お手上げだ
魔炉ボイラー室は、駆除したキラーワスプでいっぱいだった。これを外に運びだし、燃やすまでが任務だ。
「待った!」
外に運ぼうとキラーワスプに手を伸ばすと、ルースに制止された。
「後は俺たちがやっておきますから! 団長は行った行った!」
事情を知らない団員たちも、バーナードに何かしらの用事があることは分かっていて、行けと手を振る。
駆除を終えた魔炉ボイラー室にある窓から差す光は、かなり明るかった。
魔炉ボイラー室に時計はないが、約束の時間が迫っているか、過ぎているかもしれない。
「すまん。今度奢る!」
ルースに感謝して、バーナードは魔炉ボイラーの外に出た。すると、意外な人物が二人いる。
「騎士様!」
「遅かったね、バーナード」
「ビアンカさん、ロイド様!」
魔炉ボイラーの外にいたのは、にこにこと笑うロイドと、心配そうなビアンカだった。
「なぜお二人がここに……?」
主君であるロイドはまだ分かる。まあ、ロイドにしてもわざわざ現場にくるのはおかしいのだが。
それよりもビアンカがここにいる理由が分からない。
「騎士様! ご無事ですか!」
理解が追いつかずにぽかんと口を開けていると、ビアンカが走ってきた。そのまま抱きつくような勢いで、バーナードの腕やら腹やらを触り始める。
「うぇっ!」
予想外の行動にバーナードは飛び上がり、慌てて後ろに退がるが、ボイラー室の壁だった。逃げ場がない。
かといって女の子の体を触るなどできず、押し返せない。壁に背中を押し付けたバーナードは、ばんざいの姿勢で固まった。
「大丈夫ですか。お怪我とかしてないですか」
「してません、してません。ちょ、ちょっと待った待った。今僕すごいことになってます。汚れますよ」
ぺたぺたと小さな手で触られたのにも驚いたが、まず気になったのは自分の体だった。一晩中キラーワスプを斬っていたので、べとべとに汚れているのだ。おまけに汗臭い。最悪だ。
「よかったぁ」
汚れると言ったのに、脱力したビアンカがバーナードに体重を預けてくる。ビアンカの両手と頬を当てているのが、丁度鎧に覆われていない腹の部分で、彼女の体温と小さくて柔らかな身体を感じられた。ヤバい。
本気でどうしたらいいのか分からず、心身共にお手上げになった。
くすくす。笑い声に視線をやれば、目尻に綺麗なしわを寄せてロイドが口元に片手を当てていた。
「私が彼女を連れてきたのだよ。真面目な君のことだ。途中で職務を放り出すことはないだろうが、キラーワスプの駆除が約束の時間までに終わるとは思えなかったからね」
「女の子を危険な現場にですか」
外に出ていて巣に戻ってくるキラーワスプもいる。巣の中だけでなく、周りだって危険だ。
つい非難と怒気をこめると、面白そうに瞳を光らせながら片眉を上げたロイドが、腰の剣を少しだけ抜いてみせた。
「私がいる」
ロイドの一言に、あらためて周囲を見ればキラーワスプの死骸が相当数転がっている。
キラーワスプの全てに鮮やかな一刀を示す断面。返り血どころか銀色の髪の毛一筋も乱れていないロイドと、バーナードに近寄るまでは全く汚れていなかったし、怯えた様子もないビアンカ。それらから、恐怖も感じさせることもなく優雅にキラーワスプを屠るロイドの姿を容易に想像できてしまう。
バーナードはため息を吐いた。
「ロイド様には一生敵う気がしません」
ロイドにもお手上げだ。
貴族令嬢との婚姻で男爵位を継いだロイドだが、元は叩き上げの騎士である。見惚れるほど抜剣の軌跡と優美な手足の動きを、彼が現役時代に何度も目にしたが。今でも前線で現役を張れるどころか、バーナードよりも強い。
「君の欠点は自己評価を低くしてしまうところだな」
「ですよねー」
なぜか呆れたような表情になったロイドに、いつの間にかボイラー室から出てきたルースが相槌を打った。ルースの後ろからもキラーワスプを抱えた団員たちがぞろぞろと出てくる。
「こんにちは」
「お? 彼女ですか?」
「団長も隅に置けないですね」
キラーワスプを運びながら挨拶団員たちに、ビアンカは頭を下げてから両拳を握った。
「キラーワスプの駆除をありがとうございます。まだ彼女ではありませんが、頑張ります!」
ルースと団員たちが、目を丸くしてから吹き出した。
「ぶわはははは!」
「頑張ってね」
「団長も!」
未だにばんざいの姿勢でいるバーナードの横を通り抜けていく。
「そりゃ頑張るつもりだけど、いいとこなしだろ」
仕事を優先して遅刻するわ。べとべとに汚れていて汗臭いわ。女の子に詰め寄られて動けないわ。主君の方が格段に強くて格好いいわ。
そもそもパンケーキ屋にも入れない小心者。
情けなさしかない。
キラーワスプを下ろしたルースが、一人ロイドに近づくと小声で文句を垂れた。
「駄目ですよ、ロイド様。美味しい所全部持っていかないで下さいよー。ただでさえクマは自分の力が分かってないんですから」
「それは悪かった。しかしそれは私の役目ではないな」
穏やかな目元にしわを刻み、ロイドが目でビアンカを示す。彼女は項垂れたバーナードの頬に手を伸ばしていた。
桜色の唇が動くと、バーナードが耳まで赤くなる。ずっと上げていた腕を迷うように揺らしてから、おずおずとビアンカの背中に回した。
「ですねー。さーてお仕事お仕事」
ルースはキラーワスプの片付けに戻るべく、ボイラー室に入った。
お付き合いありがとうございます。
残り一話です。