寛大になれるとき
他人の失敗が自分に降りかかった時でも、寛大な心を見せられるとき。
それはどんな時か。
それはきっとね~
自分も失敗をする不安を持てるときだと思うんですよね。
「あ。もしかしたら、そのうち私もやらかすかも。私がやらかした時もフォローよろしく」
そんな下心をこめて「分かった。なんとかしとくよ~」って、応えられると思うのです。
だけどここで一つ注意が必要です。
下心は必ず報われるわけではないことを知っておくのも大事ですよ。
自分の失敗には甘く、他人の失敗には半端なく厳しい人もいますから。
でも報われなかったからといって失望することはありません。
そういう時にその人の本質が見えるから、その人を信頼しすぎず用心することができるんですよ。
それはそれで貴重な情報です。
というわけで。
不利益を被ることを少し残念に思っても、「思い出せ!下心!」で寛大な心を見せつけてやるのです。
「下心なんて考えないで、快く許してやれよ。性格悪いな」
そう思う人もいるでしょう。
何の見返りを求めることなく、優しさを見せることができる人もいます。
真に優しい人に出会うたびに、
「私のエセ「寛大な心」の卑しさよ………!」と
自分のニセモノっぷりを痛感したりするのですが。
でもいいじゃん。
やらない善より、やる偽善って言うでしょ?
見せない寛大より、見せるエセ寛大ですよ。
ニセモノだっていいじゃない。
下心が報われるかもしれないんだよ?
自分の失敗だって、ニセモノでいいから寛大に許してほしいじゃん。
だから勧めちゃう。
ニセモノの寛大さ。
そして平和が守られる。
―――きっとそう。
でもね、これって「自分も失敗をする人」じゃないと、考え方として難しいと思うんですよね。
普段失敗しない人だと、なかなか寛容になれないとも思うんです。「なんでそんな失敗しちゃうわけ?」って感じるだろうから。
なので私のようにうっかりミスが多い人向けのメッセージになっちゃうかも。
告白しよう。
昨日の私はあまりにも余裕がなくて、蓋をしたまま印鑑を押し続けながら、
「こんな時にインク切れた!あああああ………」と騒いでいたんですよ。
「蓋してますよ」と冷静に返された時のやりきれなさよ………!
もうヤダ。なんなの私………
そんなことを告白しながら、寛大な心について語ってみました。
いつかやらかしそう、といつでも思ってるから見せることができる寛容。
そんな話。
外で虫の鳴いている声が聞こえます。
リリリリリリリ、って声に秋を感じます。
普通にクーラーかけてますけどね。
秋っぽいって悪くない。