甘々チョコレートで溶かしちゃおう【肉フェスSS】
「これでよし、と」
ビアンカは手作りのブラウニーを、丁寧に箱に詰めた。バーレンタニアで男性に渡す手作りチョコの定番。珍しくはないお菓子だが、その分失敗が少なくて美味しい。
ビアンカはパンケーキ屋の店員だが、ホール担当。調理にはノータッチだ。本格的なお菓子を作れないから、定番にした。
バーレンタニアは、女性が男性にチョコレートを贈って好意を伝えるイベントである。
チョコレート大手メーカーの女社長タニアが、一目惚れしたバーレン伯爵に、自社製品の高級チョコレートをプレゼントして熱烈プロポーズ。そしてめでたくゴールイン。
商売人のタニアは、そのエピソードを大々的に公表して、一大イベントに仕立て上げた。それが功を奏して、バーレンタニアは毎年恒例の行事になり、チョコレートの売り上げに貢献している。
結局、チョコレート大手メーカーに踊らされている気もするけれど、逸話そのものは素敵だし。この時期に店頭に並ぶチョコレートはいつもより高級で美味しい。バーレンタニアで成立したカップルも珍しくないのだから、踊らされたっていいと思う。
しかも、ビアンカにとって今年のバーレンタニアはいつもと違う。なんてったって、付き合い立てほやほやの彼氏がいるのだ。
喜んでくれるかな。美味しいって言ってくれるかな。
優しいバーナードのことだから、きっと喜んでくれるし、美味しいと言ってくれるだろう。
でも、ビアンカの目的はそれだけじゃない。
「このチョコでバーナードさんを、メロメロのふにゃふにゃにしちゃうんだから」
ビアンカはぐっと拳を固めた。
スイーツが大好きなバーナードは、普通のブラウニーで満足しないかもだけど、気持ちがこもっていれば喜んでくれるはず。喜んだ時のバーナードの笑みは、ふにゃふにゃとしていて可愛いのだ。
あれで仕事モードになると、別人のようにキリッと格好いいのだから反則だ。
「そんでもって、今日こそバーナードさんともうちょっと、その、えーと」
その先を口にするのは躊躇われて、ビアンカはもごもごと言葉を飲みこんだ。
バーナードと付き合い始めたのは二か月前の年末。デートを重ねているが、まだほっぺにチューまで。
バーナードは奥手で気が弱く、紳士だ。そこがいいのだけれど。優しくて、ものすごく可愛いのだけれど。もう少し先に進みたい。
「バーナードさんも、そう思ってくれてるよね」
デート中、いつもいい雰囲気にはなる。バーナードの視線に熱がこもって、ドキッとするくらい声や表情が甘くなるのだ。
だけどすぐハッとした顔になって、慌てたように話を逸らしてしまう。
「大切にしてくれてるのはすごく嬉しいけど」
ビアンカは頬に片手を当てて、はあ、と息を吐いた。
我慢なんてしなくていいのに。むしろしないで頂きたい。というか、そろそろこっちが我慢できないです。
「チョコ渡して、いつもよりいい雰囲気になったら、バーナードさんも我慢できなくならないかな。無理かなあ。私からしちゃう? むしろ私にリボンかけて『召し上がれ』とかやったほうがいい?」
包装紙に包んでリボンをかけながら、わりと真剣にビアンカは悩んだ。
「いやいや。駄目駄目。正気に戻れ、私。そんなことしたら引かれちゃうよぉ」
ビアンカはナイナイと、自分に片手を振った。
バーナードはぐいぐいとくる強引な人が苦手だと言っていた。嫌われる。
「バーナードさんがスイーツ食べて溶けてる笑顔、すごくいいんだよね。抱きしめたくなっちゃう」
本当に抱きしめたら、バーナードは固まってしまうだろう。いや、あたふたと慌てるだろうか。それはそれできっと可愛い。見たいかも。
「でもバーナードさん、焦ってテンパると逃げちゃうからなぁ。びっくりさせないように、自然に。こう、スキンシップの延長って感じで抱きついちゃう?」
付き合う前に一度、どさくさに紛れて抱きついたけれど、バーナードの体は大きくて温かくて、がっしりと筋肉質だ。
