先生が、奪った
昔から怖いモノは嫌い。だからあの日、誘われても断った。
「昨日読んだマンガに出てきて気になったから、皆でやってみない?」
私達はどこのクラブにも所属せず、帰りに皆でどこかで好きなマンガやアニメの話題で盛り上がる、オタクのグループだった。
もちろん人によって好みのジャンルは異なったりしたけれど、それでも全員共通して、読んで見たりしている作品もあったので、いつだって話題に困らず盛り上がっていた。好きなモノを堂々と話せ楽しめる時間は、私にはとても大切だった。
だけど空き教室へ行くと、ホラーマンガも好んで読む子が、突然こっくりさんをやろうと言い出した時は、どんなに仲良しでも無理だと断った。
「怖くないって。どうせこんなの、眉唾物だし」
「確か、無意識に考えている内容で、手が動くとかじゃなかったっけ?」
「だけど、もし本当になにかあれば面白くない?」
「怖そうだけど、一度はそういうの体験するのも、良いかも」
私以外の皆は、怖いと言いながら本気で怖がっている人はいなかった。むしろ乗り気の様子を見せた。
「やっぱり私、無理! 私が怖がりなの、皆だって知っているでしょう? 先に帰るから!」
これ以上残ったら、無理やり参加させられると思い、私は逃げるように教室を出た。
◇◇◇◇
翌日、それでも振り払うように帰ったことを悪く思い、すぐ皆のもとへ、直接謝りに行った。
「昨日は誘ってくれたのに、断ってごめんね」
「別にいいよ。あんたがホラーとか怖いのが嫌いなのは、知っているし」
皆、そう言って笑ってくれ、その時私は、許してもらえたとすごく安心した。
「結局、なにも起きなかったしね。やっぱり眉唾物か、私達には霊感なんてないから、無理だったってことよ」
「しかも呼びかけて集中していたら、突然教室のドアを開けて先生が入ってきたの。あれには本当、驚いた。ああいう時に大きな音をたてられると、あんなにビックリさせられるものなんだね」
「へえ、先生が」
空き教室だったから、近くを通りかかった先生が皆の声に気がつき、様子を見に来たのだろう。
この時は、そう思っていた。
だけどその『先生』に会った皆に、異変は少しずつ表れた。
まず一人目は、こっくりさんをやろうと言い出した本人だった。
「それ、なに?」
「ああ、これ? 奮発して買ったの」
見せびらかすように持っているのは、私達のような人種とは無縁と思われる、ブランドの小物。
「奮発って、そんなお金どこにあったのよ。臨時収入でもあったの?」
「フリマアプリを使って、色々売ったの。中には結構、高額で売れたのもあってね。あんなのでも、欲しがる人っているもんよね」
よく見れば爪も丁寧に磨かれ、薄く色が塗られている。オシャレに気を使うタイプではなかったのに。
「あんなのって……。飽きた作品のグッズでも売ったの?」
「飽きたっていうか……。興味なくなったゴミよ。なんであんなぬいぐるみとかに、夢中になっていたのかな。お母さんが言う通り、どれも同じ顔に見えるし。だから処分するって言ったら、親も喜んで協力してくれてね」
「ゴミって……。なに、その言い方」
あんなに大切にしていたモノに対し、その言い方はないだろうと、皆が不快を示した。
「本当のことじゃない。髪の色が違うくらいで、そんなに違いがないのばっかり。やっぱり先生が言った通り、二次元じゃなくて、三次元の男よ」
私達の視線など無視をして、艶めいた視線を、よく言うスクールカースト上位の男子に向ける。私達のような女子には、とても近寄れない男子。それを真っ直ぐ見つめるその子は、前日までの彼女と違っていた。
「先生って?」
学校の先生が、私達の趣味を悪く言ったの? しかも、それをすんなり受け入れたの? 信じられなかった。
「先生は先生よ。マンガやアニメなんて、バカや幼稚な人間が好むものだって。だから、卒業しなさいって」
「はあ? そんなこと言う先生がおかしいよ! 今の時代、大人だってマンガやアニメを楽しんでいるじゃない! そりゃあ、私達は他人よりさらに好きな人種だけど、バカとか幼稚なんて、酷いじゃない!」
