野獣
森の魔女との対決まであと15日
レオンは秘策を求めて奔走する。
転生後3日目の朝を迎え、転生者はどのように行動するのか?
3日目の朝
今日は表番の日だ。
手早く身支度と食事を済ませると、交代にためカーターが居る臨時詰所へ向かった。
詰所のドアをノックもせずに開ける。
隣室がお嬢様の部屋になるので、それへの配慮だ。
中には、少し疲れた様子のカーターが居た。
小さな声で引き継ぎ事項が無いか確認していく。
昨夜は、特に何もなく引き継ぎは短時間で終わった。
引き継ぎを終えたカーターが出ていくと、臨時詰所の中は俺独りとなった。
ここから、お嬢様が身支度を終え朝食の時間が来るまで待機となる。
詰所の中は椅子と机、筆記用の粘土板が机に乗っかっている。
粘土板はこの世界でのメモ帳代わりだ。
鉄筆で粘土の上に溝を彫り文字を書く。紙が一般的でない社会ではこの方法が効率的だ。
壁には木製の盾と木刀と短槍が立てかけてある。
金属製の盾は重すぎて実用性に乏しく、木製の盾の上に薄く銅を貼った盾が好まれる。
ジュラルミン製や強化プラスチック製の盾があれば良いのだが、この世界にはそんなものは無い。
剣は切るよりも打撃が主体の攻撃武器だ。なので木剣で十分事足りる。
分厚い鉄剣など、一握りの体力馬鹿しか扱うことができない。重すぎて何回か振ると腕が挙がらなくなるからだ。
一番効果的な武器が短槍だ、切るのではなく刺突にて敵を屠る。致命傷を与えるのに適している。
『レオン』も槍を得意としている。師匠について習ったものではなく、兵士の訓練に混ざって覚えた実践的な槍だ。
お嬢様の支度が整うと、詰所から出て、お嬢様の部屋に入る。
部屋の中は、お嬢様と執事、専属メイド、護衛の俺だ。
これから、昼休憩までお嬢様の傍らで身辺警護を行う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日は6月30日で0の付く日なので安息日だ。
農民は畑仕事はせず、休息と午後からミサに参加するだけの一日だ。
館の前の広場周辺には商家が立ち並ぶがそちらも休みだ。
商家と言っても宿屋兼酒場、馬具や農機具を扱う鍛冶屋、雑貨と郵便物を扱う商会、薬師兼医師など生活に必要最低限度のものだけだ。
それ以外の物品は市の日に賄う。
明日は7月1日で市日だ。
あちこちから商人たちがやって来て賑やかな市が立つ。
ともあれ今日は安息日なので広場もひっそりしている。
午後になると広場横の教会に三々五々人が集まる。それまでは静謐がこの空間を支配していた。
身辺警護でもなければ、安息日にお嬢様がどのように過ごされるのか、知ることはない。
『レオン』は無関心を装い、お嬢様の傍に立っているだけだ。
長い午前中の警護が終わり、昼休憩のためカーターと交代する。
『レオン』とカーターに安息日は無い。半日休みさえない。
この事件が片付いたら少し長めの休みを貰うとしよう。
午後からは教会のミサに出席する。
ミサの参加は領主の務めでもある。
勿論、お嬢様も領主一家として出席する。
俺はその護衛だ。
支度を整え教会へ列を組んで出かける。
大名行列では無いが、結構な集団のパレードになる。
領主、奥様、お嬢様、家宰、騎士たち、兵士たち、執事、メイドたちと、ぞろぞろ総勢80人ほどの行列となる。
教会の中は200人ほどしか入れないので、領主様ご一行と村の有力者たちで占有状態になる。
なので、ミサは1回ではなく夕方まで複数回に分けて行われる。
初っ端のミサは領主様を招いてのミサと決まっている。
普段は着飾らない村人も、ミサの日だけは一張羅を着て出席する。
見すぼらしい格好で神様の前に立つことは失礼だからだ。
領主夫妻も率先して着飾っていて、その行列は壮麗だ。
俺は領主夫妻の後ろ、お嬢様の横に並んで行進する。
沿道にはそのパレードを見物しようと、村人たちが遠巻きに群がる。
教会まで半分ほど歩いた時だった。
群衆の後ろの方から、「グルルルル」と言う鳴き声が聞こえた。
振り返った人々が声の主を見た瞬間、蜘蛛の子を散らすように、サッとその物に道を譲った。
そこには、体長2メートル程のある灰色の野獣がいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
見た目はオオカミと言っていいだろう。ただし大きさが全く違う。
普段は人の住む場所には決して現れない野獣が何故?
