当梅雨投票券
今年もまだ六月に入ったばかりなのに、
毎日まるで夏のような蒸し暑い日が続いていた。
場所はここ、ある学校の古い学生寮の一室では、
男子学生二人が、ほとんど裸のような、だらしない格好で暑そうにしていた。
「梅雨入りもまだだっていうのに、毎日暑いなぁ。」
「そうだな。この部屋には扇風機しかないしな。」
「金が無ければエアコンも買えない。
金が無ければ涼みにも行けない。」
「金が欲しいなぁ。
このままじゃ俺たち、夏休みはエアコンのためにバイト漬けだぜ。」
「それじゃ、エアコンを買えるようになる頃には秋になりそうだな。」
「なーんか、金になりそうなことはないかなぁ。」
扇風機のぬるい風に体を溶かしている二人の男子学生。
すると、何事かピーンと閃いたようで、顔を上げた。
「そうだ!金を儲けるには博打だ!」
そんな声に、もう一人の男子学生が怠そうに言う。
「博打?賭博は種銭が無きゃできないだろう?
それに当たるとは限らないし。」
しかし、閃いた男子学生は、ニヤリと歯を見せて応えた。
「賭博は賭博でも、博打の胴元になればいいんだよ。
胴元なら必ず儲けが出るようにできる。」
「博打の胴元って、何をするつもりだ?」
「それはな・・・」
古い学生寮の広い食堂。
今日の夕食も済み、寮生の学生たちがくつろいでいた。
その人数は数十人ほど。
するとその中で、先程の二人の男子学生が立ち上がって声を上げた。
「ちょっとみんな、いいか?聞いて欲しい話があるんだ。」
「何だ何だ?代返のお願いか?」
何事かと目を見張る学生たちに、二人の男子学生は、
ホワイトボードを持ち出して説明を始めた。
「もうすぐ梅雨だろう?
そこで、梅雨にちなんだレクリエーションをしようかと思って。」
「レクリエーション?」
「そう。ちょっとした余興だ。
みんな、今年の梅雨入りがいつか知ってるか?」
学生たちは顔を見合わせて答える。
「そんなの、誰も知るわけがないだろう。」
「梅雨入りがいつかは毎年変わるんだからな。」
「そう。今年の梅雨入りがいつ、何月何日なのか、誰にもわからない。
だから、それを賭けるんだ。
名付けて、当梅雨投票券。
馬券が勝馬投票券だから、梅雨を当てる券で当梅雨投票券だ。
何月何日に梅雨入りするか、みんなで賭けないか?
胴元は俺たち二人が引き受けるよ。」
「学生寮で賭博って、それも今更の話か。」
「梅雨入り前の暇潰しにもなるかもしれないし。」
「詳しく話してみろよ。」
食堂にいた数十人の学生たちは乗ってきたようで、
二人の学生とホワイトボードの前に集まっていた。
「じゃあ、当梅雨投票券について説明するぞ。
払戻率とか計算するのは面倒なので、賭け金は一人一万円まで。
当梅雨投票券には、何月何日か日付と賭け金を書いてくれるだけでいい。
気象庁の発表を締め切りとして、
それを参考に梅雨入りしたかを判断する。
当たれば、賭け金が倍になって返ってくる。
どうだい?面白そうだと思わないか?」
当梅雨投票券の説明を聞いて、学生たちがザワザワと騒ぐ。
「梅雨入り前の暇潰しにはなりそうだな。」
「どうせ梅雨なんて賭けくらいにしか役に立たないしな。」
「賭け金と払い戻し金の上限が決めてあるから、
そんなに大事にもならないだろう。」
「しかし、当梅雨投票券の購入期限が、気象庁の梅雨入り発表までってことは、
それなりに的中票も出来てきそうだが、お前たち二人で払えるのか?」
「そこは言い出しっぺだから、対策はちゃんと・・・いやいや、
足りなくなった分があれば、夏休みにバイトして集めるよ。」
「そうか。じゃあ、ちょっと遊んでみるか!」
食堂に集まった学生たちは、新しいおもちゃを手に入れた子供のように大騒ぎ。
早速、今年の梅雨入りはいつ頃かと話し始めた。
そんな中で、胴元の二人の男子学生は、
お互いに顔を見合わせて密かにほくそ笑んでいた。
それから数週間が過ぎた。
蒸し暑い日々は続いていて、春の空気は完全に過ぎ去ってしまった。
空気は目に見えるように湿度が高くなり、梅雨の様相を帯びていた。
昼、テレビやラジオのニュース番組が一斉に大騒ぎを始めた。
「先ほど、気象庁から発表がありました。
梅雨入りしたものとみられる、ということです。」
気象庁から、梅雨入りしたとみられるという発表があったのだった。
大騒ぎなのはテレビやラジオだけではない。
あの学生寮はそれ以上に大騒ぎになっていた。
「おい、聞いたか!?」
「ああ!さっき、気象庁から梅雨入りの発表があったってさ!」
大騒ぎなのも無理はない。
なにせあれから、当梅雨投票券を購入した学生の人数は増えて、
百人ほどいる寮生のほとんどが当梅雨投票券を買っていたのだから。
一人一万円として、賭け金だけでもおよそ百万円。
学生たちにはお祭り騒ぎになるほどの金額だった。
「俺、今日梅雨入りするのに一万円賭けてたんだよ。やった!」
「俺もだよ。これで夏休みに遊びに行ける金ができた。」
「畜生、俺は明日に賭けちゃってたんだよ。うらやましいなぁ!」
予想が当たった学生たちは大喜び。
外れた学生たちも一万円なら擦ってもまだお遊びの内とはしゃいでいた。
するとそこに、胴元の二人の学生が自室から出てきた。
すぐに寮生の学生たちに取り囲まれた。
「おい、お前たち、ニュース見たか?今日、梅雨入りしたってさ!