この間なんて、太ったとかのたまうから強引にお腹を触ったけれど、ガチガチに固かった。
結んだリボンの形を丁寧に整え、今度は自分の身支度をする。
ベージュのブラウスに焦げ茶色のスカート。大きな赤いリボンを胸元とハーフアップにした髪に結ぶ。ピンクベージュのグロスでぷっくりとした唇に仕上げ、戦闘準備は整った。
「よし! 準備万端。頑張るぞー!」
ショートブーツに足を包んだビアンカは、勢いよく拳を突き上げて、足取り勇ましく家を出た。
騎士団庁舎にやってきたビアンカは、入り口付近で首を長くして中をうかがった。
張り切り過ぎて、約束の時間より一時間も早く来てしまった。中に入ったら迷惑になる。ここからでも、運良くバーナードの仕事風景を見られないだろうか。
「何してるのかなー?」
「ひゃっ!」
後ろから声をかけられ、ビアンカは飛び上がった。
「ルースさん。もう、びっくりさせないで下さいよ」
「ぶわははは、ごめんごめん。バーナードとバーレンタニアデート? 時間、早く来すぎちゃったってやつかな」
振り向いた先にいたのは、黙っていれば強面のバーナードとは対局の容姿のルースだ。涼やかな目元と、人好きのする笑顔。後ろでくくった、さらさらの長髪が背中に流れている。
「こっちこっち。バーナードならこっちで見えるよ」
「いいんですか」
「平気平気。近づいたり声かけなきゃ邪魔にならないから」
手招きされて一緒に裏手に回ると、建物の間に開けた場所があり、数人の男たちがいた。
「丁度、団員に手解き中だからさ。格好いいとこ見えるよー」
「わあ」
修練用の服なのか、半袖のシャツとズボンという格好で木剣を打ち合っていた。団員の方は必死の形相で打ちかかっているのに対し、バーナードの方は顔色ひとつ変えず、片手と足さばきで応じている。
「格好いい」
「どう、惚れ直した?」
「深く。これ以上惚れる余地ないって思ってましたけど、まだまだ惚れかたが足りませんでした」
「ぶはは! 言うねー」
どうやら笑い上戸らしいルースが、お腹を抱えたが、バーナードに釘づけのビアンカの目には入らなかった。
「バーナードさん、動きすごい! 木剣を受けた時の腕とか、筋肉ボコって。バーナードさんの腕、あんなに太かったんですね」
「あれ? 見たことなかったの?」
「服の上からでも太そうだと思ってたんですけど、薄着のバーナードさんはじめて見たので」
「あー、なるほどね」
顎を撫でたルースが、ニヤニヤと笑った。
「ビアンカさん、色んなバーナード見たい? 良ければ、訓練終わった後あいつの執務室に案内したげるよー」
「いいんですか、お願いします!」
「りょーかい。んじゃ、終わる頃また来るから、それまでここで見てやっててね」
「はい。ありがとうございます」
仕事に戻るルースに頭を下げて、ビアンカはまたバーナードを眺めた。団員の仕掛けた足払いを難なくかわすと、蹴りを放つ。強烈だったのか、受けた団員が、蹴りを受けた場所を押さえて悶絶していた。
強いバーナードも素敵だ。ずっと見ていられる。
やがて打ち合いが終わり、バーナードは団員たちと建物に向かって歩き始めた。
「ビアンカさん、こっち」
いつの間にか来ていたルースに肩を叩かれ、別の建物に案内される。なんだか大回りしたような気がしたけれど、気のせいだろうか。
「ここだよ。団長。ルースです。入りますよー」
「ああ」
扉の向こうでバーナードの低い声が響いた。扉の取っ手に手をかけたルースが、ビアンカにどうぞとうながして開けた。
「ありがとうございます」
「うえっ?」
「えへへ、来ちゃいまし……きゃあ!」
着替えの途中だったらしい。気を抜いた様子で振り向いたバーナードが、ビアンカを見て動きを止めた。瞬時に赤くなり、声を裏返らせる。驚いたビアンカもまた、悲鳴を上げてしまった。
「いいもの見えたでしょ?」