俺はそう疑問を浮かべながら、野獣の様子を伺う。
群衆が退いたため、野獣と我々の間に障害物は無い。
野獣もこちらの人数を警戒してか唸り声を上げて威嚇する。
何人かの兵士が領主夫妻を護るように前に出る。
群衆の後ろの方で何か光ったと瞬間、野獣が飛び出して来た。
領主夫妻ではなく、俺とお嬢様の方へ向かって一直線に駆けてくる。
俺は槍を構えた。
野獣が近づくのを待つ。
こういった場合、逃げたら後ろから殺られるだけだ。
野獣の最大の武器は爪ではなく、その牙だ。
俺は、野獣の牙のある顔だけに狙いを定める。
槍を地面に突き立て、野獣の体重に対抗する。
槍を振り回したりはしない、そんなことをしても軽傷を与えるだけだ。
今できることは、その体重を利用しカウンターで野獣を串刺しにすることだけだ。
待つ。
待つ。
ひたすら待つ。
野獣と目が合った。
と、あと数メートルといったところで、野獣が引き返した。
「ふー」と息を吐く
緊張で、息をするのを忘れていたようだ。
野獣はと見ると、そのまま走り去って、そして居なくなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
暫くして、何事も無かったかの様にパレードが再開される。
こんなことで、ミサを中止したら領主の威厳が保てない。
ただ、行列の中から家宰と数名の騎士、兵士20人ほどが抜け、パレードの人数が50人ほどに減っていた。
再開したパレードの中には俺とお嬢様の姿もある。
そのまま教会に入る。
教会は堅牢な作りをしているので一先ず安全だ。
教会の中はステンドグラス越しに入ってきた陽光が色とりどりに舞っていた。
最前列の領主席に領主夫妻、お嬢様、騎士数名が座り、俺たち護衛や使用人は通路脇に立つ。
村の有力者たちが着席し、ミサが始まった。
讃美歌が歌われ、司祭の訓戒のあと神に祈りを捧げられる。
俺は祈りの間、先程の出来事をもう一度振り返ってみる。
野獣が突進する前に光ったあの光は一体何なのか?
この出来事は魔女と係わりがあるのか?
疑問は尽きない。
考えている間に、祈りの言葉が終わり、最後に全員で神を称える言葉を唱和するとミサが終了した。
ミサが終了すると、領主夫妻を先頭に退出する。
ミサからの帰りは何事も無く警護任務を終えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お嬢様と一緒に部屋へ戻る。勿論執事とメイドも一緒だ。
衣装替えがあるので、執事と俺は一旦席を外す。
廊下で立っていると、執事から声が掛かった。
「いやあ、凄かったですな。あんな野獣を見たのは初めてですわ。」
「俺も初めてです。何事も無く良かったです。」
会話はそれで終わる。
ここは雑談をするような場所ではないし、執事が発言することさえ珍しいことだった。
お嬢様の着替えが終わると、メイドが俺と執事を招き入れる。
「お茶にするわ、支度して頂戴。話はそのあとよ。」
お嬢様の声を聴いた執事はお茶の準備をしに退出する。
俺は黙ってお嬢様の傍らに護衛として立つ。
執事がティーセットを部屋に運び入れ、給仕する。
疲れが取れそうな柑橘系のフレーバーティーの良い匂いがする。
前世ではアールグレイと呼ばれる種類の茶葉だ。
お茶を一口啜ると
「あの野獣は何だったのかしら。」
その問いに、誰も答えることができなかった。
無言のまま、お嬢様のお茶を飲む所作の音だけがその場を支配する。
お嬢様はこの件が片付くまで、単独行動が制限されており、少しずつストレスを貯めこんでいるようだ。
我儘者のお嬢様が、この先ストレスで爆発しないか心配になって来る。
緊張していたのだろう、紅茶の効き目でリラックスでき、眠くなったか。
「午睡をするわ、席を外して頂戴。」
とお声が掛かり、俺と執事は退出する。
執事は夕食の段取りやら何やら色々仕事があるのでどこへともなく立ち去り、俺は隣の詰所に陣取った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて夕方の交代時間となり、カーターと交代した。
これから夕食を済ませ、深夜12時まで仮眠を取ることにする。
屋根裏の自室に上がる前に30分前に起こしてくれるよう執事に依頼する。
こうしないと寝過ごしてしまいそうだ。
自室に入り明り取りの、空気取り口を板で塞ぐと、真っ暗になった。
目をつむると、すぐに寝息を立てていた。
前日に引き続き連投になります。少しずつスピード出していきます、この先の急展開をお楽しみに。