早速、当選金の払い戻しをしてくれよ。」
すると、胴元の二人の学生は、穏やかな笑顔を浮かべて静かに答えた。
「みんな、落ち着いて。
これから説明をするから、食堂に集まってくれないか。」
「あ?ああ。」
そうして寮生の学生たちは、胴元の二人の学生に従えられ、
羊飼いと羊のように食堂へと移動していった。
食堂でホワイトボードを前にして、胴元の二人の学生は言った。
「では、発表します。
今年の梅雨入りは、まだ確定していません。」
学生たちはニュースで梅雨入りしたと知らされたばかり。
矛盾する内容に、学生たちは食ってかかった。
「何だと!?お前、テレビを見てないのか!?
梅雨入りしたって言ってただろう。」
「テレビやラジオのニュースは、俺たち二人も確認したよ。」
「じゃあ、知ってるはずだ。気象庁が梅雨入りを発表したって。」
「つまり今年の梅雨入りは今日。
さあ、的中した当梅雨投票券の払い戻しをしてくれ。」
「まあまあ、落ち着いて。
それについては誤解があったみたいなので、説明するよ。」
「誤解?何が誤解なんだ。」
「僕たちは最初に説明したはずだ。
当梅雨投票券は、気象庁の発表を参考に、
今年の梅雨入りが何月何日か判断するって。」
「・・・そんなこと言ってたか?」
「ああ、そう言えばそんなことも言ってたっけ。」
物覚えのいい学生が頷いてみせる。
すると、胴元の二人の学生は、ニンマリと微笑んだ。
「みんな、気象庁の発表は聞いたよな?
今日、梅雨入りしたとみられる、って。
つまり、今日が梅雨入りしたとは断定はしていないんだ。」
「ああ、梅雨入りの速報値と確定値のことか?」
「どういうことだ?」
「気象庁の梅雨入りの発表には、速報値と確定値があるんだ。
今日のは正確には速報値で、
梅雨入りと確定するのにはしばらく後になるんだ。」
「ああ、そういう話か。ややこしいな。」
「じゃあ、梅雨入りの確定値がでてから払い戻しってことか。」
頷く学生たちに、胴元の二人の学生たちは口を挟んだ。
「みんな、何か勘違いしてないか?
俺たちが話しているのは、梅雨入りの速報値と確定値の話じゃあない。」
「じゃあ何なんだ?」
「いいかい、よく聞いてくれ。
気象庁の梅雨入りの発表には、速報値と確定値がある。
それは合っている。だけど、それ以降が誤解だ。」
「なんだって?」
「気象庁の梅雨入りの発表は、確定値でも確定はしないんだ。」
「何ぃ?」
「気象庁の梅雨入りの発表は、速報値でも確定値でも、
何月何日ごろ、という言い方になっている。
つまり何月何日とは断定していない。
最初に説明したよな?
