単に色んなことに興味惹かれたり、熱中したりできないんだよ。
キラキラやドキドキがなくても、わりと満足できちゃうの……。
ごくごくたまにキラキラしたSNSを見て、
「ああ……世の中はこんなに活気に溢れてるんだ……」
と、遠い世界に思いを馳せることはあるけど。
それでも、私の日常も悪くないなとも思ってしまうのです。
いつでもフラットな気持ちでいたいから、のんびり心落ち着く場所にいたい。
フラットな気持ちは、意識しないとなかなか保てないからね。
話がズレてきたかな。
背泳ぎの話してたよね。
ちょっと海に戻ろっか。夏近いし。
海。
小説家なろうのこの世界は、私に海を連想させます。
それこそたくさんの作品たちで溢れる海。
ザッパーン!と大きな波に乗ることもあれば。
スッと静かに沈むこともある。
ぶくぶくと静かに沈むお話は、何メートル先の海底に向かうのか。
そんなイメージがあるのです。
そして投稿するときの気持ちはいつも、
「大丈夫。沈んでも、そこには静かな海底があるよ。波に揺られるのも悪くないよ。だって書いてるとき、楽しかっただろ?楽しかった思い出を抱えて、さあ、行きな」
そんな感じで作品をそっと海に浮かべるのです。
いや、どんなイメージやねん、って話だよね。
私もそう思うよ。
でもさ、最初に持ったイメージって、なかなか頭から離れないんだよ。
「小説家になろう」ってどんな世界なのかな?って検索した時に持ったイメージなの。
「海だな」って。
すごくたくさんの作家さんがいて。
すごくたくさんの作品があって。
大海原じゃん。
夏によく泳いだ海みたい。
私はキャッキャッって可愛く遊ぶ派じゃなくて、
ゴーグルつけてしゃがんで、ぶくぶく海の中を見るのが好きなタイプだったけど。
知ってる?
私の知ってる海は、わりと浅瀬でもイカとかフグとかたまに泳いでるんだよ。
「可愛い」と思う前に怖くなって、ひたすら気配を消したくなるけどね。
でも水の中って、耳の中というか頭の中というか。
聞こえてくる音が平和なんだよね〜なんか好き。
そういう海をイメージしてます。
お話の海。
だからこそ思うのです。
この広い広い海で私を見つけてくれる人って、ほんと偶然なんかじゃなくて、気が合っちゃうからじゃない?って。
だって私の知ってる海だよ?
あんまり人が来ないから、ゴーグルつけて沈んでも、「あの人ヤバくね?」なんて言われない海だよ?
そんなところで出会ったら、運命感じるに決まってんじゃん。
「このゴーグル貸してあげるよ。ちょっと潜ってみな?たまにイカ見えるから。あ、クラゲは触っちゃダメだよ」
そんなふうに声かけたくなるじゃん。
きっと出会った相手も、私を不審がることなくゴーグル付けてくれて、しゃがんでくれるはず。
「ほんとだ。なんか生き物いるね」って。
そんなふうに気が合ったら、もう友達だよ?
好きになっちゃうじゃん。
好意しかない。
今。
ハッと我に返りました。
私、またスッゴイしょうもない脳内を語ってしまったようですね。
ヤバい。ヤバい。
これなんですよ。
私がSNSできない訳。
こんなこと思いついたように呟いちゃったら、「ヤベエ奴いるぞ!」って思われちゃう。
こういう話は、こういう狭い部屋でこっそり話すものですよね。
このエッセイの海こそ、さらに深い運命に結ばれた友くらいしか出会わないはず。
そうだろう?
私の親友。
私の海友。