思わず大声を出してしまい、瞬間、クラス中の視線が私に集中する。ただ大声を出したのが私だと分かると、皆、興味を無くしたように視線を外した。きっといつものように、なにかマンガやアニメの話で盛り上がっていると勘違いしたのだろう。
その時チャイムが鳴り、嫌でも着席することになった。
昼休憩や放課後、ちゃんと話をしよう。そりゃあ、熱量が冷めることはある。去っていった先輩たちを知っている。だけど、急にそんなことを言うなんて……。そんな雰囲気、全然なかったのに。
昼休憩は一応皆で席を囲んだ。あんなことの後で、よく平気に私達と過ごせるなとは思う。だけど断ることもできず、けれどなにを話せば良いのか分からなく、息苦しい雰囲気のまま、黙々と箸を動かす。
「あ、先生」
まだ食べかけなのに、廊下を見るとその子はブランドの小物を持ち、どこかけ駆けて行った。
ようやく張り詰めていた空気が、解消される。
「どうしちゃったんだろう。いくら先生に言われたからって……。ねえ、もしかしてあの言い方、集めていたグッズとか、全部売っちゃったのかな」
「多分そうだと思う……。あんなに大切にしていたのに、信じらんない……」
「ネイルの色が、せめて推しの色だったらね……」
放課後、改めて話をしようとしても、その子は先生に用事があると言い、さっさと一人でカバンを持ち教室を出て行った。
「それにしても酷いよ、そりゃあ今は偏見持つ人は少なくなったけど、今も私達のような人を嫌っている人がいるのは知っているよ? あの子の親なんか、まさにそうだったし。だから偏見に苦しめられてきたのは、あの子自身じゃない。それなのに、あんな……」
残った全員で公園のベンチに腰かけ、ペットボトルの飲み物を口にしながら話す。
「あの小物を買えるくらいだからね……。本当、全部売ったと思うよ。中にも今も人気コンテンツの限定品とかあったし」
「飽きたなら仕方ないよね。だけど、あんな馬鹿にした言い方はね、なんか違うよね」
皆、欠けた一人のことに怒っていた。だから話題はどうしても、その子のことになる。不満を存分に語り、その日は解散した。
◇◇◇◇◇
翌日、不満を口にしていた子の一人が、やけにスマホを気にしていた。いつもより画面を見る頻度が高い。なにかあの子が気になるようなこと、あったかな。知らない所で、なにか続編が決まったとか? それとも新しいゲームでも始めたのかな。
「ねえ、そんなにスマホを見て、どうしたの?」
「うん、ちょっとね」
授業と授業の間の休憩時間。その子は、ずっとスマホの画面を見つめていて、顔さえ上げようとしない。ちらりと見えた時、彼女はフリマアプリを眺めていたと分かった。
最初は気がつかなかった。だけど見ている画面が、よく見れば、あの子が集めていたグッズを写していると分かる。お金が少ないから、いつも保存用は買えないと嘆いていた。そんな子が、急にお金を手に入れられる訳がない。つまり買うのではなく、集めたグッズを、売っているのだ。
「ねえ、ちょっと……」
そっと後ろから画面を覗きこみ、なにか言おうとしても、無視をする。
しかも今日はネックレスまでつけ、ご機嫌な様子でブランド品を見ている子になにか話しかけ、スマホの画面を見せ、そこから二人で盛り上がり始めた。
その日の昼休憩から、一気に二人仲間か欠けた。
「ちょっと変だと思わない? 二人とも急に変わりすぎ。あのネックレスだって、どうしたの? なんか高いヤツだって、クラスの人が言ってた。いくらフリマで稼いだって言っても、両方なんて連続して買えないよ」
放課後、昨日と同じ公園で残った面子で集まっていた。
「あのスマホ、見た?」
「見た。あれ、あの子が集めていたグッズだよ。売りに出しているよね? なんで急に一晩で変わった訳? 昨日、あんなにここで一緒に怒っていたのに。それなのに、なんで同じことをやってるの?」
その時、一人の子のスマホが鳴った。
画面を見たその子は、嫌そうに眉頭の間にシワを寄せ、重い息を吐いた。
「返事が来た。正直に、集めたグッズをフリマで売っているのかって聞いたの。そうだよって」