「いいもの!? どこが!?」
「ありがとうございます!」
「なぜお礼!?」
広くゴツゴツと逞しい肩。太く盛り上がった腕。割れた腹筋。耳まで赤くした照れ顔。
「ルース、お前、言えよっ。ビアンカさんがいるって。わざとか、わざとだな」
シャツを腕に引っかけたままのバーナードが、大慌てで新しいシャツを胸元に引き寄せた。シャツで体を隠そうとして失敗し、焦って着ようとしたが落としてしまい、わたわたと拾うところがやっぱり可愛い。
「ぶははは! やっぱ面白れー」
ひとしきり笑ったルースが、ひらひらと手を振った。
「じゃあな、クマ。書類は全部片付けといたから、存分にイチャつけよ。あ、本格的なのはここでやるなよ。家かホテルでな。ヘタれのクマには無理だと思うけどー」
「ルース!」
それだけ言うと、出ていってしまった。
「見苦しいものを見せてしまって、すみません」
シャツの上からセーターとコートを着こんだバーナードが頭を下げた。
「見苦しいなんてとんでもない! 格好よくて、眼福でした」
「うえっ?」
また赤くなったバーナードがやっぱり可愛い。ビアンカはずっと持っていた紙袋を胸の前に上げた。
「あの、これ。大好きです、バーナードさん。心をこめて作ったので食べて下さい」
「ビアンカさんが作ってくれたんですか」
「お店のチョコみたいに美味しくないかもですけど」
「嬉しいです、ありがとうございます。食べてもいいですか」
バーナードの太い眉が下がって、口元が柔らかく弧を描いた。心底嬉しそうな顔にビアンカも嬉しくなる。
「はい。食べてくれると嬉しいです」
「頂きます」
いそいそと大きな手で綺麗に包み紙を剥がし、箱を開けて歓声を上げた。
「うわぁ。美味しそう。僕ブラウニー好きなんですよ」
「ふわぁ、美味い。ありがとうビアンカさん」
「良かった!」
ブラウニーを頬張りニコニコと笑うバーナードを見ていたら、キスがどうのとか、なんだかどうでもよくなってきた。
だってビアンカは可愛くてヘタれなバーナードが好きで、いるだけで幸せだ。
先に先になんて思わないで、焦らずゆっくり楽しもう。そのうちきっと、自然と進むはず。
「ふふふ。バーナードさん、口にブラウニーがついてますよ。とってあげますから、じっとしててください」
だからこれくらいのご褒美は、許してほしい。
立ち上がったビアンカは、向かいのバーナードの頬に手を伸ばした。そのままブラウニーの欠片を手で取るのではなく。
「うえっ?」
ぺろりと舌先でなめとった。
「えへへ。自分で作ったんですけど、美味しいですね」
本当に美味しかった。ブラウニーがではなくて、バーナードが、だけど。
「ね?」
真っ赤になってぽかんとしているバーナードが可愛くて、ビアンカは小首をかしげて上目遣いに見上げた。
見開かれていたバーナードの目がふっと細くなり、熱を帯びる。
「えっ?」
頬に触れていた手首が大きな手に掴まれ、背中に太い腕が回る。あっという間に引き寄せられて、爪先が浮いた。
唇から、自分より高い体温と熱情を吹き込まれる数秒。
体はすっぽりと包まれたまま、唇だけが離れた。
「本当に。甘くて、美味しいですね」
熱い吐息を漏らし、バーナードが唇をなめた。それが色っぽくて、予想外の強引さが恰好良くて。ビアンカは、口をパクパクとするだけで何も言えない。顔が熱い。
「あ、ごめんなさい。嫌でしたか!」
「いえ! 嫌じゃないです。むしろ嬉しかったです!」
真っ赤になったビアンカに、バーナードが慌てて離れ、両手を上げる。
嬉しかったし、夢見たシチュエーションだけど、心臓に悪い。いけない。幸せすぎて死ぬかもしれない。
「よかった。チョコ、ありがとうございます。行きましょうか」
先程の色気はどこへやら。くしゃっと笑ったバーナードが手を差し出した。ビアンカは、ばくばくと鼓動を刻む心臓が静まらないまま、大きな手を握る。
二人で騎士団庁舎を後にした。