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かまくらにはメロンパンを

作者: 藤宮 紫乃

 昨夜、東京にここ十年で一番の大雪が降るというニュースを見たので、朝起きて急いでカーテンを開けてみれば、期待していた通り、窓の外には真っ白な世界が広がっていた。厚手のパーカーを羽織ってベランダに出ると、数センチほど雪が積もっている。私は用意していたスキー用の手袋をはめて、足元の雪を掻き集めていった。やがて小さな山が出来上がると、次は慎重に、山の前面に穴を掘っていく。拳より一回りほど大きい空洞ができたところで、用意していた物を取りに行くため、一度部屋の中へと戻った。


「おはよう。朝からなにやってるの?」


 窓から入り込んだ冷気のせいか、先ほどまで熟睡していた夫が目を擦りながら起きてきた。


「おお、小さいかまくらだ。」


 ベランダを覗き込んだ夫が感心したように言う。


「うん。あとは中にお供え入れたら完成。」


 答えながら、キッチンから持ってきた「お供え」を、皿に置いてかまくらの中へそっと入れた。それを見た夫は、小さく首をかしげる。


「お供えって、そのメロンパン?」

「うん。これでいいの。」

「ふうん。普通、餅とか米だと思うけど。」

「これじゃないといけない理由があるの。」


 不思議そうな顔をする夫へ、私は自分の、雪にまつわる大切な思い出を語り始めた。




 中学生のころ、親の仕事の都合で一時期、ここよりずっと北の田舎に住んでいたことがあった。そこでは毎年冬になると、「雪神様」という神様に、雪による災いが起こらないよう祈るためのお祭りを行っている。雪でかまくらを作り、中にお米の稲を入れて神様へお供えをするというのが習わしだった。両親は喜んでその行事に参加して、町のみんなと一緒にかまくら作りに勤しんでいたが、私は違った。何もない田舎の町が嫌いだったし、神様なんているわけないのに、寒い中かまくらを作るなんてごめんだった。今になって考えてみると、両親としては町に早く馴染むため、近所の人たちと交流を深めるためと考えていたのかもしれないと思えるけど、当時は無理やり行事に参加させてくる親に反発して大喧嘩し、かまくら作りの日、家を飛び出してしまった。

 雪の中、あまり厚着もせずに出てきてしまったあの日。行先も決めてなかったけど、寒くて、とにかく何か温かいものがほしくて、家から一番近いコンビニに逃げ込むように入った。自動ドアを通る瞬間、ふと横を見ると、雪が降りしきる中、ドアの側に自分と同じ年くらいの女の子が立っているのが見えた。誰か迎えにくるのを待っているのかもしれない、と思って最初はあまり気にしなかったが、ホットレモンのペットボトルを買って、イートインコーナーでそれを飲み終わった頃になっても、窓越しに見えるその女の子は最初に立っていた場所から一歩も動かず、雪の中立ち続けていたのだ。この近くに中学は一つしかないが、その子のことは見かけた記憶がない。声をかけるか迷ったが、ただ無表情に立ち尽くすその子が、なんだかとても寂しそうに見えて、私はもう一本同じホットレモンを購入すると、思い切って自動ドアをくぐり、その子の視界に入るように差し出した。


「あの、これ、体冷えちゃうと思って。」


 なんとなく、声をかけても無表情なんじゃないかと思っていたが、予想に反し、その子はとても驚いたようにこちらを振り向いた。


「さっきからずっと立ってるけど、だれか待ってるの?中、入らないの?」


 戸惑ったような表情をしていたその子は、少し逡巡したのち、ありがとう、と小さく言ってレモンを受け取った。


「ちょっと、嫌なことがあって。行かなきゃいけないところがあるんだけど、逃げてきちゃった。」


 その返答に、私は驚いた。私とおなじだ。それに訛りのない話し方。もしかしたら、この子も地域外から来た子なのかもしれない。そう思ったら親近感が沸いて、緊張が解け始めてきた。


「私も!親と一緒にお祭りの準備しに行かなきゃいけないんだけど、嫌で逃げてきちゃった。」

「ほんとに?じゃあ、お揃いだね。」


 女の子ははにかんだ様に笑って、それが嬉しくて調子に乗った私は、自分の境遇や、親と田舎への不満を次々と話し始めた。一方的に喋ってしまったその話を、その子は興味深そうに、相槌を打ちながらしっかりと聞いてくれた。