「そんな……」
私達は信じられなかった。
他に夢中になれるモノが見つかり、去ったのなら分かる。だけどそういう感じではない。急に人が変わったように……。
なにか連絡を取った子が打ちこむと、意外に早くスマホが鳴る。
「なにかあったのか聞いたら、昨日、私達と別れた後、偶然先生と会ったって。それで話をして、もうマンガやアニメからは卒業するって。だからもう……。私達とも……」
寂しそうに顔を伏せる。
その様子から、私達のようなオタクと関わり合いたくない、そう言われたと分かる。
それにしても、また先生。一体どの先生がそんなことを言っているの? 今まで私たちを放っていたのに、どうして? 誰かの親が、マンガやアニメばかりに夢中で困っているんですって、相談でもしたの? それにしたって、やり方とかが酷すぎる。
「……それって、最初のあの子も?」
スマホの画面を見つめたまま、ゆっくり頷かれた。
不満を言う元気もなかった。ただ、無力を味わっていた。黙ったままでいると、そのうち薄暗くなってきたので、そろそろ帰ろうかと呟けば、二人も同意した。
私達と離れた二人は、日に日に派手になっていく。化粧も濃くなり、スカートの丈は短くなり……。男子と会話するのも平気というか、自分たちから積極的に動いている。
「ねえ、ちょっと」
そんなある日、クラスの別のグループの子が、こっそり手招きをしてきた。
人目がないか辺りを見回すと、やっと口を開いた。
「そっちのグループ、どうなってるの? 皆、どうなっちゃたの?」
「皆? 二人とは仲違い……、かな? しちゃったけど……。知っているでしょう? ほら、うちのグループって、マンガやアニメが好きでさ。そんな集団だったんだけど、あの二人はもう、そういう世界から出るって……」
「それは見ていて分かる。でも、それだけじゃないの。他の二人も、どうかしちゃってるの。あんたが知らないだけで、こっそり四人で行動しているの」
「え?」
それを聞かされ、ショックは受けた。二人を引き戻そうとしているのだろうか。それならそれで、なんで仲間に入れてくれなかったのだろう。
「問題なのは、四人が揃って行動していた場所と内容なの。あたし、お姉ちゃんがいてね。年齢が離れていて、もう働いているんだけど。そのお姉ちゃんが飲み会の帰り、見かけたんだって。それで、あんたと同じ制服の子が、おじさんたちと一緒にいたって証拠の写真を、見せてくれたの。ほら、これ!」
見せられたスマホには、確かにあの四人がまるで媚びているよう、親と呼んでもいい男性にもたれたり甘えたりしている、そんな写真だった。
「……え? なに、これ……」
最初はなにか合成写真かと思った。だけどこの子がそんな嘘をつく理由はない。私は顔を引きつらせながら、写真を見た。
「どう考えてもヤバいでしょ、これ。あの二人、急に高価なモノを身につけ始めたし、妙だとは噂になっているし。色々買えるのは多分、こういうことだよ。こんなの、事件ものだよ。撮影された時間に、飲み屋街を制服で歩いているのなんて、相当だよ。せめて私服で……。って、そういう問題でもないけど。とりあえず、あんたはこの件の仲間じゃないってのは、今の反応で分かった。お姉ちゃんから、一人、空気読めない子がいるとか四人が言っていたって、聞いていたし」
先ほどのショックとは違う衝撃だった。そんなことを言われていたなんて……。
それにお姉さんが撮影した写真は、一枚ではなかった。見せられる写真はどれも、もし学校に知られたら、停学……。いや、下手すれば退学になりかねない。そう思えるようなのばかり。
「ふ、二人に……。聞いてみる。昨日、帰る前、教室にちょっと残って三人で話したし……。教えてくれてありがとう。写真、転送してくれる?」
すぐにIDを交換し、写真を転送してもらう。
昨日は放課後、教室で三人、流行りのアニメの最新話について語った。そこまで二人は普通だった。校舎を出て私と別れ、あの二人と合流したの? どうして? なんでこんなこと、やっているの?
