日曜の午前中のおしゃべり
いつもと違う時間に外へ出る朝は、いつもと違う景色が見えます。
なんかね。
空の高さも、空気の重さも匂いも違うんですよね。
いつもと同じ調子で外に出ると、
いつもより空気が澄んでいたり、いつもより空の色が生まれたての色に感じたりします。
駅まで続くいつもの道も、人通りが少なくて、
「この道、貸し切りじゃーん」
って、少し浮き立つ気分になります。
え?なに?
今日なんか良いことあるんじゃない?
街の景色を眺めながら、そんな風に思うのです。
まあ、でも。
そんな時って大抵、信じられないくらい早起きしてるから、電車の席に座れた時は、座った瞬間寝落ちしちゃうんですけどね。その後の記憶ゼロ。
でも座れない時は、窓の外を眺めて、いつもと少し違う街の色を眺めたりします。
始まったばかりの一日に、
「これからは、たまに早朝お出かけしてみようかな」
と、爽やかな私になって、考えちゃうものなのです。
……そう思いながら、一度も実行したことはないですが。
だって引きこもりラブ!な私ですから。
意味なく外に出たりはしないのです。
「お出かけしよう」と思ったことを、思い出すこともないのです…
こんなふうに、誰に語るでもないことを話したくなる時というのは。
たいがい何か話を書き出した時です。
連載とか始めると、他のことを書きたくなるんですよね。
「書きたくなる手が止まらなくなる時」っていうのかな。頭に浮かんだことを書いてみたくなるのです。
今日は、あちこち書き散らかしてしまいました。
「いや、さすがに投稿しすぎ」と自重して、
未投稿のものを、わりと手元に溜め込んだりするのですよ。
断捨離して、時々削除するのですが。
今まで「書く」という世界があることに気が付かなかったせいか、
「書く」世界に気がついてしまった今、
私の中に積もっていた記憶というのか、感情みたいなものが溢れるのかな?と自己分析したりします。
「そういえば、あの音を聞いて、こんな風に思っていたな」とか、
「そういえば、あれを見ながら、こんなところが良いなと思っていたな」とか、
「……そういえば、あの野郎は、あんなこと言ってやがったな」とか。
そんな思いが文字になって出てくるような気がします。
それはきっと、平和主義の私が密かに心に留めていた思いなんですよ。
だから私は、
「あいつあんなこと考えていたのか……」と
誰かに気が付かれないために、
私はここでお話を書いていることを、人に言えないでいるのです。
人には「見せたい顔」というものがあると思うのです。
みんな!素の私に幻滅しないで!
いや、してもしょうがないけど、
幻滅したことを、私に気づかせないで!
そう言ってしまいたくなりますからね。
特にエッセイは危険。
エッセイは特に、脳内を見せちゃうものだと思うのです。
危険だからこそ、ここに遊びに来てしまう。
それは辛いものにハマると、胃が痛くなることが分かっていても、辛いものを食べたくなる感じ。
みんな!エッセイには気をつけて!
――この言葉も添えておきましょう。
休日の日は、こののんびりした時間が嬉しくて、
ついつい意味なく話しかけたくなるものです。
私のおしゃべりに付き合ってくれてありがとう。
そんなあなたには、きっと今日、良いことあるよ。
そんな気がするのです。
私の「楽しい!」にお付き合いしてくれるなんて、絶対に徳を積んでると思うんですよね。
その慈愛の心に感謝したりするのです。
良いよね。この、なろう世界。
私、かなり好きなんですよ。




