限定の善行
つい感じたことそのままの言葉を朝から投稿しちゃいました。
あ。これは良くないかも。
そんな事を思ってすぐに削除したのですが。
投稿に気づいた方がいれば申し訳ないです。
言葉の持つ怖さってあると思うのです。
よく知らないところを、「こんな場所だろうな」と楽しい場所に想像したとしても、
闇雲に言葉に出すものじゃないと思うんですよね。
その場所をとても大切にしている方に失礼になるなと。
勘違いな言葉は、時に人を不快にさせる事もあると思います。
こんなふうに、何となく人の気持ちを考えてしまうのは。
実体験から感じるものだったりします。
多くの人が集まる場所で、個室的な場所にいた私に、
やり切れない思いを打ち明けていく人が多かった事がありました。
皆と離れた場所にいる割には、事情通だったかもしれません。
私も手を止めれなくて、話半分でしか聞けなかったけど、
誰も私の適当アドバイスなんて期待してないようで、
話すだけ話して、みんなが去っていく場所でもありました。
その場ではふんふんと聞き流しながら、後で落ち着いた時に「なんかすごい事聞いたな……」とか思ったものです。
いつでも後から気づくのです。
まあ話したかっただけだろうと思うので、
そのまま全てを封印しておけばいい話なのですが。
色んなケースがありますが、
人の感情を乱す多くの原因は、やっぱり言葉のように思います。
何気に言われた事でも、負の感情に落とされるものになる事があるなと。
だから私も気をつけようと思っているけど、ついね。
面白そうな興味引かれるものを見つけると、楽しくなっちゃうんです。
今日私が見つけた楽しそうなもの。
それは興味引かれるカテゴリーのお話でした。
そこを調べもしないで、こんな場所かな?と言葉に書いたのはよくないかと。
だけどそれでも魅力を感じるので、いつかその分野に入ってみたいものです。
なろう世界は言葉の世界ですね。
たくさんの言葉が溢れていて、言葉の中に「人」を感じる時があります。
送ってくださった言葉の中でも、「この考え方、めっちゃ好きかも」とか「優しい言葉づかいに人柄が表れるようだ」とか感動があったりします。
シンプルな言葉が、良い意味で刺さる事もあります。
こんなに言葉溢れるたくさんの物語の中で、自分の言葉を読んでくれるなんて、本当に奇跡だなと思ったりもします。
そうです。そこのあなたです。
あなたの今日の善行は施されました。
きっと良い1日の後半になるはずです。
あ。善行といえば。
感情的になりがちな方に聞かれた事があります。
「どうやったら怒りを抑えられるのか」って。
怒りを抑える事が難しい時は確かにあるかと思います。だけど感情を出してはいけない場面ってありますよね。
出すべき時ももちろんありますが。
これはひとつの方法ですが。
怒りたくなる時。でも怒ってはいけない時。
そういう時は一旦やり過ごして、
「ひとつ善行を積んだな」って自分を褒めてあげるのはどうでしょう。
一日一善で、一日一回きりの善意として。
一日一回きりなら許してやろう。
私の懐の広さを思い知るがいい。
とてもとても腹が立った時は、そんな風に思ってみるのはどうか。一回だけならと、許せる気がします。
二回目はないと思えよ!
と心の中で吐き捨てる事があったとしても大丈夫。
ひとつ徳を積んだ後なので、帳消しになるはずですよ。
そんなアドバイスは、あまり相手に響かなかったけど、意外と私はそうしてやり過ごす事もあったりするのです。
本当は本気のアドバイスでしたが、響かなかった言葉なのは、限定の善行だからでしょうか。