二人を人気のない所へ呼び、写真を見せ、どういうことかと問い詰めた。
「あー、見られていたんだ。写真まで撮ってあんたに教えるって、誰?」
「そんなこと、どうでもいいでしょう? この写真は、なに?」
「仲間なのかなあ。他にもいるんだ。だけど学校から呼び出されていないし、セーフだよ」
「仲間? セーフ? そういう問題じゃないよ! 二人とも、この写真のようなこと、やっているの? いつから? なんで?」
二人は互いに視線を合わせると、丁度良いかと言う。
「一人になったら、あんたがかわいそうだと思っていたから、仕方なく相手してあげていたんだけど、うちらもう、とっくにあんたほどの熱量なくなってたの」
「そうそう。ゴミにしかならないグッズより、こういうモノの方が価値あるし」
そう言ってポケットから指輪を取り出すと、指にはめて見せてきた。
「本物の宝石。次はバッグが欲しくて。幾らお金があっても足りないんだよね」
「制服着ていたら、声をかけられやすいけれど……。そうか、どこの学校がバレバレだもんね。気をつけないと」
「そういう問題じゃないでしょう? 四人ともおじさんの相手をして、お金を貰っているの? それ、ダメだよ!」
「ギブアンドテイク。体は許していないよ? だけど、時間をあげている。女子高生と楽しく会話する時間をね。その報酬として、私達はお金を得ているだけ。働いて賃金を得るのは、当然でしょう?」
全く悪気のない答えに、なにも言えなかった。
急に二人との間に、距離が生まれた。いや、本当はずっと前からあった。それに二人は、私が気がつかないように、付き合ってくれていただけ。それが今、失われた。
「先生に教えてもらったんだ、効率の良い、儲け方」
「先生が言うの。あたしたち、今が旬で高く売れるって」
「……おかしいよ、二人とも。なに言っているの? そんな儲け方、普通の先生が勧める訳がないよ! ねえ、先生っていうけど、なんて名前の先生なの? その先生を教えてよ!」
二人が同時に名前を口にしたはずなのに、なぜかその名前は、聞き取れなかった。
これを境に、私は一人となった。四人はすっかり人を変え、隠すことなく、まるで武勇伝のように色々話すが、クラスメイトは引いている。次第に誰も相手にしなくなった。
こうなると噂になるのは早い。
四人は校長室に親子で呼び出され、停学となった。
一人となった私に申し訳なさでも感じたのか、一緒にお昼を食べようと、写真を転送してくれた子が声をかけてくれた。寂しいので、甘えることにする。彼女たちも大人しい集団で、しかも優しく、受け入れてくれた。
四人が停学になったと聞いた時も、話題に出さないでいてくれた。
けれど遠慮がないクラスメイトはいる。
「何度か見かけたけど、あの四人、変だよね。誰もいない所に向かって、先生とか言って、誰かと話しているように振る舞っていたし」
そういう声が聞こえてくると、誰かが昨日、配信サイトで見つけたんだけど。とか、別の話題を振ってくれる。優しいけれど、気を使わせてしまい申し訳ない。
でも、先生……? 誰もいない所? 意味が分からない。
停学中、何度か四人から連絡があった。それも大抵学校にいる時間帯。しかも同じ内容だった。
『先生、学校にいるよね? なんか、毎日家の前にいるんだけど』
四人そろって停学で暇だからって、からかって遊んでいるのかもしれないけど、送られてくる私からすれば、気味が悪かった。しかも、
『違うよ、先生はうちの家の前にいるの!』
『私の家!』
そんな妙な喧嘩を始める。
もうこのグループから脱退しよう。それが一番だ。
自分の部屋でしばらく画面を見つめ、スマホをタップする。
これで終わったと、長い息を吐いていると……。
『飽きたから、バイバイ』
そんな女性の声が聞こえてきた。慌てて振り返っても、当然誰の姿もない。
……なに、今の声……。
ぞっとし、部屋を飛び出しリビングに向かう。一人でいるのは嫌だった。今日は無理やり頼んで、妹と一緒に眠らせてもらおう。
「それってさあ、その四人が見た、教室に入ってきた先生ってのが、幽霊ってヤツじゃなかったの?」
妹に事情を話せば、お姉ちゃんはあいかわらず怖がりだねと言って、部屋に通してくれた。
そして話を聞いてから、しばらく考えていた妹が、そんなことを言い始めた。
「で、その幽霊がお姉ちゃんの友だち達をからかって遊んでいたんじゃない? 悪い方へ導いて。憑りつかれていたってヤツだよ」
とんだ妄想だけど、そう考えればなんとなく、しっくりとした。
先生としか聞いていなかったけれど、女の先生で、正体は幽霊で。ああいう形でお金を得る考えの持ち主だったから、憑りつかれた皆が同じようになったかもしれない。
停学を明けると、四人ともスカートの丈は元に戻り、化粧をしていなかった。てっきり反省のアピールかと思ったが、雰囲気も以前に戻っている。けれど今さらだ。四人を、クラスの誰もが持て余した。
なにか言いたそうに、たまに四人は私を見てくる。それを私は気がつかない振りをする。
私は今もマンガ、アニメが好きなオタク。だけどオタク仲間はもういない。先生が、私の友人を、仲間を、あの楽しかった時間も、なにもかも全て、奪ったから。