「そっか。誰かになんでも決められて、自分の意志をくみ取ってもらえないの、嫌だよね。私にもわかる。」


 中学のクラスにもなじめず、今までこんな風に話を聞いてもらえるような相手もいなかったので、そうやって共感してもらえたのがとても嬉しかった。


「あなたは何から逃げてきたの?」


 そう尋ねると、女の子は少し言いづらそうに口を開いた。


「笑わない?」

「ぜったい笑わない。」

「…お米が、食べたくなくて。」

「お米?」

「うん。家のしきたり、みたいなもので、年に一回大量にお米を食べなきゃいけない日があるの。」


 予想外の言葉に一瞬、拍子抜けしそうになってしまったが、親戚の集まりで「もう食べたくない」と言っても無理やりご飯を食べさせられ続けた時のことを思い出し、気持ちを改めた。


「分かるよ!食べたくないのに食べさせられるのつらいよね。いらないのに、残すともったいないって怒られるし。」

「そうなの!わかってくれて嬉しい!私、本当はパンが食べたいの。特に、外側がカリカリで、中がふわふわのメロンパン。女の子たちがお昼休みに食べてるのがすごくうらやましくて。」


 少し声を上ずらせてそう話す女の子。だが、私はその内容に目を丸くした。


「メロンパン、食べたことないの?」


 聞くと、女の子ははっとした表情を浮かべ、気まずそうに答えた。


「えっと、家のしきたりで。」

「そうなんだ。じゃあ、今買って食べちゃえば?」

「お金、持ってなくて…」

「なら私、買ってきてあげるよ。」

「え?」


 女の子の返事も聞かず、私はメロンパンを買いにまたコンビニに入っていった。いつもは普通の安い方を買うけど、今回は中にクリームの入った、少し高いメロンパンを選んだ。レジに並びながら、そういえば、さっきまであんなに寒かったのに、あの子と話している時は全く寒さを感じなかったな、と思った。


「お待たせ。はい、これ。」

「でも、悪いよ。」

「話に付き合ってもらったお礼だから。」


 遠慮して受け取るのをためらっていた女の子だが、袋から見えるカリカリの生地の誘惑にはかなわなかったようで、結局申し訳なさそうに受け取り、外袋を破ってパンに噛り付いた。


「おいしい!」


 一口食べた瞬間、女の子は目を輝かせて叫んだ。あまりにいい笑顔なので、こちらまで嬉しくなってしまう。よかったね、と声をかけようとした時、私ははっとした。頭上から降り注ぐ月光が、その子の笑顔を照らしている。空を見上げると、暗い雲が消えて星空が見えていた。つい先ほどまであんなに降っていた雪が、突然止んでいたのだ。


 年に一度、お米を大量に。降りやんだ雪。まさか、と思った。


「あなた、もしかして雪神様なの?」


 女の子は小さく笑うだけで、私の問いかけには答えなかった。


「お話、聞いてくれてありがとう。自分のことを理解してくれる人なんて絶対いないと思ってたのに、こんなに簡単に『分かる』って言ってもらえるなんて。声をかけてもらえるなんて。飛び出してみて本当によかった。」


 話しているうちに、女の子の体は淡く光り始めた。ああ、行ってしまうのだと、何となく感じた。


「あのね、私、神様なんていないって決めつけてた。だから、私もあなたみたいに、飛び出せるように頑張るから、その、ちゃんと見ていてください!」


 消えてしまう前にと思って、焦ってしどろもどろになってしまったが、女の子にはちゃんと伝わったようで、微笑みながら頷いた。

 雪は止んだはずなのに、突然強い吹雪が吹いて、思わず閉じた目を再び開いた時には、そこに女の子の姿はなくなっていた。




「それでメロンパンだったわけだな。」


 話を聞き終えた夫は、しみじみと小さなかまくらを覗き込んだ。


 あの後、私は『合わない』と決めつけていた地元の中学の子とも話すようになって、友達もできた。町のことも好きになれて、いい思い出もたくさんできた。全部、雪神様のおかげだ。


「あれ?雪、止んだな。」


 夫がそう言ったので、自分もベランダに出てみた。天気予報では一日降ると言っていたが、確かに雪が止んで晴れ間が見えている。差し込んだ朝日が雪に反射しているのを見て、あの日、メロンパンを食べた時の女の子のキラキラとした笑顔を思い出した。

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