この当梅雨投票券は、気象庁の梅雨入りの発表を参考にして判断するって。
だから、発表するよ。
今年の梅雨入りは、断定できない。
梅雨入りの速報値では今日だけど、断定はできないので梅雨入りではない。」
胴元の二人の学生の冷静な言葉は、しかし寮生の学生たちの怒りに火を点けた。
「そんな馬鹿な!」
「じゃあ当梅雨投票券なんて、最初から成立しないじゃないか!」
「お前たち二人、俺たちを騙したな!」
「騙したなんて人聞きが悪い。
ちゃんと、今年の梅雨入りは確定できないって投票した人もいたよ。
一人だけだったけどね。」
「じゃあ、そいつが梅雨入りしないに一万円賭けてたとしても、
払戻金は倍までにしかならないから、
二万円払い戻した後の残りの金は全額、お前たち二人の丸儲けってわけか。」
この当梅雨投票券は、この学生寮の寮生百人ほどがほぼ全員買っている。
つまり百万円近くが、胴元の二人の学生の懐に収まると、
最初から仕組まれていたことになる。
総計した金額の大きさに、学生たちの怒りは冗談では済まなくなりかけていた。
学生たちは怒声を飛ばしたり腕まくりをしている者までいる。
このままではまずいかもしれない。
嫌な汗をタラーっと流す胴元の二人の学生に、
救世主のような声が発せられた。
「みんな、怒らないでやって欲しい。」
それは、眼鏡をかけた一人の男子学生の声だった。
怒りに満ちた学生たちの視線が、声の主の方を向く。
そこには、冷静な表情の一人の眼鏡の男子学生がいた。
学生たちの怒りが向けられる。
「怒るなって、どういうことだよ?」
「みんなで合計百万円ほども擦られたんだぞ。
これが怒らずにいられるか!?」
しかし眼鏡の学生は冷静に、眼鏡をクイッと持ち上げて答えた。
「みんな、冷静になってよ。
この当梅雨投票券には、確かに紛らわしいところがあった。
でもそれも全て、事前に説明されていたことだ。
賭博はお互いに納得したからこそ成立する。
僕たちは紛らわしい説明に納得して、当梅雨投票券を買ってしまった。
金を賭けた後でやっぱり返せというのでは博打は成立しない。
だから僕たちは、結果に従うしかないんだよ。」
事前の説明が紛らわしいことなど、世の中にはいくらでもある。
学生であってもそのことは実感したことがあるはず。
それを思い出し、学生たちはしゅんとしてしまった。
騙された方が悪い、それがこの世の理。
振り上げた拳を下げ、トボトボと帰ろうとする学生たちを、
今度はその眼鏡の学生が呼び止めた。
「みんな、待って。諦めるのはまだ早いよ。
いくら事前に説明されていたとはいえ、
悪人を世に蔓延らせるのは、良い気がしない。
だから、みんなでやり返してやらないか?」
すると、帰ろうとしていた学生たちが力なく振り返って尋ねた。
「やり返すって、どうやって?」
「もちろん、賭博の負けは賭博で返すんだ。
みんな、覚えているかい?
この当梅雨投票券の説明を。
あの時、彼らは言った。
これは梅雨入りがいつかを当てる遊び、
当梅雨投票券は、梅雨がいつかを賭けるものだって。
それならば、僕は賭ける。
今年の梅雨明けは確定しないに、限度額の一万円をBETだ!」
眼鏡の学生の宣言を聞いて、
やがて学生たちは、その言葉の意味に気付いていった。
「・・・そうか!そういうことか!」
「わかったぞ。
この当梅雨投票券は、梅雨入りだけを賭ける券だとは説明されてない。」
「そうだ。
梅雨がいつかを賭ける券なんだったら、
梅雨明けがいつかに賭けてもいいはずだ。」
「そして胴元のこいつらは言っていた。
気象庁の梅雨入りは速報値でも確定値でも断定はしていないって。」
「じゃあつまり、当梅雨投票券で梅雨明けは確定しないに賭ければ、
必ず当たるってわけか!」
「しかも払戻率は二倍に固定されている。
ここにいる全員が同じ予想をしても、払戻金は減らないってわけだ。」
起死回生。学生たちは色めき始めた。
絶対に倍になって返ってくる博打があれば、誰でもそうなるに違いない。
一方、顔を青くしたのは、胴元の二人の学生の方だった。
当梅雨投票券で百万円を儲けたばかりなのに、
このままでは百万円の損をする博打をすることになってしまう。
「ちょっと待ってくれ。そんな話は・・・」
「おおっと、今更受けないなんて言わせないぞ?」
「当梅雨投票券の締切は、気象庁の発表までって説明してたものな。」
「つまり今年の梅雨明けがいつかを賭ける当梅雨投票券の購入期限は、
まだまだたっぷり残ってるってことだ!」
胴元の二人の学生は二の句が継げない。
それもまた自分たちが事前に説明した通りだと気が付いてしまったから。
ガックリとうなだれる胴元の二人の学生に、寮生の学生たちはドッと大笑い。
「わっはっは!悪いことをすれば、次は自分に返ってくるってことだな!」
「安心しろ。当梅雨投票券を買うのは、俺たち寮生だけにしといてやるから。」
「これに懲りたら、これからは人を騙そうなんて思うなよ?」
こうして当梅雨投票券の計画は失敗に終わった。
胴元の二人の学生は、損をしたいくらかの金と今後のために、
夏休みは勉強とアルバイトに勤しむのだった。
終わり。
テレビや新聞のニュースで、梅雨入りはまだかまだかと騒いでいて、
それを目にして、もしかしたら博打の種にできるのではと思い、
勝馬投票券ならぬ当梅雨投票券というものを考えてみました。
そうすると、梅雨入りが何月何日なのかを特定する必要が出てきて、
それが非常に難しいことだとわかりました。
なのでそれを逆手に取って当梅雨投票券に利用しました。
しかしそれにもまた抜け穴があって、胴元の二人の学生たちは、
結果的に損をすることになってしまいました。
お読み頂きありがとうございました。